リラ・ミラーと謎の少年
学園の休日。俺は白の半袖シャツに黒の革ジャケット、紺の長ズボン、黒い靴、休日専用の服装で王城近くの広場へと来ていた。
広場の中央には、綺麗な噴水が存在を主張している。その周辺が涼しいのか、近くのベンチで休憩している人も、ちらほらと見られる。
露店も多数出ており、多くの人で賑わっている。行き交う人波には老若男女様々な年齢層が見られる。恋人、友達、仲間、家族、俺と同じで一人の者、とにかく笑顔で溢れていた。
家族……か。両親が生きていれば、俺達もこんな休日を送っていたのだろうか。いや――案外今と変わらないかもしれない。
家族円満な日々を思い出しそうになったが、昔のことだと割り切り、俺は周辺の露店を回ることに決めた。
まず、果物屋に行こう。突然だが、俺は果物が食べ物の中で一番好きだ。永遠に食べていられる――とまでは言わないが、どんな食べ物よりも、一番腹に入るのが果物だ。
「おっちゃん、今日のオススメを売ってくれ」
俺はこの果物屋の常連客だ。台には好きな果物がたくさん並べてある。
「らっしゃい。おっ、サーファ君じゃないか。いつもありがとよ。今日は、これとこれがオススメだ。どちらも熟して今が食べ頃だよ」
おっちゃんが、二つの果物を俺の前に差し出してきた。
「ブドの実とサクラの実じゃないか。その二つは俺の大好物だ。一箱ずつ買った。いくら?」
親指と人差し指で作った丸とほぼ同じ大きさで、青い実の方がブドの実で、それより一回り小さな桃色の実が、サクラの実だ。
どちらも一口サイズで食べやすく、噛んだ時に出る果汁の甘さが癖になる美味しさである。
「合わせて五千コルタなんだが、いつも贔屓にしてくれてるから、四千コルタで良いよ」
「おっちゃん、お腹と同じで太っ腹だな」
俺は笑顔でおっちゃんに軽口をたたいた。おそらく、おっちゃんは、俺の口調の違いや雰囲気の変化に気付いてるが、踏み込んではこない。
それは俺とおっちゃんが、商売の取引相手の一人にすぎないからだ。仲良く見えても、あくまで客と主人。そこから逸脱することはない。
「一言余計だ。また、ご贔屓にしてくれよな」
俺は果物屋を後にした。また……か。来れると良いけどな。
次の店を回ろうと思ったが、その前に果物を食べることにした俺は、空いているベンチを見つけて座り、背を預けた。
心地のよい風が流れる良い場所だ。
水の噴き出す音すらも、涼しさを感じさせる一つの要因と化している。
そんな絶好の環境で俺はまず、ブドの実を一つ口に放り込む。少しの酸味と甘さが絶妙だ。後味は嫌な甘ったるいかんじが残ることもなく、さっぱりしている。
今度はサクラの実を口に放り込む。この果実は、純粋な甘さが特徴的だ。甘ったるさが口に残るものの、俺からしたらこれすらも、魅力の一つでしかない。
あ~、まさに至福の時間だ。一日中食べていたいが、何日か期間を空けた後の果物は、また格別なんだよな~。
俺が幸せに浸っている間も、俺の手は口へと果物を運び続け、いつの間にか箱の中身は空となっていた。
少しのつもりが全部食べてしまった……。全て俺の異空間へと吸い込まれてしまったな。
まあ、仕方ない。俺の近くに果物があるのだから。
果物を食べ終わった俺は、色々な露店を見て回った。アクセサリー店、食材店、占い店、宝石店、小物店、などこの他にも多くの店が立ち並んでいた。
俺はそこそこ満足したので、そろそろ帰宅しようと考えていたのだが、ふと王城方面に目を向けた時、制服姿のリラと知らない少年が一緒にいる場面を目撃した。
誰だあいつ……。この辺じゃ、まず見かけることのない黒髪黒目をしている。というか俺は人間の中では見たことがない。ナンパ……ではないみたいだな。白いワイシャツに黒の長ズボンか……。どこの学生だ?
