人間領土侵略会議
時はリオルがウォッチードを始末した直後にまで遡る。
陰鬱な雲で覆われてる暗く不気味な空。負のエネルギーが満ち満ちており、ゴロゴロと雷鳴が聞こえる。ここら一帯の空はどういうわけか常時このままで天候が変わることはない。
そんな空の下、これまた不気味で異彩な存在感を放つ大きく立派な城が一つ。見える範囲に他の建物は影も形もない。
それもそのはず。城の周囲は底が深すぎて見えない真っ暗闇の崖。見るに唯一の移動手段が城と瘴気溢れる森を繋ぐ細長い石橋のみ。
ここは世界の最北端に位置する魔王の住まう城。魔王軍関係者でも一部の者にしか立ち入りが許されない特別な場所である。
今日この魔王城のとある一室には魔王軍の幹部が全員集結していた。
長卓を囲んだ者達が外套に身を包んでいる。左右に四人ずつ対面するような形で椅子が並べられており、それぞれがある一人に視線を送りつつも静寂を保ったまま座していた。
同じく上下にも一人ずつ見渡せる位置に。そして上下の上方の玉座に腰かけている一際大きな者の隣に座らず立っている者が一人。
「見つかってーしまいまーした……。ここまーでが限界のよーおです。とーても稀少で入手困難な魔物だったのでーすが、今回は仕方あーりませんね!」
今しがた閉じていた目を開き、ウォッチードの視覚共有を解除した者が言葉の節々で伸ばす変な口調でこの場の者達に伝えた。
アネーシャは知らなかったが、ウォッチードは個体数が少なく年々稀少度が上がっている魔物。リオルとアネーシャの監視が今すぐ再開される心配はない。現時点の当人達はそんなこと知る由もないが。
「ご苦労。では……改めて人間領土侵略会議を始めるとしよう。ピエール、お前が先程見た詳細を教えるのだ」
「かしこかしこまりーかしこ、でございーます!」
この独特な――人によっては不快に感じる口調の者はこれでも序列七位だ。わざとなのか素なのか判断に困るが、ピエールはいつもこんな感じで飄々としている。
そんなピエールの態度を快く思ってない者が一人いた。立ち上がる反動を利用し、後ろに椅子を引くと同時に口を開く。
「貴様は敬愛すべき魔王様にまたそのような口の利き方を! 何度言ったら直すのだ!」
声を荒げた者の対面は空席となっている。バルムドが生きていたなら埋まっていた席だ。
魔王ゴーゼルと対面が序列一位。ゴーゼル側から二位と三位が対面、四位と五位、六位と七位、八位と九位、となっている。
「もうしわ毛ーありません。あ、申し訳あーりません、でした!」
並の者ならぶるぶる震え腰が抜け、酷ければ失禁する程の怒気をピエールは軽く受け流す。
序列が下の者だからとかではない。ピエールは誰に対しても大抵こんな態度を取るのだ。
「貴様ぁ……。今日という今日は許さん! 表に出よ!」
「止めぬか」
「しかし!」
「――良い。話が進まぬ。それに我はそのようなことで怒る程器は小さくないわ。だが……我の為に怒ってくれたことには感謝するぞ、デュミナス」
ゴーゼルは重厚な声を静かに響かせ、序列八位のデュミナスが禍々しい闇の球体を手のひらに出現させた瞬間に止めた。
ゴーゼルの口から出た「感謝」という言葉を聞いた途端、デュミナスの手のひらから闇の球体が綺麗さっぱり消失する。
「あぁ……魔王様。ありがたき幸せ……」
「ったく、デュミナスの狂信振りは相変わらずイカれてるぜ」
外套で顔が隠れようとも認識できる程の涙を流しながら祈るデュミナスの姿を見て、序列四位の席に座る者が若干のかすれ声で毒を吐くもデュミナスは心ここにあらず。自分の世界に入り込んでるようで反応がない。
「あら、デュミナスもジェイドにだけは言われたくないと思うわよ」
ジェイドの隣席に座る序列六位の者が色気の混じる甘ったるい声で言った。
「俺っちがイカれてるってか? ま、違いねえけどな」
ジェイドはキヒヒッと笑い納得する。
