第十八章 ドミニオン
茨のトンネルを抜けると、そこはまた森の中だった。ただ、不気味さはなく、普通と言うか森らしい森だ。
ちょっと違うのは、白い綿毛が下から上へとふわふわ揺れながら昇る。別の世界にでも来たのかと思ってしまう。
「久しいな。ドミニオン」
ケファノスが改めて挨拶を交わした相手。それは巨大な花だった。
「随分と容姿が変わったな。ケファノス」
ケファノスの小さ過ぎる身体に驚くこともなく言った。
「そのことも含め話がある」
「その前に、ジャスティスソードの災いを受けぬ少年よ、前へ」
ドミニオンに呼ばれ、心臓が縮む錯覚に陥る。
ダンタリオンに背中を押され、ジャスティスソードを握ったまま恐る恐るドミニオンの前に出た。
「名は?」
「ク、クダイ、桐山クダイ」
「クダイ………」
いい名前だ……なんてことは言わないことくらいわかっている。ただ、世間並みの話をしてくれないと緊張が解れない。
見た目を差し引いても威圧される。ドミニオンが”単なる”花だったとしても。
「そやつはこの世界の人間ではない」
プロフィールがなければクダイのことなどわかるわけもなく、ケファノスが見兼ねて口を出す。
「ジャスティスソードは心の中の悪を見逃さない。己の力を使う者の選定はしないが、心の悪を見定める。結果、心に悪を持たない者などいないのだから代償は払わなければならなくなる。だがこのクダイには………」
クダイの心の中を探るケファノス。出会ってから気付かないうちに何度もそうされてるのかもしれない。
「悪を持たない生き物など存在しない。私も。ケファノス、お前も。人間なら尚のこと。なぜなら、悪は生の排泄物だからだ。言い方を変えれば、宇宙が誕生し時間が生まれた。生命体ではない者の生が生み出したのが人間だ」
「ちょっと待ちな。じゃあなにかい?あたし達は宇宙の排泄物だとでも言いたいのかい?」
語るドミニオン。人間としての尊厳を否定されたくないオルマ。クダイに説教したばかりだが、こればかりは話が別。
ほっといたら、あのでかい花びらを引っこ抜きかねない。ダンタリオンが割って入る。
「申し訳ありません。突然の話で何が何やら………」
「謝る必要なんてないよ!人を排泄物呼ばわりしたんだ!」
「ですがオルマ、それが真実です」
「あんた今の話、真に受ける気かい?」
「私達はここに進むべき道を聞きに来たのです。真実を知らなければ先には進めない。そういう相手と戦って行くんです。大人になりましょう」
言いくるめられたとは思ってない。ダンタリオンは頭がいいからわずかな言葉でその真意を察してしまう。そうなると言い合ったところで勝てないのがわかっている。
「失礼をお許し下さい」
ダンタリオンはドミニオンの前にひざまずく。
礼を尽くす。ケファノスがドミニオンのことを言わないで旅をしようとしたのは、人間が世の真実を知るには幼いと判断したからだろう。
傷つけたくなかったのだ。多分。
絶望すらするかもしれない真実がここにはある。
理由は他にもあるだろう。でもそれが一番の理由であることくらいダンタリオンにはわかる。
ケファノスの気持ちに感謝を示したのだ。
「ひざまずく必要はない人間よ。私は真実を語るだけ。場合によってはお前達の生きる意味すら奪ってしまうかもしれないのだから」
ダンタリオンは立ち上がり、
「受け止めましょう。どんな真実も」
そしてケファノスに後を任せる。
「ドミニオンよ、いくつか聞きたい。まず、余の身体はジャスティスソードによって、このような小さい人形に魂を封じられてしまった。肉体を取り戻す方法が知りたい」
肉体さえあればなんとかなる。サン・ジェルマンと”同等”に戦えるはずだ。
「…………ジャスティスソードにどんな能力があるのかがわからない。それだけに確実な方法を教えてやることは出来ない。だが、肉体が朽ちたのでないのなら、おそらくは時空にでも飛ばされたのだろう。だとすれば呼び戻すアイテムはある」
「それは?」
魔王が知らないアイテムが実在する。クダイ達には意外だった。
「不死鳥の羽根。不死鳥は時空を渡り歩くと言う。それゆえ、不死鳥の羽根には時空の歪みから魂さえ呼び戻す力があると言われている。それなら可能かもしれん」
「……………。」
なぜかケファノスが喜んでないような気がした。そのわけは、
