解禁する魔法
俺は激痛を無視してゆっくりと立ち上がる。
俺の雰囲気の変化を本能的に感じとったのか、追撃しようとしていたキリングタイガーは少し離れた位置で立ち止まった。
血反吐をぺっと吐いて、口元を腕で拭う。
左腕が別方向に曲がっていた。腹部にも違和感を感じる。初めて骨が折れたし折られたな……。それだけ追い詰められたということか。
もう俺に動揺はない。そんな暇あったら目の前の魔物を葬ることに力を注ぐ。
ようやく気付けたよ。傷付けることを躊躇するから逆に傷付くことになるんだってな。
傷付けるのが苦手だという綺麗事は、脅威の前では無意味で愚かなことだ。現に、俺は踏みにじられてきた。学園の人間が教えてくれた――前のままの俺では、淘汰される運命しか待ち受けていないということを。
暴力を楽しむ奴は、弱い者や抵抗しない者に滅法強い。戸惑いのない奴も同様に強い。このキリングタイガーも俺を苛めていた奴等も、楽しんで暴力を振るう。殺すことに躊躇の色一つ見せない。そんな相手に抵抗しなければ傷付くことも当たり前だ。
俺は馬鹿で愚か者だったよ。世の中は、こんなにも暴力で溢れているのに、振るえる力を使わず、抵抗もしなかったのだから。
俺を害する者は全て等しく敵。敵なら容赦不要。目を背けることはもう終わりにしよう。
「お前の所為で、満身創痍だ。恐いな~殺されちゃうな~」
俺は馬鹿にしたように挑発の意を込めて、ヘラヘラと笑みを浮かべる。
「ガルアァァァ!」
言葉は理解できていないようだが、俺の何かが気に障ったらしく、威嚇するかのように吼えた。
「怒った? 怒っちゃった? でもな、お前より俺の方が怒ってんだよ。いきなり現れては恐怖を与えられ、苛めグループには時間稼ぎのために利用される。理不尽過ぎて最悪な気分だ」
俺はヘラヘラ顔から一瞬で、真顔に戻して目を鋭くさせる。
抑えきれない感情の動きにより、俺の体からは透明な魔力が一時的に渦巻いた。
俺は特異な魔法を持っている。このことは、亡くなった両親しかしらない。強力な魔法が故に、力に溺れることを危惧した両親から使用を禁じられ、俺自身も今日まで使う気はなかった。
だが、それも解禁だ。もう抑制する気など微塵もない。俺に仇なす敵に慈悲の心が必要ないことを、学園に入学して今日この瞬間まで、馬鹿馬鹿しくなるくらい学んだからな。
「かかってこいよ獣」
俺を警戒して静止していたキリングタイガーに、挑発染みた手招きをした。
獲物である俺が余裕そうなことに、腹を立てた様子のキリングタイガーは、手招きに応じて距離を詰めようとしたのだが、俺が一言『潰れろ』と発したことで、強制中断させられることになる。
キリングタイガーは文字通り、押し潰されてる最中なのだ。
どうにか立ち上がろうと試みているが、踏ん張りが効かず、重力の奴隷に逆戻りしている。その間、俺は自分に『自動回復開始』と魔法を行使した。一瞬だけ光が俺を包むと、少しずつ自分の傷が塞がりを見せ始めた。
俺の魔法は言魔法――自分の魔力を言葉に込めることで、言ったことを実現させる奇跡の力。昔から魔力の多かった俺には相性抜群の魔法だ。
もちろん制約もある。実現難易度によって魔力消費量がピンキリなのだ。実質不可能なこともあるだろう。
自分より強い敵に使用すれば、それだけ消費量も増える。つまり、目の前のコイツには必然的に消費量が多くなる。
その分勝利して戦闘経験値を得れば、俺は強く成長することが見込める。コイツはそういう意味では相手として相応しい。
「さっきまでの勢いはどうしたよ」
今度は俺からキリングタイガーの近くまで歩いていく。
俺が余裕を見せていた時、キリングタイガーが大きく口を開けると、炎の塊が俺に命中するコースで放たれた。
「――っ!?」
『――反射しろ』
危なかった……口から炎を出せたのか。流石特A級魔物。油断は命取りだな。
少し動揺したが、俺を包むように透明の円を展開して、キリングタイガーの顔面に炎を跳ね返すと、ダメージを受けて甲高い悲鳴を上げた。
煙が晴れると、怒り心頭なキリングタイガーが、立ち上がった状態で現れた。言魔法の効力を打ち破ったらしい。
「ガルゥアアアアアアァァァァァ!!!」
ここからが全力ということか……。
キリングタイガーは、闘争本能を剥き出しにすると、今日一番の猛々しい咆哮を放った。尋常じゃない濃密な殺気が俺に直撃する。
ヤバいな……。そう思った時、キリングタイガーが俺に突進してきた。
――速い!?
