憧れのお姉様。
※リサを慕う後輩目線。
私には憧れてならない人はいる。その人は私にとって救世主でもあり、憧れてやまないお姉様だった。
一学年私よりも上のその人の名前は、リサ・エブレサック。
綺麗で、優しくて、いつも人に囲まれている侯爵家の一人娘。銀色の輝きを持つ髪も、深緑の瞳も、全部彼女には似合っている。
私を含めて、彼女を『お姉様』と呼ぶ人間は多い。お姉様は私が男爵家という下級貴族の娘であっても見下してきたりなどしない。誰にでも優しく、同じような態度をとって、微笑んでくれる。
そんな誰にでも平等で、誰相手でも対応の変わらないお姉様が恋人を作った。シィク・ルサンブル――、その名を私は知っていた。
去年、ヒナ・メシープという先輩と付き合って酷く束縛した男。公爵家の次男であっても、そんな男がお姉様に近づいているだけでも憤慨するものだったのにと正直思った。
それでもお姉様の親友でいらっしゃるシュア様は「大丈夫よ、リサなら」って笑っていた。だからこそ、私達はシィク・ルサンブルの事を容認していたというのにあろうことかお姉様に手を出すなんて!
いえ、もちろん、あのお姉様を愛してやまないシュア様が無理やり交際を迫るような殿方をお姉様に近づけるはずはないとわかっていますわ。それでもヒナ・メシープの件があったのもあって私は心配でした。
お姉様が心から彼の傍にいたいと望んでいるならば別に構わないのですが、本人に聞かない事には不安だったのです。お姉様にはお姉様を愛してくださる方と結婚していただかなければなりません。お姉様に幸せになってほしいと思ってるのは私を含め、大勢いるでしょう。お姉様を泣かせる殿方がもしいれば、シュア様を筆頭にお姉様を慕う大勢でその殿方を追い詰める事でしょう。
私は子供の頃、お姉様に救われました。
私は幼いころは、両親の人形のようなものだったと今なら言えます。両親は私を愛してくれていたし、決して苦しめようとしていたわけではありません。それでも両親は無意識に『理想の子供』を私に押し付けていました。
下級とはいえ、貴族としてのプライドもあったのでしょう。
両親の望むような顔を作り、両親の望むような行動をし、両親の望むような趣味をする。そこに自分の意志はなかったのです。それでも自分の感情がどういうものなのかよくわからなかった私は、それが苦ではありませんでした。自分がない状況が当たり前だったからです。
その当たり前が周りの当たり前と違うと気付いたのは、他の家の子供と会うようになってからでした。
同じ男爵家の息子はヤンチャでした。貴族の子供といえども、割と庶民的で庶民にも友人がいたのです。私とは違う事を感じて、今までの当たり前にヒビが入っていったのです。
お母様やお父様の言う通りにしなきゃという思いと、当たり前が崩れていく感覚。
その二つが心に存在しているのは苦痛でした。当たり前を崩してはいけないと思った。それでも確かに他の子供と接する度にそれが壊れていきました。当たり前を壊すのは怖かったのです。知らない事を知ろうとする事も恐ろしかったのです。
その怖さと恐ろしさが私自身がはじめて心で感じた感情だったかもしれません。
今思えば、ボロボロだったのかもしれません。
そんな私にパーティーで出会ったお姉様が話しかけてくれたのです。不思議とお姉様は初対面の人間だろうと信用させるような魅力を、微笑みを、その頃からもっていました。
人目を引く愛らしい容姿、子供だというのに清廉された動き、人を惹きつけるような微笑み。
お姉様はその頃からお姉様でした。誰にも決して壊せないような深い部分に、自分と言うものを持っていたのです。
思えばその時私はお姉様に一目ぼれしたのかもしれません。その人間性に惹かれたのかもしれません。
私が笑っているのに、お姉様は私の怖さに気付いていたのだと思います。それでもお姉様は私にそれを問いかけてくる事はしませんでした。ただ笑って、自分が格上だというのに傲慢さもなく、話しかけてくれたのです。
お姉様は今でもそうです。当たり障りのない会話でありながら、接触でありながら、それでも人を自身の味方に引き入れてしまうのです。
何度かお姉様と会って、話して、私は自分が情けなく思いました。
お姉様があまりにも輝かしかったから。完璧で、優しくて真っすぐで、自分自身を持っていて、強い人。私もそうなりたいと願った。強くなりたいと、誰かに崩されるような自分ではなく、崩れない自分が欲しいんだって。
それからは私はお人形をやめようと思ったのです。
貴族の令嬢としての趣味も、嫌いなものを好きなふりしてやるのをやめました。
時と場合に応じて愛想笑いはしますが、それでも自分の意志で笑いたい時に笑えるようにしました。
両親の意志ではなく、自分の意志で動くようになりました。
そうすれば、つまらなかった狭かった世界が、面白く広がっていきました。
人形をやめようと、殻に閉じこもるのはやめようとそう思ったのはお姉様がいたからです。お姉様は決して自分を慕う人を見捨てるような方ではなかった。お姉様がいるならば、怖さも恐ろしさも身をひそめてしまったのです。
だから私にとってお姉様は救世主です。私を救ったのはお姉様という存在なのですから。