やけに少年は楽しそうだ。リラも時折笑顔を浮かべている。リラが同い年くらいの異性と親しくしてる姿を初めて見た気がする――俺は幼馴染だから除くが。
おっ、頭ポンポンした。少年は俺よりも少し高めの背で、女受けする顔立ちをしているため、それが絵になっていた。リラも満更ではないようで、頬を赤らめて大人しくしている。
すれ違う人々は、容姿の優れた二人に目を向けたり、興味の視線を送ったりしている。
リラを知る者達が見たら、どんな反応をするだろうか。嫉妬はするだろうが、認める者も多いだろうと俺は予想する。
まあ、ある程度強いという条件付きだろうがな。これが俺とリラなら、俺が一方的に敵視されるだろう。そう考えると、二人はお似合いだよ。
良かったなリラ。新たに好きな人ができて。幼馴染として祝福するよ。
俺は微笑ましい二人の空間から背を向け、普段と変わらぬ足取りで、この場を去るため歩きだした。
「……え? リ、リオル……。ま、待ってリオル! リオル!」
俺が歩いてすぐのことだった。後ろから焦りを含むリラの声が耳に届く。何故、浮気がバレた恋人のような呼び止め方なのかと、笑いそうになるも、足を止めて振り向いた。
「……さっきの見てた?」
単刀直入に訊いてきて、不安げな表情で俺を見てるけど、連れの男は後ろでポカンとしてるぞ。
「まあな。彼氏か? そうならおめでとう」
「違う! 違うわ! アカシは、あいつは――」
必死に否定するところが怪しい。言葉を詰まらせて、何か言うのを止めたのが何よりの証拠だ。
「あいつは……何だよ? ん? あ~なるほど。まだ彼氏じゃなくて、恋の段階か。頑張れ、リラなら大丈夫だ」
俺は右拳で左手をポンと叩いて、納得した顔をすると、リラを笑顔で応援した。
「だから違うの! あいつは、あいつは……」
「さっきからどうした? 恥ずかしくて気が動転してるのか? 違うって言われても、あの場面を目撃したなら、誰だって俺みたいな感想を抱くぞ。実際俺以外の周囲の人間も二人を見て、同様の視線を向けてたしな」
「そ、それは、だからね……」
どんどん語尾が小さくなるな。普段物事を結構ハッキリと言うリラが、ここまで渋るのは恋くらいだろう。
それともあの男に何か特別な価値があって、箝口令でも出されてるのか? まさか……な。そもそもいくら優秀だからって、学生のリラに重要なことを任せるとは思わない。
たとえそうだとしても、俺は煮え切らない態度は好かない。この王都には、すでに愛着を失っている。教えないなら教えなくても構わないが、一線は引かせてもらう。
俺は国じゃなく、俺を優先してくれる者にしか、もう心は開かない。表面上の付き合いしかしない。
「気づいてないのか? リラは後ろの奴に撫でられてる時、赤くなってたぞ。俺は少なくとも、リラが男に頭を撫でられてあんな表情するのを初めて見た。いつもなら、そんな隙も見せないし、払い落としていた。俺の手も、何年か前に払い落としてたな。それでもあの男には撫でさせた。これが恋じゃないなら、俺はもう何も言えない」
まあ、箝口令の可能性をはぶいたとしても、俺の目にはリラがあのアカシと呼ばれた男の行動に対して、照れていたのをハッキリと映している。
「……」
沈黙を肯定と受け取っても良いのか? 何も言えないなら、俺の中ではそう思わせてもらうよ
「素直になれよリラ。彼だってリラみたいな女の子なら受け入れてくれるよ。まあ、ライバルも多くなるだろうけどさ」
俺は俯いているリラの肩をポンポンと二回叩いて、去り際に「頑張れよ」と言い残し、今度こそ立ち止まらず、家に帰った。
