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幸せは君と共に。

※彼――シィク・ルサンブル視点です。

 俺は昔から何処か自分が他と違う事を知っていた。周りが楽しそうにしている事にも対して興味を持つ事も出来なかった。

 そして、俺が自分の異常性を知ったのはペットを買った時の事だった。茶色の犬。それは子供に関心のない両親からのはじめてのプレゼントだった。

 きっとその犬が俺にとってのはじめての特別だったのだと思う。俺には6つ年上の兄上が居る。当時10歳だった兄上は俺が一人で犬の世話をしようとしていたから、心配して一緒に世話をしてくれた。

 でも俺はそれに「俺が母上と父上にもらったものなのに」と感謝ではなくいら立ちが湧いた。兄上の事は普通に好きだったんだ。それでもそんな感情が湧いてきたのは確かだった。

 我慢して、我慢して、そうして結局俺はその「特別」を壊してしまった。苛々するとそれにあたってしまった。はじめて傷つけてしまった時は酷く動揺した。脅えたような目を向ける犬にどうしたらいいかわからなくなった。何で自分は手をあげたんだろうとわからなくて。

 でも抑えて、優しく接して、また懐いてくれるようになって。でもそれでも苛々はなくならなくて、ある時、幼い俺の魔力が暴走した。感情の高ぶりによって子供は時折暴走を起こすものらしい。それでいて俺には普通よりも多くの魔力があった。その魔力が暴走して―――犬は死んだ。

 悲しかったけど、死んでくれて安心した気持ちもあった。だって俺はこれ以上母上と父上が折角俺のためにくれた犬が他に懐くなら、別の意味で、暴力をふるって壊してしまったかもしれないから。

 犬が死んだ事にも、自分の抑えられない感情にも戸惑った。落ち込んでいた俺を兄上は慰めてくれて、その時に自身の思いを零した。兄上も戸惑ってはいたけれど、自分の中にある感情に戸惑った俺に笑ってくれた。

 「その感情をなくせるようにすればいい」って。

 兄上にとっても犬に「特別」を抱いて壊す行為はおかしかったんだろう。だからそう言われて、そこから数年は忘れよう、忘れようとしていたからかその思いを感じる事はなかった。

 それでも、後にその思いがわいてきた。抑えてた分、強烈にわいたそれで……、俺は数少ない友人を傷つけてしまった。その時の脅える相手の目は忘れられない。

 その時、分かった。この気持ちは抑えてもなくなるものではなくて、常に感じたまま暴走しないようにするしかないって。おかしい俺を敬遠する人間も出てきて、それから周りにはより一層興味がなくなってきた。

 「特別」にだけ求められる人間で居ればいいって思ったのは、初等部の頃だった。公爵家の子息で、実力があるからと群がる人間はどうでもよかった。ただ適当に、やりたい事もないままに生きていた。

 そして中等部の頃に、俺はヒメに出会った。

 ヒメは俺が人と関わらないようにしようとも俺に関わってくる、活発な少女だった。見た目の良さとその明るい性格のためか、転入してきてすぐに幾人もの男に惚れられている少女だった。

 最初は興味なかった。それでも興味を持ったのは、『冷たい目をしてるね、ルサンブルは』ってそんな風にヒメが口にしたからだ。公爵家の次男という肩書があるから、家族に迷惑かけたくなくてある程度は人間関係は築いてた。周りは俺をクールなどといって騒いでいたけど、何も興味がなかったのだ。

 だって俺が昔から持っているおかしな感情を隠して、なじんでるから誰も気付かなかったのだ。決して俺がそういう人間だっていう事に。俺の異常な部分を知ったら人が離れていくと知っていて、だから俺は周りがどうでもよくなった。特別が現れなければ現れないでよかった。それでも、ヒメが俺の特別になってくれないかと期待したんだ。

