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Ⅱ.お砂糖とスパイス少々の男の子、雨の夜とカブトムシ

 わたし古屋七子(ふるやななこ)と、ウメくんこと古屋梅春(ふるやうめはる)は、ふたごである。わたしが先に生まれた姉で、ウメくんがあとに生まれた弟。

 ふたごには、顔がそっくりおなじなものと、普通の兄弟程度にしか似ないものの、二種ある。わたしたちはそのうちの後者、本来なら異なる顔に生まれてくるはずの二卵性双生児であるのだけれど、当事者であるわたしたちからしても、ウメくんとわたしの顔立ちは非常によく似ている。その証拠に、今まで出会った人たちの中で、わたしたちをふたごだと見抜けなかった人は一人もいない。いぬの散歩をする近所のおじいさんも、ハンカチを拾ってあげた学生服のお姉さんも、まるいほっぺたをしたいちぢく屋さんのおばさんも、出会う人たちはみんな、わたしたちが年子や、いわゆる普通の姉弟ではなく、ふたごであることを即座に見抜いてしまうのだ。

 今でこそ、男女で服装も髪型も違うから、ひと目で見分けもつくけれど、赤ん坊のころのわたしたちはまさしく瓜二つで、

「わたしがあんまりにも欲張ったから、一卵性双生児を器用に男女に生み分けてしまったんじゃないかと、疑ってかかったほどだったのよ」

 とはお母さんの弁である。(もともと、お母さんは男の子と女の子の両方欲しかったのだが、いろんな事情があって、子どもを生むのはほとんど諦めかけていたそうだ。奇しくもわたしたちはその願いを、いっぺんに叶えてしまったことになる。わたしたちは両親に強く強く望まれて生まれてきた、とても幸運な子どもなのだ)

 小学二年生のそのころ、ウメくんがどこかわたしに対して〝よそよそしい〟ということを、わたしは密かな悩みの種としていた。別段、仲が悪くなったとか、そういうわけではない。大きなけんかをした覚えもないし、水曜日になれば手を繋いで、いちぢく屋さんに出かける習慣も変わらない。でも、何かは確かに変わった。わたしたちが、幼い男女の姉弟としてはあまりにも、ことりのように睦まじすぎた、というのもあるかもしれないけれど、とにかくウメくんは、わたしといるとき何やらもの思いにふけって、うわのそらでいることが多くなった。目が合うことも、以前と比べてぐんと減った。

 そんなことははじめてだった。ふたごの弟であるという欲目を差し引いても、ウメくんは同じ年ごろのほかの男の子たちとは、ちょっと違ったところのある人だった。たとえばほかの男の子たちが、カエルやカタツムリや子いぬのしっぽでできているとしたら、ウメくんを構成するものの中にはお砂糖やスパイスもひとつまみ、混ざり込んでいるに違いなかった。今にして思えば、それはウメくんがかつて、メスの、ねこであったからなのかもしれない。

「ねえ、ウメくん、何かお話を聞かせて」

 わたしがそうねだると、まるで物語でも読んで聞かせるかのように、彼はいろんな話をしてくれた。

 たとえばあるところの、ねことことりのお話。

「ねこはね、そのことりのうたがとても好きだったんだ。たった一度でいい、そのくちばしにふれてみたいと、願う程度にはね。だけどふたりは生涯、出会うことは叶わなかった。ふたりがねことことりである以上、仕方のないことさ。相容れない運命だったんだ。だからねこはいつも、遠くで耳をすませていたよ。晴れた日の空のように、すんだうた声にね。そう、ねこは雨が、きらいだったから」

 たとえばあるところの、夫婦のお話。

「その女の人は、悪い男の人にとてもとても酷い目に遭わされて、おなかの中に望まぬいのちを宿してしまった。だけど、たとえ望まざるものだったとしても、一度は宿ってしまったいのちだ。女の人は赤ちゃんを生むか生まないかという、一世一代の選択を迫られることとなった。女の人はうんと悩んで、迷ったけれど、最後には生まないほうを選んだよ。生まないってことはつまり、そういうこと(・・・・・・)だ。それだけじゃない。おなかの中の赤ちゃんのいのちを吹き消す手術のせいで、女の人はほかの多くの人たちよりも、赤ちゃんを生むことが困難な体になってしまった。のちに彼女は幸せな結婚をすることになるけれど、大好きな旦那さんとのあいだにできた最初の赤ちゃんも、生きてこの世に生まれてくることはなかった。女の人は、毎日のように泣いて過ごしたよ。自分が殺してしまったあのときの子どもが、今も自分を恨んでいるに違いない。そう考えたんだ。そんな彼女を、旦那さんは雨の日も、晴れの日も、辛抱強く支えた。とても大変なことだったと思うよ、彼女は自分を責めるあまり、心を病んでしまっていたから。だからその女の人にとって、彼はいつまでもヒーローなんだ。たとえビールの飲みすぎで、おなかがぽっこり出ていたとしてもね」

 また別の日には、急にこんなことを言い出すときもある。

「ぼくはナナコとふたごでよかったと思うし、ふたごじゃなければよかったとも思う」

「どうして?」

 とわたしが尋ねると、

「確かに今は誰よりも近い。だけどいつか、離れなくちゃならないときがくる。ぼくたちはあまりにも近くに生まれすぎた」

 と神妙な面持ちで言うのだった。そういうときのウメくんは、

「わたし、ずっとウメくんといっしょにいるよ」

 とどんなに心を尽くして言葉をかけても、

「そういうわけにはいかないんだよ」

 と、さみしそうに笑うばかりで、取りつく島もないのだった。

 そんな調子で、ウメくんの話はわたしにはちょっと難しくて、怖いようなものも多かったけれど、わたしはいつも、ウメくんの息づかいひとつ聞き逃すまいと、彼の話にじっと耳を傾けた。そして、そうした話は最後にはすべて、

