侵入者の正体
防御系魔導具の効果が一度解除され、アイザワは前席から飛び降りた。その後、すぐに魔導具は作動される。
今のアイザワの心境はどうなんだろうな。
ご都合解釈者のお前は、皆の期待に答えなきゃとか皆を守るんだ、なんてことを思ってるのかもしれないが、目を背けるのは疲れたろ。もうやめたらどうだ?
お前はその皆によって都合の良い生け贄にされたたんだ。お前のルックスにキャーキャー言ってた女子生徒達も、結局は自分の命が一番大事なんだよ。
お前の安否を少しでも気遣う奴がいたか? 声を掛けてきた全員が、お前を舞台に送る為の言葉だった筈だ。
それでも歩みを止めないか……。いや――考えないようにしてるのか? アイザワの頭は一体どんな構造をしてるんだ?
アイザワは今、Bブロック舞台までの短い距離を、人生で一番地獄と感じる道のりな筈。
俺にはお前の行動原理が到底理解できない。
そして――
とうとうアイザワは、皆の期待という名の人柱として舞台へと上がり、男と至近距離での対面を果たす。
「貴様が勇者……なんだよなぁ?」
男は含みのある言い方で問いかけた。その声音はまるで、勇者にしては弱そうだな――という疑いのニュアンスが込められてる気がした。
口調そのものは、そこら辺の質の悪い荒くれ者のそれだが、アイザワの虚勢を張った態度はお見通しらしい。
「そ、そうだ!」
おい勇者。緊張と恐怖で声、上がってるけど大丈夫かよ。
そろそろ表情に恐怖の色を出すのは止せ。
そんなんだから、男に見下すような眼差しで見られるんだよ。
「……」
疑問に対するアイザワの答えに、男は口を閉ざして考え込む。
こういう重たい沈黙は、今のアイザワにとって生きた心地がしないだろうな。
こんなんでここを切り抜けられたとしても大丈夫か? あの男よりも強い者は確実に存在する。それは、両手足の指を足しても余りあるだろう。今この調子なら、この国にとっては先行き不安だな。
ま、俺がアイザワの身を案じることはないが。
「そ、それよりも、お前は何者だ!」
アイザワは精一杯の虚勢を張り続けながら、最早全員の疑問であろうことを男に訊いた。
「知りたいのかぁ?」
口を開いた男は、黒の外套からチラッと見える口元に弧を描く。
「当たり前だ! 罪のない先生を殺した最低の極悪人め! あの人がお前に何をした。――何もしてないだろ! 顔を見せたらちゃんと自首してお縄につけ!」
アイザワの珍しく筋の通った言葉に、クックハッ、ハーハッハッハッハッハーと大笑いし始める男。
まあ、そうだわな。態度と雰囲気を見るからに人を殺し慣れてる奴だ。そんなこと言われてたって歯牙にもかけないだろうよ。
それどころか必要があれば、いや――なくても嬉々と楽しんで、それこそ家畜のようにあっさりと殺すだろう。
「な、何がおかしい!」
「いやぁ、あまりにも面白過ぎる戯言を口にするからよぉ。こんな自分に有利な状況だぞ? 自首するわけないだろ。もっと言うならぁ、人間なんかを殺したって俺様が罪の意識を感じることはない」
人間なんか……ねぇ? お前も人間じゃないのかよ――いや待て。そもそも人間と決めつけるのは早計だ。
おそらくコイツは言い方からして別の種族。もっと言えば、人間にこんなことをするのは……。
「――な!?」
あまりにもあっけらかんとした男の態度にアイザワは驚愕の表情となる。
こんなもんで驚いてたら、きりがないぞ。そもそも罪を感じるような奴があんな簡単に殺すわけないだろ。
あの男は息をするように、虫を潰すように、当たり前に殺していたんだ。お前の呼び掛けなんかで変わる性格はしてないんだよ。
「それで、俺様の正体だったなぁ。おしえてやるよ。これが俺様の正体……だ!」
そう言って、男は惜し気もなく簡単にフードをとった。
血のように真っ赤な髪、相手を臆させる程の鋭利な目付き、獰猛な笑みが似合い過ぎるような男だった。
ここまでなら良かった。だが、男には人間と違う部分がある。それは額から生えた立派な一本角のことだ。
角があるということは、すなわちそういうことだろう。この種族は意図的に角を消せるらしい。
だからこそ、フードを被れたのだろう。だが、人間との差別化と優位性を誇示する為に、基本は角を生やした状態だと聞いたことがある。