青春ってやつかね~。魔王との直接対決前に、その恋が成就するといいな。魔王がどれほど強いのかは知らないが、強すぎる場合により、この世界が滅茶苦茶になる可能性もあるのだから。
ただし、俺を殺そうとするなら、全力で抵抗するがな。
翌日。また学園の始まりである。
自宅ではサラと話す回数が増えたけど、仲良い家族に戻ったわけではない。どういうわけか接し方が変化して、愚痴を言わなくなり、話し掛けてくるようになったのだ。
無理に絆を取り戻そうとしてる風にも感じている。何故今になって家族という関係に執着しだしたのか、イマイチわからない。
あんなにも、『愚兄』と蔑称で呼んでいたのに、今では一度もそう呼ばなくなった。
家族の大切さを改めて感じたなら、きっとサラにとって良いことなのだろう。でもそれは、俺が死にかけて豹変する前に気づいてほしかった。
そしたらきっと、俺が今の自分になろうとも、サラと仲良くできたし、唯一の守りたいと思える大切な存在となっていたことだろう。
でも……遅すぎた。サラが俺との関係に少なからず嫌悪の気持ちがあったように、今の俺もまた、嫌悪はしていないが、家族としての絆を深めようとは思ってないのだ。
家族であることは変わらないし、妹であることも変わらない。でも、俺のサラへと向ける家族愛や優先順位はもう高くはない。
過去を全て無にして優しく前みたいに接する……なんてことは、とてもじゃないが、俺には無理だ。俺はそこまで優しくなれない。
だから一言、心の中で謝っておくよ。ごめんな。
俺とその他との間にはとてつもなく厚い壁がある。というか俺が作った。この壁の内側には、今の俺が信じられる者しか入らせない。つまり今は誰もいない。すなわち、命をかけるほど大切な人は現時点では皆無になる。
俺達は家族という名前だけの家族だ。これから同様に、自分の身は、自分で守れるよな? なんせサラは、俺を必要としないくらい優秀なのだから。
俺が今サラに対して思う気持ちを整理し、俺は支度をして登校した。
ここ数日はリラと登校していた俺だが、今日はリラを待たなかった。後で何か言われるだろうが、これもリラのためだ。好きな人がいるのに、他の男子生徒と二人で登校するのは、リラのためにならないしな。
学園の敷地内に入る。ここ数日で、俺個人の時にも視線が多く向けられるようになった。
絡んできた相手を実力で返り討ちにしていた所為だろう。嫉妬と蔑みの視線が主だったのに、畏怖の視線も混ざりだした。どうせ噂が勝手に飛び交っているのだろう。
学園はちょっとした暴力騒ぎでは動かないから凄く助かる。動いたら動いたで、対応は簡単だけどな。
俺が教室に入ると、先に登校していた生徒達が、凍りついたかのように一度黙る。
良い傾向だ。このクラスに俺を苛めようとする者は消えた。豹変後のあの件が、効果抜群だったようだ。
お前らみたいな集団で威張ってるだけなのに、強くなった気でいる屑は、部屋の片隅でカタカタ震えてるのがお似合いだよ。
教室は自由席だが、俺は自分の定位置である、三列あるうち二列目で、一番前の三人用長机の真ん中にある席に着いて、足と手を組んで前を向く。
しばらくして、シーンとしていた静けさから回復すると、徐々に会話が増えていった。調子の良い奴らだ。
少し時間が経つと、教室に人が増えてきた。その中にはリラも含まれており、彼女は静かに俺の右隣に座った。
「勘違いしないで、アカシは本当に何でもないの」
リラは挨拶もなく、俺の方を見ると、昨日の続きを持ち出してきた。そんなに誤解だと言い張るかね。
俺は若干面倒になってきたため、正面を向いたまま目を瞑り、適当に「わかったわかった」と返答する。
「わかってない!」
リラはいつもと違い、怒って否定した。周囲の奴らも何事かと俺達の動向を気にしだす。