私はシィク・ルサンブルとの交際についてお姉様に聞こうと、お姉様のいる図書館に向かいました。
お姉様は読書をするのが好きなのです。一人の時間を作ってのんびりしている場合もよくあります。最も最近は、一人が好きなお姉様の隣にはシィク・ルサンブルがよくいるようですけれど。
お姉様は優しいけれど主張はきちんとする方ですから、無理やり傍にいるという事はないと思いますけれど、あの相手はあのシィク・ルサンブルですからね。
「お姉様!!」
私は図書館で、椅子に腰かけて本を読んでいるお姉様を見つけて近づきました。
お姉様は私に気付くとその顔をこちらに向けます。
「どうしたの?」
問いかけてくるお姉様の声は優しくて、綺麗なのです。お姉様は声までも完璧です。その優しい声で話しかけられると胸の奥で温かいものを感じられるのです。
「あの、お姉様にお聞きしたい事があるんです」
「私に聞きたい事?」
不思議そうな表情でこちらを見るお姉様。
一つ一つの仕草が、声が、何だか清廉されているお姉様は普通の行いでもどうしようもなく人を惹きつける何かを持っています。
「はい。その、シィク・ルサンブルの事なんですけれど」
私がそういいながらお姉様の座る机に近づけば、お姉様の表情が変わりました。見たことのない表情です。
「シィクのこと?」
「はい。シィク・ルサンブルは恋人を束縛した前科があるでしょう? だから、少し心配で…。他人が口を出す事じゃないとはわかっているんですが…」
私がそう口にすれば、図書館に居る他の生徒達もこちらの話を聞こうと耳を傾けているのがわかりました。
お姉様は私を含めて多くの方々に慕われていますから、皆気になっていたのでしょう。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ」
お姉様はいつも通り優しく笑っていいます。何だかその笑顔を見ているだけでお姉様、綺麗ですと称賛したくなります。
「そうですか…。でも、もしシィク・ルサンブルがお姉様を傷つける事があったらいってください。私達がお助けしますから」
「もう皆して…。私が好きでシィクと居るんだから…」
皆して、という事はシュア先輩とか他の人達にも同じような事を言われたんでしょう。お姉様を慕っている方は多いですから、お姉様に何かあれば私たちが全力を持ってお姉様のために動くでしょうと想像できます。
そういえば、お姉様がこんな風に自ら進んで傍に居たいというような言い方をするのは珍しいです。というよりこれまで聞いたことがありませんでした。お姉様は驚くほどに人に平等です。誰かと一緒に居たいという事はなく、お姉様の周りにお姉様と一緒に居たい人が集まってそれを受け入れてるような感じなのです。
だから私は驚きました。
お姉様が自ら悪評があってもシィク・ルサンブルと一緒に居たいと望んでいる事に。お姉様がこうやって平等に扱えない『特別』な人も居るんだって。
誰にでも優しいお姉様ですが、お姉様は手を伸ばさなければ救ってはくれません。それに気付いたのは救われてしばらくしてからでしたが、伸ばされた手を受け入れて人を救う事を当たり前のようにやってのける人なのです。ただし伸ばされない手にはおそらく気付いていても受け入れはしないような方だと思います。
それを優しくないという人もいるかもしれません。それでも私はお姉様が優しいと思います。刺し延ばされた手を、面倒だと切り捨てることもなく受け入れて、しっかり問題を解決に導いてくれるのです。
他人のために行動出来るお姉様は素晴らしい方だと思います。綺麗で優しくて、誰にでも愛情を注いでくれるようなお姉様が私は大好きでたまりません。
「…お姉様は、シィク・ルサンブルが好きですか?」
驚きながらも私はお姉様に問いかけました。
そうすれば、
「……ええ、私はシィクが好きよ。少なくとも一生傍に居たいと思うぐらいには」
恥ずかしそうに頬を染めながらも、真っすぐにこちらを向いて、お姉様は微笑みました。いつもの慈愛深い表情ではなく、年相応の可愛いと思えるような『恋する少女』といった笑み。
ちょ、お姉様可愛すぎます。
そんな可愛い顔見せちゃだめです。気付いてないかもしれませんが、お姉様のいつも見せない可愛らしい笑みに周りの人達が顔を真っ赤にしてるじゃないですか! 寧ろ口元抑えて悶えそうな方もいますよ。というか、私も可愛すぎて悶えたい。
だって仕方ないですよ。普段のお姉様の笑みは綺麗と称するに相応しい美しさを持っているのですが、これは可愛いと称するに相応しい笑みだったのです。普段見れない一面にドキッとします。
「そうですか。お姉様がいいならいいです」
何だか悶えたくなりながらも私はそういいます。
大好きなお姉様を悪評のある男にやるのは嫌なのですけれども、お姉様があんなに幸せそうなら受け入れる他ないのです。
だって私の望むのはお姉様の幸せですから。お姉様が幸せならば、ちょっと相手が悪評があろうと目をつぶりますよ。
最もお姉様を傷つけるなら、死にたいと思うほどの復讐でも何でもしてさしあげますけど。
――――憧れのお姉様。
(私はお姉様が大好き。救ってくれた救世主、それがお姉様だから。お姉様の幸せのためなら、なんだってする。シィク・ルサンブル…、お姉様を傷つけたら許しませんから!)