とんかつ進入禁止
日が暮れてまもなく、老舗旅館岡田屋に、二人連れの客があった。
どうせ若い男女だろうと、直也が出ていってみると、案に反して、四十がらみの垢抜けた女と、その息子らしい十四、五歳の少年だった。
女は予約もせずに来訪したことを臆したふうもなく、空きがあれば二泊ほど泊めてほしいという。言葉は標準語であったが、聞き慣れないなまりがあり、声音は低く落ちついていた。目には媚びるような色があった。
直也は「ありますよ」と、簡潔に答えた。女のそぶりに気づかぬふりをしたかったからだ。すると女はうっすらと笑みを浮かべながら、ぺこりと頭を下げた。女の後ろに立っていた少年も同じように頭を垂れる。少年は春といっても暦ばかりで、雪があちこちに残っているというのに、コートも羽織らず黒い学生服姿だった。寒さで頬を染め、弓形の美しい眉根を寄せている。端正な顔立ちだった。
「あーくん、ここに泊まろうね」
さっさと旅館の入り口で靴を脱ぎながら、女が甘い声を向けると、それまで飄然と立っていた少年もあがり框を跨いだ。
宿帳を差し出すと、女は思いのほか流麗な文字で、山口県光市奥特曼七ハ 桐島文、蒼と書いた。文はふみと読むのか、あやと読むのか。あーくんというからには、蒼はあおでよいのだろう。
「ずいぶん遠くからお見えになられたのですね。お疲れさまでした」
直也は軽く頭を下げながら、二人の様子を窺った。近隣に景勝地を控えてはいるものの、目立たない和風の宿を、山口から訪ねてくるのは珍しい。それにどことなく陰鬱な雰囲気をまとっていて、どうみても物見遊山の旅とは思われない。商売柄、客を詮索しないのが決まりだが、気にかかってしまうのだから致し方ない。
「ご予約いただいたわけではないので、夕食は簡単なものしかご用意できませんが、何かご希望がございますか」
あらかじめわかっていれば懐石料理を出すのだが、この二人連れがそんな料理を期待しているようには思われなかった。とはいえ二泊というからには素泊まりと決めてかかるのも気が咎める。
「この子はとんかつが好物なんです。お願いしていいかしら」
直也はさっと奥の厨房に目を走らせた。確か仕入れたばかりの三元豚の分厚いロースがあったはずだ。
「承知しました。お部屋のほうへお持ちしましょう」
少年が目元を緩めたのが判った。それを見て女も目を細める。
明日であれば懐石料理を用意できると伝えたのだが、やはり夕食はとんかつがよいという。それならと、幾分安めの宿代を提示すると、女はほつれ髪を指で直しながら、興味がなさそうに財布から札を引き抜こうとするので、精算は後でよいと慌てて言い足した。
心中でもされたら困るという思いが頭をかすめていたのだが、とんかつと心中ではどうにもつり合いが取れない。きっと思い過ごしだろうと直也は自分を納得させた。
女の小さなボストンバッグを持って、二人を部屋へと誘導する。鞄は予想外に軽かった。
「いやな客だと思っているのでしょ。顔に描いてあるわ」
女が嫣然とした笑みを浮かべていった。その後ろで息子が強い視線を向けてくる。
「いいえ、そんなことはありません」
直也はしどろもどろにそう応じると、「わかるのよ」と女がなおも言い募る。直也はそれをどうにか黙殺して二階の西側の部屋に招じ入れた。座椅子を引いて二人を座らせ、茶菓子と急須の載った盆を女のほうへ引き寄せた後、浴衣の在り処と窓外の景色をひと息に説明する。直也は流れるようにそこまでをやり遂げてから、女の目を覗き込むようにしていった。
「お客様をいやだとは思っておりません。ただ、どういった事情でお泊りなのかは気にはなります」
「そうでしょうとも。でもややこしいから説明したくないわ。ただ、心中したりすることはないから心配しなくて大丈夫よ」