 それからヒメと過ごして俺はヒメに惹かれた。俺の中にある感情がヒメを失いたくないと叫んでいて、他の人と仲良くするヒメを見て衝動がわいた。

 ヒメを好きだと思ったからこそ、俺はヒメを壊したくないと望んだ。

 衝動を抑え込んだ。ヒメの幸せを思うからこそ、出来れば俺のものになってくれればいいのにってそう思いながらも…。

 俺の中にある気持ちも告げて、そして俺はヒメに告白した。焦っていた気持ちもある。だってヒメは沢山の人間に好意を持たれていたから。

 『俺は手に入れたら手放せない。逃がさない。一度手に入れたら。嫉妬だってする。俺は自分を抑えられないから』、そんな風に言った俺にヒメは『私は何があっても離れない』と言って笑ってくれた。

 壊してしまうのが何だか怖くて、いつだって触れるのはおそるおそるで、はじめてキスしたのだって付き合いだしてしばらくたってからだ。ヒメは優しくて真っすぐで、守ってあげたい思いを抱かせるような子で、本当に壊してしまいそうで怖かった。

 ヒメが他の男と話したり、他の人と遊びに行ったり…。ただそれだけでも不安になった。衝動が溢れだしそうで、抑えるのに必死だった。

 ヒメは受け入れてくれると言った。だから信じたかった。でも、俺の中にある気持ちを出したらどうなるんだろうと怖かった。

 それでも、その気持ちを抑えるのは限界だった。

 どうして、ヒメは自分に好意を抱いていた男と普通に仲良く出来るんだろう。

 どうして、ヒメは俺のものになるといってくれたのに俺の傍にいてくれないんだろう。

 どうして、ヒメは俺を優先してくれないんだろう。

 離れていってほしくなかった。俺の「特別」なヒメが俺を優先してくれないのに俺の心は耐えられないのだ。

 いつしかまた、過去にしたように抑えきれない思いをぶつけて、俺はヒメを束縛してしまった。

 「離れない」って、「怖がらなくていい」ってそんな風にヒメがいつも通りに笑ってくれればおかしい俺を見てもヒメは傍にいてくれるって安心出来たかもしれない。

 でも、ヒメは感情をぶつける俺を恐怖したように見つめていた。

 いつも柔らかく笑っていた表情が、俺を困惑したように、脅えたように見た。それだけで怖かった。

 怖くて、やってはいけないと思ってるのに、しばりつけようと言う気持ちが抑えられなかった。

 離れないで、傍にいて。他を見ないで。

 そんな風に声をあげた俺に、ヒメは脅えた表情しか見せなくなった。

 胸が痛んだのは、ヒメもおかしい俺を受け入れてくれないのかと思ったからだ。昔から俺の中にある、俺の本質とも言える感情を受け入れて、傍にいてほしかった。

 ヒメを縛り付けたいわけじゃなかった。

 ただ変わらないでほしかった。ヒメが俺にとっての「特別」だったから異様に執着する俺を見ても笑って欲しかった。

 俺の傍から離れないっていったのに、どうして怖がるんだと、離れていくのかと感情が止まらなかった。

 結局ヒメは俺の本質に耐えられずに他の男に縋って、暴走する俺をおかしいと言って、新しい恋人とこの学園を去った。苦しかった。傍にいてくれるって言ったのにって。

 ヒメが居なくなって執着する対象が居ないから大人しくなった俺を周りは元に戻ったと言いながら敬遠する。周りはどうでもよかったけど、ヒメが居ないのが苦しかった。折角手に入れたはずの「特別」だったのに、居なくなってしまった事に虚無感が襲った。

 どうして。離れないって言ってくれたのに。

 そう思うけど、結局俺がおかしいからなんだろうと自棄な気分になる。異様に「特別」に執着するのが俺だって、大分前に受け入れてたけど、それで「特別」に逃げられるなんてバカらしい。

 学園での噂を聞いたのが兄上と義姉上も、両親も俺を心配してくれた。

 それでも心配されてもヒメが居ないって虚無感が埋まるわけでもなかった。最初から手に入らなければきっと此処まで苦しくなかっただろう。でもヒメが手に入った時、俺は確かに幸福で、ずっと離れないでくれたらいいと思った。

