欠落感覚
目の前には、余裕で数十枚はあるだろう写真。
青年はぼんやりと、その山を眺めてため息をこぼす。確かに婚約者――ということになっていた少女が死に、だから次を探していると公言はしたが、ここまでの山になるとは予想外。
最近は普段の執務はできる限り他に任せ、もっぱらこの写真の消化に勤めている。
大体、この手のモノを彼は信じていなかった。
写真は魔術を用い、専用の紙に指定した場所の一瞬を複製するもの。
要するに一瞬でその風景を絵にする技術だが、これが意外と『加工』できるのだ。
彼自身はお目にかかったわけではないが、側近が結婚前、好みド真ん中の令嬢の写真をもらって意気揚々と出かけ、その先で肉の塊に遭遇したという悪夢の話を聞かされている。
ブチ切れた側近が相手の両親をつるし上げると、どうやら体系が好みに合う侍女をベースに目鼻などのパーツを貼り付けたらしい。そして彼は、一目惚れしたその侍女を娶った。
なぜそうなった、と青年は思ったのだが、出会いから結婚まで数年あるので、まぁその間にいろいろとあったのだろう。彼の妻はとても優しく、確かに一目惚れも頷ける女性だ。
もっとも、そんなことは言わない。
彼にとってはほめ言葉だが、彼女の夫からするとそうではないからだ。
前に特に他意はなく服装のセンスをほめて、ひどい目にあった記憶がある。
彼の側近は、とにかく怒らせると後が恐ろしい。なので彼はおとなしく、目の前に用意された縁談用の写真を、一つ一つ、嫌々、渋々、ため息をつきながらそれなりに丁寧に見ていた。
信じていないものをどうして、こう食い入るように見なければいけないのか。
これなら他の貴族と、腹の探り合いをする方がまだ有意義だろう。
青年は見ていた写真を、すぐ傍で仕事をする側近に向ける。
それは少し離れたところを治める地方領主の娘で、気合を入れておめかしした少し年上の姫君が微笑んでいる。色の白い肌を際立たせるためなのか、色味の濃いドレスを着ていた。
「……ねぇ、この家の令嬢って、こんなに色白だっけ、細かったっけ。それとも僕が知らないだけでもう一人、こんな姿のお嬢様がいた? 愛人の子供かな。だとしたら不愉快だ」
「愛人やその子がいないことはないだろうけど、それはれっきとした本妻の子」
「じゃあ、当主に言っておいて。嘘吐きは死ね、とね」
びり、と写真を破り捨てる。
写真を燃やしたり破いたりするのは、被写体に不幸があるとされ、好まれない。ゆえに彼はこうして不快感を露にする。後でこの写真を、側近に持たせてかの家に行かせよう。
そして青年は数枚目の写真を手に、ぼんやりとその姿を眺める。
清楚そうな面立ち。腰の辺りまで伸ばされた髪。
淡い桃色のドレスは、装飾こそ少ないが着るものの魅力を引き出すデザイン。色味は少女過ぎる系統だが、彼女のそれはどこか大人びたものに見えた。ありていにいうなら、魅力的。
だが。
「――違う」
一言、青年はつぶやいて写真をぴらりと机に放り投げた。
破り捨てるほど気に入らないわけではない。もし、心の中に浮かんだある思いがなかったならば、彼女がそうだったかもしれない程度には、気に入った相手と言える。
でも違う、と心が叫んだ。
だから違うと口にし、彼女を却下した。
「そんなに気に入らないのか?」
幼馴染であるゆえに、軽い口調で側近が尋ねてくる。
彼は、青年が机に投げ捨てた写真を眺めると、意外そうに首をかしげた。
「お前の好みだと思うんだが。家柄も申し分ない」
「確かにそうだけど」
投げ捨てられた写真の被写体は、王族の縁者でもある家柄の姫君だ。
写真の山の中で、もっとも引く手数多だろう少女。
彼女の姉は次の王の正妃として城に上がり、すでに三人の子ができている。王子の溺愛っぷりはすさまじく、何人が強引に入り込んだ側室もいたが、すでに全員が実家に帰った。
まぁ、気持ちはわからないでもない。
後宮から見える場所で、王子は嫌みったらしく妻といちゃついたそうだ。自分のところには通っても来ないし、夜会に招いてもくれない王子。誰だって嫌になるし心も折れる。
もっとも、一番の打撃になったのは後宮の出入り口が、完全に封鎖されていたことか。
いつからかはわからないが、城と後宮を繋ぐ扉が潰されていたらしい。王子が『連中がこっちにきたら子供の教育に悪いし、ぶっちゃけウザいから』とか言って、作り変えたとか。
王子が絶対に後宮に来ないという現実に、自称側室の令嬢はすごすごと去った。なお、出入り口は二度と使えない状態にされていたので、後宮内の『勝手口』から出て行ったらしい。
