やさしい白昼夢
自慢の庭に、令嬢がいる。
庭師の孫娘が、いろいろと説明をしているようだ。
そういえば、と思い出すのは、その孫娘がやたらあの少女に懐いていたこと。彼女の死に号泣しすぎて寝込んだという。だから、庭師や孫娘を見ると、さすがに罪悪感が芽生えた。
「んで、こっちの花がおりょーりにも使える、食べられる花なんす!」
「まぁ……」
「この花なんかは、花びらをサラダにして食べるらしいっす。びよーとけんこーにいいらしいとかで、特にびよーとおはだに最高で、どっかの国の女王様だか王女様も食ってたとか」
「お花を食べるなんて……そんな、かわいそう」
後ろ姿しか見えないが、きっと悲しそうな顔をしているのだろう。
確かに花を食べる、と思うと若干ひどいことをしている気分になるのだが、元が花なだけに彩がよくて、味もそこそこいいので、時々食卓に出されるそれを彼は意外と好んでいる。
時期的にそろそろ、という感じだが……あの令嬢、どんな反応をするのだろう。
さすがに泣かれると面倒だから、料理長に言って出さないよういうべきかも知れない。
しかし、とあくびをかみ殺しつつ、彼は木に寄りかかった状態で思う。天気も気温も申し分ない昼寝日和で、彼の意識はほとんど夢の向こう側へと引っ張り込まれている。
――あいつなら、きっと『食べたい』とか、言うんだろうな。
寝入る直前にそんなことを思い、彼は吐息のような笑みをこぼした。
彼より長く旅をしているからなのか、彼女はやたら食い意地が強かったというか、食べられる時にしっかり食べる、何より食事を優先するというところがあった。
それこそ、野にある草花すらも、彼女にとっては野菜の一種。
ある時は山越えの道を進んでいく中、ふと青年が目を向けた草むらを見ては。
『それ、おいしいのよ』
などといいつついそいそとむしりとって、それは野宿の時に夕食にしていたほど。ちなみに味は確かによく、何も無いよりはだいぶマシだったと思うのだが、最初は驚いたものだ。
そんな彼女ならきっと、花が食べられると聞けば笑顔で要求するだろう。
一度くらいは、気まぐれでも起こして食べさせてもよかったような。そんな気がして。半分寝入った頭は彼の身体に、笑うことによる肩のゆれを発生させるように命じたらしい。
しばらくして真剣に寝入った彼は、動きを止めて静かになる。
けれど、その口元に受かった素の笑みは消えなかった。
「……」
そんな彼の寝姿を、令嬢は食い入るように見ていた。彼の唇が震えるように動き、聞いたことの無い誰かの名前を告げて。その『誰か』に対して愛を囁いたのを、彼女は確かに聞いた。
■ □ ■
花が咲いている。
その中に、彼女が立っている。
彼女――とは、誰だったのだろうか。青年は疑問を浮かべるが、問いも何もかもが一瞬のうちに霧散して消えていった。そう、誰なのかというものは、どうでもいいことなのだ。
この場所に彼女がいるという、それがすべて。
それ以上のことは、ない。
彼は、彼女に手を伸ばした。
――お嬢さん、お手をどうぞ。
そんなことを入ったような気がするし、もっと違うことを言った気もする。
長い髪を揺らし、彼女は振り返る。太陽がまぶしくて、どうしてもその顔がはっきりと見ることが叶わない。ただ、笑ってくれていることだけは何となく、わかった……気がした。
手を握り返される。嬉しくて視界が歪んだ。どうしてそうなったのかわからない。疑問は一瞬で消えていくし、疑問に思ったことすら消えていく。だからわからないこともわからない。
目の前の、手を握り合う彼女の存在が。
それだけが、すべてだった。
腕の中に身体を収めれば、華奢な体系をより強く感じる。甘い香りは花か、それとも彼女自身のものなのか。どちらにせよ心地よく、いつまでも嗅いでいたいよい香りだと思った。
腕の中の、彼女が愛しい。
時折、甘えるように頬を寄せてくるところが、とてもかわいいと思う。
次第に白をまし、掻き消えていく世界。その中で最後に残ったのは、腕の中にある彼女を離すまいと力一杯に抱きしめた、という感覚だけだった。視界は白につぶされ、何も見えない。
だから、彼は言葉を口にした。もうどうなっているかわからないが、せめて言葉だけでも彼女に届けたいと思った。彼女が『誰』なのかよりも、まずその言葉を届けなければ。
それを言い終わったような気がする頃にはもう、その世界には彼しかいない。
愛していると、ちゃんと言えただろうか。
ちゃんと、届けられただろうか。
■ □ ■
ふと目が覚めると、すぐ前に彼女がいた。
「おはようございます。もうすぐおやつの時間だそうです」
「そう、か……」
目元をこすって身体を伸ばす。だいぶ寝入っていたらしい。少しいい夢を見たような気がするのだが、いい夢だった、ぐらいの記憶しか残されてう無かった。夢はそういうものだが。
だがもう少し覚えていても、いいような気がする。
ましてや悪夢ではなく、とてもいい夢だったわけなのだから。
「その花は?」
立ち上がった彼は、令嬢が腕に抱える花に気づく。
彼女はぱぁ、と表情を明るくした。
「これは、さっき摘んだのですが――」
「……あぁ、食べるんですか」
「た、食べませんっ! 花瓶に飾るのです!」
からかうと赤い顔をして否定する、彼女の姿が可愛らしいと思う。
常にこの調子なら、これから長く暮らしていくことができるだろう。もう少し、こう、わがままを言ってくれてもいいような気がしたが、『彼女』でもあるまいし似合わないことだ。
今のまま、一緒にいるだけで癒されるような気持ちになる存在でいればいい。
「ぼっちゃーん、おじょーさーん。オヤツでーす」
孫娘が飛び跳ねて二人を呼ぶ。青年は自然と、令嬢に手を差し出した。彼女は驚きに目を見開いたが、すぐに恥ずかしそうに笑って、その手を握り返す。
「では、参りましょうか、お姫様」
などと言ってみると、倒れるのではと思うほど顔の赤が増した。彼が知る誰よりも純粋なその反応に思わず笑みがこぼれてしまうと、からかったのですか、と今度は怒られた。
笑いを必死に抑えながら謝罪をして、二人でいい香りにする屋敷の中に戻る。
すでに菓子とお茶が用意は終わっていて、あとは座るだけのようだ。
「早速いただきましょうか」
目を細めて笑みをこぼし、彼は令嬢に言う。
はい、と恥らうような反応を見せるのを合図に、穏やかな時間が始まった。彼はナッツを使ったクッキーを口に運びながら、先ほどの自分の言動に一つ一つ点数をつけていく。
以前、注意された作り物じみた笑みを、少しは消していけるように。
妥協で選んだ彼女を、少しでも大事だと思えるように。
大事にされていると思ってくれるように。
どういう言動をすればそうなるか考え、次に生かしていかなければ。
これ以上もう、あの少女に足を引っ張られたくは、なかった。