 ただ俺を見て、俺の傍にいて、欲しかった。

 笑ってほしかったのに。笑顔を奪ったのは俺で。苦しくなった。

 苦しくて悲しくて、何もかもどうでもいいというさえ思うのに。周りから見たら俺は「元に戻った状態」らしかった。ヒメが絡んだ時だけ俺はおかしくなるだの言って。

 こんな苦しさも、悲しさも、どうしようもない虚無感も。誰にも言わずにただ胸に抱えていた。

 そうして数カ月経った頃にあいつ――――伯爵家令嬢であるシュア・ミルガントが俺に話しかけてきた。

 わざわざ人目につかない場所で、俺を真っすぐに見て呼びかけてきた。

 「シィク・ルサンブル」

 「……何」

 怪訝そうにミルガントを見て俺は答えた。

 ミルガントはこの学園でも割と有名な令嬢だ。栗色のふんわりとした髪と赤色の瞳を持っていて、愛くるしい外見が男に騒がれていたりする。最も一番有名なのはあのリサ・エブレサックの親友だという事だった。

 「『壊れかけた硝子のよう』」

 「……は?」

 「私の大好きでたまらない子があなたの事をそう称していたのですわ」

 ミルガントが上品に笑って告げた言葉に、俺は驚いた。

 だって誰も気付いていなかった。兄上達だって、俺はもう吹っ切れたと思っていた。俺の中にあるどうしようもない虚無感にも、苦しさとか悲しさも全て、もう俺の中には存在しないとそんな風に誰もが扱った。

 それなのに―――…。そう思う俺にミルガントはまた告げる。

 「あの子があなたを壊しかけていると。あなたは、今壊れかけている硝子のようにボロボロだと、私の大好きな子は言いましたわ」

 続けられた言葉に、何も言えなかった。

 そんな俺に、ミルガントはまた続ける。

 「私の大好きな子はあなたを見ていますの。本当にずっと。ですから、興味をお持ちになったなら見つけてみせてくださいませ」

 上品に微笑んで、踵をかえそうとするミルガントを思わず俺は呼びとめた。

 「お前、何がしたいんだ」

 「私の大好きな子に幸せになってほしいだけですわ」

 間もおかずに告げられたその言葉はきっと本心なんだろう。ミルガントの言う「大好きな子」が誰かはわからないけど、その子の幸せをミルガントは本気で願ってるんだろう。

 本当に満面の笑顔で、幸せになってほしいなんて言うから驚いてしまった。そんな俺をおいてミルガントはさっさと何処かにいってしまった。

 その「大好きな子」の事を言いたかっただけらしかった。




 ――――ミルガントの言う「俺をずっと見てる」子があのリア・エブレサックだと気付いたのはそれからしばらくしてからだった。







 リサ・エブレサック。

 銀色の美しい髪に、二つの深緑の瞳を持ち、学園で屈指の人気を誇る侯爵家の一人娘。

 誰にでも優しく微笑みかけ、いつも人に囲まれていて、魔法の腕も学園でもトップクラスだ。

 出来ない事はないのではないかと言われるほどの天才と呼ばれる令嬢であり、「何もかも手にしている幸せな令嬢」とか、「誰にでも優しい聖女のような人」だとか「愛されて育ったお姫様みたいな子」だとか言われるような人気者だ。

 女子生徒達の多くの憧れで、男子生徒達にとっても高嶺の花。

 あんな風になりたいと望む女子生徒達にはお姉様扱いされている。

 誰にでも愛されて、穢れを知らないような聖女と言われる彼女が俺を見て、そして俺の心を知っていた事を信じられなかった。

 それでも確かに、彼女は俺を見ているのは注意してみればわかった。本当に分かりにくく視線を向けてくるが、確かに彼女は俺に視線を向けていた。

 深緑の瞳が、確かに俺を映し出していて、その表情を変えたのを見た。

 初等部からこの学園に彼女も一緒に通ってたから、彼女の笑みは何度か見た事があった。優しく、誰もが怒りを覚える事をしないような笑み。人形のように完成された優しい笑み。それが彼女がいつも浮かべている「聖女」と言われるような笑みだった。寧ろ笑ってる事ばかりで他の表情は見た事もあまりない。

