出港
予定が丸一日遅れ、代わりに思わぬ収入が確約された昨日から早一日。
俺とアネーシャは何事もなく魔導船が停泊する港に到着した。一日一度だけの出港だからか、元々全て統一なのかは知らないが、巨大で立派な船が目の前にある。
漁船が数多く停泊してるってことはそこまで遠くに行かなければ安全ってことか。
それはそうとここへ来るまでに多くの視線に晒されたな。おそらく昨日悪目立ちしたのが原因だろうね。そこまで大きくない町だから翌朝噂が広がってても不思議はない。
とは言うもののたったそれだけのことだ。実害も無かったし、昨日と違って平和なものだった。
「リオル」
アネーシャがくいくい俺の袖を引っ張りながら、俺の後ろを見やる。
……ちゃんと来たか。ゆっくり振り返った俺はムッキー女ことミントローズを確認する。同時にミントローズの少し後方、見送りであろう青髪と警備兵の姿も強制的に確認した。
足音や複数の気配を感じて何となく存在が誰なのか分かってたけど的中しても嬉しくないな。目の敵みたいに睨まれて災難だねホント。
俺が何をしたっていうんだ。障害となる青髪を軽くボコって、五千万コルタを賭けてきたミントローズに勝利しただけ。睨まれる筋合いなんてこれっぽっちもないんだが。
お前らは行く手を阻んだ邪魔な加害者、俺達は出港を遅れさせられた被害者。逆恨みをしないでいただきたい。
「随分と多く引き連れてのご登場だな」
「ここ最近は落ち着いていても海が物騒なのは変わりありませんから、出港前にどうしても見届けたいと言われましてね」
「それこそ縁起でもない。そもそも俺が乗ってる限りこの船は何が起ころうと沈ません。沈没したら移動手段が消えて最悪だからな」
心配を煽るような予測を立てて送り出すと逆効果になる場合があるんだよ。お前らの所為で本当に何か起こったらどうしてくれんだ。
「どこまでも自分の為なのですね。ですが、敵でない今、そのお言葉は心強いですわ」
ミントローズが微笑んできたと同時に何を勘違いしたのか「アリアドネに色目使うんじゃない!」と青髪が見当違いも甚だしい嫉妬で少し離れた地点から怒鳴ってきた。
俺は面倒だから普通に無視。ミントローズは「ケビン様ったらもう……嫌ですわ」と言いつつポッと頬を染めて恥ずかしがっていた。
そんなミントローズの様子を見て更に勘違いを加速させるアホの青髪。果てしなくうざい。
すれ違いは長く、関係修復は一瞬ってか? 興味ない分鬱陶しさ倍増だ。
俺は話を早々に切り上げ、アネーシャを連れて少し長めの列へと並ぶ。数分が経ち、料金回収役に二万コルタずつ支払ってチケットと部屋鍵を貰い、船へと先に乗り込んだ。
更に十数分後、出港の時がやって来た。港からは見送りに来た者達の声が聞こえてくる。
しかし、見送り人数も関係してると思うが、さっきから同じ名前しか耳に入ってこない。他の見送りに来た者達が不憫に思えてくる。
「アリアドネ様お気をつけて!」
「アリアドネ様一刻も早くお戻りになられてくださいね!」
「アリアドネ様にこそケビン様は相応しい。婚約解消だけは阻止なさってください!」
「皆さんありがとうございます。絶対に戻ってみせますわ!」
「アリアドネ! 僕は君を心の底から愛してる。もし君のお義父上に婚約解消を言い渡されてしまったら、僕の父上を頼ってみてくれ。ケビンは必ず立派に跡を継いでみせるから婚約解消だけは見逃してくれ、と。そしたら僕の父上は君のお義父上を説得してくれるはずだから!」
「わたくしもお慕いしておりますわ! 必ずお父様の説得を成功させてケビン様のもとへ帰ってみせますから!」
