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影法師  作者: ジュゴン
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第一話「躍る影」



 数人の女生徒が正門へと向かって歩いている。部活動の帰りであろうか、楽しそうに談笑していた。彼女達の影が、夕日に照らされて長く伸びている。

 ふと、その内の一人が、門の傍に立つ茶髪の少年の存在に気づいた。少年は俯いたまま、少しも動かない。女生徒達は気にせずそのまま通り過ぎたが、その少年は通り過ぎて行く彼女らの姿を追った。

 不安げな色を浮かべた少年の双眸。常人とはかけ離れた、渦の文様を浮かべる真紅の双眸。それが映していたのは彼女達自体ではない――その背後に現れた、黒い影だった。

 その影の正体は、異形の生物だった。獅子の様な身体をしているが、目は血走り、鋭利な牙を持っている。本来ここに在るべきものではない事は、一目了然だった。獅子の姿をした化け物は、女生徒達に向かってゆっくりと動き出していく。

 はっとして少年は瞬時にその両手で印を結び、焦らず言い漏らさぬよう呪文を唱える。途端に彼の足元にあった黒い“影”がぐにゃりと歪んだかと思うと、奇怪な文字で孤を描き、方陣が顕現した。

 黒い方陣は一直線に獅子の化け物に向かって真っ直ぐに伸びる。それは、女子生徒の頭部に喰い掛かろうとした獅子の化け物の影に合わさった。

 寸でのところで化け物は動きを止めた。いや、“身動きが取れなくなった”と言うのが正しいだろう。

「結城の名において……魔を滅す!」

 両手を方陣に置いた次の瞬間、彼の影が具現化し、化け物の身体に覆い被さるようにして影の波が襲った。黒に呑まれたその化け物は苦しそうな呻き声を上げながら、完全に影の中に消える。

 影が少年の元へと戻ってきた時には化け物の姿はなく、代わりに漆を塗った様な硝子玉が転がっていた。少年は黒玉を拾い上げると、大きく深呼吸する。

「……よ、良かった、終わった……」

 少年――飛龍(ひりゅう)は緊張が途切れたのか、その場に座り込んだ。

 素性を知らない者からすれば、彼が何をしているのか、何を恐れているのかなど全く分からないだろう。しかし、彼の行動は、人々の見えないところでその安寧の手助けとなっているのである。

 だからと言って、飛龍はその事を誰かに話すなどということはない。自身の功績を讃えてもらおうという気もない。ただ、彼自身もまた、その安寧の中で一般市民として過ごしたいと思っているだけなのだ。

 体の震えを止めて、飛龍はゆっくりと立ち上がった。

「……早く帰って、今日はもう寝よう」




 飛龍はすっかり暗くなった夜道を歩き、自宅へと辿り着いた。

 彼の家はこの町でも特に大きな家で、耳を澄ませば鹿おどしの音が聞こえてくるような、今の時代にはあまり見られなくなった武家屋敷のような造りをしている。外灯がちかちかと点滅しているのを横目に見ながら、正門をくぐる。

 足音を立てないようそっと玄関の前へとやって来た飛龍は、ゆっくりと戸を開いた。

「飛龍! 遅いではありませんか!」

 戸が開いたのとほぼ同時に、大きな声が響き渡る。飛龍はびくっと肩を揺らしながらその方向に目をやると、玄関先には一人の女性がいた。歳は六十代かそれ以上に見えるが、背筋がぴんとして真っ直ぐであり、高齢でありながら若々しく見える。白髪を後ろでお団子結びにし、向日葵の刺繍が施された青色の着物を着たその女性は、腕を組み、仁王立ちしていた。

 今が夜である事を思い出した飛龍は、慌てて玄関の戸を閉める。

「お、お婆ちゃん……近所迷惑になるから、夜はあんまり大きな声を出したら駄目だよ……いつも言ってるじゃないか……」

「何を言いますか! 私はお前の事が心配で仕方ないですよ!」

 逆に説教をくらい、飛龍はばつが悪そうな顔をする。それだけにとどまらないようで、祖母の菊代(きくよ)は更に言葉を続ける。

「まったく! こんなに声も小さくて臆病な子が、これから本当に影法師の仕事をしていけるのか不安で不安で……」

「お、俺! ちゃんと影法師の仕事をこなしてるよ! さっきだって、ちゃんと一体退治したんだから……」

 ポケットから黒玉を取り出した飛龍は、それを祖母に渡す。それを目にした途端、彼女の表情が一変した。この封印された玉を見るのは彼女も初めてではない。しかし、この玉に封じ込められている獅子の紋は、《影法師》としての仕事を初めてからまだ日が浅い飛龍には退治が難しい筈の妖魔だった。

 獅子魔は菊代がまだ現役であった頃、自らが囮となって、共に戦っていた同志に討たせた妖魔であった。妖魔の気を逸らせば勝機はあるが、たった一人で封印するには少々骨が折れる相手である。

 低級の妖魔ならばまだしも、この妖魔は中級に値するもの。それを一人で、且つ退治するに至るとは、菊代にはどうしても信じがたかった。

 菊代は、彼の顔を見ては、玉を見るという一連の動作を何度も行う。

「まさか……獅子魔を退治しただなんて……!」

「俺にだって、それ位は出来るよ……じゃあ、疲れたから、もう寝るね……」

「ちょ……ちょっと待ちなさい!」

 菊代は、自室へと向かおうとした飛龍の制服の裾を引っ張り止めた。その双眸は先程までの驚愕のものではなく、真剣な眼差しである。いつもと様子の違う祖母の様子に、飛龍は戸惑った。

 祖母の翡翠色の瞳が、同じ色をした飛龍の瞳をしっかりと捉えている。

「獅子魔を退治したのは認めましょう。ですが、お前はまだ継承者になってから間もない。……少し早いですが、お前に《闇斬り》をつける事にしようと思います」

「や、闇斬り……?」

 祖母の口から出た聞き慣れない言葉を、飛龍は反復した。

「闇斬りとは、影法師を護る護衛役の者達の事です。日本各地に四つの里を持つ闇斬りは、代々、影法師と共に妖魔退治を行ってきました。これを伝えるのはもう少し先の予定だったのですが……まあ、良しとしましょう。ちょうど私の知り合いに闇斬りの者がいるから、彼に頼んでみる事にします。良いですね?」

 そう言ってから菊代は手を離し、踵を返して自身の部屋へと帰って行った。

 飛龍は祖母の言った《闇斬り》という単語が頭の中を巡り続け、脳内で木霊していた。詳しい話を聞こうとも思ったが、そこをぐっと我慢し、彼は明日に備えて寝る事にした。


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