第九十七章 託された想い
都合よく事は運ばない。人はそう言う。だがそれは、事を成し得なかった者への、仕置きに過ぎない。都合よく事が運ぶことだって、充分にある。
「あなたの負けです、ケファノス」
魔槍グランドクロスの切っ先が、ケファノスの鼻っ面に突き付けられる。
「………まだ負けたわけではない!」
「強がりを。念仏を唱える時間くらいは与えましょう。なにぶん、慈悲深いものでして」
「黙れ!裏切り者が何を言う!」
「何とでも言うがいい。愛する女さえ裏切ったのだ。今更ですよ」
「それは本心か?」
「はて?質問の真意を伺い兼ねますが?」
「シャクスの死に流した涙。あれさえも偽りだったのかと聞いたのだ」
あの夜のダンタリオンの涙。あれが偽りの涙だったとは、到底思えない。あれは紛れも無くシャクスへの想いだったはず。
「答えろ!ダンタリオン!貴様は自分の心さえ裏切ったと言うのか!?」
魔槍グランドクロスを手で払い、ダーインスレイヴで真空の刃を放ち危機を逃れた。つかの間ではあるが。
「………裏切ったとか、偽りだとか。あなたに私の何がわかる?」
「なんだと?」
「私の流した涙が偽りで、私が私自身を裏切ったとして、それでも私は何も変わらない!」
声を荒げ、ケファノスの言葉を振り払い、
「よいかケファノス!人々の見る幻想も、最初は影もない幻だった!時を重ね、気付けば影さえあるあやかし!更に時を重ね、自らの意思さえ持つ幻想!そして今度は、他の世界に住まう現存する者!より具体的に、より力ある形になっていく幻想を、放っておくわけにはいかないのです!」
「………クダイのことを言ってるのか?それとも羽竜のことか?」
「どちらでも同じこと!そうやって作り出された人々の希望の具現体は、役目を果たすと見向きもされぬ!強欲な人間の道具に過ぎないまま、消されてしまう!」
「ダンタリオン………まさかお前……?」
「詮索は無用です。これは人々への戒めの戦い!人々が、二度と幻想を見ることのないように!」
「なるほど。いや、納得がいった。人間でありながら、とてつもない魔力を持つ理由。才能だとばかり思っていたが………」
黙ってダンタリオンを見つめる。
「フッ。わかってはいるのです。幻想はどこへ行っても幻想。いつまで経っても幻想だと。それがどんなに苦しいか………こんな想いは、もう誰にもしてほしくない」
そして、高く飛び上がり、
「終わりにしましょう!私も………すぐに後を追います!」
魔槍グランドクロスをケファノスの心臓に刺す。
「…………くはっ…………ク………クダ……イ…………………」
ダーインスレイヴを落とし、後ろへ勢い余って吹き飛んで倒れた。カランと無機質な音が、果てる魔王の最後の鼓動。
「語るつもりはなかったのですが………」
その時、五感を刺激されるような視線を感じ、上を見上げる。
「………………クダイ」
点在する石のひとつに、勇者はいた。
黄金の剣があの独特の共鳴音を鳴らし続ける中、二人はしばし睨み合うと、クダイの方から飛び降りて来た。
「ヨウヘイが言ったこと、本当だったんだね。ダンタリオン」
ケファノスの身体を抱き起こし言った。
シャクスも、カイムも、最後はケファノス看取られて逝った。同じ様に、今、クダイに看取られようとしている。
「バ……バカが……今頃来おって…………」
苦しそうに言いながらも、ケファノスは微笑んでいた。
もう何も言わずともわかりあえる信頼がある仲だ。頼りなく、文句ばかりを吐いていた少年が、今は最後の綱。元々、童顔な面持ちのクダイ。男らしいとは言え、まだ幼さを否定出来ない顔ではあるが、ケファノスは全てを託すに値すると確信している。
「遅くなってごめん………」
「最後まで……心配をかけおって………」
死に行く者の気持ちが今なら解る。思わず触れたくなるものだ。忘れ形見には。
クダイの頬に触れ、
「………倒せ………情けを掛けるな………」
「………うん」
「この命……シスターに預けたというのに………がはっ……」
「ケファノス!」
「クダイ……シャクスの想い……カイムの想い………余の……想い………確かに託したぞ………」
「わかったよ。確かに、受け取ったから。だから………」
涙を我慢出来なかった。まだ戦いは終わっていないのに。でも、最後の別れだと知ってしまっているから。
「泣き虫め………」
「ケファノス、今までありがとう………後は、僕が引き受けるよ………」
「………フッ……礼を言われることなど……何もしてない……」
「ケファノス………!」
もう、応答はなかった。
「別れは済みましたか?」
「ダンタリオン………ッ!」
波ながらも凄むクダイに、正直、怯みそうになった。どこか、ケファノスに似ていたからだ。
「僕は絶対にお前を許さないっ!」
「………哀れな。話は聞こえていたのでしょう?あなたも所詮、この世界の身勝手な人々に呼び出された道具。それでもまだ戦うと?」
「関係ないよ。僕はこの世界が好きなんだ、みんなが好きなんだ!裏切っておいてエラソーに言うな!」
「裏切ったのはこの世界の人々です。………サン・ジェルマン伯爵を………私を」
「だからなんだよ!裏切られたら裏切り返すのか!?そんなの………身勝手なのはダンタリオンの方じゃないか!」
クダイは涙を乱暴に拭い、ジャスティスソードを構えた。
「悲しい世界なんですよ。ここは」
対するダンタリオンは、魔法陣を自分の身体に指先で描くと、
「教えてあげましょう。最後の真実を」
肉体に変化が表れる。氷のような突起した翼が背中に生え、額に第三の目。点在する石が一様に飛んで来て、ダンタリオンを包むと、大きな怪物に変身した。
「人々の祈りは、屍人が叶えるのですよ。」
「なん……だって……?」
「あなたにだけ語る真実です」
蜘蛛のような胴体で戦闘体勢を取る。
「始めましょうか。幻想を見る人々への最後の戒めを!」
クダイを生贄にする宣言書が読まれた。
クダイを殺すことで、人々の希望を断つことが出来る。
覆い被さるダンタリオンの影に呑み込まれながらも、
「僕は負けない………みんなの想いがある限りっ!!」
瞳を閉じ無眼の構えを取った。
幻想を打ち破る為、悲しみを乗り越え正義の刃を振るうのみ。
「行くぞ!ダンタリオン!!」