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忘れられない嘘吐きの話  作者: 若桜モドキ
気づいてしまえば、そこは
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脳裏をよぎる面影

 誰からも愛されるだろう令嬢は、こうして屋敷の住民となった。とはいえ、今はまだ滞在しているだけのことで、特に青年とどうこう、という関係には至っていない。

 一足飛びに進められるかもしれない、と内心身構えていた青年に、彼女の義兄は、二人のことだから特に口を出すつもりは無い、という内容の手紙を送ってきた。

 ただし、もし令嬢を――義妹を傷つけるつもりならば、覚悟せよとも書かれていたが。

「少し早まったかな」

 確かに好ましいし、彼女となら家族となるのも不満はなかった。

 けれど、それらが生み出すものが愛なのか、あるいはそれに変わるだけのものなのか。青年は掴みきれずに、ただ脅しとも取れる手紙を見てはため息をこぼす。

 彼女は、とてもよい令嬢だ。

 それを無理といえば、誰からも高望みが過ぎると言われるだろうほどに。

 彼女以上を探すことは無意味だと、青年もわかっていた。


 だが。

 だけど。



   ■  □  ■



「今日はキッチンをお借りして、クッキーを焼いたんです」

 そういう彼女と、彼女つきの侍女が今日も部屋にやってくる。

 良家の子女ではあるが、どうやら料理をするのが趣味らしい。できあがったものは実によい色に焼きあがっていて、控えめな甘い香りが部屋の中に充満していった。

 それを青年と令嬢、そして側近の三人でいただく。紅茶は侍女頭が淹れてくれた。その侍女は少し年の離れた姉のような存在で、未だ青年は彼女にだけは頭が上がらない。

 だからこそ、そんな侍女を令嬢の傍に置いたのだ。

 相手のバックがバックなので、ヘタなものを近寄らせることもままならない。ある意味、隔離されているようなものだが、令嬢本人はあまり気になっていないようで幸いだ。

 件の、あの少女につけたのも彼女だった。

 あちらは完全なる監視で、もし何かあれば容赦なく始末せよと命じてあった。もちろん、毒の調達から何から、任せたのも侍女頭。他のものには、とても頼めないことだった。


『それほど疎ましいなら、ご自身の手で始末すればよろしいのに』


 毒を探し届けろと言った時には、ずっと黙っていた彼女も小言を一つ二つ漏らした。それこそ適当な架空の間男でもでっち上げて、それを理由に切って捨てれば問題なかろうと言う。

 一度は、それを考えもした。

 あれこれ理由をつけ、毒を入手するよりも。

 どこか適当な場所に連れ出して、そこでばっさり切り捨てる方が楽だ。

 邪魔な存在を始末できる上に、この手で殺すことでいくらか溜飲も下がるだろう。

 だが――そう思って、いざ剣を握れば、いや握ろうとすれば。指先が笑えるほど無様に震えて握る以前に触れることもままならず。それでいて、平常時は普通に触れ、抜けるのだ。

 彼女を殺したくないのだと、そういうことなのだろうか。

 意味がわからず、きっとそれなりに情がまだ残っているのだろうと彼は思った。一応、それなりの時期を共に旅をしたのだ。その間の記憶を共有できる、たった一人の存在なのだから。

 そして、侍女頭は毒を手に入れてきた。

 彼女の身内に薬師がいて、そこから手に入れてきたらしい。

 薬なら、侍女頭を通じてその薬師からよく手に入れて、青年の体質にあった常備薬も時々届けてくれている。ここに住んでこそいないが、ある意味お抱えと言っていい存在だ。

 そこへ、いきなり毒物の発注である。

 さすがに警戒されるだろうと、青年はいざとなったら他所の、そういうものを取り扱うような連中を訪ねるかと考えた。しかし薬師はあっさりと、何も言わず望んだものを作り届けた。

 眠るように安らかに、死ぬことができる毒を。


『理由は適当につけておきましたので、悪い噂は立ちませんからご安心を』


 淡々と薬の瓶を見せた彼女は、あの日からあまり笑わなくなった。同性だからなのか、少女に対してどこか同情的で、その扱いに苦言を唯一、直接ぶつけてきたのも侍女頭だた一人。

 けれど、姉のような存在でも、頭が上がらない存在でも。

 引き返すつもりには、なれなかった。

 大丈夫だ、と青年は心の中で言い聞かせる。

 ゆっくりと、彼の中でくすぶっていたいろんなものが、解けるように消えてきた。いずれ侍女頭の中でも同じことが起きて、消えてくれるはずだ。そうすれば、全部元通りになる。

 そのためにも、この縁を繋がなければならない。

 少女に取って代わるこの令嬢が、自分の妻となったら。

 もういない存在のことで、機嫌を悪くしているわけにはいかないだろう。

「おいしいですね」

 さくり、とクッキーをかじり、彼は彼女が気に入るだろう笑顔を浮かべる。

 視界の端で、咎めるように侍女頭が目を細めるが、あえて無視した。誰のせいで、こんな絵に描いたような作り笑いを浮かべていると。そんな八つ当たりにもにた感情を、押し隠し。


 実際に、おいしいのだ。

 これなら金を出してもよいと思うほど、おいしい。


 だが、頭の中にはびこる考えで笑みが歪みそうだから、あえて仮面をつけた。これは令嬢への気遣いであって、そんな目で睨まれ、咎められるほどのことではない。

 この程度は、よくあること。

 むしろこの程度ぐらいこなせなければ、生きていけないのが上流階級だ。

 この令嬢はおそらく、そんなことできやしないだろうが。しかし後ろ盾が協力だから、何も問題は無いだろう。何かあれば、それを武器に自分がフォローすればそれでいい。

 ふと、もしあの少女が魔族だったらと、考えた。

 後ろ盾もなく、孤児であった彼女がもし魔族で――自分の妻になっていたら。

 周囲の反発はそれなりにあっただろう。それを越えると思われる反対を味わった今なら、笑える程度かもしれないが。それでも頭に毒に似た物質がめぐっていたあの頃の自分なら、必死に彼女を守るために立ち回っていたに違いない。金も、時間も、すべて費やして。

 そんな面倒を回避できたのは、いいことだ。

 よい縁も手に入れ、やっとわずらわしいすべてから解き放たれた。

 何一つとして不満もなく、充実している、のに。

「じゃ、じゃあ明日も作ります!」

 次は何にしましょう、と侍女頭と話し合う令嬢を見て、青年は紅茶を飲む。

 甘い香りに明るい声――その組み合わせが、いくつかある旅の情景を思い出させた。

 いや、思い出させようと、頭の中にあるアルバムをパラパラめくった。しかし、そこに収められているはずの写真は真っ白で、何を写したものかすら、わからなくなっていた。

 わからない。

 何を思い出そうとしているのか。

 何を思い出せなくなったのか。


「あの、どういうものが好みですか? チョコチップとか、ナッツとか」

 そんな無邪気な質問に引きずられ、忘れたことすら、彼は忘れた。

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