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花と蛇

作者: 夢田応介

 花を呑んでいるのか、と思った。


 口に含んだ途端、満開の花のように甘い香りが開くのだ。それを飲み下すと、アルコールの酒精が回るにつれて全身が春の精気に中てられていくような気がする。眠っていた細胞の一つひとつが、永い冬眠を終えて、いま初めて目覚めるみたいに。私の目はもしかしたら、手にしたお猪口の蛇の目模様のようにまんまるに見開かれ、潤んでいるのかもしれない。

 緑色のボールを軒先に吊るす古ぼけた蔵の前で、私は未知なる春に震え、立ち竦んでいた。


 お酒は昔から苦手だった。特に二日酔いの種になる日本酒は敬遠していた。職場の飲み会で日本酒党の上役に付き合わされ、酷い酔い方をしてからは特にそうだ。甘ったるく後に引く酒、そして年配の男性が好む酒、というくらいのイメージしか持ちあわせていなかった。


 「お気に召しましたか?」

 前掛けをかけた蔵人が、おかわりはいかがですか? と、にこやかに話しかけてきた。まだずいぶんと若い。

 「びっくりしました。あんまり美味しくって。それにこの香り……」

 「吟醸香、っていうんです。花のようなフルーティな香りがするでしょう。いま、若い女性にも人気が出ているんですよ。酒は生き物ですからね、つくりたて・搾りたての生酒の豊かな香りはこの時期でしか味わえません。試飲はいくらでもできますので、どうぞご自分のペースで楽しまれてください」

 そう言って誇らしげに一礼すると、彼は次の酔客の元へきびきびと歩いて行った。


 気がつくと、あたりはものすごい客で賑わっていた。年配の男性客ばかりでなく、夫婦連れや同年代の若い女性の姿もちらほら見える。甘い花には蜜蜂が集うものだ。弥生の寒の緩みに誘いだされ、たまたま古蔵の賑わいに行き当たった私は珍しい部類なんだろう。今まで花の味を知らなかった、蜜蜂のルーキー。


 人通りを避け、蔵の壁際に寄って、まだ潤いの残る蛇の目を舐める。

 酒蔵の名の入った蛇の目のお猪口を500円で買うと、新酒を飲み放題。あの味を思えばずいぶん気前の良い話だ。実際、蔵の周りはお祭り騒ぎ、通りを埋め尽くすようにさまざまな出店が田舎町を彩っている。

 この花の名前をしっかり覚えて、また来春、ここに呑みに来よう。今日いただいた蛇の目のお猪口をお供にして。

 そういえば、大酒飲みのことをウワバミというのは、蛇の目模様となにか繋がりがあるのかしら?

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