山を抜けるまでもう少し?
俺達は拠点としていた開けた場所を出発。山を抜ける為に緩やかな傾斜の坂道をさくさくと順調に歩いていた。
無言で歩くのも悪くなかったが、解消したい疑問があった俺は現在、アネーシャと話をしている。
「あれは詠唱省略で間違いないんだな?」
「そ、六日目に習得した」
何でもない風に言ってるが、詠唱省略は当の本人が思ってる以上に難しい。俺が習得したのだってキリングタイガー戦後、強くなることを意識した鍛練を行うようになってからだ。
強化魔法を主体にして戦うことの多い俺はどちらかと言えば、遠距離中距離戦よりも近接で戦闘する方が手っ取り早く楽で自分に合ってる。だからこれまで詠唱省略を使う機会は無かったが。
そもそも習得するには最低でもAランク冒険者上位並みの魔力コントロールが要求され、Sランク冒険者になれるかどうかの境目とすら言われる高難易度。
五年間魔法に触れておらず、昔習っていたとしても、この成長速度は誰がどう見ても異常だと思うレベルに達している。プライドの高い奴がこの事実を知ったら心がポキリと折れるのではなかろうか。
俺にとっては良い拾い物……にプラスして厄介事を引き寄せる両極端な存在でもある。今更ながら後悔の念とこういう危うさも旅の醍醐味だ、と思ってる気持ちが混在していて変な気分だ。
「お前……自分がどれだけのことを成したのか理解してないだろ?」
「詠唱を省略して魔法名だけ唱えても、魔法が発動するようになった、でしょ? 私頑張った」
頑張ってできたら苦労しない。ある程度の才能と努力が備わらなきゃ無理だ。それなのに努力したとはいえ、短期間で習得。間違いなくアネーシャは天才の部類に入る。
なのに自覚なし……か。今のところ比較対象が俺だけだから無理もないが。自惚れて調子に乗ることもないし、このまま自覚させなくても問題ないか。
「あぁ頑張った頑張ったー。偉い偉ーい」
「撫でてくれても、良いんだよ?」
首をこてんと傾げたアネーシャは、俺の隣を歩きながら頭を突き出した。
何故そうなる。俺の思いっきり棒読みな言葉は意味をなしてないのか? また軽く流すけど。
「気が向いたらなー」
「むぅ……」
不機嫌にむくれるアネーシャはじとーっと見てくるが普通に無視。俺は話題を転換することにした。
「あ、そうそう。仮説だが、穏健派はまだ滅ぼされてない。高確率で生き残ってるぞ」
先程のウォッチード戦で気づけたことだ。明確な証拠はないが外れてる可能性も低いと思う。
あの漆黒龍がアネーシャを捜索してたのは、魔王軍にとって目障りだと思われる穏健派を誘き寄せる餌となり得るからだ。このことから一網打尽にするのが目的だと推測できる。
侵略中に横槍を入れられるのを嫌がってか、もしくは他の目的があるのか、それは定かではないが。
もしくは……付与魔法に目をつけて、だな。何にしても現実的に考えて穏健派が生存してる確率は高い。表だっての行動はしてないだろうが。
「そう、なの?」
アネーシャの表情に喜色は見えない。それどころか、顔色一つ変えない。あまりにも普通だ。一週間前に訊いた時は少し感情を見せてたが……完全に吹っ切ったのか?
