(1)
エーテルの風が吹いていた。
東の山から吹き抜ける強い風に、王都の城壁周辺の小麦畑にいる人々が嬉しそうに目を細める。「今年一番の風だ。神様のお心遣いに感謝しなければ」と口々に呟いては、吹き下ろす風に混じる光に手を伸ばし、絡め取るような動きと共に魔法の言葉を編み込んでいく。
空に浮かぶものと云えば、太陽と月。
あるいは、光の網。
暁の空にはうっすらと、蜘蛛の巣のように細かな線状の光が走っていた。季節や天候で光の加減は変わるものの、夜になれば、星々の輝きと見事なコントラストを見せる。ただし、光の網は星々ほどに遠くにあるものではない。
大陸の中央部には、天を突くほどに巨大な世界樹が存在する。
光の網とは、世界樹から伸びる無限の枝葉の事だった。
再び、強い風。
光の網から零れ落ちたエーテルを、その風が地上へ運んでくる。
冬の終わりを告げる長雨は昨日まで続いていたが、これでようやく本格的な春が到来した。世界樹はこれから大いに芽吹き、光の網はそれと共に活性化する。世界中がむせ返るぐらいのエーテルで満たされるのだ。そうなれば、人も獣も、モンスターも、生きとし生けるもの全てが活気付く。
大陸の西端に位置するカイナン王国では、日の出と共に起き出した民の多くが、世界樹の存在する方角に向けて手を合わせる。
世界樹は神と同義のものであり、大陸における唯一無二の信仰の対象になっているからだ。
「ユーマ」
ここに信仰を持たない少年がいる。
名前は、ユーマ。
ユーマ・ライディング。
彼はずっと夢を見ていた、とても長く――。
長過ぎて、目覚めの時には忘れ果ててしまうような夢を――。
「いい加減に起きなさい」
ユーマは額をピシャリと叩かれて目覚める。
その衝撃で、眼鏡がずり落ちた。
束の間、ユーマはここが何処だったか忘れて、ぼやけた視界のまま周囲をきょろきょろと見渡した。一面に広がるは、新緑の草花。王都の城壁は彼方にある。ここは草原のど真ん中であり、城下町から小一時間も歩いた所にある木陰にて、夜明け前からその時を待ち続けていたのだ。
現状を理解すると共に、ユーマは眼鏡を掛け直した。
それから、そっと額を押さえる。
「……痛い」
「あら、非難できる立場なの? 私はきっちり起きていたのに、ユーマは待っている間にうとうと寝てしまった癖に。せっかく親切で起こしてやったら、不満そうな顔をするなんて……」
「わかった。うん、わかったよ」
放っておけば、彼女の小言は延々と続く。
「悪かったよ、ごめん。……これで良い?」
「そう。素直がよろしい」
にっこりと微笑んだ彼女の名は、アレティア・ライディング。
美しい金の長髪と碧眼の持ち主で、街中で擦れ違う者達が思わず振り返るだけの器量良し。
ユーマとは同じ十六歳の子供でありながら、大人びた魅力を兼ね備える彼女は、己の武器をよく自覚している。至近距離の笑顔には、時々、付き合いの長いユーマですらドキリとさせられる。
二人は、幼なじみ。
あるいは、かりそめの兄妹である。
その昔、大きな戦争があった。二人がまだ赤ん坊の頃である。ユーマは、両親の顔を覚えていない。アレティアもそれは同じである。戦争は幾つかの国を滅ぼして終わり、ユーマとアレティアのような戦災孤児をたくさん生み出した。
二人は物心付く前に、カイナン王国の孤児院に保護された。
同じような境遇の子供達と共に、それからずっと一緒に暮らしている。
ユーマとアレティアに共通するライディングというファミリーネームは、孤児院の子供に一律で与えられるものに過ぎない。ファミリーネームが同じだからと云って、血の繋がりがある訳でもないのだ。
「ねえ、ユーマ」
アレティアから袖を引っ張られる。
「……なに、レーテ?」
「ボーっとしてないで。まだ眠いの?」
口調こそ厳しいが、彼女の機嫌は良さそうだ。
「ほら、聞こえない?」
そう云われて、ユーマもようやく気付く。
ズシン、と――。
地響き。
遠くから聞こえるのは、幾つもの足音だ。
だが、人間のものではない。軍馬の大群だろうと、さすがにこれだけの地鳴りは起きない。それでは何かと云えば、もちろん、考えるまでもなかった。ユーマとアレティアは事前に、本日の明け方、カイナン王国の騎士団がこの街外れの草原で演習を行う事を調べておいた。
小高い丘を越えてやって来るのは、騎士団の精鋭達である。
すなわち、正式に叙勲された騎士とその〈剣〉である。
「わあ、恰好いい」
