第五十三章 輪廻の塔 〜前編〜
「いい加減仲直りしたらどうだ?」
これから死地へと赴く中、まだシトリーと喧嘩しているクダイにカイムは忠告した。
日は暮れ、妙な涼しさは夜を誘っているのだろうか、あまり気持ちのいい風ではなかった。
「やだよ」
そして返って来た言葉がこれである。
そこまで頑なになることもないと思うのだが、意外にもクダイはプライドが高いらしい。
クダイとシトリーは、目が合う度にプイッと顔を背ける。逆に言えば、なんだかんだと言いながらも、互いに気になってしょうがないのだ。高確率で視線を合わせている。
「素直になりゃいいのに」
独り言を言ったつもりが、クダイにはきっかり聞こえたらしく、
「素直じゃなくて悪かったね」
「い、いや……あはは……」
急に強気になるもんだから、さすがにカイムもたじたじになった。
一方、シトリーはというと………。
「シトリー、クダイさはシトリーに謝って欲しいでねーべか?」
カカベルが子守をしていた。
「なんで私が謝らなきゃいけないの!私はクダイに気を遣ってあげただけなのに!」
ご不満はごもっとも。どちらに否があるかと言えば、ギリギリ、クダイにあると言える。
まあ、クダイの気持ちもわからないでもないのだが。男とはそういう生き物だと理解出来るまで、シトリーにはまだ時間はかかるだろう。
「クダイさだってわかってるだよ。ただ、素直になれないだけだべ。要は子供なんだべさ」
「知らない!知らない知らない知らない知らないっ!クダイなんて知らないんだからっ!」
突然、声を上げたものだから、全員が驚いてしまう。
シトリーは何を思ったか、つかつかとクダイの方へ歩いて行く。
誰もが息を呑み見守る中、
「ぜぇ〜〜〜〜ったい!謝らないからねっ!!」
舌を出して威風堂々、宣言した。
「な………なんだよ!いきなり!」
「クダイが謝るまで、許してあげないんだからっ!」
「じょ………上等だ!僕だって絶対謝らないぞ!絶対絶対だっ!」
「ふーーーーんだっ!バカッ!」
「バカとはなんだ!バカとは!バカって言う奴がバカなんだからなっ!」
「私がバカなら、クダイはバカのバカでバカバカよっ!!」
「あったまに来た!もう口聞いてやんないぞ!」
「勝手にすればぁ〜」
「この分からず屋!」
「クダイこそ!」
額を擦り合わせ、唸り声を上げている。
「頼むから誰かなんとかしてくれ。緊張感が台なしだ」
シャクスは頭を抱えながらぼやいた。
「無理だね。ありゃ病気の一種だよ」
オルマは誰の手にも負えないことを知っている。
「なんだか羨ましいなぁ」
シメリーとしては、“ああいう”ことを夢見たりするのだった。
「見ろ」
そんな賑わいとは裏腹な声色でケファノスが言うと、全員がケファノスと同じ方角を見る。
高台から見える先には、
「あれは………」
ダンタリオンがわざわざ声に出さずとも、見えてるものが何かは一目瞭然だった。
空まで届きそうな塔。輪廻の塔だ。
「輪廻の塔………」
オルマの鼓動が高鳴る。
「お、おい、あれ見ろよ!」
高台の下にカイムが見たもの。それは、魔族の群れ。それも千や二千の数ではない。五千六千の数でもない。
「一体何人いやがるんだ。洒落になんねーだろ」
カイムのサルンガでも一筋縄ではいかない。軽く十万は超えている。
塔の廻りを埋め尽くすように、されど乱雑に居るのではなく、綺麗に陣形を組んでいる。
「やってくれますね。果たして塔まで行けるかどうか」
弱気な発言をしたダンタリオンに、
「行くんだ。誰でもいい、塔の最上階まで辿り着かなきゃいけない」
シャクスはそう言った。
「幸せだね、ケファノス」
誰もが不死鳥の羽根を手に入れる為、ケファノスの肉体を取り戻す為に最上階を目指す。
シメリーに言われ、ケファノスが照れたかどうか定かではないが、悪い気はしてないだろう。
「ケファノス」
クダイが呼ぶと、
「お前達に言っておかねばならないことがある」
唐突にそう口にする。
「どうしたのよ?急に改まって」
気持ち悪さを感じて、オルマが冷やかす。
間違ってもこれまでの感謝の言葉でないことは確かで、それをわかっているからつい冷やかすのだ。
「余の魔力が尽きかけている」
出て来た言葉。ケファノス自身の死の宣告。
「ただでさえ肉体を失い、魔力をうしなった状態で、バランスブレーカーを時空の歪みに隠すのは無理があったらしい。魔力が尽きれば余は消える。だからバランスブレーカーをお前達に渡しておこう」
死んでしまえば、永遠にバランスブレーカーは時空の歪みの中。最悪を考慮した結論だった。
バランスブレーカーがスッと現れ、それをカカベルが受け取る。
「な、なしてわだすに?」
バランスブレーカーの性能など知らないだろうが、見るからに豪華で、ただの飾りでないことは理解出来た。