「反応が薄いな。両親がトップだった派閥だろ?」
「もう五年も前だよ? お母さんとお父さんが生きてるならまだしも、今更他の皆にまで強い感情は抱けない。それに私は一度死んだのと同じ。何も言うことない」
言うことは分かる。関わり合いがあったとしても当時の年齢はまだ十歳。その歳で家族並みに大切な存在がいる方が稀有だ。口振りからして両親以外の身内もいないようだし。
仮にそれなりに親しい友人がいたとしても、五年の月日はその思いを薄れさせるのに十分過ぎる。
「一度死んだってのはどういう意味だ?」
「そのままの意味。リオルに出逢わなければ、私は生き埋めになって生涯を終えてた。今生きてるのは奇跡。他の誰でもないリオルが助けてくれたお蔭。もう今の私に派閥は関係、ない」
両親以外の五年前をすっぱり切り捨てる選択をしたか。俺にとっては悪いことではない。穏健派に執着してたのなら必ずどこかで軋轢が生じてたはずだからな。
「その言葉に嘘偽りがないなら、例え目の前に穏健派の誰が現れても揺れるなよ? 裏切りは許さんからな」
確認してみたが十中八九問題ないだろう。アネーシャが俺に感じてる恩は並ではない。
「大丈夫。リオルだけは裏切らない。もし見捨てられても、憎まないし恨まないから」
「いや、流石に見捨てたら憎むか恨むかはしろよ」
逆に何もされない方が恐怖だ。
「――無理」
即答かよ……。
「少しくら――」
「無理」
「まだ言い終えてな――」
「無理なものは無理」
あ、これは何を言っても駄目な奴だ。頑固とかのレベルを遥かに超越してる。
「……そうかい」
時に諦めは肝心だ。よく考えたら俺に不都合でもないし、この件はもう終わりにしよう。それが賢い選択だ、きっと。
俺は若干の曇り空を眺めながら、黙って歩く速度を少しだけ上げた。
昼休憩を一度だけ取った後、しばらく歩くと俺達は三つの分かれ道を発見した。
東の道を歩いてきたから進むべき方向は南北西のどれか。俺達は地面に突き刺してある案内板を見つけ足を運んだ。
「どこ行くの?」
「【オーシャンティス】領土、絶海の島【アクアマリンド】だ。海目当ての旅行者が多いらしいな」
何があるのかとかはそこまで知らんから行き当たりばったりになるが、その方がわくわく感が増して良い。
「海かぁ。もう何年も見てない」
ずっと村暮らしならそうなるか。まあ、俺も海を見た頻度はそんなに多くはない。そもそも行く機会があんま無いしな。
初めて見た時は大層驚いた。雄大で綺麗な青が視界一杯に飛び込んできたのだから。まだ父さんが再婚する前、俺を生んだ母さんと来た記憶がうっすら残ってる。
今でも覚えてる数少ない母さんとの思い出の一つで、あの時は確か……海の水がしょっぱいことに衝撃を受けたんだよな。何せ当時は三歳頃。海の水で塩を作ってると聞いた時は驚いたものだ。
「確か魔族領にも海があるんだよな?」
「うん。赤い海が広がってる」
「海は青だろ」
「え?」
「え?」
「赤、だよ?」
この謎な食い違いは何だよ。海の色で意見が分かれる経験をするなんて未来永劫ないと無意識の内に思い込んでたから困惑してるんだが。
赤ってまるで血の海じゃねえ……ん? 少し待てよ。あ、思い出した。そういや学園で習ったな。
「……あんまり必要ない知識だから忘れてた。確か魔族領付近の海は赤くて人間領付近の海は青いんだよ」
「初めて知った。赤以外の海は楽しみ」
アネーシャは頬を緩ませそう言うが、逆に俺は赤い海を見てみたい。
「案内板を見るに南の方角だな。行くぞ」
「うん!」
アネーシャは純粋な笑顔で元気よく頷いた。やっと他国へ行ける――そう思ったら俺も徐々に気持ちが高揚してきたな。
「あっ、とその前に……この二つを渡しておく」
「小型収納ポーチと魔法銃……どうして私に?」
小型収納ポーチは念の為だ。何か掘り出し物を見つけた時、俺が近くにいない場面で回収してもらうのに役立つ。
それに俺はもう使わないしな。アネーシャに有効活用してもらって、少しでも俺に利点が見込めるなら渡した方が良いだろう。
魔法銃は単純に俺がそこまで必要としてないからだ。使えることは使えるが、俺よりも遠距離担当のアネーシャとの方が相性抜群だろう。魔力保有量はまだ分からないが、おそらく多い方だろうしな。
「魔法銃は特訓期間中、魔物と遭遇した時一度見せたよな?」
「凄い威力だった」