良家のお嬢様にとって、この上ない屈辱だっただろう。
……この写真の令嬢はそんな、いろんな意味で敵に回せない義兄をもっている。
非常に魅力的でもあるが、同時に一手間違えるだけで即死だ。彼は妻を愛し、妻の妹も大事にしている。もし彼女を娶って浮気の噂が流れようなら、確実に命はない。
しかし、そういう行為をする気がない、嫌悪するものには、それらは問題ではないのだ。
「お前はそういうの、しないだろう? じゃあ、問題ないじゃないか。いい加減、ちゃんと相手を作らないと、後々面倒になるのはわかっているよな。お家騒動は外聞も悪いし」
「……わかってる、けど」
わかっている。彼女辺りで納得し、さっさと身を固めるべきだと。
例の身代わりのこともあって、親類からの風当たりはよくない。彼女の存在の前に、青年を諦めて他所に嫁いだ親類は多くて、彼女の死を公表する数日前に嫁いだ従妹もいる。
その両親に、直接こうだと言われたわけではない。
でも、この間の夜会で出くわした彼らは、その目はこう言っていた。
――人間のせいで、あの子は身分の劣る男に嫁がなければいけなくなってしまった、と。
そんなもの、そちらのせいだろうと青年は言いたかった。別に嫁げ、と命令したわけでもないのだから、好きなだけ選り好みしていればいい。行き送れる可能性は知らないが。
自分たちで選んだことについて、あれこれ文句を言われるのは心外だった。
実に、そう実にそれらの感情がうっとうしい。
これからは、さらにうっとうしいことになるのだと、側近は言いたいのだ。
「じゃあ、さっさと結婚するんだな」
何度か繰り返されるその言葉に、青年はとうとう返事をしなかった。
質のいい椅子の背もたれに身を預けて、天井を見る。さっきまで見ていた令嬢を思い浮かべてみるのだが、どうしても何かが、何かが気に入らなかった。悪くは無いと思うのに。
どこかが、致命的に気に入らないのだ。
写真でわかる程度の要素の何かが、我慢できないのだ。
何が、そしてどうしてかは、わからないけれど。
■ □ ■
雑務を片付けて、彼は庭に出ていた。
親どころか祖父の代から世話になっている庭師一家の、二代目が整えた自慢の庭だ。いずれ結婚したならば、妻となる誰かがここでご夫人を招き、茶会でもするのだろう。
季節の花が彩りを考えて植えられ、適度に整えられた樹木が影を落とす。
その下に入り込み、青年はぼんやりと見慣れた庭を眺めた。
誰もいない、静かな庭だ。
息抜きにはもってこいの場所で、少し昼寝をするのもいいだろう。もっとも、今日は予定外の仕事が舞い込んだので、そんな余裕は無いのだが。しかもそれはまだ終わっていないのだ。
半強制的に、今後実際に会う令嬢を選ばされた。
ある程度見知った、つまり嘘吐きではない写真を送ってきた令嬢ばかりを、数人。
その中には、姉が王妃となったあの令嬢もいる。おそらく、何事もなければ彼女を自分は気に入るのだろうなと青年は思った。気に入らないけれど、無難なのは彼女だから。
そんな理由で選ばれるのも哀れだと思いつつ、それもまた運命かとも思う。
生まれながらに傅かれ、苦労を知らぬ代償は自由だ。
自分はまだ、ある程度は選べるだけ……きっと、恵まれているのだろう。
そんな中で選びたかったのが、嘘吐きというのは皮肉だ。自由とは名ばかりのそれを、捧げてもいいと思ったのに。旅の記憶を掘り返すと、どうしても纏わりつくあの笑顔。
記憶を操作できるすべがあったら、きっと彼女の記憶を消すだろう。
ただ、庭を見ているだけ。
いい意味で変わり映えの無い庭。自慢の場所。そして、部屋から出さなかった彼女に、唯一与えた自由の場所。だからなのか彼女は、よくこの庭にいた気がする。
青年の前では消えてしまった、あの笑顔を見せていたような、気もする。
用事がなければ会おうとも思わなかった彼女を、執務用の部屋からよく見かけていた。花をめでる彼女は、視線を上には向けない。だから彼が見ていたことも、知らない。
思い出してしまう、騙されていた愚かな自分を。
だから、忘れてしまいたいのに。
まるで目の前に、彼女がいるような気がして。
「面倒、だな……」
つぶやき、目を閉じる。
さっきまで見ていた写真を、思い出せる限り頭の中にばら撒いた。そして見たくない、思い出したくないものを頭から叩き出し、目を開く。そこには、いつも通りの庭が広がっていた。
これ以上の長居は無用だと、青年は仕事に戻る。
屋内に入る直前、もう一度振り返ってみた庭はやはり、変わらない。
ただ、何かが抜け落ちた感覚だけが、彼の中に残されていた。