「ここで自己紹介だ。俺様の名はバルムド。魔王軍幹部――魔族ナインの一角だ」
そう名乗った男――バルムドは、堂々と自分が魔族の幹部であると宣言した。
この宣言に対して、泣き出したり絶望する生徒が増加、教員も優秀な一部を含めて戦意喪失しかけている。
別に俺はコイツらを腰抜けとかは思わない。実力が違い過ぎるからな。むしろ蛮勇な奴が一番鼻につくし、早死にする確率も高いだろう。
それにしても、まさか幹部の登場とはな。それなら強いと感じた俺の直感にも頷ける。
とはいえ、現段階ではキリングタイガー程のプレッシャーや強さは感じられない。まだ本気を出してないことはわかるが、上限がわからないな。
魔族の幹部――通称魔族ナインと呼ばれている九人は、魔王軍最高戦力である……そうここ何年かで噂されており、その実力は未知数。序列の一番低い幹部でも特A級魔物――キリングタイガーの一つ上、S級魔物と同等である……と信憑性のハッキリしない噂が、各地でまことしやかに囁かれている。
「ま、魔族……まさかこんなに早くだなんて……。目的は何だ!」
アイザワにとっては予想外だったようで、目に見えて焦りを露にしている。
「さっきから耳に障る話し方だが、まあいい。耳の穴かっぽじってよぉ~く聞いとけよ? 簡単に言えば勇者の偵察だ」
「偵察……」
「魔王様から直々に賜った任務だ。そして俺様にこう命じられた『今後我々の障害となり得るような厄介な者なら…………殺せ』とな」
バルムドは冷酷な瞳に加え、並の者ならば背筋が凍りつくであろう笑みを浮かべて、嬉々とアイザワに伝えた。
なるほどな。つまりは、将来有望な勇者なら、早めに芽を摘み取り、命の灯火を消しておきましょう作戦! ということだな。
それは誠に残念だ。アイザワは十中八九助かる。
よ~くよ~く考えてみろ。アイザワみたいな奴が将来有望なわけないだろ。善悪の区別がつかず、気づかない間に犯罪者を助ける――そんな未来が容易に想像できるくらいだ。
「こ、ころっ!?」
アイザワは酷く狼狽している。殺す宣言されたらそうなる奴の方が多いからその反応は間違いではない。
「でも安心しな。その必要はないみたいだ」
やはりな。現時点では確実に放っておいても良い奴だからな。未来では誰にどう迷惑かけるかわからんけども。
「どういうことだ……?」
バルムドの言葉を聞き、アイザワはホッと息を吐き、張っていた肩を落とすが、疑問に思ったようだ。
鈍すぎるぞ。それともご都合解釈で無意識的に誤魔化してるのか?
「そのままの意味さ。つまり、お前のような勇者ならいつでも殺せるから問題ないということだ」
「――っ!? 舐めるなよ。オレは勇者なんだぞ。お前は絶対に後悔することになる!」
弱いのにプライドだけは一丁前のアイザワは、強靭な心が傷ついたらしく、悔しかったのか怒って反論した。
「ほぅ。言うじゃないか。あんなにも顔面蒼白で俺様にビビってたのによぉ。今は少し落ち着いてきたようだが、今も心臓バクバクだろお前」
アイザワの反論をバルムドはまったく意に介さず、馬鹿にしたような発言で挑発する。
「ビビってない……。オレが君ら悪の手先に恐怖を抱いてるなんて馬鹿なことを言うなら、今からオレが君を倒す!」
そんなちんけなプライド捨てちゃえよ。本当は逃げ出したくて仕方がない筈だろ? それとも自分がどれだけ無謀なことをしようとしてるのかわからない程馬鹿なのだろうか。
かなり手加減していた俺相手に、翻弄されて敗北したお前が勝てるわけないじゃん。
「良いのか? 折角今日は偵察だけの予定だから見逃してやろうと思ってたのによぉ」
この魔族、本当はいたぶりたいだけだろ。
その証拠にニヤニヤで溢れてやがる。
良いぞ、もっとやれ。そして戦う姿を見せろ。その為ならアイザワ一人、どう扱おうが構わん。
「当たり前だ! 人を殺した君を見逃すわけにはいかない! この先生にだって帰りを待ってる家族がいた筈なんだ……。それなのに!」
お、流石勇者。恐怖を蛮勇が上回ったか。
そうだな。可哀想だよな。敗北確定の戦いをこれからしなければならないお前は、も~っと可哀想だけどな。
「寛大な俺様がもう一度だけ訊いてやる。本当に良いんだな?」
「だ、駄目です! 今のアカシ君じゃ絶対に勝てません! 身の程を弁えなさい!!」