「無駄話は止めろ。ククリアとアンジェリカを見習え」
ゴーゼルの対面に座る序列一位の者が血も凍りそうな冷たい声で、序列二位のククリアと序列五位の小柄なアンジェリカを例に出して注意する。
「ウルクスの言う通りじゃな」
序列三位の席に座るしゃがれた声の者がウルクスの注意を援護するように駄目押しした。
「へいへい分かってるよ」
「お前もだ、エライザ」
序列高位の者から注意が入り、ジェイドを犠牲に我関せずとばかりな顔をしていたエライザだが、逃げられなかったようだ。
「んもう、分かってるわよ。ホント、ディッケンじいとウルクスは堅いんだからぁ」
ふてくされ気味な言葉をエライザが発した後、ようやくこの場に静寂が訪れた。
「でーは、皆さんがお静まりになったとーころで、僭越なーがらお話させていただきたーいと思いーます!」
どの口が言ってるのだろうか。とてもじゃないけど、引っ掻き回した張本人から出る言葉とは到底思えない。確信犯にも程がある。そんな風な感情がありありと伝わるうんざり顔をピエールに向けた者が少なからずいたのは見なくても分かることだろう。
「ぷフッ」
一同は何事かと視線を前方に集中させた。ゴーゼルの隣に立つ者が唐突に吹き出したからだ。
「そーこ、お静かに! 笑うとーは何事なーのですか! というか先程かーら気になってまーしたが、あなた誰でーすか?」
怒ってるようで怒ってないようなピエールは、吹き出した者をビシッと指しながら正体を尋ねた。
他の者達も気になっていたようだ。考え方の違いから、滅多に一致しないであろう意見がこの時ばかりは奇跡的に揃っていた。
「だだって、ぷっ。元凶が、ぷはっ。わ、笑いが止まらない……」
声の震えを止められない様子を見るに、どうやらピエールの話を聞いたことで抑えられないくらいツボにハマったらしい。
この者はある意味大物だ。初対面にも関わらず魔王軍幹部の前で緊張するどころか、笑ってみせたのだから。
「我が直々に後で説明する故に、今は無視してもらって構わん」
「かーしこかしこ、まりまりまりまりまーした!」
「やっぱピエールはうぜぇ……」
どこまでもマイペースなピエールを見て、ジェイドは頭の後ろで手を組み、ぼそっと呟くのだった。
「結論かーら言えば、人間の少年と全力で戦ってまーしたね。人間の少年の動きは洗練されてまーしたが大したこーとありませんでーした。実力を出してないのなーらべつですーが。しかーしハーフ少女の方はまだまだ荒削りでーすが、A級魔物程度の実力はありまーすね」
視覚共有はあくまでも視覚を共有するだけ。音声は一切伝わらない。リオルとアネーシャは強化状態の精一杯で模擬戦をしていた為、見るタイミングによっては勘違いしてもおかしくない。
現にピエールは一番最初に二人を発見した瞬間から視覚共有を解除するまでの内容を見たまま言うだけだった。それを聞いて正しく判断できるかどうかはこの場の者達次第である。
「アーテルは行方不明のままか?」
「山中を粗方捜索しましーたがみつかりませんでーした。村は壊滅させたみたいでーすがね。それーとどうしーてか村付近の平地にーは激しい戦闘跡が見られまーした」
ゴーゼルの問いかけにピエールは素直に答えていく。ピエールは山を捜索する前に村と平地を事前に確認していたようだ。
結びつけられる可能性がグッと上がった今、リオルとアネーシャにとっては最悪に近い状況である。
「聞いた通りだ。我は見つからねば一度報告に戻れと命令を下した。それが一週間音沙汰なし。未だに戻らぬ理由があるとするなら……亡き者にされた可能性が高い。正確には死体が見つかってない故に消息不明であるが……」
「失踪の線はありませんか? 魔王様のお言葉でもアーテル程の者が殺されたとはとても思えません」
