眠り姫のキスで目覚めて
とても幸せな夢を見た。
夢でしかありえない幸福を、目が覚めてからも彼はしっかり覚えていた。いっそ、忘れていればよかったとは、微塵も思えない。だから彼は、姉のような存在である彼女に言った。
「いい夢を見たんだ」
息を呑む侍女頭に、雫を伴う微笑を浮かべて、そう言った。
■ □ ■
体が満足に動くようになって、青年は少しずつ仕事を再開した。一応、人々の暮らしを守るのが役目で、その対価としてよい生活を送っている身分。怠けることはできないのだ。
最初の仕事としてやったのは、例の令嬢への侘びの手紙だった。
最悪、首でも飛ぶかと思ったのだが、返ってきたのはむしろこちらへの謝罪。人の指摘してはいけないところを無遠慮に引っ掻き回した、彼女こそが悪かったのだという内容だった。
近々、彼女は別の縁談相手の所に赴いて、そこできっと幸せになるのだろう。
今更祈れる身分でもないが、彼女が幸せになればいいと青年は思う。
次にしたのは、心配をかけたであろう人々への謝罪だ。記憶がだいぶ飛んでいるが、かなり危ない状態であったらしい。特に主治医には、こんこんと数時間説教された。
何も無ければ、きっとそうやって彼女も怒ってくれたのだろう。
そう思ってわずかに、きしむような痛みがあった。
残酷なほど幸福だった夢は、もう見ない。
きっと、あれは彼女からの最後の『手紙』だったのだと思う。そんなことで死ぬなと、手を腰に当ててこちらを睨む姿が、ふいに想像できて。
「ちょっと、休憩に行こうか」
仕事をひとまず置いて、彼は立ち上がった。
他のことをしていなければ、女々しくも泣き出しそうになったからだ。
休憩といっても、行くのは例の衣裳部屋だ。誰も入らないよう鍵をかけて、ずっと飾ったままのドレスを見るだけの時間。あの時の彼女のようにふれることもしない、見るだけだ。
思うのは、今後のこと。
きっと結婚などできないだろうと、青年は思う。
彼女を忘れることはできず、きっと誰が来ても最終的には拒絶する。
妥協? そんなもの、最初からできるわけが無かったのだ。自分の花嫁は、このドレスに袖を通すことができる彼女だけで、それ以外は必要なく、彼女がいないなら跡取りなどない。
なので、いざとなれば親類から養子をもらうつもりだった。
「君は、結婚しろと言うかもしれないけどね」
だけど無理なものは無理だ。
そこは諦めてほしいと、ここにいない彼女にわびた。
一通りそこで過ごし、ごまかすように彼は中庭に向かう。その途中、侍女頭とすれ違ったので軽く挨拶をし、中庭に通じる扉を開けようとした時。
「会いたい、ですか?」
そんなことを、侍女頭が言う。
まるで、会えるなら今すぐにでも会えます、と言うかのような声に、彼は。