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忘れられない嘘吐きの話  作者: 若桜モドキ
最初の嘘と、最期の嘘
1/15

指輪の意味を知りたくない

 彼女は嘘吐きだった。

 それも、許しがたいほどの。




 この世界にはよく似た、けれどまったく異なる種族がある。

 人間と魔族。その青年は魔族で、それなりの家柄に生まれた貴族というヤツだった。しかし見聞を広げるためにと、ごくごく普通の魔族として、世間を歩いて回っていた。

 しかし、これは必要なことだとわかっていても、彼にとっては苦痛でしかない。

 彼は魔族でも稀に見るほどの、極度の人間嫌いだったのだ。

 だが旅に出るということは、その人間と接さなければならない。人間と魔族は、正直なところ魔力の有無ぐらいしか、違いがない。寿命も同じぐらいで、だから混血もよくあることだ。

 いずれ、何千年も先には魔族も人間も、混ざり合ってしまうだろう。

 そんなことをいう学者がいる。彼からすると、首を締め上げたい発言だが。ちなみに件の学者だが、青年でさえ少し引くほどの純血主義者の手で、すでに血祭りにされている。


 青年もわかってはいるのだ。

 世界は見れば見るほど、人間も魔族も関係ない。

 よい人間もいれば、悪い魔族もいる。わかってはいるのだ、その辺りは。しかし長年、偏見とも言うべき嫌悪を抱き続け、彼はどうしても前に進めないまま、旅の終わりを迎えていた。

 そんな時だった。

 その少女に出会ってしまったのは。

 大きな、感情をそのまま表すような瞳。よく動く表情。明るい声。それから、弱いものを慈しむ優しい心。青年は、溺れるように彼女に惹かれて、彼女への恋を自覚するに至った。

 彼女もまた青年を好きになり、二人はさらに一年ほど一緒に旅を続けた。


 そろそろ故郷に戻ろう。

 戻り、彼女と結婚をしよう。


 青年はそう誓い、手持ちの路銀を使って指輪を買った。貴族としての自分だと、粗悪すぎて手にも取らないような石のついた、まるでおもちゃのような指輪だった。

 差し出し、結婚してほしいと伝えると、彼女は少し驚いて。

 大粒の涙を流して、喜んでくれた。

 けれど彼女は嘘をついていた。出会って間もない頃からずっと、本人が言うにはどうしてもいえなかったという秘密を抱えたまま、青年と旅をし、そして彼の心を絡めとった。

 彼にとって、それはもっとも致命的な嘘。

 プロポーズをしたその次の瞬間、彼女はその嘘を明かした。

 人間、だったのだ。



   ■  □  ■



 青年は、その亡骸の前でぼんやりとする。

 ベッドの上、質素なドレスを着て横たわっているのは、かつて何も知らなかった頃に身を焦がした少女だった。眠るように目を閉じる彼女は、少し前に、その命を散らした。

 散らした――では、語弊があるかもしれない。

 正確には、散らされた、だろう。

 やったのは他ならない彼だ。

 意味のない取引の末に彼が差し出したのは、水が入ったコップ。

 そして、どんな命も眠るように刈り取る毒物だった。

 嘘を明かした後、彼女は必死にわびてきた。人間だとバレたら、一緒にいられなくなってしまうから嘘をついたんだと、泣きながら謝罪を繰り返した。


 けれど、そんな言葉に青年はもう、騙されない。

 彼女の言葉を、もう絶対に信じない。


 しかし青年は彼女を許した。許すための条件を出した。これから彼は実家に戻り、掃いて捨てるほど舞い込む縁談を片っ端から断る、という仕事をしなければならない。

 もっともらしい断りの理由として、少女を身代わりの婚約者に仕立てようと考えたのだ。

 しかし魔族は魔力を持ち、それを魔術として行使できる。さらに貴族ほど、自らの一族が純血であることを誉れとするところがあった。そこに人間の花嫁を投げれば、どうなるか。

 彼女は、それで償いになるなら、と条件を飲んだ。

 屋敷に連れ帰って、少しでも見栄えよくなるよう侍女に整えさせた。まぁ、元々それなりに整った見目をしていたから、その辺りはさほど苦労は無かったと青年は報告を受けている。

 マナーに関しても、性格的に向いているのか、やはりすんなりと覚えたらしい。

 そして彼女は見栄えもよく中身も伴う、彼の婚約者になった。


 憎悪と嫉妬が人間である彼女に向かう間に、彼はいろいろと手を下す。たとえば、彼女に直接危害を加えてくるような貴族は、どうせ似たようなことをやるからと叩き潰してやった。

