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『余命三ヶ月の王は、王妃に嫌われていると思い込み「幸せになれ」と離縁を突きつけた。~死後、愛されていたと知ってももう遅い~』

作者: 白昼夢
掲載日:2026/02/14

 ハッピーな日ですが、あえて非常に切ない、不器用な二人の物語を書きました。少しでも心に残れば幸いです


『余命三ヶ月の王は、王妃に嫌われていると思い込み「幸せになれ」と離縁を突きつけた。~死後、愛されていたと知ってももう遅い~』





**「これは、最後まで妻に愛されていると気づかなかった、愚かな男の物語だ」**







余命は三ヶ月だと、侍医は言った。


王の寝室は、今日もやけに静かだった。

厚い天蓋の向こうで、春の風が鳴っている。

この国は今、戦もなく、飢饉もなく、平穏だという。


だが王である私は、もう長くないらしい。


「……そうか」


驚きはなかった。

驚くほど、良い王でもなかったからだ。


私は戦に勝った英雄でもなく、

劇的な改革を成した名君でもない。


決断は遅いと責められ、

優しすぎると嘆かれ、

強くあれと望まれてきた。


だが結局、何一つ、胸を張れるものはない。


「王妃様にお伝えしますか」


侍医の問いに、私はわずかに首を振った。


「いや……いずれ分かる」


どうせ、私の体調は隠せない。

あの人は、いつも気づいてしまうから。


扉が静かに叩かれた。

許可を出す前に、控えめな足音が近づく。


「……陛下」


王妃だった。

隣国から嫁いできた才媛。

常に冷静で、誰よりもこの国の利益を考える人。

そして――私を愛してはいない人。


「顔色が優れませんね」


「年相応だろう」


「年のせいではありません」


短い言葉。

必要最低限の会話。

これが、私たちの夫婦の形だ。


政略結婚だった。

愛を育む時間など、最初からなかった。


私は彼女を守るために距離を取り、

彼女は私を尊重するために踏み込まなかった。


その結果が、この静けさだ。


「今夜はお休みください。公務は私が」


「……頼む」


彼女は一礼する。

そのとき、ふと視界の端に色が映った。


窓辺の花瓶。

昨日とは違う花が活けてある。


「花を変えたのか」


「はい。香りが強いと、咳が出ると伺いましたので」


侍女に命じたのだろう。

いつもそうだ。

彼女は、よく気がつく。


だがそれは、王としての私に対してであって――

夫としての私ではない。

きっと。


「陛下」


去り際、彼女は立ち止まった。

何かを言いかけて、やめる。


「……ご自愛ください」


扉が閉まる。

残された寝室に、花の淡い香りが広がる。


余命三ヶ月。

最後まで、私は良い王ではなかった。

そして――良い夫でも。



翌日、私は王妃を呼んだ。


陽は傾きかけていたが、寝台から起き上がるだけで息が上がる。

情けないものだ。


「御用でしょうか、陛下」


いつもと同じ声音。

揺らぎのない姿勢。


私は、努めて穏やかに言った。



「……話がある」


彼女は黙って頷く。

その沈黙が、ひどく重い。


「余命が、長くないらしい」


ほんのわずか、王妃の指先が強張った。

だがすぐに戻る。




「存じております」


やはり、気づいていたか。


「そうか」


少し、安堵する。

隠し通せるとは思っていなかった。


「そこで、だ」


私は視線を逸らした。

正面から彼女を見る勇気が、どうしても出なかった。


「私が逝った後……お前はまだ若い。隣国も、お前を惜しむだろう」


「……何を仰りたいのですか」



「離縁を、進めておく」


空気が凍る。


「形式上は王妃だが、子もいる。再婚も可能だ。政にも口を出せる立場を整えておく」


できる限り、理路整然と。

それが私にできる、最後の責任だと思った。


「私は……」


彼女の声が、低く落ちる。



「陛下の妃です」



「今は、な」



「今も、です」



初めて、語尾が揺れた。

だが私は続ける。


「私に縛られる必要はない。幸福を選べ」


沈黙。

長い、長い沈黙。


やがて王妃は、静かに息を吸った。



「陛下は」



顔を上げる。

彼女はまっすぐこちらを見ていた。


「いつも、私のことをお決めになります」


「……守るためだ」


「守られてなど、いません」


その言葉は、刃のように胸に刺さった。

だが彼女は続けない。

拳を握りしめ、やがてゆっくりと解く。


「離縁の件は、お好きになさってください」


声は、元通りに整っていた。


「私は、陛下の決定に従います」



「……すまない」


謝罪しか出てこない。

それが、私の限界だ。


彼女は一礼した。

そのとき――ほんの一瞬。

睫毛の端が、濡れているように見えた。

気のせいだろう。

あの人が、泣くはずがない。


扉が閉まる。

私は深く息を吐いた。

これでいい。

これで、彼女は自由になる。

最後くらい、正しいことをしたい。

それが、愛ではないとしても。




扉の向こうに、気配があった。


「……誰だ」


控えめに現れたのは、まだ幼さの残る王子だった。


「父上」


その目は赤い。


「離縁、とはどういう意味ですか」


私は言葉を選ぶ。


「母上を、自由にするだけだ」


「母上は、自由ではないのですか」


胸が詰まる。


「父上は……母上が嫌いなのですか」


「違う」


即答だった。


「なら、なぜ」


答えられない。

守るためだ、などと。

子どもに理解できる言葉ではない。