女はにっと笑って顔を突き出した。直也には、それが女の元来持っている子供っぽい資質のあらわれなのか、とことん計算づくの打ち解けた仕草なのか判断がつかなかった。ただはっきりしているのは、女が何も語るつもりがないということだった。
直也は軽く頭を下げて黙って部屋を出た。さして悪い気はしなかったが、ややこしい事情というのを少しばかり思案した。ともかく料理長には腕によりをかけてとんかつを作ってもらおうと思った。
*
翌朝、朝食をとると、桐島母子はどこかへ出かけて、夕方に戻ってきた。具合が悪い様子には見えないが、女は息子の腰に手をまわして、いたわるように耳元で何かを囁いている。やはりどうみても近隣を観光してきたようには見えない。入口で鍵を渡すとき、女とちらりと目を交わしたが、沈んだ面持ちで、かまってくれるなと顔にかいてある。相変わらず息子のほうは黒い学生服姿で、氷のような無表情で一言も発しない。
「お食事は七時にお部屋でよろしいですね」
そそくさと階段を上がっていく二人の後ろ姿に向かって直也が尋ねると、女は振り返って口の端だけを上げて小さく頷いてみせた。
昨日は大ぶりのとんかつを二人とも残さず食べていた。女には多すぎるぐらいの量だったから、息子が余りを食べたのかもしれない。さすがに二日続けてとなると、胃に凭れると思うのだが、希望とあればやむを得ない。
直也は桐島母子のことが頭から離れない。女は歳のわりに所帯じみたところがなく、これまでどんな人生を送ってきたのか、得体のしれないところがあった。息子もしかりで、寡黙で存在を消すように母親のそばを離れない柔弱さはどこか作り物めいていて、突如豹変しそうな猛々しさを秘めているようにも思われた。ともあれ、今日は無事に帰還し、近くにある東尋坊や越前岬を死に場所にすることはなかったわけだ。
だが、そう安堵すると不思議なもので、にわかにとんかつを二日連続で食べることが、深遠な謎に思えてくる。二晩続けてとんかつを食べるというのは、いかなる理由によるものか。此処が有名な豚の産地であるわけでもなし、ましてやとんかつが旅館の名物料理でもない。確かに好物であれば、何度でも続けて食べておかしくはない。けれども、せっかく遠方から北陸のこの地に来たからには、蟹や烏賊といった海産物を食べるのが一般的ではないだろうか。
なぜ、とんかつなのか。
直也には、ただ単純にとんかつが好きであること以上の何かがあるように思われた。
幸いにして、春の行楽シーズンのピークはまだ少し先のことだし、近くにある大学の受験は終わっている。関西に続いて最新医療の国家戦略特区に指定されたおかげで、その関係者が大挙して押し寄せることもあるのだが、そういったイベントも今はない。要するに、泊り客の対応に大わらわ、という状況ではない。もっといえば暇だった。
直也は、今日の夕飯は仲居に任せず、自らが配膳しようと心に決めた。あの母子のことをもう少し知りたいと思ったのだ。
*
七時少し前、直也は母子の部屋を訪ねた。昨日のとんかつはすりごまとソースだったが、今日はヒマラヤ岩塩とおろし大根も用意している。
あらかじめ仲居が電話をかけてあったので、ドアをノックすると、女は「どうぞ」とすぐに応じた。部屋に入ると、おや、という顔付きをしたが、構わず一礼して、膳を並べた。お椀にご飯を盛るまで、母子は終始黙ってその様子を眺めていた。
直也は母子がとんかつを二日続けて食べた理由について、自分なりに推理していた。意を決して、それをまっすぐに女にぶつけてみる。
「もしや息子さんは大本山の雲水になられるのでしょうか」
女は一瞬きょとんとした顔をしたが、すかさず苦笑いして息子に尋ねた。
「あーくん、雲水ってわかるかな」
「知らない」