騒々しい見送りだ。周りの迷惑を考えろ。お前らは物語の主人公にでもなったつもりか。
……可哀想に。他の乗客と見送り勢はもう言葉で伝えるのを諦めたのか、精一杯手を振るしかなくなってるじゃないか。
婚約解消を連呼するのだって町民の不安を無駄に煽るだけだ。町民は青髪の短慮な行動の所為で婚約解消になると思うはず……というかそれしか思わんだろ。日頃馬鹿ばっかりしてたらしいし。
別れを惜しむのは悪くないにして程度ってもんがあるだろ。短いならまだ納得できる。でもお前らは長い。ずっと主役の立ち位置にいる。このまま声が届かなくなるまで騒がしいままだろう。
早くこの時間よ終わってくれ。ある程度静かな環境で、目の前に広がるエメラルド宝石の輝きを放つ緑色の綺麗な海をじっくり眺めたいから。
あれから数時間。快調に進む船。港町【ウォータシティ】の姿はどんどん小さくなり、今はまったく見えなくなった。それなりに速く進むから風が心地よい。
見た限り船酔いをしてる者はいない。船の揺れが最小限に軽減されてることが大きいな。海で有名なだけあってこの国【オーシャンティス】の魔導船整備士は優秀らしい。
こんな船が何隻も沈没するわけだから、観光客が減って民が不安がるのも分かる。こう考えてみるとクラーケンの話が真実味を帯びてくるな。目撃者は依然として一人ってところだけが確信を遠ざける。
まあ、沈没原因は直面する機会に遭遇すれば嫌でも理解させられるだろう。逆に遭遇しない時は遭遇しない。ましてや最近は安全と聞いた。ならば考えても意味のないことだ。この件は頭の片隅にでも残しておくことにするかな。
さて、今からどうすっか。到着まで丸一日を要する。ぐるっとどこを見ても空を除けば海景色。アネーシャはずっと眺めていても今のところ飽きる気配がない。
俺も海を楽しみにはしてたが、数時間見続けるとアネーシャと違って流石に飽きが来る。時々跳ねて水上に飛び出す魚や空を自由に飛び回る鳥も同様に見飽きた。
椅子を出して腰を据え、このままだら~っと無気力に過ごすのも決して悪くはないが、それは本当に何もすることがない時の最終手段だ。
海を背にして腕を組んで後ろに寄りかかり、目を瞑ったまま思案してると、前方から誰かが迷いない足取りで歩いてくるのが分かった。
俺の前で立ち止まったということは間違いなく俺に用か。誰かは知らんがちょうど良い暇潰しにはなるかもしれん。
「良かった。寝てたわけじゃなかったんだね」
「誰だ?」
目を開けて相手を見る。鮮やかな青色と水色が際立つ騎士服を着飾り、顔を白い仮面で隠した不自然丸出しな男が気さくに声を掛けてきた。
仮面の上からでも高貴さや顔立ちの良さがにじみ出ている。背もスラッと高い。帯剣もしている。一見ビシッと決まってるのだが、白い仮面の所為で周囲から浮いてる感が凄い。
「僕はルーカス。セイレーン騎士団に所属する騎士さ。よろしくお願いするよ」
自然な形で手を差し出してきたルーカスという名の整った顔立ちの優男だと推測される騎士。
俺は敢えて約十秒間程差し出された手を無視していた。諦める気配は一向に見られない。仮面から覗く口元はにっこり微笑んでいて目元は優しく細められたまま固定されている。俺は溜め息を吐き、根気負けして握手に応じることにした。
この手のタイプは時間の許す限りずっと粘る。今ので少しだけルーカスのことが分かった。まず、ちょっとやそっとの無視じゃキレない。見た感じ社交性もある。これなら俺を不快にさせないだろう。会話しても問題ない相手だな。
「リオル・サーファだ。で、その騎士様が観光客である俺に一体何の用が?」
