一室
闇が怖いなと思った時のことを思い出して、想像を膨らませた作品です。
前の投稿同様に短いので、サクッと読めるかと思います。
はじめの部分を読んで、合わないなと思った方は無理に読まず、ページを移動する事をおすすめします。
昨夜、降り始めた雨はいつ止んだだろうか。いや、まだ降り続けているかもしれない。天気予報では二,三日の間、雨は続くだろうと話していたのを未だに覚えている。そもそも、降り始めたのは昨夜なのか、それとも一昨日なのか、もうわからない。今見える光は、向こう側でシンと静かに光り続けている裸電球だけだ。
静寂と、闇と、遠くの仄かな明かり。それだけであったなら、ゆったりと眠りにつくことができたかもしれない。だが、ここにあるものはそれだけではなかった。あいつが、あの女がいるという恐怖と、ここがどこであるかわからないという不安。その二つが静寂と、闇と、仄かな明かりを味方につけ、私の心を重く支配していた。
思い出すだけでもゾッとする、あの女の笑顔。私に向けられた視線。優しさを貼り付けたような言葉。さむくなぁい?おなかはすいてなぁい?そう聞いてくるあの声。ただただ気味が悪かった。
時間が無限にあるような感覚とはたぶんこういうものなんだろう。誰か私を探してくれているだろうか、ここは見つけ出せるような場所なんだろうか、私がいなくなったのは私自信の意思であると思われていないだろうか…。そんなことを考え始めたらきりがない。今はただ信じて待つか、あの女を受け入れるかのどちらかを選ぶしかない。まぁ、どちらを選ぶかなんて決まりきっているだろう。
カチリという音がやけに大きく響いた。鼓動が大きく跳ね上がる。扉は動かない。それでも警戒を緩めることはない。あの女だろうか。あの女が何かしようとしているのか。何をしようとしているとしても、今の私にプラスに働くことはないだろう。扉の方をじっと見ていると、ゆっくりとノブが回った。そして少し扉が開くと、隙間から黒い影がこちらを見た気がして、慌てて目を逸らした。きっとあの女だ。扉は少し開いたまま、それ以上に開くことも閉じることもないようだ。ずっとこちらを見ているのか、それとも扉の向こうで何かをしているのか。
どれくらい扉に意識を向けていたのだろう。乾燥したのか、目が痛くなってきた。不安を抱えたままゆっくりと目を閉じる。じんわりと水分が戻っていくのがわかる。干枯らびそうな喉を潤した時と同じような、生きている実感を持てる感覚。息を深く吸って、自分の中の不安を一緒に吐き出すように、ゆっくりと震えた息を吐き出す。目を開く。部屋の中にはまだ入ってきていないようだ。ちらりと扉を見ると何事もなかったように閉じていた。こんな状況に長くいるせいで幻覚でも見たのかもしれない。そう思った。
今は何時だろう。何時間ここにいるんだろう。昼なのか夜なのかもわからない、それがこんなにも不安を煽るなんて知らなかった。陽の光が見えないこともこの部屋以外の音が聞こえないことも、まるでこの部屋が私の世界の全てだと主張しているようだった。これが孤独感というものだろうか。
グダグダと色んなことを考えていたせいか、いつの間にか少し寝ていたようだ。ずっと気を張って、自分が思うよりも疲れていたのだろう。私が置かれた状況は変わっていなかった。今までが夢だったならどれだけ良かっただろう。そんな事を考えながら部屋の中をぐるりと見渡す。私以外人はいない。変わったところもない、はずだ。自分が思っているよりも時間は経っていないのかもしれない。
脱出することを考えた方がいいだろう。まず、一番の問題は後ろの手錠のようなもの。動かすと金属音のような音がするということは、何かに擦りつけたり叩きつけたりしても、そう簡単には壊れてくれないだろう。無理に壊そうとすると大きな音が出て、あの女が戻ってくるかもしれない。足の方はまだなんとかなりそうだ。タオルの上から縄が巻かれているが、タオルのおかげで動いていればどうにか外せそうな感じがする。あれ、まてよ。手首にもタオルが巻かれて、その上から手錠をしているんだとしたら、タオルをなんとか外すことができれば、上手く抜け出すことができるかもしれない。部屋の中にはいない。物音もしない。扉はまだ閉じたまま。カメラのようなものもなさそうだ。今なら大丈夫なはずだ。