 他にも毒殺を企てるものや、逆に青年を殺して少女を手に入れようとする、おろかにも程がある男もいたのだが、それらはもう土の下だったり牢獄の中。

 父親からいろいろ引き継ぐと同時に、勝手にくっついてきたモノは、一年で取り除けた。

 後は残る貴族や名家から、それなりに相性のいい令嬢を娶るだけ。

 だがその前にもう一つ、処分しなければいけないものがある。

 身代わりの婚約者だ。

 青年に許してほしい嘘吐きは、時に血や涙を流しながらも、一年耐えた。いつか許してもらえるとでも、彼女は本気で思っているのか。その愚かさに青年は、最後に慈悲を与えた。

 それが毒だ。

 できるだけ楽に死ねるものを、わざわざ探してやった。自分を騙し、今も取り入ろうと滑稽なダンスを踊り続ける彼女のために、彼がそこまでする必要など無かったのだが。

 あれでも役には立ったのだから、それくらいの『礼』をしてもいいだろう。



   ■  □  ■



 薬は侍女に届けさせた。最後に会うという慈悲は、与えてやるつもりはない。適当な人間が暮らす村か町に、その遺体を捨てる手続きを整えている最中に、彼はその報告を受ける。

 彼女は、薬と水を前に何も言わなかったそうだ。

 静かに淡々と、それらを見つめていた。

 侍女が退室し数時間。

 再び様子を見に行くと、ベッドの上で静かに横たわる彼女がいたという。

 一時は、この手で殺してやりたいとさえ思うほど、憎かった。その無意味な取引の末に消えた命を確かめるため、彼は部屋に向かう。報告通りそこには、穏やかな寝顔があった。


 生きているのではないかと、青年は一瞬思う。

 ありえないと、わかっているのに。


 あの薬の効力は知っている。

 飲めば助かるはずがないのだと、わかっていても、なぜか不安だったのだ。

 ふと、ベッド脇のテーブルを見ると、そこには指輪があった。

 大きく透明な石を一つあしらったシンプルな、しかし存在感のある指輪だ。普段、それがきらめいていた指を見ると、そこには質素で安っぽい指輪が、鈍い光を灯している。

 わからないな、と彼は小さくつぶやく。

 どうして彼女はあの時の指輪を、左の薬指にはめているのか。彼女には、一応それなりの指輪を送ったはずだ。身代わりとしてそれらしくなるよう、豪華で立派な石のついたものを。

 どうして彼女はそれをはずし、こんなおもちゃにも劣るものを身に着けたのか。

 あれが毒だと、わからないほどバカではなかったはずだ。

 最後の最期にどうして。

 ……まぁいい。

 願いは叶ったのだから。自分を騙した嘘吐きを殺し、これで少しは気も晴れる。何か言いたそうにしている侍女に、彼女の遺体を適当に処理するよう伝え、彼は自室へと戻った。

 これで終わったのだと、彼女との出会いから始まる悪夢が終わるのだと。

 そう、確信して。

 だが部屋に戻る途中に、彼はその部屋に入ってしまった。


 ――花嫁のための衣裳部屋。


 金の無駄になると思いながらも、身代わりをより本物らしくするため、少女の体系に合わせたドレスを作っていた。それは衣裳部屋の中央に、人形に着せた状態で放置されている。

 起伏があるとは言いがたいその体系を、より魅力的に見せるためのデザイン。花をモチーフにしたレースや刺繍。捨てるにはもったいないが、オーダーメイドだから仕方がない。

 青年は特に目的があるわけでもないのに、純白のドレスの前に立つ。

 いつか見かけた少女がしていたように、そのヴェールに触れた。


 ――あぁ、そういえば。


 零れ落ちるように思い出したのは、あの瞬間に見た横顔。

 何も知らず、何も言わず、ただ旅をしていた頃に、よく見ていたもので。

 そういえばあの笑顔に、だんだんと惹かれていったのだと、思い。こちらを向いて笑う少女の幻が見えた気がした次の瞬間、その姿と入れ替わるように浮かんできたのは、安らかな。

「……」

 かすかに、突き刺すような痛みが胸に走る。

 わずかな棘は、一瞬で消えていく。

 思い出した微笑みも、砕けるように霧散した。

 だから青年は、何事も無かったようにドレスに背を向けた。彼女がどんな思い出、あのドレスを見ていたのか、なんて知りたくない。考えたいとも思わなかった。

 そう、どうして最期にあの指輪を身に着けたのか。

「捨てたはず、なのにな」

 目を閉じてすべてのことにそっと蓋をし、彼は部屋を出てく。

 もう、見たくない笑顔の幻は、どこにもない。

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