「実は昨日、僕も野次馬としてサーファ君とアリアドネ嬢の壮絶な戦いを観戦してたんだ」
「騎士として文句を言いにきた……ってわけじゃなさそうだな」
最初に握手を求めてきたということは、俺を非難する気はないのだろう。じゃあ何なのか。
…………さっぱり分からん。
「失礼なこと言うけど、僕はサーファ君が本気を出したアリアドネ嬢に惨敗を喫すると思ってた。でもいざ始まってみて予想を覆され、サーファ君の強さを目の当たりにした時、久々に心震えたよ。その若さであそこまで強い人を初めて見たからね」
「わざわざ感想を伝える為だけにここへ?」
俺が訊くと、ルーカスは真面目な雰囲気を纏う。
「僕と軽く手合わせしてほしいんだ。幸い今この場には人が少ないし、広いからね。身体強化なしの組手程度なら問題なく可能だよ」
「別に良いぞ。暇だったしな」
退屈しのぎと軽い運動にはちょうど良い。全力を出し切っての戦闘ではないとはいえ、セイレーン騎士とやらの実力を知る機会でもある。人間騎士と比べてどう違うか見せてもらおう。
「本当かい!? サーファ君はもっと気難しい人だと思ってたから断られる前提だったのに」
ダメ元で訊いたのかよ。それに気難しいって本人に直接言うかよ普通。我が強いのは確かだから間違ってはないが。
「俺は相手の態度次第で自分も態度をコロコロ変える。あんたは最初から高圧的じゃなかった。用件も悪くないから邪険にする必要もない」
相手の態度、出会うタイミング、その時の機嫌。この三つ次第で対応の仕方も大きく変わる。これはしょうがないこと。だって人間だもの。
「ケビン君と相性が悪いことに物凄く納得だよ。お世辞にも彼の評判は良いとは言えないからね。度重なる観光客へのナンパやトラブル。良くも悪くも典型的な親の七光り。ブルーノート卿も嘆いてらしたよ。ケビン君をサポートするアリアドネ嬢が不憫で申し訳ない気持ちで一杯だと。今回の騒動を機に良い方向へ変わってくれると良いんだけどね」
「自国の……しかも一介の騎士が領主の息子に上から目線でそんなこと言っても良いのか?」
仮面をしてる理由は顔に酷い火傷がある……とかではなさそうだ。そういう奴は大抵暗いけどルーカスは明るい。
だとしたら実は領主にも劣らない高位の騎士で、正体を周りに悟られないように敢えて仮面をしてる可能性がある。あくまで推測の域を出ないが、領主やその関係者に様付けしてない辺り妥当な考えだ。
「おっと、そうだね。失言だったよ。このことは聞かなかったことにしてくれるかい?」
「聞いたところでべらべら言いふらすような面倒はしない」
実際は時と場合によるんだが……少なくとも今回は、な。
「ありがとう。感謝するよ」
落ち着いてるな。動揺もしていない。逆に冷静が故に怪しさを感じなくもないが、これ以上の詮索は不要だ。当たってようが外れてようが俺には何の影響もないのだから。
「想像してた通り……いや、それ以上だ。本当に強い」
そう言うルーカスの体術も中々のものだ。どこに拳や蹴りを繰り出してもそつのない華麗な身のこなしで捌き、反撃までしてくる。
騎士というだけあって剣の方が得意であるはずなのに剣なしでもここまでの実力とは。幼い頃から鍛えられてきたと見て間違いないな。
この数分間の打ち合いで分かった。魔法がしょぼくない限り、相当腕が立つと思って良い。少なくとも今のアネーシャよりかは確実に強いと言える。
騎士のレベルが高いのか、あるいは特別ルーカスが強いのか。おそらくは後者。上限がどのくらいまでかは読めないが、俺との組手を望んだ辺り、ミントローズと同等以上である可能性が高い。