「父上は、いつも何も仰らない」


王子は拳を握る。


「母上も、何も仰らない」


震える声。


「どうして、何も言わないのですか」


私は目を閉じた。

その問いに答えられるなら、

私はもっと良い王で、良い夫だった。




王は目を閉じ、答えられない。

王子は涙を堪えながら言う。


「父上が何も仰らないから、母上も何も仰らないのです」


王は初めて動揺する。

だが言葉にできない。


「王とは、弱みを見せぬものだ」


「では、私は王になりたくありません」


王子の言葉が、胸をざくりと貫いた。

――私は、間違っていたのかもしれない。


初めて、自分の判断が正しかったのか迷う。

しかし、心の奥で分かっていた。

もう、取り返せる時間は残されていないのだ、と。



その夜、発作。

侍医が走る。

王妃が駆けつける。


王は朦朧としながらも、王妃に言う。


「離縁の書状は、引き出しに入っている。……私が死んだら、すぐにそれを持って国へ帰りなさい。君を縛るものは、もう何もない」



王妃が息を止める。



「……どこまで、残酷な方なのですか」


「あなたを、縛りたくはない」


王妃、初めて感情をあらわにする。



「縛られてなど……おりません」


しかし続けられない。


王は微笑む。


「そうか。優しいな」


完全に誤解したまま。



ああ、視界がかすむ。

最後に見た君の顔は、ひどく歪んでいた。

すまない。

 泣かせるつもりはなかったのだ。

本当は、その手を力一杯握り返したかった。

君の好きな花の話を、もっと聞きたかった。

君の国の言葉で、「愛している」と伝えてみたかった。

 だが、それは私のエゴだ。

嫌っている男からそんなことを言われても、君を困らせるだけだろう。


――ようやく、君を解放できる。

私を忘れて、笑ってほしい。

願わくば、次に君が愛する男は、

私のように「沈黙」を美徳としない、不器用ではない男でありますように。


さようなら。


私の、冷たくて、何よりも愛おしい王妃。






夜明け前。

王妃が手を握る。

王がかすかに目を開く。


「花の香りが、今日は強いな」


王妃が答える。


「……陛下がお好きな香りです」


王は首を振る。


「いや。お前が好きな香りだった」


王妃の呼吸が止まる。


王は続ける。



「覚えている」


それが、ほぼ唯一の“歩み寄り”。

だが決定的な言葉は言わない。


最後の言葉は――


「すまなかった」


王妃は初めて声を漏らす。



「違います。…私は初めて会った日からずっと陛下のことを……。」


だが、その言葉が届く前に、王は息を引き取る。






城外の広場に、いつの間にか人が集まり始めていた。

貴族たちは顔を見合わせ、眉をひそめる。


「愚王の葬儀に、これほど人が――」


兵士が小声で報告する。


人々は自発的に集まっていた。

追い払おうとしても、誰も動こうとしない。

皆、静かに、ただ王を見守っている。


王子はその光景をじっと見つめた。

ふと理解する。

父は――嫌われてなどいなかったのだ、と。





国葬の日、空は晴れていた。

春の風が、王城の旗を揺らす。


棺の前に立つ王妃は、黒衣のまま微動だにしなかった。

涙は、見せない。

見せてはならない立場だと、誰よりも理解している。


式が終わり、民が去り――

夜になっても、王妃はその場を動かなかった。


「母上」


背後から、王子の声がする。

まだ幼いその手には、一冊の革表紙の日誌があった。


「父上の執務室から……」


王妃は、ゆっくりと受け取る。

見覚えのある筆跡。

見覚えのある、整いすぎた文章。


王はいつも、感情を削ぎ落として書いた。


頁をめくる。

そこにあったのは、政策でも戦でもない。


城下の花売り。

兵士の未亡人。

若い鍛冶師。


そして――


『王妃は、今日も眠れていない様子だった。

 花の香りを弱くするよう、侍女に伝える』


 『彼女が昔好きだと言っていた隣国の菓子を、商人に探させた。私が渡せば、彼女は気を遣って無理に笑うだろう。だから、侍女の差し入れということにした。』



頁が、滲む。


『私は、彼女を守れているだろうか』


震える指で、次の行を追う。


『彼女が幸せであるなら、それでいい。

 私が嫌われているとしても』


そこで、王妃の喉から音が漏れた。

声にならない、ひどく小さな音。



「……嫌ってなど」


言えなかった。

ただ一度も。

あの人は、いつも決めてしまう。

守ると言って、距離を取る。

優しさで、壁を作る。


それでも――


「母上」


王子が、そっと言う。


「父上は、母上を嫌ってなどいませんでした」


違う。

嫌ってなど、いなかったのだ。

愛していた。

不器用なほどに。


王妃は、初めて棺に縋った。


「どうして……何も、仰ってくださらなかったのですか」


答えは、もう返らない。


夜が更ける。

やがて王子が、棺の前に進み出る。

幼い背が、まっすぐに伸びる。


「私は」


その声は、震えていなかった。


「私は、言葉にする王になります」


王妃が顔を上げる。


「守るなら、守ると。

 愛しているなら、愛していると。

 必ず、伝えます」


沈黙の王とは違う。

けれど、その根は同じだ。

誰よりも人を思う、不器用な優しさ。


棺の中の王は、静かに眠っている。

最後まで、自分が愛されていたことを知らずに。

それでも――確かに、愛されていた。





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