 でも彼女は確かに俺を見て、普段浮かべないような表情を浮かべた。

 その視線に少しも恐れはなかった。

 知っているはずなのに。俺がヒメに執着して、束縛したって。

 俺を見ている彼女を、わざわざ魔法をつかってみた。その時に一度見せた表情は―――いつもの笑みではなく、花が咲いたような明るく柔らかい笑みだった。

 その笑みが、俺の心に焼きついた。

 喋りかけてみようと思ったのはそれからだ。

 彼女は一人を好んでいるのか、時折一人になるけれど、大抵色んな人に囲まれている。俺は彼女がミルガントと二人でいる時に声をかけた。

 「リサ・エブレサック」

 俺が近づき、名前を呼べば、一瞬彼女は目をパチクリとして驚きをあらわにした。

 彼女の隣にいるミルガントは何だか楽しそうに俺と彼女を見ている。

 「…何の用かしら」

 一瞬驚いた顔をした彼女は、いつも人に見せるような笑みを見せて俺に問いかけた。何の用と言われても、ただ彼女を知りたいと思って、興味を持ったから近づいただけだ。

 でも何て言えばいいかわからなかった。だから、

 「…話してみたいと思っただけだ。だから、これから話しかけていいか?」

 そう問いかけた。

 それに彼女はただ頷いた。

 それから、俺は彼女によく話しかけるようになった。

 俺がヒメの時に少しやらかしたからか、彼女の周りに居る連中に色々警戒されたり、警告されたりした。最も俺が公爵家の息子だからかある程度地位のある人間以外はそんな事いってこなかったし、ミルガントもどうやら俺が彼女に近づいて大丈夫なように裏でこそこそやっていたようだった。

 近づいたら遠目で見ているよりもずっと彼女が周りに好かれて、慕われ、愛されている事がわかった。でも、俺はしばらく見ていてわかった。

 彼女の優しさは「優しさ」ではないのだと。

 誰にでも隔てなく会話をし、笑顔を振りまく。そうする中で人を味方につけて、厄介な事にならないように誘導してる。彼女は無条件に誰にでも愛されるわけじゃない。人が望むような返事を返し、人に好かれるような優しい笑みを浮かべているから人に嫌われる事が滅多にないというだけだ。

 彼女は人を誘導するのが上手い。自分の人気と影響力を理解して、それをやってのけているというのも凄いのだが、それ以上に動かされた本人が誘導された事に気がつかない事が凄いのだ。きっとやろうと思えば色々出来そうだが、彼女は興味がないのか必要以上に人を誘導したりはしていないようだった。

 誰にでも平等であれるという事は見方を変えれば誰もを同じようにしか見れないという事だ。彼女が平等であれるのは、誰にも興味ないからだ。だから誰にでも同じ態度が出来て、誰にでも同じように微笑む事が出来る。

 そこまで気付いたら、彼女が俺にだけ態度が違うのがわかった。

 彼女は俺の事をよく見ていた。そしていつもとは違う笑みを浮かべてくれる。

 近づいたら、いつもの彼女が人形のように何も感じていない事が分かった。俺にだけ、年相応に笑ってくれるのを見たから尚更だ。

 縋られたら相談に乗る。話しかけたら笑いかける。

 確かに彼女はそれをしているけれど、それは一定に振りまかれているだけの「優しさ」に見えるものだ。それは彼女を「大好きな子」と称し、仲良くしているミルガントにも同じように向けられていた。

 「特別」と「特別じゃないもの」。それを分けて接しているのは俺とも一緒だけど、エブレサックは割り切りすぎている。彼女があまりにも人に溶け込んでいるから、よく見ていたりしないとわからないだろうけれども、彼女の生き方は異質で冷たいものだ。

 俺はそれに気付いてから、ミルガントと二人で話した。

 俺が気付いた事を言えば、ミルガントは笑ったんだ。

 「ええ。リサはそういう子ですわ」

 きっとエブレサックが自身を大事に思ってない事も知っているだろうに、その笑顔に曇りは一切なかった。俺はその事に驚いた。大切な人から好意を返されていないのにミルガントは決して悲しんではいなかった。