「シスターは武器を持っていない。身を守るにはちょうどいいだろう。それに魔力も無い。万が一にもバランスブレーカーが発動するとは考えられんからな」
ケファノスがカカベルを案じての行為だった。
「待ってよケファノス!死んじゃやだよ!」
「案ずるな、クダイ。まだ死ぬと決まったわけではない。ドミニオンの言っていたことが本当ならば、ジャスティスソードによって失った肉体は、不死鳥の羽根で復活出来る。ここから先は………」
何かを躊躇うようだったが、
「お前達に余の命を託す」
ちゃんと口に出して言ってくれた。
全員はかなり驚いたが、やがてそれぞれに顔を見合わすと、微笑んだ。
魔王であろうとも仲間だ。見捨てるはずもない。ケファノスが口に出して言ったことも、みんなを信頼してのこと。
期待に応える準備はある。
「任せてよ!僕達がケファノスを助けるから!」
クダイは胸をポンッと叩いた。
「あなたには世話になってばかりです。必ず恩返ししましょう」
ダンタリオンもクダイを真似た。
「問題はどうやって塔まで行くかだな」
腕組みをして輪廻の塔を睨むシャクス。持てる経験から一番効率のいい方法を探っていると、
「悩む必要はありますか?」
肩を叩き、ダンタリオンが微笑んでいた。
「魔槍グランドクロスで突破口を作ります。そして残る敵は、あなた達が塔に着くまでカイムに抑えてもらいます」
「え?お、俺?」
降って来たような自分の名前にどぎまぎしたが、それはここに残りダンタリオンと二人だけで、“あの”群れを相手にするということ。
改めて覚悟を決め、
「よっしゃあ!俺なんかに任せてもらえるんなら、喜んでやらせてもらうぜ!」
「頼りにしてますよ」
そのカイムは、武者震いをしていて、気付いたシメリーがそっと手を握る。
「カイム様、私も傍にいます」
普段は勇気が漲らず叶わぬ夢だったのだが、今だけは自然に出来た。
温かいシメリーの手の平は、カイムの心に届き、彼を奮い立たせた。
「シメリー………」
身を案じたシトリーの言葉を遮るように、シメリーはすぐに返す。
「ここで、カイム様を援護する。だからシトリーはクダイ達と行って」
「だけどさ………」
「もう守られてるばかりは嫌なの。自分のことは自分で決めたい」
クダイがエンテロに挑む姿を見て、そう感じたのだ。踏み出さなければ何も始まらないと。
「シメリーがそう言うなら………」
「大丈夫です。私とカイムがいますから」
ダンタリオンはどこにいても笑顔だとは思っていたが、こういう時は本当に安心する。
「わ、わだすも行ぐしかねーだべか?」
「僕達と一緒にいた方が安全だよ」
「そういうことだ」
クダイが言うまではよかったが、ケファノスが言うと、
「ケファノスさは言われたくねーだ!わだすはお前を監視すんなんねんだから!」
と、不安なのかどうなのか問いたくなる返しをして来た。でもそれはカカベルにまだ余裕がある証拠。
まあ、ダンタリオン達が捕まった時、単身で釈放を求めに衛兵に盾突くくらいだ、弱虫な女でないことは保証されてる。
「では行くぞ。一気に駆け降りろ!」
高台と言ってもせいぜい六メートル。シャクスは、なだらかな場所を選んで見本を見せる。
「ま、待ってよ!」
クダイが続き、その後をオルマ、シトリー、カカベルが続く。
ケファノスは………いつも浮いてるので苦労はない。
途中、シトリーやカカベルは冷やッとする場面もあり、シトリーに至っては最後の最後で愛らしく転んでしまった。
「痛〜い……」
すると、目の前に手が差し出され、
「あ、足手まといになるなよな」
クダイがぎこちない口調で言った。
「レディにはもっと優しくしてよね!」
と、言いながらも、シトリーはしっかりとクダイの手を取った。
そのやり取りを見ていたダンタリオンは、右手を翳しグランドクロスを召喚する。
「カイム」
「どうした?」
「グランドクロスは大量の魔力を消費する為、連発は出来ません。ですからクダイ達が塔に着くまで、あなたしかいないんです」
「ヘッ、わかってるよ。いいからあの物騒な槍、落としちまえって」
「わかりました」
クダイ達が走り出した。十万を超える群れと接触するまでわすか。
「グランドクロス!!」
青い光の槍は、群れのど真ん中へと落ち、一気に吹っ飛ばす。
計算されたように、クダイ達が通る道が出来、
「次は俺の番だ!行けぇ!!」
放った翼のある炎の矢は、一本が百本に増え、直ぐさま次の矢を放つ。同じようにまた百本。それを繰り返し、道を確保する。
音速で飛んで来る矢を前に、魔族はクダイ達に近寄ることも出来なかった。
「どうか………無事でまた会いましょう」
小さくなっていく仲間の背中。
ダンタリオンは、しばしの別れに強く祈った。
暗雲渦巻く空の下、目的を果たすのはクダイ達か魔族か。それともサン・ジェルマンか。
もしかしたら別の誰か。
何を信じるかではなく、何をどう信じるか。
人の行く先は、いつも偶像が支配する。