ゴーゼルの重苦しい声で吐いた予想にデュミナスが別の可能性を提示した。ゴーゼルを狂信してるデュミナスですら、魔王軍三大龍王の一角――アーテルインフェルノドラゴンが死んだことには疑心があるらしい。
自分よりも格上だから信じたくないのか、純粋に他種族が敵う相手ではないと思ってるのか、真意は測りかねるが。
「だよな。死んでるにしても公表されてないのは不自然だ。まあ……死んでたら死んでたでそれはそれで面白い。黒炎師弟仲良くポックリだもんな。黒炎使いは死に好かれますってか? キヒヒッ」
「ジェイド、不謹慎じゃぞ」
ジェイドはデュミナスの意見に同調するも、それだけに飽き足らず面白おかしく囃し立てた為、ディッケンベルグが厳しい声音で諌めた。
「……ちょっとした冗談じゃねえか、マジになるなよ爺さん。これでも俺っちは認めてたんだぜ。アイツはガキっぽい高い声でうざったかったが、勇者に殺されたバルムドとは違って何だかんだ実力だけはあった。俺も殺されたとは思わねえよ」
先程まで馬鹿にしたように笑ってた本人とは思えない程、ジェイドは真面目な口調で語った。
「失踪こそ考えられん。我の二倍はある図体の持ち主なのだぞ。どこに行こうと必ず何らかの情報が入る。今更他国に寝返るとは思えんし我々から逃げるのは不可能。それを重々承知なアーテルが我らを裏切って理由も告げず失踪するのは不自然。なら自ずと答えは一つであろう。違うか?」
ゴーゼルの言葉にアーテル死亡説否定組はぐうの音も出ず黙り込み、何人かは納得したようにうんうんと頷いている。
「ゴーゼル様のお考えはごもっともなのですじゃ。となれば死体に関して疑問が残りますな。誰がどのようにして隠したのか。引き摺る……はまったくもって論外じゃしの」
「極秘の討伐戦が行われて敗北ってのもありえないわよね。あの図体を極秘扱いするには無理がありすぎるもの」
「……ボックス」
各々(おのおの)が知恵を絞り謎の解決に勤しむ中、一人が可愛らしい声でぽつりと静かに呟いた。
「アンジェリカさーん、ナイスでーす。それ、それでーすよ。ボックス収納で間違いあーりません!」
「偉いわアンジェリカ! あとで抱っこしてあげるわね!」
「嫌……」
繋がった、とばかりに何人かがアンジェリカを褒め称える。着々と真実が解明していくこの現状。リオルとアネーシャの知らぬところで事態がどんどん不利に進んでいく。
リオルはこのことを予期していたようだが、嬉しくない事実には変わりないだろう。
「おいおい仮にボックス収納持ちだとして、あの図体が入んのかよ。最低でも魔力二十万~三十万は必要だぜ。少なくとも俺っちはそんな奴が存在するなんて聞いたこともねえ」
ジェイドは否定する。言い分は間違ってない。ボックス収納持ちは十万人に一人と言われてるが、その中で魔力が多い者などほとんどいない。いたとしても知られていない。
天は二物を与えないということだ――リオルが例外なだけで。
「答えは出ました。魔王様」
ジェイドの意見にも一理あると思い始める者が出そうな雰囲気になった時、ゴーゼルの対面に座るウルクスが発言した。
「おそらく我と同意見であろうな。ウルクス、話してみよ」
頷いたゴーゼルは続きを促す。どうやらほぼ同じ速さで真実に辿り着いたらしい。
「ピエールの話に出てきた二人でしょう。もっと言えば実力を出してないと思われる人間の少年。少女の方は闇と付与使い。ボックス収納は使えません」
ついにバレてしまった。意見が割れることがありつつも可能性の低い選択肢を潰した結果、当たってしまったのだ。
「人間ごときが……? キヒヒッ。マジで言ってんのか? それが本当だとしたらクソみたいに面白い話じゃねえか」
「あり……得ない。そんなことが……」
ジェイドは歓喜に震え、デュミナスは絶望に声を震わす。同じ震えるでも意味合いが異なる。デュミナスだけはどうにも受け入れ難いようだ。