 そんな俺にまた笑うのだ。

 「ふふ、驚いてますの?」

 それにただ、黙って頷く。

 「私はリサが私をその他大勢の内の一人と認識している事はずっと昔から知っていますわ。リサは私から近づかないと離れっぱなしになる子でしたから。それでも私はリサが大好きですの。だから、私はリサが貴方を大切に思ってるって気付いた時、私嬉しかったのですの」

 別に彼女が自分を大切に思っていなくても、それでも問題なんてないのだとミルガントは言う。本心からそんな事をいって、彼女が俺を大切に思ってる事が嬉しいという。

 「リサは人を大切に思わない子でしょう? そんなリサがはじめて特別に思ったのが貴方なの。リサは普段優しい令嬢の仮面をかぶっているだけで、心から表情を変えたりしないんですわ。でも貴方の事になるとリサは見た事もない表情を浮かべて、とっても可愛くて人間らしいリサになるのですわ。私はリサの親友として、リサに幸せになってほしい。そしてもっと人間らしいリサを見てみたいんですの」

 ミルガントは俺が彼女のはじめての特別なのだと笑った。

 何と言っていいかわからなかった。それでも嬉しかったのは確かだったんだ。彼女は俺の本質に何とも思わないとでも言う風に接してくれるから。それに…、俺にだけ向けられる表情に、感情に、惹かれていたのも確かだったから。

 「ですから、私は貴方にはどんな形でもいいからリサの傍にいてほしいと思うのですわ。もし貴方がリサの傍を望んでくださるならですが」

 そういってミルガントは俺を見た。

 「俺は……、彼女の隣は心地よいと思う。でも、それがどんな感情かなんてわからない」

 正直な感想はそれだった。

 心地よいとは思う。惹かれていると思う。でも今持ってる感情がどういう感情か自分でよく分かっていなかった。

 そう口にした俺に「それだけでも十分ですわ」とミルガントは笑った。





 ――――それからまた三カ月ほど経過した。




 相変わらず俺は彼女の傍にいた。惹かれて居るのはわかるけど、それが友情なのか恋愛なのかそれが俺にはわからなかった。それともただ俺を「特別」として優先してくれる彼女の傍が心地よいだけなのかもしれなかった。

 俺は彼女にどういう思いを抱えているんだろう。

 わからなくて、ただ戸惑った。

 他の人に感じるようなどうでもいい何て言う思いなんかじゃない。それでもヒメの時のように欲しいと感じるような明確な思いでもない。ヒメの時は…、ライバルが多かったから焦ってたのもあった。

 最も手に入れても、ヒメは俺を怖がって逃げてしまったけど。

 『私は何があっても離れない』。

 そういって笑ったヒメを思い出して、悲しくなった。

 その時、隣にいた彼女が動いた。令嬢達に人気の恋愛小説を読んでいた彼女は、本から視線を外して俺を見ていた。

 「……何?」

 じっと見られて、問いかければ恐る恐ると手が延ばされる。そして、優しく頭を撫でられる。

 その場にいるのは俺と彼女だけだ。図書館は広いから、見える範囲に他の人はいない。俺と彼女が二人っきりなのは、ミルガントが色々動いた結果みたいだけど。

 優しく撫でられて、驚いた。驚いて彼女の顔を見て、泣きたくなった。それはあまりにも彼女が俺の事を優しい目を見てみてたから。

 彼女は何もいわなかった。

 何もいわなくていいから、わかってるからとでも言う風にただ撫でるだけだった。

 気付けば俺は涙を流していて、声を押し殺して泣いた。そんな俺を彼女はずっと撫で続けるだけだった。それは壊れ物を扱っているかのような触れかただった。

 ヒメが居なくなって、悲しかったけど泣いた事はなかった。

 ただ虚無感に支配されて、悲しくても苦しくても泣けなかった。それでも今俺は涙を流していた。

 泣き終えた俺がかっこ悪い所見せてしまったと気まずそうな顔をすれば、彼女はただ告げるんだ。

 「泣きたい時は泣いた方がいいから…。ずっと泣きたかったんでしょう」

 彼女は本当に俺の事をよくわかってた。悲しくて、苦しかった気持ちも。ずっと俺がヒメが居ない事を吹っ切れてなかった事も。

 その日から、俺と彼女の距離はまた近づいた。互いに名前を呼び合うようになった。




 ただ、心地よいのだ。彼女は俺が例え何をしてでも受け入れるとでもいうような優しい表情を見せてくれるから。





 それからまた数カ月が経過する。その頃、俺は彼女への思いが何なのかようやくわかった。

 それは分かりにくいけど、彼女が俺の「特別」になっているという事だった。

 ただ分からなかったのは、彼女が俺を優先するから。俺にだけ「特別」を向けてくれるから。ヒメの時みたいに誰かにやりたくない、俺だけを見てほしいなんて思わなかったのは、元から彼女が俺以外にそういう「特別」を向けてなかったから。

