第四十五章 空の剣
『広き空は平等なる懐
天に翳すは尊大な志し
我裂く力は空の力』
やれやれだった。シャクスも優秀な知能の持ち主だが、こういうのはどうも苦手だ。
「ったく………どうしろってんだ」
ガツンと石碑を蹴る。
「相変わらず短気なんだな」
柔らかい声がして、後ろを振り向く。
「あ………あんたは………」
「久しぶりだな、シャクス」
聖騎士の鎧を纏い、長いブロンドの髪を後ろで束ねた品のある男。
「に……兄さん………?」
「男らしい顔になったな。騎士の顔だ」
そこにいたのはシャクスの兄。
十歳も歳の離れた兄弟だが、よく遊んでくれた良き兄だ。
ただ………
「誰だ貴様………」
「おいおい、どうしたそんな恐い顔して」
一歩踏み出した兄から、一歩遠退く。
「兄さんは戦争で命を落とした。生きてるわけがない」
「シャクス………」
「正体を表せ!」
「落ち着け、シャクス。誰も“生きてる”とは言ってないだろ」
「なんだと……?」
「あの世から会いに来たのさ」
この世とあの世。口にするほど簡単には行き来出来ないだろう。会いに来たいからと言って来れるなら、先祖なんてありがたみもない。
「聖騎士の鎧はどうした?」
「………わけあって売ったよ」
「魔王と旅してるのが関係してるのか?」
全てを知って話してるわけではないらしかった。
「まあ………そんなとこだ」
いい加減いい歳だ。兄に頭の上がらないわけでもない。なのに萎縮してしまうのは、兄に憧れて聖騎士になったからだろうか。
誰からも信頼され、誰からも愛され、誰からも必要とされた男。
聖騎士の白い鎧がよく似合う。自分はこんなに似合っていただろうか?
純白の鎧は選ばれた者しか纏えない。その資格はあっただろうか?
自分に問い掛けてみた。
「責めないでくれよ。こっちにも事情がある」
シャクスは赦しを請うように言った。
「責めないさ。お前が正しいと思ってしたことなら、それもまた聖騎士の判断だ」
「そんな大層な理由じゃないけどな」
「でも嬉しいぞ。俺を目指してくれたことは」
調子の狂う。もう子供じゃないのだが、そんな感じの声色に苦笑いすら浮かばない。
「だがな、シャクス。今の仲間で勝てると思っているのか………サン・ジェルマンに」
「…………。」
「ダンタリオンとオルマ、それとあのハーフエルフはいい。しかし、他のメンバーがいては足手まといじゃないか?」
確かに、シトリーやシメリー、カカベルは話にならない。クダイも正直どこまでやれるか不安だ。だからと言って、他に策があるわけでもない。
「エルガムに戻れ。そしてもう一度聖騎士隊を引き連れて挑めばいい」
「ケファノスがいる。奴の肉体さえ戻れば、戦いは有利に………」
「信じてるのか?」
「…………?」
「ケファノスは魔王だ。肉体を取り戻せば、お前達を裏切り再び人間の敵になるやもしれん。所詮は魔族、そのくらい平気でやるぞ」
兄の目から聖騎士の目へと変わる。
厳しく、妥協のない目。
「それは………」
「シャクス、お前は何の為に聖騎士になった?冷静に考えればわかることだろう?」
兄の目を見た。それは猛獣ですら平伏しそうな眼差し。
「出来ません」
シャクスはそう答えた。
「何?」
「ケファノスを信じるかどうかは俺が決めます。少なくとも、今は大切な仲間であることに変わりはない。それに、みんな頼りない仲間なんかではありません。一人一人が頼れる仲間です」
「シャクス………聖騎士として恥ずかしくないのか!」
「恥ずかしい?……………ふざけるな」
「……………シャクス?」
「一人、勝手に死に急いだ人間に、とやかく言われる筋合いはない!」
「………本気で言っているのか?」
兄は剣に手を掛けた。問い掛けにYESと答えたら、確実に抜くだろう。
だから言ったのだ。
「俺は兄さんとは違う。聖騎士で居続けることに自分を見出だせなかった。あんたの影を追ってるだけに過ぎないと気付いても、自分ではどうすべきかわからなかった。だけど、あいつらは……大切なものはなんなのか、それを考えさせてくれた」
「愚かしい。情けないぞシャクス。そんな弱い男だったとは」
剣を抜き、構えた。
「強い人間なんて、きっとどこにもいない。助け合い、時には馴れ合うかもしれないが、それが正しい人のカタチだ。道を誤る時、人は自分の力では正せない。仲間がいつだって教えてくれるんだ。仲間が道を誤れば、俺が教える。甘いと言われても………俺はそう信じる!」
腰を低い位置に下ろし、拳に力を込めた。
兄の亡霊を振り払う為。
「よかろう。それがお前の道だと言うのなら、止めはせん。だが………私を超えて行け!」
構えた剣にシャクスが映る。
「行くぞ!シャクス!!」
「望むところ!!」
好きだった。優しい兄が。聖騎士の真っ白な鎧がよく似合う兄が。
憧れはいつしか目標に変わり、同じ道を歩んでいた。
後悔はしていない。ただ自分は兄とは違うと気付いてしまっただけ。
「うおおおおッ!!!」
唸り、拳を兄の胸に捩り込んだ。
鎧がひび割れ、破片を生んでシャクスの勝利を伝えた。
「ぐ………なんて力だ………」
兄は剣を落とし、胸を抑え膝を着いた。
「ありがとう、兄さん。兄さんがいたから、兄さんの背中があったから、俺は聖騎士になれた」
「シャクス………」
最後に弟の名を呼んだ兄は、満足げに微笑み、そして光の泡となり消えていった。
残された剣だけが、誇り高く輝いて。
シャクスは剣を拾い上げ、刃の真ん中に刻まれた文字を読んだ。
『スカイカリバー』
それが剣の名称。
「兄さん………」
瞳を閉じ、“フッ”と笑み、
「俺は兄さんのような聖騎士にはなれなかった。誰からも慕われ、愛されるような。でもそれでいい。もう兄さんの影は追わない」
シャクスがスカイカリバーを翳すと、闇が光に変わっていく。
その光の向こうに、待っている仲間達がいる。
「それとさ、兄さん………」
当たり前のように帰るべき場所へ帰るシャクスは、
「俺にも“弟”が出来たんだ」
自分の進む道を確かに歩いていた。