息子がそっけなく答える。禅宗の修行僧を雲水ということを、今では若い人ばかりか壮齢の人でも知らなかったりする。直也にしたところで、ここからバスで半時間ほどの山中にある曹洞宗の大本山があるから知っているに過ぎない。年々減ってはいるものの、春になると黒衣をまとって剃髪した若者が岡田屋に泊まることがあった。彼らはその高名な古刹に入門を志す者たちだった。今年もその季節をまもなく迎えようとしていた。
「お坊さんになるのかと聞かれたのよ」
女はさもおかしそうに息子にそう説明した後、直也に向かっていった。
「蒼はまだ中学を卒業したばかりです。雲水など、思いもよらぬことです」
直也は見込み違いを残念に思ったが、それよりも女が気を悪くしていない様子なのでホッとした。息子のほうはさっそくとんかつに箸をつけている。
「得度さえ済ませていれば、中学卒業で入門を許されると聞いたものですから、さてはと思いました。これはとんだ失礼をいたしました」
「わたしたちがとんかつを希望したのは、この先息子が精進料理しか食べられなくなるからだと思ったのかしら。なるほど、着眼点は素晴らしいわね。そう、確かに明日以降、わたしは彼にとんかつを食べることを禁じているの。好物であってもね」
女は息子を見ながらいった。
少年は、黙々と箸を運んでいた。彼の美しい眉根や双眸には、はっきりと孤高を持するところがあり、直也に話しかける隙を与えない。よしんば話しかけられたとしても、無言で通すことは難なく予想できた。
「わたしには、とんかつを食べられない事情というのを思いつきません」
直也は自問自答するようにいい、首を横に振りながら、女の顔色を窺う。
「修行ではありませんが、明日でこの子とはしばらく離れ離れです。わたしは山口に戻りますから」
不可解なことをいう。一体どういうことなのだろう。息子だけ、この地にとどまるというのか。まだ十五歳やそこらでは、就職したというのではあるまい。とんかつばかりでなく、彼らの行動そのものが謎めいてきた。
女にはどこか浮世離れしたところがあった。息子が中学を卒業しているのだから、四十前後に違いないのだが、世間擦れしていない。若くはないのだが、男好きのする愛嬌があり、放っておけないところがある。専業主婦には見えないから、何かの職についているはずだが、何をしているのかあたりがつかない。
「それはさぞ寂しいことでしょう」
「はい、身を切られるような思いですが、仕事がありますから」
直也の言葉に女が悲しそうに頷いていった。
「お仕事は何をされているのですか」
立ち入った質問なので、答えてくれないかもしれないと覚悟して尋ねてみる。
「ああ、近くの大学で教鞭を執っています。専攻は文化人類学です」
小料理屋の女将といわれても納得する艶麗な雰囲気を醸しているが、大学の先生と聞くと、それはそれで腑に落ちるところもあった。
少年を見ると、いつのまにかとんかつを半分近く平らげていた。塩が気に入ったようで、角に少しずつつけては口に運んでいる。長居をするようでは、旅館の品位に関わる。直也は、畳に手をついて、ごゆっくりといった。
まさに退出しようとするとき、後ろから女がいった。
「わたしが気にしているのはカニバリズム、人食いのこと。わたしにその知識がなければ、息子はとんかつを食べ続けていたかもしれない」
直也はぎょっとして振り向いたが、部屋に戻るわけにはいかない。女の諦観めいた微笑に、目礼を返して部屋を辞した。
あくる日、二人は朝食もそこそこに旅館を後にした。
*
それから一年近く経った翌年の真冬のある日、女が髪に雪をつけて、ふらりと一人で訪ねてきた。あれからというもの、直也は、女の言葉を何度も思い返し、とんかつの秘密をあれこれと考えてみたが、これという答えは見つからなかった。
女は相変わらず若づくりで、そのうえ以前と違って顔色がよかったので、いっそう艶やかにみえた。
「息子を迎えにきたのですが、ここで待ち合せたいというものですから」