バルムドの問いアイザワが答える前に、王女が口を挟み、座り込んだまま、かなり大きな声で怒鳴りつけるように説教の言葉を送った。
「ステファニーさんは黙っててください。これはオレが決めたことなんだ!」
アイザワにとっては最後の助け船であろう言葉を自ら切り捨てるなんてな……。あーあ、馬鹿な奴。
ごめんな王女様。コイツを制御できる者なんていないよな。無理難題振って申し訳なかった。
同情なんて微塵もしないけど、苦労だけは伝わってくるよ。
それも召喚した者の責任であり、自業自得だ。甘んじて罰を受け続けてくれ。アイザワを召喚したことが、既に貴女へと課せられた罰なのだから。
まあ、これ以上迷惑かけるなら、ポイッと捨てれば良いさ。小さな小さな化けるという望みに託すなら、これからも多大な心労を伴いながら頑張ってください。……それも、ここで死ななければの話だがな。
「子供のような我が儘言わないで! 今の貴方じゃ逆立ちしたって勝てません! そんなに死にたいのですか!!」
王女はアイザワの言い分に、更なる苛立ちを見せる。
器が大きい王女だ。俺ならサクッとボコって気絶させてるぞ。
「あの女の言う通りだぜぇ。身の丈に合わないことはするもんじゃない。弱虫は弱虫らしく小さくなってるといいさ」
バルムドはニヤニヤ顔をし続け、煽りに煽る。
「人をどこまで馬鹿にすれば気が済むんだい。その残虐性と悪口は認められない。オレの全身全霊を持って君を倒してやる!」
とうとうアイザワがキレた。
『光よ、我を強くする輝きを身に纏え、属性強化』
先程までの恐怖に染まった表情は消え去り、怒りの形相と無謀な決意をし、詠唱完了と共に神々しい輝くオーラを纏ったアイザワが、ニヤニヤしたバルムドの頬を狙う。
「うおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
そして――
気迫の伝わる拳を思いっきり振り抜いた。
『闇肌・硬』
ガンッ!
「――ぐがあぁぁぁぁぁ!!」
痛々しい苦痛の悲鳴を上げたのは、殴られた方ではなく、殴った方――すなわち、アイザワだった。
この闘技場内の誰もが決まった――そう思っていた筈だ。バルムドは避ける素振りを一切見せなかった。未熟な者は、反応できていないと思ってしまうのだ。
しかし、結果は悪い意味で外れた。殴るのに成功したアイザワの拳が粉砕されたのだ――異常に硬い物を殴ったような鈍い音をさせると同時に。
バルムドは殴られる直前、詠唱破棄をし、魔法名だけを小さく声にして発動させたのだ。避けることもできた筈だが、敢えてそれをしなかった。アイザワを苦しめる為だけにあのタイミングで使用したのだろう。
詠唱破棄は高等技術。詠唱なしで魔法を発動させるのは難しいのだ。それは属性強化の非ではない。
ギルドランクで例えるなら、Aランクの一部とそれ以上の者が習得している技術だ。簡単に言えば、魔力コントロールとイメージ次第で習得できるかどうか決まるな。
現に俺は習得している。少し効果が落ちるという点がデメリットだが、自身が強い使い手ならば、あまり関係ない。
よって、アイザワは今無様に右手を左手で押さえて呻いている。
バルムドは、そんなアイザワの姿を嘲笑って見下していた。
「おいおいどうした勇者。俺様の頬を撫でるなんて誘ってるのか? 言っとくが、俺様はノーマルだぞ。アブノーマルは勘弁しもらいたいんだがなぁ」
「ぐそぉ」
相当硬い防御魔法のようだな。滅茶苦茶からかわれてるのに反論すらできないとは。
使用者がアイザワとはいえ、仮にも属性強化で攻撃力は上がってる筈。あんなに一方的に痛がるなんてな。
というか、痛がるのはわかるが、早くそバルムドの攻撃範囲から離脱しろよ。
「げはぁっ!」
あ、言わんこっちゃない。
アイザワが膝をついて、手を押さえたまま下を向いていた時、その隙だらけの顎をバルムドが爪先で蹴り上げたのだ。
アイザワは強制的に上を向かされ、後方に吹っ飛ばされた。
その直後、バルムドが『闇強化・速』と言い、追撃を加えようと床を蹴って、高速で飛ばされてるアイザワに追いつき、空中で踵をアイザワの腹に落とそうとしている。
だがその瞬間――
別方向から光・水・火属性の弾丸が一斉に、バルムド目掛けて飛んでいくのが見えた。