「ふ~ん。ところでさ、アカシってさファーストネーム? それともファミリーネーム?」
俺はリラに顔を向けると、軽い口調でリラに質問した。返答次第では、いくら否定しようともだいたいわかってくる。
「ファーストネームよ……」
俺の質問の意図が読めないのか、リラは眉をひそめて、訝しげな表情になりながらも答えた。
「もう答え出てるよな。リラは自分の親しいと思った人以外をファーストネームで呼んだりしない。少なくとも、俺以外の異性をファーストネームで呼んだところは一度も見たことない」
「ファーストネームで呼んでほしいって言われたのよ……」
ほう……なるほどな。結構無自覚な部類か。俺の基準だが、ファーストネームで呼ぶ呼ばせることは、イコール親交を深める手段の一つだ。
リラの場合、これまで男友達を作ろうともしなかった。それが急にこれだ。恋の可能性を否定する方が難しい。
仮にリラの言う通り、本当に恋じゃなくても、一日で仲良くなるくらいだ。よっぽどフィーリングがあうのだろう。つまり、ただの親しい異性から、恋人に発展する確率も高いと予想できる。
「そっかそっか。呼ぶことに抵抗はないと。つまり親しくなりたい異性というわけだ。やっと正直になったな」
「何でそうなるのよ!」
リラは顔だけでなく、体ごと俺の方を向くと、机を片手でバンッと叩き、強く否定してくる。
否定するなら否定材料を出してくれよ。
「えっ、逆に何でそうならないの? ……じゃあ言うけどさ、リラを好きな異性が多く存在してることは自覚してるよな?」
「え、ええ、そうみたいね……」
改めて問われると、事実でも気恥ずかしいのか、リラは戸惑いを見せながら、たどたどしく答える。
「そいつらは、多かれ少なかれリラとお近づきになりたい。全員が許可を求めてきたら、ファーストネームで呼ぶ……そう言ってるのと同じなんだよ。もしそれで許可しなければ、アカシと呼ばれた男に特別な何かを抱いてるのと同義だ」
「あっ」
あっ、て何だよ、あっ、て……。
「それと、リラが自分もファーストネームで呼ばせているなら、リラを好きな全男子生徒に、呼ばれても構わないってことだ。俺は基本的に親しい者にしか名前呼びは許可しない。リラが元々誰にでも許可する性格なら、それは知らなかったし、俺とは価値観が違うんだろうな」
「……」
「……」
会話が途切れ、お互いに見つめ合い、俺とリラの間に沈黙が降りた。
はぁ……。何だよその目は。自分の何かに後悔でもしてるのか? それとも恋を自覚して混乱しているのか?
このままでは、無駄に時間を使うだけだ。俺は自ら重たい沈黙を破った。
「そうか呼ばせてるのか。あの男と出会って何日だ?」
「昨日の朝……が初対面よ」
リラ、お前がいくら否定してもな……。アウトだアウト。今までのリラを顧みても、初日であれなら、もう否定は無理だろ。
「ほら、確定じゃん。初日でファーストネームで呼び合い、頭を撫でられ、抵抗なしで顔赤くなる。一目惚れの症状だ」
まあ、否定したいなら好きなだけ否定すれば。
これ以上好き嫌いの論議しても、平行線をずっと辿るだけだしな……。
「仮に恋じゃないにしても、本当に否定したいなら、隠してること含めて説明してくれ。腹を割って話さない相手の話など真剣に聞く価値もない。リラがそこを話さない限り、俺がこの話をこれ以上続けることはないから」
「そ、それは言えない……。で、でも! あ、あたしが好きなの――」
「はーい。皆さん静かに! 今日はこのクラスに新しい仲間が増えます。東方の島国からの留学だそうです。暖かく迎えてあげてください」
リラの言葉は、話ながら入室してきた先生の声に遮られ、俺とリラとの会話は不意に終わりを迎えた。