聞けば、息子はあれからずっと入院していたが、今日退院なのだという。あの時は禅門に入るのかと勘繰ったが、男とは思えぬ華奢な体つきだったから、病気だったというのなら合点がいく。息子からのメールでは、退院の手続きはすべて自分がやるから、去年の宿で待っていてほしいとあったという。
「じゃ、お夕食はご一緒ですね。そうしたら……」
女は急に難しい顔をして黙り込んだ。迷っている様子だった。
そこへちょうど息子が現れた。体つきはさほど変わらないが、目を合わせるのを避けていた去年とは違い、まっすぐと直也を見ていった。
「その節は大変お世話になりました」
如才なく体を折り、直也に礼をいうと、その顔を母親に向けた。優しい眼差しだった。
「母さん……」
「よかったわね。やっと退院できて」
女が眩しそうに息子を見ていった。美しい顔立ちは依然のままだが、凛とした男らしいものに変わっていた。もはや少年ではなかった。
「とんかつを頼んでくれたのかな。ここのとんかつは最高なんだ」
「いま、どうしようか迷っていたのよ」
息子が女の目を覗き込むようにしていった。
「この宿にした理由をわかってほしいな」
女は直也をみて肩をすくめていった。
「では、お願いします」
「それでは、腕によりをかけて」
直也が応じると、息子が直也のほうを見て挑むようにいった。
「おじさんが持ってきてくれますか」
「承知しました」
「そのときぼくが、とんかつの謎についてお答えします」
女が諌めようと口を開いたが、諦めたのか言葉を飲み込んだ。
息子の目が笑っている。
*
「母は共食いになることを恐れたんだ」
息子は配膳されるとすぐに、とんかつを箸でつまんでいった。
直也が意味をわからず黙っていると、「ノックアウト豚」と頬張りながらいう。
「ぼくは不治の病に罹っていました。どことはあえていわないけど、重度の臓器疾患だったのです。ぼくを僅かでも救える可能性があるのは先端医療センター。そう、この土地が医療国家戦略特区に指定されたときに開設された、最新鋭の病院だけでした。だからぼくと母は、山口から一緒に出てきたのです」
そうだったのか。靄が一気に晴れた気がした。
「ぼくは臓器移植を受けなければ助からなかったのですが、ぼくの条件に合致したドナー、すなわち臓器提供者を、なかなか見つけることができませんでした。ぼくに残された時間はさほど多くなく、確実に移植するためには、ノックアウト豚を利用するしかなかったのです。そして、それが実行可能なのが、先端医療センターだったってわけです。ええっと、おじさんはノックアウトマウスも知りませんか」
「ノックアウトマウス……」
ボクシングのノックアウトなら知っているが、ノックアウトされた鼠は知らない。直也は首を横に振った。
「遺伝子ノックアウト法という技術があるのです。治療に使われた豚を例にあげて説明します。まず豚の卵子を取り出し、体外受精で受精卵を作って、胚盤胞と呼ばれる子宮内膜に着床できる状態まで培養します。その状態で欲しい臓器を作る遺伝子を壊して、豚にはその臓器が作れないようにします。ここにヒトの多能性幹細胞を注入し、豚の子宮に戻して出産させると、生まれた豚の中にヒトの臓器が作られるのです。この方法なら、臓器提供者がいなくても、自分由来の幹細胞を使って、欲しい臓器を手に入れることができます。豚はヒトと大きさが近いうえに、成長が早いので、時間がないぼくにとっては、まさにうってつけの方法でした」
そうか、それで豚を食べることが禁忌となったのか。共食い、なるほどそうかもしれぬ。直也は心のなかで首肯した。しかし、息子がこれほど雄弁だとは思わなかった。わずかに色白の頬を紅潮させている。
「なんだかSFのようなお話ですね。つまり……、豚に自分の臓器を作ってもらって、出来上がったところで移植したということですね」
「そのとおりです。だから、ぼくの体の中には豚がいるのです」
息子が挑むようにいって微笑んだ。