『潰れろ!』
俺は思わず「チッ」と舌打ちしてしまう。
キリングタイガーは、最速からゼロまで一気に減速して急停止したのだ。魔法は、キリングタイガーのすぐ前の地面だけを陥没させた。この咄嗟の危機察知能力の高さには舌を巻いてしまう。
野生の勘で避けられ、その隙にキリングタイガーに接近を許してしまうと、前足を振り下ろされた。
『障壁展開』
何とか俺は、仕切りとなる壁を目の前に展開して防御に成功する……のだが、それを破壊しようと前足を連続で振り下ろしたり、大きな炎の塊を遠慮なしに放ってきたりする。その度に強烈な振動が伝わり、ついには皹が入ってしまった。
おいおい、まじか……。このレベルの魔物に俺は一撃入れられたのかよ……死にかけるのも当然か。むしろ一撃受けても生き残れたことに諸手を挙げて喜ぶべき……なのか? なんか腑に落ちないな。
まともな初戦闘がこんなにも強敵なのは、俺だけじゃなかろうか。しかも敗北は許されない。とんだ不運に愛されたものだ。
障壁が破れるのも時間の問題だろうし……はぁ。負けるイコール死という理不尽な現状から脱するには、勝利しかない……か。
自動回復で表面的な傷は塞がり、回復してきたのだが、骨折は流石にまだ治るのに時間が必要らしい。腕の方向だけは元に戻りつつあることから、回復の兆しはあるようだ。
万全とは程遠いが、鞭打って戦うしかないか。
『己を限界まで強化せよ』
生きるために覚悟を決めた俺の魔力が、目に見える形で白いオーラとして発現した。これまでに経験したことのない溢れ出る強大な力が、無限に体中を循環しているような感覚になる。同時に、魔力が秒ごとに消費していくのも感じた。
今の俺じゃ長期戦は不利だな。
「短期決戦だ。お前を地獄に招待してやる」
そう言った直後に障壁は破られ、鋭く尖った牙を覗かせた大きな口が疾風怒濤の勢いで迫ってきた。
俺は一瞬でその場から消えると、キリングタイガーの真下に移動し、腰を少し沈めて、顎を下から突き上げるように拳を放った。ガチンと歯と歯が大きな音を立てて重なる。
怯んだことを確信した俺は、跳躍し、空中で更に顎を連打する。キリングタイガーはダメージを負いながらも、何とか前足を横から振りかぶって反撃してくる。俺はそこから飛び退くと、キリングタイガーの後ろに回って、『刃を纏え』と魔力の刃を纏わせた手刀で尻尾を斬り落とす。
キリングタイガーから、激痛による痛々しい悲鳴が聞こえたが、直後に後ろ両足で蹴りを繰り出してきた。予想外の切り返しに反応が遅れた俺は、慌てて腕を交差して防御するが、強化しててもガードの上から振動が貫通して少し浮いた。今の俺の地力じゃ強化しても力比べでは少し劣るらしい。
元気があるように見えるが、キリングタイガーのダメージは大きい筈。スピードで圧倒して反撃させる隙を与えないようにしてやる。
俺は地面を踏み抜き、一瞬にして移動すると、横腹を殴って、反撃が来る前に顔面を蹴り、また横腹を殴る。その繰り返しを続けて鈍ったところに『潰れろ!』と言って、再び動きに制限をかけることに成功した。
「あばよ、お前は強かった……」
そして、弱ったキリングタイガーの太い首に、『刃を纏え』と魔力を纏わせた手刀を振り下ろして、スパッと首と胴体をお別れさせた。
キリングタイガーは痛みを感じる暇も、死んだという実感もなく、この世での生涯を終えたことだろう。
勝った……勝ったぞ……!
勝利を確信して強化を解除した俺は、脱力して地面に座り込んだ。
――その時、死んだ筈のキリングタイガーの前足が俺に迫ってきて…………目と鼻の先という死を間近に感じさせる距離で止まると、胴体と共にドスンと重い音を立てて倒れた。確実な勝利の証明をするかのように砂埃が舞い、晴れると辺り一帯は激戦の傷痕だけを残して静寂に包まれた。
ふぅ。最期まで嫌な相手だったな……。今度こそ安心した俺は、仰向けで大の字に寝転がった。
俺は魔物の初討伐に歓喜し、経験を積めた満足感を味わい、生き残ったことに安心した。
魔力がもう二割しか残っていない。この上のランクにS級・特S級・番外級がいるのか……。
俺が万全の状態で、今回のように強化メインにしなければ、S級までなら戦えるかもしれない。勝てるかどうかは微妙だがな。
肉体と俺の適性属性である闇と光を鍛えれば、俺自身も成長するから自然と渡り合えるようになるとは思うが。
まあ、今は一刻も早くここから離れることが先決か。血の匂いに引き寄せられる魔物が来ないとも限らないしな。
緊迫感からの解放と強化解除で、体中の痛みと疲労を感じつつも、ゆっくりと立ち上がり、キリングタイガーの残骸へと向かって『ボックス収納』と心中で唱える。キリングタイガーは、空間へと吸い込まれていった。
ボックス収納は、魔力の保有量で物の入る量が変化する。十万人に一人という限られた者のみが扱える特別な便利魔法である。
どんな仕組みか知らないが、時間停止効果がボックス内には作用しており、素材や食材が腐ることはない。
俺は魔力保有量が多いから問題ないが、少ない者は剥ぎ取り作業をしたりもする。それでも昔から重宝される稀少魔法として、どの職業からも、喉から手が出るほど引き入れたい人材である。無用なトラブルを防ぐために、俺の場合は人前での使用を控えている。
さて、正直一歩も動きたくないが、森から出ますかね。はぁ休憩したい……。
俺は今すぐ休みたい気持ちを押し殺して、重たい足取りで移動を始めた。