 もう既に彼女が俺だけを大切に思っててくれたから。

 それを自覚してから、ヒメが居なくなってから胸にぽっかりあいていた空洞がなくなっていく感覚がした。彼女の隣は暖かい気持ちになれる。

 それから、好きだと自覚した。

 俺に向けられる優しい顔も、俺にだけ向けられる年相応な態度も、可愛くて仕方がなくなった。他にそんな表情を見せない事が嬉しかった。ただ隣にいれたらいいと思った。

 もし告白して振られたら、彼女は俺の傍にいてくれなくなるだろうか。付き合ったとしてもヒメのように俺の元を去って行ってしまうかもしれない。彼女を壊してしまうかもしれない。

 ――――そんなの、いやだった。

 それなら友人でも何でもいいから傍にいて、彼女が俺にだけ「特別」を向けてくれるなら、傍にいてくれないよりその方がいいと思った。

 最も俺が彼女に夫ができて、耐えられるかなんてわからないけれども。それでも――、どんな形でもいいから傍にいてほしいと思った。

 そんな事を思っていたのは、あいつ――ミルガントにはバレバレだったらしい。

 「ルサンブル!! 可愛い私のリサに惹かれたのは私にはお見通しですわよ! 最もリサはあんなに可愛くて綺麗なのですもの。惹かれるのは当たり前ですけれども」

 何だか彼女が居ない時にそんな風に言いながらミルガントが接触してきた。ふふんと得意気に笑っていい放つ言葉に本気でこいつどんだけリサが好きなんだと呆れた。

 最初に説得してきた時もそうだが「大好き」だの「私の」だの。一回、レズビアンかと疑って聞いたら「断じて違いますわ!!」と否定されたけれど。

 「……ああ、そう」

 「そうですわ! で、告白はするのですの? しますわよね?」

 興奮した様子で問いかけられて、思わず首を振れば怒られた。

 「何でですの! リサの事大好きになったのですわよね? 可愛いリサを愛したんですわよね?」

 「断られるかもしれないし、ヒメみたいになるかもしれないだろ…。俺はリサがどんな形でもいいから傍にいればいい」

 「そんなこといって! あの子の時束縛が激しかったんですから、リサが誰かと結婚して耐えられるんですの? 噂を聞いた限り無理だと思いますわよ?」

 「……それは、わからないけど」

 「だったら、男ならガツンと言いなさい!!」

 いつものミルガントは結構彼女同様笑っているものだが、その時のミルガントは本気で怒っていた。思わず何でそんな必死なのかと問いかけた。

 そしたら笑って答えられた。

 「私はリサに幸せになってもらいたいと言いましたわよね? それと一つ言いますけれども、私のリサはあなたが思うほど弱くはありませんわ。あのメシープルのようにリサが逃げると思うのは間違いだと思うんですの。だって、リサはあの子があなたを怖がっている様子を見てあの子に怒ってたような子ですわよ?」

 「…怒ってた?」

 「ええ。貴方にではなくあの子に怒ってたのですわ。私には理解できないですけれども。リサには貴方を見て思う事が何かあったのでしょうね」

 驚いてミルガントを見れば、そう答えられた。そしてミルガントはまた続けた。

 「リサは貴方を愛しいと思ってると私は思ってるわ。ただ、リサは貴方に関わる気はなかった。貴方から歩み寄らなければ」

 「………」

 「リサは私に『彼を壊してしまわない自信もなければ、その本質に耐えられる自信もない』と言ったわ」

 「…俺を、壊してしまう?」

 「そう。貴方が壊れかけの硝子のようって言った後だから、貴方を傷つけてしまわない自信もないって思ってるのよ。リサの言う本質なんてものは私にはわからないけど、貴方にはわかるでしょう?」