扉を睨むように見つつ、身をよじる。カチャカチャと金属音が鳴る。ほぼ無音の部屋の中ではやけに大きく聞こえる。次第に鼓動も大きくなる。今ここであの女が来たら…。頼むからまだ来ないでくれ。もし今、ドアノブが回ったら、何事もなかったように、動くのを止めて、落ち着いて、あの女にバレないようにすればいいだけだ。
扉を意識しているせいか、上手く手が動かない。だからと言って扉を意識しない訳にもいかない。改めて自分がこんな状況になっていることを呪った。指を引っ掛けて引っ張っても、どこかがきゅっと締まるばかりで、緩まってくれない。無宗教だけど、神様、こういう時ばかりは力を貸してくれ。
カチャっと金属音に紛れて音が聞こえた。ノブが回る。一瞬で身動きができなくなる。あの女が来る。ノブが回りきり、ゆっくりと扉が開いた。開いた扉の先にはあの女がいた、そう思ったが、少し雰囲気が違う。長髪の女と違って、短髪で、なんとなく凛々しさというか、勇ましさというか、何とも言えない何かを感じた。
「あ」
その声で分かった。入ってきたのは、あの女と似ているが男だ。女顔で背もそんなに高くなく体の線も細いが、声の低さと、しっかり突き出た喉仏が彼を男だといっている。何をしに来たのかは分からないが、あの女と違って、彼とは話が出来そうな気がした。
彼はゆっくりと入ってきた扉を閉めると、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「静かにしててくださいね」
そう言って彼は口のガムテープを外してくれた。
「君は…」
「すみません。あまり時間がないんです。姉さんがいないうちに、逃げてください」
私の後ろ側に回った彼はカチャカチャと音を立て、拘束具をとってくれた。足の縄は思ったよりもすんなりと外れた。そして私のカバンを突き出した。
「はやく…!」
「君もここから離れた方がいい」
彼はブンブンと首を振った。
「姉さんがあんなになったのは俺のせいでもあるんです。俺は逃げるわけには…」
その時、私の携帯が鳴った。心臓が止まるほど驚いたが、慌てて電話をとる。着信を切って、ダイヤルで110を入力する。少しして電話は繋がった。
「あの、変な女に監禁されて、助けてください…!」
そう言った直後だった。バンッと大きな音を立てて扉が開いた。あの女が目を血走らせてそこに立っていた。手に包丁を持って。
「まぁちゃん。何をしているの?」
彼はビクッと体を震わせた。
「どぉしてこの部屋にいるの? どぉして逃がそうとしてるの? どぉして私の言うことが聞けないの? どぉして? ねぇ、どぉしてなの?」
「姉さん、こんなことやめようよ」
「どおしてそんなこと言うのよ!」
明らかにまずい状況になっていた。この女は確実に気が狂っている。私を助けてくれた彼も私も、今動けば襲いかかられることは間違いなかった。
「まぁちゃんだけが、私の理解者だと思ってたのに、間違いだったの?」
「姉さん、こんなことはしちゃいけないんだよ。一緒に警察に行こう? 一緒に罪を償って、やり直そうよ」
彼が言ってることを、素直に受け入れるようには思えない。案の定その予感は的中した。
「まぁちゃんも、私を見捨てるのね」
ふらりふらりと女は近づいて来る。そして、彼の目の前でぴたりと止まり、包丁を振り上げた。振り上げた腕を彼は必死に止める。
「姉さん、お願い、やめて」
女はすごい力で彼を振り払った。そしてそのまま私を見下ろす。
「あなたは逃げないでしょう? あなたは私のことわかってくれてるもの。私とあなたは相思相愛、愛し合ってるもの。誰がなんと言おうと歪んだ愛だと言われようと、あなたは私と一緒にいてくれるでしょう?」