「ぼくはずっと、ナナコをさがしてたような気がする」

 という言葉で締めくくられるのだった。

 どうしてウメくんがそんなにいろいろなことを知っているのか、わたしには不思議だった。だってわたしたちはふたごで、おんなじ家でおんなじように育ってきたはずなのに、わたしはそんなにたくさんのお話を、することはできなかったから。弟のくせに、なまいき。と思わないでもなかったけれど、わたしはウメくんの、そういうとりとめもないような話を聞くのが、決してきらいじゃなかった。ウメくんはいつもぽつぽつと、春雨の降るような静けさで話した。言葉を紡ぐウメくんの、ふところ深くへもぐり込んでゆくような、わたしの耳元へそっとキスを落としてゆくような、うたかたの言葉、あまやかな少年の声。そのどれもが、わたしは好きだった。

 それがここのところは急にふっつりと押し黙り、もの思いにばかり耽るようになってしまったものだから、わたしはわたしの大好きなウメくんも、とうとう女の子には理解できない不可解な生き物であるところの〝男の子〟に、身も心もすっかり染まってしまったのではないかと、心配していたところだったのだ。

 その矢先の、唐突な告白だった。不思議なことに、前世がねこであったことを彼が明かしたその日を境に、わたしたちは再び、元のことりのような睦まじさを、急速に取り戻していった。ウメくんのわたしに対する〝よそよそしい〟もどんどん薄れて、ほとんど感じ取れないほどになり、やがてすっかり絶え果てた。

 だけど今度は、それと入れかわるようにして、これまで〝よそよそしい〟の陰に息をひそめていた、ウメくんの〝さみしい〟が、わたしの前に露呈されることとなる。ウメくんの〝さみしい〟は、わたしの耳に自然と聞こえた(・・・・)。声にならない、たまらないような切ないその叫びを、わたしは確かに聞くことができた。ウメくんが何をそんなにさみしがっているのか、それはわたしにはわからなかったけれど、〝よそよそしい〟がなくなっても、〝さみしい〟は依然として、ウメくんの中に張りつめた糸のようにあって、彼は決してその感情を口にすることはなかったけれど、わたしにはどうしたって、手に取るように〝さみしい〟が聞こえてきてしまうのだから、仕方がなかった。ウメくんの〝よそよそしい〟が〝さみしい〟に至るまでの一連の経緯をわたしが知ることになるのは、もう少しあとの話である。

 水曜日のいちぢく屋さん行きには、ウメくんがねこだったころの話を聞く、というおまけ──どちらかといえば、こっちのほうがメイン・イベントだったかもしれない──も、ついて回るようになった。グレーのとらねこで、瞳の色は明るいグリーンにヘーゼルのまだら、名前はミミ。子ねこのときに捨てられて、雨の夜、段ボール箱の中で濡れそぼっていたところを仕事帰りの若い男の人に拾われて、そのまま家に居つくようになった。好きなものは蒸し鶏と、拾ってくれた彼の膝の上。苦手なものは雨とカブトムシ。

「えっ、カブトムシ?」

 わたしは耳を疑って、思わず尋ね返した。だって、ゴキブリや蛾やムカデは苦手なわたしでも、カブトムシやクワガタムシは、さわれる。カブトムシやクワガタムシってそういう、ほかの虫とはちょっと一線を画する、威厳のある虫だと思っていたから。

「そう、カブトムシ」

 ウメくんはおかしそうに言う。

「今となっては笑い話なんだけどね。拾われてまだ間もないころ、彼が仕事から帰って来て玄関のドアを開けたら、彼といっしょにカブトムシも家の中に入ってきちゃって、部屋じゅうをブンブン飛び回って、そのときは本当にもう、怖かった。だって、それなりにおっきくてかさ(・・)もある、何か正体のわからない黒いものが、ハネやツノをそこらじゅうにガツガツぶつけながら、飛び回ってるわけでしょ、そりゃ、怖いわよ。わたしはそれまでカブトムシなんてものを見たことがなかったし、まだほんの子ねこだったしね。それでわたし、パニック起こして部屋じゅう駆けずり回って、彼の膝にしがみつこうとして爪を立てちゃったりなんかして、カブトムシがおとなしくなってもまだ彼のふところで、床の上をもそもそ這い回るカブトムシを警戒してた。彼は、ビールを飲みながら笑ってたな。お嫁さんは、早く外に出してよ、なんて文句を垂れていたっけ」

 そんなようなことを、本当にちょっとずつだったけれど、ウメくんは話してくれた。別に示し合わせたわけでもなかったけれど、お父さんとお母さんの前では、わたしたちはウメくんがミミだったころについての話をしなかった。それどころかウメくんは、たとえわたしと二人きりのときであっても、ミミだったころの話をするのは毎週水曜日、いちぢく屋さんの店先のベンチでおやつを食べているときだけと、頑なに決め込んでいるようだった。理由は、知らない。わたしはちょっとでも長くウメくんの話を聴いていたくて、なるべくゆっくりおやつを食べた。手を繋いで家路につくころには、ウメくんはもうミミ時代の話をしなかった。

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