 にっこりと笑われた。

 本質…と言われて思いつくのは、俺の執着心だ。それをリサは知ってて、耐えられる自信はないと言っていたらしい。でもそれでもリサはそんなものを知ってても俺を「特別」だとでも言う風に態度を向けてきて、そこには一切脅えはない。

 「貴方の本質が何か私にはわからないわ。でも、私の可愛いリサはそういうものに耐えられないほど弱くないわ。全く、リサは謙遜しすぎなのですわ。人を傷つけない対応があれだけ上手いリサが貴方を傷つける図というのがまず私は信じられませんもの」

 自慢げに笑うと、またミルガントは続ける。

 「それに貴方がもしリサをあの子のように追い詰めるなら、私が貴方からリサを引き離すまでですわ。そしてリサが貴方を壊してしまったんだと思い悩むなら、私が貴方に渇をいれにくるだけですわ。可愛いリサを悩ませないでくださいませって。男ならそのくらいで傷つかないでくださいませって。

 リサも貴方も、もう少し傷ついてでも幸せになろうとしてほしいものですわ。傷つけようと、傷つけられようといいんですわ。

 それとも貴方はリサに傷つけられたら、耐えられないほど軟弱なのですの?」

 はっと若干馬鹿にしたように言われたのは、きっと意図的にだろう。

 俺をおこらせて、そのまま告白でもさせようとしているのかもしれない。

 「…いや、俺はリサがどっかにいかないなら大丈夫」

 「そうですの。では、すぐにでもリサに告白なさいませ! それをきちんと言って、リサに傍にいてほしいと伝えればいいんですわ。

 私の可愛いリサは貴方の傍にいる自信がないなんて思ってる可愛い子なのですもの。それでもし振られたとしても、リサは貴方が望むなら傍にいてくれますわ。最もリサは貴方の幸せをきっと願ってますから大丈夫だと思いますけれども」

 とんっと背中を押される。

 それは頑張ってこいという応援であった。

 「リサは、いつも通り図書館に一人でいますわ。安心してくださいませ。『リサが一人になりたがっている』と周りに言いふらしましたから、リサの周りには誰もいませんわ。ですから、思う存分愛を語るといいですわ」

 また背中をたたかれる。

 今度のは言わないなら許さないとでも言う風な強いたたきだった。

 そして俺はそのままミルガントと別れて、図書館に向かった。










 ただ一心に歩く。

 正直ミルガントがああいっていても、彼女が俺の傍からいなくなったらと思うと怖かった。それでも彼女が俺と同じなら、幸せだろうとも思った。

 図書館への扉を開ければ、彼女が居た。

 椅子に座って、リサは本を勉強をしていた。もうすぐテストが近いからだろう。確かにその場にはリサ一人しかいなかった。

 「…リサ」

 俺が声をかければ、リサはすぐに顔をあげた。

 俺を真っすぐに見る瞳。俺を視界にいれたリサはただ微笑んで俺に問いかけた。

 「シィク、何か用事かしら?」

 そう問いかける彼女に近づく。体が震えそうになったのは、いつかその笑みが俺に向けられなくなったらどうしようと怖かったからだ。

 それでも一歩一歩踏み出して、椅子に座る彼女に手を伸ばした。その手は震えていた。

 「…リサ」

 伸ばした手がリサに触れれば、リサは一瞬びくついた。

 思えばリサが俺の頭を撫でた事はあったけど、俺からこんな風に手を伸ばした事はなかった気がする。動揺しながらも、彼女は真っすぐに俺を見ていた。

 「………リサ」

 また名前を呼んで、そして一旦俺は黙る。手は、いまだに震えている。

 「…………俺は、リサが好きだ」

 絞り出すように告げた声は、我ながら情けなかったと思う。それでもリサの耳には届いていたらしい。その雪のように白い肌が、一気に赤く色づいた。

 「な…」

 普段のリサなら見せないような戸惑った声をあげ、真っすぐに向けられていた視線が逸らされる。

 「だから、リサ。……俺の傍にいて」

 そういって、俺は続ける。

 「…そして出来れば、俺の物になって」

 そんな震えた声に、彼女は視線を上げて俺を見た。

 「…わ、私は」

 リサは驚くほどに動揺していた。だけれどもしっかりと口を開く。

 「……シィクに、幸せになってほしい。

 だからこそ……、私じゃ駄目よ。私は…、シィクに求められるほどの人間じゃないから。それにヒメ・メシープルの事で傷ついてる貴方を、私は…、傷つけてしまうかもしれないから。だから……」