周囲にはいつの間にか人だかりができてる。最初はアネーシャ一人だったのに今では見世物だ。しかも勝手に盛り上がってる。
集まった見物人が邪魔くさいことだしここらで終わりにするかね。
「ここまでだ」
強いと言っても剣の腕は兎も角、体術では経験の濃さが違う。俺は少し本気を出すことにした。
ルーカスの速い右拳が俺の頬を捉えようとする軌道で迫ってくる。俺は左手でルーカスの手首を掴み引き寄せ、お留守の足を引っかけ背中から転ばす。
刹那の速度変化に対応仕切れなかったルーカスはなすすべなく倒れる。俺はそのままルーカスの首にスッと手刀を軽く添えて目線で降参を促した。
「参ったよ」
その一言を聞いた俺はルーカスから離れる。勝負がついた瞬間、見物人の歓声が絶頂を迎えて耳を塞ぎたくなった。勝手に見物に来て盛り上がる。俺からしたら完全な置いてきぼりだ。
組手後、もちろん手を差し出して立たせる補助はしない。だからルーカスは自分のペースで立ち上がる。
「文句なしの完敗だよ。ここ最近は負けることがなかったけど、負けるとやっぱり悔しい。でも調子に乗ってる部分もあったから初心に戻れたと思う。サーファ君、良い刺激をありがとう」
「こっちも良い運動ができた。お互い様だ」
「運動……か。僕は全力だったんだけどなぁ。ホントにこれは参ったな~あはは……」
苦笑いする程のことか? 騎士の得意分野は剣での戦闘だろうに。それだけ自信があったってことかもしれないが。
「あ、そうだ、この後……ごめんごめん。急用を思い出したよ。また後でね」
……何をあんなに急いでたんだ? 慌てて人波をかき分けてどっか行ったが。
「何かあったのですか?」
ルーカスと入れ違いになって現れたのはミントローズだった。ミントローズの二歩程後ろには護衛を任された女と男の警備兵が一人ずつ。
絶対護衛なんていらないよな。明らかにミントローズの方が強いわけだし。むしろ不測の事態が起きた時に足手まといなのは護衛の方だろう。体裁的に連れなきゃいけないんだろうけどさ。
「ルーカスという名の白い仮面騎士に組手を申し込まれたら騒がしくなった。ただそれだけのことだ」
「仮面騎士……ですか。ルーカスってまさか……いや、ですが……」
ミントローズが一人でぶつぶつ言い出した。ルーカスに心当たりがあるのか、思考の渦にはまったみたいだ。
「君可愛いね。今一人かな? この後一緒に昼食でもどう――」
俺は見物人に混ざってアネーシャをナンパしてる見知らぬ冒険者風の男を裏拳で海に落ちない程度に遠くまで吹っ飛ばし、視界から排除した。
ナンパする者に言葉は通じない。通じても理解するまで時間がかかる。そんな者に時間を割くのは馬鹿馬鹿しい。昨日青髪がよ~く教えてくれた。
「お前の目から見てどうだった。あの仮面騎士を強いと感じたか?」
「強かった。簡単には負けない、と思うけどまだ勝てない」
「相手の実力が読み取れるなら十分だ」
「ブイ」
アネーシャはピースしてくる。ちょっと褒めたくらいで喜ぶなんてな。褒めた方が伸びるタイプならどんどん褒めても良いが、アネーシャの場合調子に乗りそうな気もする。この先、褒めて伸ばす方針にするとしても匙加減は必要か。
それにしても……今更だが、船にちらほらと騎士の姿があるのは何故だ? 聞き忘れてしまった。いや、そうであろうと思われる予想はつく。
船の護衛兼調査……か。たぶんずっと続けてるのだろう。成果もずっと芳しくないみたいだが。
俺個人としては今日と明日以外なら幾らでも成果が上がってくれて構わない。精々頑張ってくれ。