「魔力を最低五千消費して発動。魔力弾の威力がおよそ三倍になる。少し重いがその分頑丈で接近されたら殴ると良い。俺よりかはお前に合ってるから持っとけ。渡す理由だが……アネーシャなら盗んで逃走することはないと信じた結果だ」
「信、じて? リオルが私を信じた……? 信じてくれたんだ……」
アネーシャは目を丸くして驚いた後、頬をつねって現実を確認していた。直後に夢じゃないと分かったらしく、俺に満面の笑みを向けてくる。
……悪いな。お前の恩と依存の気持ちを利用させてもらうぞ。ここまで言えば簡単には裏切れないだろう? 俺は会って一週間そこらの者を完全に信じられる程人間できてない。
だけどな、本当に心の底から完全に信じられると確信できたその時は――いや、こんなこと考えるのは俺らしくないな。アネーシャはただの同行者。使えるから連れてるだけだ。余計なことを思う必要はどこにもない。
「ありがと。大事に使うから。リオルの役に立てるように頑張る」
「そうしてくれ。ポーチの中身は投げるシリーズ三種一個ずつとポーション系三種一個ずつ。ポーションは傷回復が緑、魔力が水色、状態異常が無色透明だ。百万コルタも入ってる。言っとくがポーションは数が少ない。いざというときにしか使うなよ?」
ポーションは高いからな。今の懐事情には芳しくない。漆黒龍を売れば良い話だが、あんなもん売ったら大騒ぎだ。それに【オーシャンティス】では売る気ないしな。
どうしても金が必要になればキリングタイガーを売れば良い。それでも騒がれるだろうが、漆黒龍よりかは全然マシな騒ぎに収まるはずだ。
「ポーションのことは分かったけど、こんなに良いの? 私まだ全然役に立ってないのに……」
アネーシャは役立つ前からこんなに貰うのは申し訳ないとか思ってそうだな。俺には俺の思惑があるから気にする必要は皆無なんだが。
「役に立ってもらう為に必要な道具だ」
「そういうことなら……」
まだ納得いかないという顔をしてるな。そんなアネーシャに早速出番を与えることになりそうだ。
ウルフに似た顔と鋭い爪が特徴的な魔物と突然遭遇。こちらの出方を窺うかのようにじりじり距離を詰めてくる――大量の涎を垂らしながら。俺達を食料だと思ってるに違いない。
「ほら、早速お仕事だ。前方にコボルトの群れ。魔法銃で殲滅してやれ」
「分かった」
「身体強化をしてから照準を合わせるんだ。慌てるな。しっかりと狙い澄ませ…………今だ撃て」
魔法銃の反動は素のアネーシャの力程度では耐え難い。せっかく照準を合わせてもブレて狙いが外れかねない。だからこそ身体強化をさせてから引き金を引かせた。
その結果がこれだ。俺達を捕食しようとしていたコボルト共の命の灯火はたった今消えたのだ。破壊の銃弾により。
属性に左右される為、放出された光は真っ暗な闇だった。闇に呑み込まれた成れの果てが無惨にも地面に転がっている。
悲鳴を上げるすら暇なかっただろう。恐怖を感じた瞬間に死んだのか、はたまた恐怖を感じる前に死んだのか、それは今は亡きコボルトにしか分からないことだ。
同情はしない。狙う相手を間違えたコボルトが悪いのだから。
「やっぱり凄い……。一発で殲滅されてる」
俺も最初はそんな風な反応だった。流石に見慣れたが、アネーシャは驚嘆してるな。見るのと使うのとでは印象が違うと感じてるんだろう。
俺はどれだけ強大な威力を誇ろうとも、この魔法銃を全力で放つことはしない。命中しなければ俺が死ぬ。命中しても殺しきれなかった場合は同じく死ぬ。何せ魔力が切れて抵抗不可に陥るわけだし。
殲滅戦には役立ちそう、くらいの気持ちで使ってた。その辺の駆け引き込みでアネーシャには使いこなしてほしいものだ。
「魔力の減り具合はどうだ?」
「普通の魔法より消費する……けど大丈夫」
その言葉を聞いて安心した。もし今の一発ごときでバテるようなら同行は即取り消し。魔力コントロールだけ天才的でも限界があるしな。
魔力についてはそこまで心配してなかったが、これで懸念は無くなった。上出来だ。
「そうか。ならば良い」
魔法銃を初めて扱ったにしては落ち着いていて筋も悪くなかった。やはりアネーシャに渡して正解だったな。
ほんじゃ、確認できたところで出発するか。
空を見れば雲行きが怪しくなってきたのが嫌でも分かる。雨が降り出す可能性を考えてもう少し移動速度を上げることにしよう。
改めて俺達は南の方角へと足を進めるのだった。