「やはり我と同意見であったな。もちろん確定ではない……が、どのみち穏健派を誘き寄せるにはグレイスの娘が必要となる。人間の小僧にも詳しい話が聞きたい」
ゴーゼルはそう言った後、全員を納得させるように内容をまとめた上でもう一度自分の意見を最初から詳しく話し出した。
「村に派遣したが、それっきり行方不明。村は壊滅するもグレイスの娘は生存。娘では逆立ちしてもアーテルは倒せぬ。山で修行をしていたのでは? 少年が師匠で実力は信じ難いことに幹部級。千年前の勇者も幹部を倒す力は有していた。あり得なくはない……忌々しいことに。これが一番辻褄が合う。何よりも娘が生存してることこそが証明している」
ゴーゼルの推測はほとんど当たっていた。人間の実力を疑う気持ちは、実際に戦闘場面を見てないので変わらないが、幹部達もゴーゼルの説得力ある推測とあって一応納得しているようだ。
それ以外に誰もが頷く推測をできる者がいないこともあるが、何はともあれ方針は決まったらしい。
「でーは、私がお連れすーる役目を――」
「あたくしが行きますわ」
「な、何ですとー! 容姿を把握しーてる私を差し置いーて!」
ピエールは遮られた――席を立ち上がったエライザによって。ピエールは自分が行く流れだと思ってたらしく、遮られたことで立ち上がるタイミングすらも見失い、中腰という何とも中途半端な姿勢のまま正面のエライザに抗議した。
「ピエールにはずっと前から重大な役目が決まってるじゃない。欲張りは駄目でなくて? 容姿も少女の方は既に知ってるし、少年の方も教えてくれたら分かることだわ。最悪少女を見つけたら何とかなるでしょうし」
「ぐぬーぬ」
ピエールはわざとらしく声に出して歯噛みする。
「そもそも少年が本当にアーテルを倒してたとする場合、ピエールでは力不足よ。身体能力は幹部最弱でもあるのだし」
「ガーン。盲点でーした」
反論も許さぬ正論の嵐を叩きつけられたピエールはとうとう座り込み肩を落とした。ガーンと言ってる辺り、本当に落ち込んでるかどうか疑わしい。
「ずりいなぁ~。だったら六位のお前じゃなくて四位の俺っちに行かせろよ。お前がアーテルより強くても負ける可能性があるだろ?」
「確かにそうね。でも、あなたスイッチ入ったら殺しちゃうじゃない。面白くなったらイカれる快楽主義者には無理よ。その点あたくしは男女問わず手玉に取れる世界一美しい美貌があるもの。平和的に籠絡するのも簡単よ。もし童貞少年ならイチコロね」
もう一人立候補してくるのはあらかじめ予想済みだったのか、エライザは動揺することなくどちらが相応しいかをアピール。
「ナルシストめ……」
ジェイドは悔しそうに負け惜しみを言った。この様子を見る限り口の強さは必ずしも序列と繋がらないらしい。
「あたくしが世界一美しいのは事実よ。美しさを履き違えた可哀想な勘違いの極み達と同じにしないでくれるかしら」
フードで顔が見えない所為で、自信過剰に取れるエライザの発言。反論がジェイド一人ということは美しいのは本当のことなのかもしれない。反論するのが面倒だとも考えられるが。
「今回の任務、ジェイドは休みとする。任せたぞエライザ。グレイスの娘と小僧については一任するとしよう」
「ちぇっ」
「お任せくださり光栄ですわ。骨抜きにして連れ帰ることをお約束します」
ゴーゼルの決定に不満そうにするジェイドと優雅に頭を下げてから席に座り直すエライザ。実に対照的な二人である。
リオルとアネーシャに魔の手が迫ると決定した瞬間だった。せめてもの救いは序列四位が来ないことだが、序列六位でも地獄と大差無い。
加えてリオルが死闘の末に勝利したあの十メートル級の漆黒龍より強いという。ウォッチードの監視が無くなったのは幸いでも、エライザの追跡能力次第では詰むのも時間の問題なのかもしれない。
「では次にこの者の正体を明らかにするとしよう。フードを脱いで自己紹介せよ」