「ドミニオン、不死鳥は伝説の鳥。同じ伝説でもジャスティスソードとは違い、その姿を見た者は誰もいない」
「かつて不死鳥がいたという塔があるではないか」
「輪廻の塔」
「そう。そこに行けば手掛かりくらいはあるかもしれない」
ケファノスは黙っていたが、行く価値はある。会話の内容から、輪廻の塔とやらにケファノスは行ったことがないらしい。伝説を知りながら。同じ理由でダンタリオンもだ。
オルマは………まあ行動範囲が広い生活をしていたとは思えない。知識はあっても行ったことはないだろう。
「なら次だ。サン・ジェルマンに魔法が効かないのはなぜだ」
最初の質問の答えには納得したらしい。
「サン・ジェルマンは時の秘法で時間を身に纏っているのだろう」
クダイは頭が痛くなって来た。
時間って身に纏えるものなのか?と。抽象的な話は苦手だ。もっとも、得意な話が無いのだから気を使うまでも無い。
「時間を身に纏う………とは?」
便利なことに、ちゃんと興味を示し理解しようとしてくれる者がパーティーにいるのだ。
新たな知識を得るのも賢者の仕事なのかも。
「時間というのは生き物が感覚でしか感じられない物質。実体も無く、それを証明しているのはあくまでも概念とその説明。そういうものであると認識するしかない。だがサン・ジェルマンは時間や他の世界を行き来する術を持つ。それは時間がなんであるかを知っているから。知っているからこそ、様々な使い方をやって見せる。魔法が効かないのは、彼の周りの時間が凍結しているからだ。だから魔法のように”時間を必要とする事象”を無にしてしまう」
クダイは、チラッとダンタリオンを見たが、ダンタリオンも全てを理解はしていないようだ。
「そんなことを言ったら、時間を必要とする事象など、この世の全てがそうではありませんか」
「そうだ。しかし、そうでないものも存在する」
「有り得ない。時間の中で生きる以上、時間を必要と”しない”事象があるなんて………」
「心だ」
「心………?」
「心は時間に左右されるものではない。例えば一年前の怒りを、今も抱くことが出来る。遥か未来への希望を、今抱くことも出来る。個人が死んでも、時を超えて心は受け継がれて行く。時間がその存在を無にされてしまうのが心だ」
「しかし心だけでは戦えない」
食い下がるように言った。ちゃんとした物理的な手段が欲しい。
「戦いは常に心だ。心が折れては戦えまい。それがなんであるかは人間、お前が見つけ出せ」
どんなに強力な炎の魔法を使っても、永遠に燃え盛ることはない。
どんなに強力な氷の魔法を使っても、永遠に溶けずにいることはない。
時間が存在するとはそういうことなのだ。
そして、その常識を覆すようにサン・ジェルマンの周りは時間が凍っていると言う。それはこの世で起こる些細な現象さえ許さないということ。そんな中でもサン・ジェルマンが存在していられるのは、心を持っているからだ。
時の秘法でも手に入れない限り、ダンタリオンには完全に理解することは出来そうにもなかった。
「まだ聞きたいことはあるか?」
「ある。実は、サン・ジェルマンは、クダイの友人に屍人を使って魔術のような力を与えている。屍人は単なる魔物だとばかり思っていた。それに、そのクダイの友人を”器”と呼んでいた。奴は時間軸を融合するのに利用するようだが」
「残念だが、屍人がなんであるか私にはわからない。サン・ジェルマン自体が得体の知れない男だ。時間を操る術をどこから得たのかもわからない。奴はこの世界の者でないことは確かだが、奴に関わるものについては答えようがない」
ここまで十分に答えてくれた。
サン・ジェルマンに魔法が効かない理由、ケファノスの肉体を取り戻す方法、難易度はスペシャルクラスのようだが、道が見えただけでもありがたい。
「そうか。世話をかけた」
ケファノスが言うと、
「この礼はいつか何らかの形で」
ダンタリオンも最後に頭を下げた。
なんだかよくわからないが、自分もそうしなければならない気がして、クダイも一応、深々と。
「礼はいらない。私はただ静かに暮らしたいだけ。そっとしておいてくれればそれでいい」
話が終わったのなら、早々に立ち去るが礼儀なのだろう、ケファノスが一人元来た道を戻る。
「サン・ジェルマンは時を操る者。そのカラクリを暴かぬ限り、誰も勝利することはない」
ドミニオンは世界の終わりを覚悟した。