身動きをとることも、目を逸らすこともできなかった。全身が凍りついた様にびくともしない。にっこりと気味悪く笑う女がゆっくりと顔を近づけてくる。
「来るな」
か細く震えた声で、言った。刺激するのは良くないとわかっていても、この女が近づくことも、私のことを好きなことも受け入れることはできなかった。
気味の悪い笑顔がスッと消えた。女の動きはぴたりと止まり、徐々にゆらゆらと後ずさりし、上から糸で釣られたような体勢でまた止まる。ふふっ、っと声が聞こえた。背筋が凍りつく感じがした。死んだ目のまま口だけ笑っている。逃げ道は女の後ろ。ここから出ていくためにはあの女を突き飛ばして、走り抜けるしかないだろう。もし足を捕まれでもしたら、そもそも突き飛ばせなかったら、死ぬことになる。そもそも私が無事に逃げられたとして、床に倒れた彼は、無事では済まないだろう。右の二の腕から血が流れている。そんなに深くはなさそうだが、傷を負った彼では一人で姉から逃げるのは難しそうだ。
「逃げてください」
彼は再度そう言った。
「君を置いて行くなんて…」
危険を冒して助けてくれようとした、そんな彼を置いていくなんてできなかった。
そのやりとりが女の耳にも届いていたらしく、女は体を起こし、またふふっと声を漏らした。
「いつの間に、そんなに仲良しになったのかしら。仲良くなったから、私が邪魔になったのね。」
まずい。
「二人共、私を邪魔者にするのね、そうよね、でも私だってあなたのこと愛してるのよ、まぁちゃんのことももちろん愛してる、愛してるのに、どぉしてなの、愛してくれないの」
そう言って女は急にこちらに向かってくる。刺される、そう思って目を閉じた。ぐっ、という声と共に私に何かが倒れてくる。目を開くと床に倒れていたはずの彼が、私の上に被さり、ぐったりしていた。
「君、君!」
体を揺さぶると自分の服に赤いシミが広がっていくのが見えた。
「順番が逆になっちゃったわね、今度こそあなたの番」
その声が聞こえた瞬間、右の下腹あたりが熱くなる。徐々に鋭い痛みに代わり、意識も薄れていく。意識が途切れる最後の方で、サイレンが聞こえた気がした。
■
「電話出ないなーとは思ったけど、こんなことなってるなんて思わなかったわよ」
お見舞いに来た女友達が放った第一声がそれだった。後になって知ったが、あれはたった一日で起きた事だったらしい。携帯のバッテリがもって良かったと思った。通話状態のまま繋がっていたおかげでなんとか警察が駆けつけて来れたらしい。彼の方もどうにか助かったそうだ。
「あたしが巻き込まれなくて良かったわ」
「目の前でそれを言うのか」
いつもとさほど変わらない会話で、なんとなく心が休まった気がした。
お見舞いに来たやつらが話していたが、あの女は意識不明というか昏睡状態というか、警察が話を聞けるような状態ではないらしい。最後に自分で自分を刺し、血まみれの状態で発見されたようだ。これできっと全てが終わった。私の最悪の一日は雨雲と一緒に去っていったのだ。
仕事終わって、疲れたーってぐったりまったりしている時にふとはじめの部分が舞い降りてきたんですが、続きとか考えていなくて、はじめは10行くらいしか書かないまま保存だけして放置していました。後日、晩酌しつつ、読み返してみたら、このまま病み展開にしたいかも…なんて思ってしまいまして、酒を煽って、勢いとノリだけで書きました。酒飲みのおふざけ小説と言っても過言ではありません。
主人公っていうか、この”私”は男か女か決めずに書いてたんですけど、最終的に男っぽくなったかなと思っています。どんな経緯で監禁されたのか、普通に考えて男なら女を突き飛ばしたりして簡単に逃げれるんじゃないのか、とそういう事を今じゃ考えますが、それは、まぁ、何かあったんだという事にして、読んだ方の想像を膨らませて頂ければと思います。
短く拙い作品でしたが、読んでいただいた方、ありがとうございました。