「はいはーい。皆さん初めまして! ハルキ・サザナミって言うっす。気軽にハルっちて呼んでください。これからよろしくお願いするっす」
顔立ちは可もなく不可もなく。顔の左側が黒色の前髪で隠れている。陰気な見た目とは反面口調は軽くおちゃらけた感じ。背は微妙に低い。
「うふふ、意外と元気そうな子ね」
「反応してくれた第一号っす。感げ…………お姉さんのおっぱいは偉大っす……。ボク童貞なんで良かったら今夜大人の男にしてくださいっす!」
エライザは外套の上からでも分かる豊かな胸とむんむんな色気がある。だからといって本人を前に変態発言をする度胸。相手が相手なら股間デストロイされても文句は言えないだろう。
「あら、本当に元気ね。本番前に色んな手で絞り尽くしても良いなら考えるわ」
敢えて言葉を濁したであろうエライザに、何をされるのか読めないハルキは縮み上がった。
「ひえぇ……やっぱ止めとくっす。テクノブレイクは勘弁すから!」
「テクノ……何?」
「あ、気にしないでほしいっす。こっちの話っすから」
聞き慣れない言葉にエライザは疑問を持つも、掘り下げさせない為かハルキは話を切り上げた。
身の安全を優先したハルキはチャンスを不意にする。童貞卒業への道のりはまだまだ遠そうだ。
一人胸を撫で下ろし安堵しているハルキに今度はジェイドがぶっきらぼうに声を掛けた。
「随分と騒がしい奴じゃねえか。おいお前」
「ハルっちって呼んでほしいっす!」
「あ゛?」
「ひいぃ! 何でもないっす!」
ジェイドは「っち」繋がりで同族嫌悪してるのかもしれない。ただ単にうざくてイラッとした可能性も考えられる。
どちらにせよ効果は覿面でハルキは体を反らすくらいビビっていた。
「角はどこだよ。ハーフでもない限り角があるはずだろ。引っ込めてんのか?」
「角? 角なんてないっすよ。ボク人間なんで」
空気が凍った。ハルキは何気ない一言のつもりなのだろうが、幹部達は違う。ゴーゼルの隣にいたこともあって一様に安心していたが、人間と聞けば話も変わる。
魔王軍は基本的に人間を下に見てるし嫌悪する者がほとんど。だからこそ侵略会議なんてものも開かれるし人間を簡単に殺せる。だというのに何の理由かも知らされずこの場に人間が存在しているのだ。
中には殺気だってる者もいる。特にククリアが顕著でどう見ても隠す気ゼロだ。
「人……間。どういうことですか魔王様!?」
口火を切ったのはデュミナスだった。長卓を叩いた音を派手に響かせ、身を乗り出す勢いで大きく声を張り上げる。
「そう慌てるでない。この者は我が召喚したのだ。宝物庫を漁っていたら一枚だけ召喚魔法陣の紙を見つけてな。興味本位で召喚してみただけのことだ」
一ヶ月前に立ち入った際に偶然見つけ、二週間程前に召喚。以降ゴーゼルが自ら鍛えていたという。
「そんな何が召喚されるか知れない危ないことをお一人でなさらないでください!」
デュミナスは自分が敬愛して止まないゴーゼルの身を案じているのだろう。
「異世界人は才能の塊ではあるが、召喚当初は必ず弱い。我に危害を加えるのは不可能。異世界からの召喚魔法陣は一度きりで消滅する故、勇者への当て馬もできてちょうど良かろう」
ゴーゼルは余興だと言わんばかりだ。最早ゴーゼルにとってこの程度は遊びの範疇。千年前に拮抗する敵一人存在しなかったことが余裕の所以なのかもしれない。
「ないとは思いますが……そこの人間も勇者ということはありませんよね?」
「あるわけなかろう。覇者召喚という勇者召喚と似て非なる召喚魔法で呼び出した。勇者が我を倒す者なら覇者は天下を征服する者。我らにピッタリだとは思わんか?」
くつくつと喉を鳴らして愉快そうに笑うゴーゼルは、基本的に繁殖率が高いだけが取り柄の脆弱な下等種族、という風に人間を見下している。
強くて決して逆らわず大人しく駒になるならハルキのようにその限りではないが。