「こら、蒼、そんなこと、いわないの」
女は息子をたしなめた後、直也のほうを向いていった。
「この一年、どれだけ気を揉んだことか。藁にも縋る思いだったわ。わたしはシングルマザーで、蒼には父親がいないの。だからというわけではないけれど、絶対に死なせるものかと思ったわ。実はあの後も入院している蒼を訪ねて何度もこの土地を訪ねてきていたのよ。でも、なんというか……、お宅に泊めていただくのは、蒼が快癒したあとで、ふたり一緒に、って思っていたのね。だから、この日を迎えることができて、本当に嬉しい」
女が目をしばたたかせて、語尾を詰まらせた。
「そうでしたか。何と申し上げてよいやら。何はともあれよかったですね」
直也は女の心情を慮って、静かにいった。すると、「母さん、続き」と、息子のからかうような底意地の悪い声があがった。
「あーくん、どうしたというの」
「ひとりで感傷に浸らないでくれよ。おじさんへの説明はまだ不十分だよ。続きは母さんがすべきだ。それと……、その呼び方はもうよしてくれないかな」
女は少し寂しそうな苦笑いをして、直也のほうを見た。横座りしたスカートの裾が少し乱れて、白い脹ら脛がちょっと覗いている。
「蒼がいうとおり、ちゃんと話さないといけないわね。そう、わたしがあの日以来、蒼にとんかつを禁じたのには、もう少し理由があるの」
「というと」
「わたしが大学で教鞭を執っていることは以前にお話していたわね。文化人類学を専攻しています。で、カリバニズム、いわゆる人食いの風習にも多少の知識があるの」
「ああ、それで、豚に作らせた内臓をもっている蒼君が、豚を食べると共食い、つまり、禁忌を犯してしまうと、思ってしまったのですよね」
「まぁ、そういう心理的な理由もあるのだけれど、もっと直接的な危険性を孕んでいると考えたのよ」
女はそこで間をおいて、考えをまとめようとしたのか、唇を舐めた。それから、さもいま気がついたかのように、目の前のとんかつを箸でつまんで、大きなまま口のなかに放り込んだ。女の咀嚼する様子を直也は黙って見つめた。何だか淫らな感じがした。
「狂牛病はご存じよね。牛の脳の中に空洞ができ、スポンジ状になっていく死病。似たものに、羊や山羊のスクレイピーという病気もある。人間では、狂牛病の牛を食べて罹るクロイツフェルト・ヤコブ病や、パプア・ニューギニアのフォア族という種族に蔓延していたクールーという病気が有名ね。ここで、クロイツフェルト・ヤコブ病を除いて、これらの病気には共通点があるの。それが共食い。狂牛病やスクレイピーは、牛や羊に自分たちの肉骨粉を食べさせたのが原因だし、フォア族は、人食いの風習があったのよ。そして、いずれの病気も、共食いをさせないようにしたら、幾何級数的に罹患者が減少したわけ。つまり、哺乳類の場合、共食いは脳をスポンジにする可能性があるってことなのよ」
自分の息子の脳がスポンジのようになり、理性が徐々に失われ、最後は無動無言の廃人になって死んでいくとしたら、それはきっとたえられないことだろう。女が恐怖したのはよくわかる。
「おじさん、納得しないでよ。母さんの仕掛けた陥穽にはまったら駄目だ。だって、ぼくの臓器はぼくの幹細胞から出来たのは間違いないんだからさ。たまたま育ての親が豚だっただけ。だからぼくが豚を食べても何ら問題ない。心配性の母さんの世迷言だ。それに、母さんは学者だけど、医者でも科学者でもない。共食いで脳みそがスポンジになるというのも科学的な論拠があるわけじゃないんだ」
息子が得意げにいって、とんかつの最後の一切れを口に運んだ。
色白の頬をピンクに染めた彼は、直也には人とは違う生き物を連想させた。彼の端正な顔が滲むように溶けて、広がっていく。
女は、そんな息子の様子を目を細めて眺めている。
直也はぞくりとして、静かに唾を飲み込んだ。