秘密の演習を盗み見ている事がばれると、怒られるだけでは済まない。ユーマとアレティアは素早く木陰に隠れていた。騎士団の面々が間近に迫って来た事で、地響きはさらに激しさを増していく。盛大に歓声を上げてみた所で、ユーマとアレティアが気付かれる事はないだろうけれど、二人はそれでも口元を押さえる。顔を見合わせ、それから悪戯っ子の笑みを同時に浮かべ合う。
この王国――。
否。
この世界に生きる者ならば、誰でも憧れるもの。
騎士は絶対のヒーロー。そして、彼らの〈剣〉となるものと云えば、揺るぎない力の象徴である。ユーマとアレティアの見つめる先には、騎士の〈剣〉たる巨大な兵器が堂々と整列していた。
――戦術級魔法兵器〈ゴーレム〉。
さながら、神話に登場する巨人。
エーテルフレームと呼ばれる内骨格から溢れ出した光――すなわち、この世界を構成する三大要素の第一にして、魔法の源でもあるエーテルが、花吹雪のように風に舞っていた。
幻想的な景色の中で、ゴーレムが二つの陣営に分かれて対峙する。
エーテルの風が、さらに強く吹き抜けていく。
そして、戦闘が始まった。
◇
剣と魔法と、巨大なるゴーレムの世界。
ひとつの大陸と四つの神、現在は十二の王国から成るこの世界が、オグドアスという名で呼ばれるようになってから千年以上が経過している。オグドアスの歴史を紐解けば、果たして人の業か、国家間の戦争はいつの時代も欠かざるものとしてあった。
人は争いと共にあり、争いはゴーレムと共にある。
今、巨大な刃が交錯していた。
澄んだ青空を背景に、打ち合わされるイアスピ合金の火花が散る。
ユーマとアレティアは固唾を呑んで、ゴーレム同士の模擬戦を見守っていた。こんな機会は滅多にないものだ。気が付けば、両手の拳を固く握り込んでいた。春が近いとは云え、まだまだ寒いぐらいだ。それなのに、汗ばんでいる。こんな風に迫力ある戦闘風景を間近で見るチャンスはそうそうないのだから。興奮は否応なく高まるばかりだった。
「ユーマ、来るわよ」
アレティアが黄色い歓声を上げる。
ユーマも一瞬叫びかけるが、両手を握り締めるだけに留めた。
大勢のゴーレムの中で一機だけ、戦闘開始の時点からまったく動きを見せないものがいる。
カイナン王国は、オグドアスの辺境に位置する。
国力のあらゆる点で、弱小と云われて仕方のない国である。
カイナン王国の騎士団における、現在の主力である量産型ゴーレムは〈バイダス〉。
数十年も前に製造開始されたバイダスは、その当時は近隣諸国に一躍名を轟かせる事になったという程の名機である。だが、今となっては旧式の汚名は拭い難い。実際、近年は隣国の最新鋭機に連戦連敗の有様だった。
もはや、安定性が売りの時代は終わったのである。
丸みを帯びた重厚なフォルムのバイダスは、濃緑色のカラーリングも相まって、「大きな亀」と例えられる。かつては鉄壁の守りを意味する褒め言葉として使われたが、現在では、のろのろと鈍重な動きしかできない事に対する皮肉になっていた。
ゴーレムとその主たる騎士は国家を象徴するものだ。
王国の民は彼らの活躍に一喜一憂する。隣国との小競り合いで惨敗したと聞く度に、これまでさんざん悔し涙を流して来た。誰もが、夢と希望を託すに足るバイダスの次を待ち望んでいる。
「あれが、噂の……」
「動いた! 戦うみたいよ」
ユーマとアレティアの視線が釘付けになる。
次期正式量産型計画、第一号機。
試作型特別機〈レーベンワール〉。
それは、黒一色の機体。
華奢、である。見る者に不安を掻き立てるぐらい、歪に、肩部や腕部の一部が肥大化していた。それに対して、腹部を始めとして異様にか細い箇所が多い。何よりも驚くべきは、エーテルフレームが一部剥き出しになっている点だった。
本来であれば、エーテルフレームを覆い尽くす形で重厚な外装が用意される。例えるならば、人間で云う所の生身がエーテルフレームであり、外装は、身を守るための鎧だった。
弱点をさらけ出すに等しい、挑発的なフォルム。
一方で、不吉。
まるで死神のような雰囲気のレーベンワール。
エーテルフレームを露出するのは、それだけの出力を発揮するためか。エーテルの放出が、外装に覆われていては間に合わないという事なのかも知れない。
もしも、そうだとするならば――。
「化け物だよ、あれ」
ユーマは自然と呟いていた。
レーベンワールが次の瞬間に動き出す。
そして、戦闘を――。
否。
ひたすら一方的な蹂躙を開始した。