「しかし……人間ですぞ。裏切る可能性が……」
「安心せい。その為の契約魔法だ。最初に契約魔法で裏切らせないよう魔王軍に忠誠を誓わせて縛っておる。それにこの者はまだまだ発展途上だが中々に強い。序列九位にしても問題ない程にはな」
「ですが!」
尚もデュミナスは食い下がる。ゴーゼルに鍛えられたハルキへの嫉妬心も当然あるだろうが、やはり種族の問題が一番大きいのだろう。
「契約魔法の効果は知ってるであろう?」
ゴーゼルにそう言われてしまえばもう黙るしかない。裏切ることなど実質不可能に近いのだから。
契約は一つのみ。既にかけられてる場合は重複する為に無効となる。契約魔法使用者が死ねば解除されるという欠点もあるが、ゴーゼルは魔王軍で誰よりも最強で至高の存在。幹部達はゴーゼルが死ぬ可能性を完全に除外してしまう。
「無理に仲良くする必要はないが、足の引っ張り合いだけはするな。侵略の邪魔じゃなければ多少の喧嘩には目を瞑ろう。鬱憤晴らしは許さぬがこき使うのも認める。何か異論のある者はおらぬか?」
流石に魔王だ。ゴーゼルの揺らぐことのない決定には誰も反論しない。不満を持つ者がいても、これでハルキが使えない程弱体化するまでは誰も追い出そうとはしないだろう。
それでも若干一名というか渦中のハルキ本人は悲しみに染まってる。勝手に呼び出されてこの不条理具合だ。泣いたとしても無理はない。
「会議の……本題に入る」
空気がガラッと変わり、全員の背筋が伸びる。それはゴーゼルから放出される覇気、威圧感、殺気を鋭敏に感じ取ったからだ。
「バルムドに続いてアーテルまで殺された。そろそろ攻める。これ以上他種族を調子に乗らせてはならん。どれだけ劣っているのか身の程を思い知らせるのだ。間違っても魔王軍の威厳を損なわせることがあってはならぬ。その先駆けが人間領土の侵略。手始めに五大都市の一つ、スガンピードを落とすことにしよう」
スガンピードは勇者パーティーが訪れている都市だ。このままではほぼ確実に鉢合わせすること間違いなしだろう。
「魔王様。私めと私めの部下にお任せください。必ずや攻め落としてご覧に入れましょう」
誰かが立候補する前に素早くサッと立ち上がったのはデュミナスだ。他の追随を許さぬ見事な速さを発揮していた。
「デュミナスか。良かろう。ただし、この者も連れて行くのだ」
「なっ!? それは……」
ゴーゼルから言われた想定外の付け足しにデュミナスは思わず声を上げ、ハルキの同行に難色を示した。
「デュミナスが一番腹を立てているのは分かっておる。それならばこの者の実力をその目で見て有用性を確かめると良い。使えないと判断すれば殺せ。我が許可しよう」
「そこまで言われるのでしたら、畏まりました」
踏ん切りのついたデュミナスは一礼して着席。そのままピンと背筋を伸ばして黙り込んだ。
「ちょっ!? え、え? ボク役に立たなきゃ殺されるんすか! ヤバいじゃないっすか! デュミナスさん、俺頑張ります! 超超超頑張りますからよろしくお願いしますっす!」
「……」
混乱して一人騒ぐハルキ。デュミナスに媚を売るように頼み倒すも不発。デュミナスは見向きどころかぴくりとも反応しない。
「む、無視っすか!?」
気づいたら死の危機が迫っていたハルキは一人で数分間ずっとギャーギャー騒いでいた。
「うっ……」
それが鬱陶しいと誰もが思い始めた頃、痺れを切らしたククリアが立ち上がり、目に見えぬ速さの腹パン一発でハルキを床へと沈める。
「人間黙れ。殺すぞ」
殺気のこもった低い声はおそらくハルキの耳には聞こえていないだろう。既に白目を剥いて気絶しているのだから。
「……死んだんじゃないか? アイツ」
たぶん無意識だろう。ジェイドはハルキのあんまりな不憫さに小さく声を漏らしていた。