 絞り出すように声をあげる彼女の言葉は、ミルガントの言っていたのと大体一緒だった。

 彼女は自分を過小評価しすぎだ。それに、

 「それでも、俺はリサがいい」

 誰を選ぶかを決めるのは、俺だ。

 「………」

 リサは躊躇いもせずに言いきった俺を黙って見た。

 「ねぇ、リサ。俺に幸せになってほしいなら…、俺の傍にいてよ。リサが俺の事好きっていってくれて、俺の物になってくれたら、俺はそれだけで幸せだから」

 震えた声で俺は黙ったままのリサを惹き寄せた。抱きしめた体が震えたのは、怖かったからだ。

 リサがこのまま、俺の幸せを勝手に決めて、去っていきそうで。ミルガントも言っていたように、俺の気持ちをちゃんと言わないと駄目だと思った。

 だからこそ、ただ伝える。

 「…俺はどんな形でもいいからリサに傍にいてほしいと思ってるよ。でも俺は、もしリサが他の誰かと結婚したら耐えられるかわからないぐらい…、リサの事好きだ」

 それは紛れもない本心で、いつの間にかそれだけ好きになってた。

 「好きだよ…リサ。だから、俺の傍にいて…」

 傍にいてと縋るように声が出た。

 強く抱きしめた体から、心臓の音が聞こえてくる。それから、しばらくして彼女の声が耳に届いた。消え入りそうな、小さな声。

 「…私は、冷たい人間よ」

 「知ってる」

 震えた声に、言葉を返す。

 リサが冷たい人間な事ぐらい、知ってる。見てたら、分かった。

 「……シィクの事、傷つけるかもしれないわ」

 「傷ついてもいいから…、傍にいてほしい」

 消え入りそうな声に、言葉を返す。

 いいんだ、俺は。苦しくなっても悲しくなっても、それでも傍にいてくれるなら。

 「……私は、貴方の本質に耐えられるか、わからない」

 「それでもいいから…、リサじゃなきゃ嫌だ…」

 リサの震える声に返事を返す。

 聞いていてわかる。その傷つけるかもしれないや耐えられないかもしれないなんて言葉が、俺を思っての言葉だと。

 俺を傷つけたくないとただ彼女は心配しているのだ。リサ自身が俺の執着が怖いとかそんな事は思ってないのだ、きっと。だからこそ、その目に恐怖など映し出されないんだろう。

 「…………私で、いいの?」

 俺の言葉にしばらく黙ったリサは小さな声で問いかけた。

 「リサが、いい。傷ついてもいいから、傍に居てほしいんだ。だから、言って。リサの気持ちを」

 その言葉の後、リサは一旦黙って、緊張したように体をこわばらせた。そして、

 「………わ、私は、シィクがす、好きよ。だから…、私でいいなら傍にいるわ」

 そんな言葉に抱きしめて居た体を離せば、顔を赤くして、余裕のない彼女がいて。はじめてみるそんな表情に頬が緩んだ。


 ミルガントが「リサ、よかったね!」と抱きついたのはそれからすぐ後の事だった。見てたのか…と思ったが、ミルガントがいなきゃリサと出会えてさえいないのだ。感謝は言っても文句は言わない。

 ついでに後から「可愛いリサのメモリアルを見せてあげますわ!」と大量の写真を見せられ、その中にリサが好きといってきた時の写真があったのは別の話だ。




 ―――――幸せは君と共に。

 (君の隣は心地よくて、ヒメが居なくなった虚無感を埋めてくれた。傍にいてくれるだけで、幸せだと思った)



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