そう言いたくなるのも分かる。ハルキにとって理不尽過ぎるのもあるが、序列二位のククリアからドスッと鈍い音が鳴る一撃を貰ったのだ。並の者なら即死していてもおかしかくはない。
かといって同情心があるわけでは無さそうだ。そこは魔族ということだろうか。
何にせよハルキの胸は一応上下している。死んでないのは確かだ。
「静かになっところで最後に重大な案件がある」
ゴーゼルはゴーゼルで酷い。やはりどこまで行こうと人間に愛着は湧かないということだろうか。
気絶したハルキに目を向けることなく次の話を始めた。使えるから使うが、死んだら死んだで興味を失うだけなのかもしれない。
「まだあるのかのう。ワシはお腹一杯じゃわい」
声からして老人なディッケンベルグにとってこの会議は誰よりも濃く感じたのだろう。
「そうぼやくなディッケンベルグ。これはお前達に関することなのだ」
「ワシらに……ですか。一体何なのですじゃ?」
会議中珍しく数秒間ゴーゼルが言い淀んだ。並々ならぬ事なのかと面々に再び緊張が走る。
「……言いにくいのだがな、その、魔族ナインという総称がダサいと魔王軍内部で度々話題に上がると報告が来た」
「何……じゃと?」
動揺したようにディッケンベルグが一番初めに反応した。
「爺さんが現幹部の始まりだよな。じゃあ……名前を付けたのも」
察した様子のジェイドを含めた幹部の面々が次々とディッケンベルグの方を向く。
「ディッケンじい……可哀想」
「申し訳ありませんが、私めも正直ダサいと思ってました」
「私は愉快で良いと思ってまーしたよ!」
最後にピエールがただ一人褒めるも、どこか嘘くさい。口を開かない幹部は三名。それはそれでディッケンベルグにダメージを与えていそうだ。
「良い、良いのじゃ……。何にも……気にして……おらんのじゃからのう……」
魔族ナインと名付けたディッケンベルグ。口では平気と言うが声は震え肩を落とし陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
負のオーラが具現化しそうなくらい深く沈んでいる。ぶつぶつ言ってる様は不気味だ。
「これも魔王軍の為だ、すまんな。よって【魔族ナイン】改め【ブラッディナイトメア】へと変更。これからは改名を広めるように。変更理由は幹部が一人死んでナインがナインじゃなくなったからとでも伝えておけ。以上で会議を終了とする。解散だ」
こうして一人の精神を抉り会議は閉幕する。とぼとぼ去るディッケンベルグの背中には哀愁が漂っており、不思議と目が吸い寄せられてしまう面々なのだった。
全ての面々が去った一室。目立たない隅に初めから潜んでいた十一人目。その存在に誰も気がつくことはなかった――あの魔王ゴーゼルですら。
この者は魔王軍密偵部に所属するスパイだったのだが、間抜けをしてしまい王国の、正確にはフレデリック・リンドバーグの奴隷と成り下がった下っ端魔族――ハイドである。
二週間~三週間程前に戻ったハイドは例のごとく上官に定期報告を済ませ、嫌なことを忘れて帰郷生活を満喫していたが、幹部会議が開かれると聞き瘴気が満ちる森を何とか抜け、潜入していたのだ。
「息苦しかった。こんな広い一室の隅にも届く強烈な殺気。化け物にも程がありまっせ。魔王幹部が追う謎の少年少女、三大龍王の存在、スガンピード襲撃。魔族ナインの改名……は別に重要じゃないか。あの王様の所には戻りたくないけど……」
ハイドは深くため息を吐いた。
上官を含めた魔王軍はハイドが有する隠密能力の高さを知らない。ハイドは出世に興味がなく、どこまでも楽に生きたい性格だった。そこで下っ端でも給金の高い魔王軍に入ったのだ。自分の有能さは伝えず隠したまま。
あの時喉が渇いていたとはいえ、吸い寄せられるかのように【永久奴隷の王水】を飲まなければ今も適当に生きれたのに、と後悔渦巻く中、ハイドは消えるように魔王城を抜け出した。