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アタシの初H

作者: 星賀勇一郎






「え……」


アタシはシェイクを飲み終えた時になるズズッって音を鳴らさない様に飲んでたのに、思わず鳴らしてしまった。


「今週の土曜、うち、両親いないんだ。良かったら来いよ」


だって……。

これってアレよね……、泊れって事よね。

それに泊るって事はアレって事よね。


アタシは平然を装っていたけど、頭の中はパニック状態で、もう何が何だか……。


「って、急にそんな話しても困るよな」


蓮人は食べ終えたトレイを持って席を立つ。


ちょっと待ってよ……。


アタシもカバンを持って蓮人の後を着いて行く。

バーガーショップを出た所で、蓮人は振り返ってアタシを見た。


「土曜日って試合の日だったよな。御免な、試合に集中して」


そう言ってアタシの頭をポンポンって撫でる。


「じゃあ、俺は塾行って来るよ」


蓮人は手を振りながら駅とは反対の方向に歩いて行った。


もう、遅いわよ……。

そんなんで試合に集中できる訳ないじゃん……。


アタシの頭の中は自力での鎮圧は無理な程の混乱ぶり。

どっかの国なら国防軍とか国連軍とか、よくわかんないけど、即、お願いしたい気分。


蓮人の姿を見送って、スカートのポケットからスマホを出す。

困った時の三奈美に連絡。

いつもならメッセージ送るけど、今日はメッセージの返信なんて待ってたら気が狂ってしまいそうな気分。

とにかく電話……。


なかなか出ない。

何でよ……。

こんな時に……。


「はい、もしもし」


出た。


「もしもし、アタシ、どうしよう、土曜日に蓮人に泊りに来いって言われちゃった。アタシどうしたら良いんだろう。だってまだ高二だよ。高二でもそういうのって有りなのかな、もうパニックなのよ、ねぇ、どう思う。やっぱアレよね、もう付き合って半年だし、そういうのも考えるよね、どうしたら良い」


息をするのも忘れてアタシは一気に喋った。

すると電話の向こうでクスクスと笑い声が聞こえた。


「亜佳梨ちゃん。三奈美、今、お風呂だわ」


え……。

もしかして……。


「あの……」


アタシは恐る恐る、訊いた。


「もしかして……」


「はい、姉のすばるです」


顔が熱い……。

これって超ハズい状況なんですけど……。

しばらく無言の状態が続く。

でも、これでいきなり切るのもなんだし……。


「亜佳梨ちゃん」


すばるさんの声が頭の中でクワンクワンと響く。


「は、はひ……」


もうちゃんと返事出来てないじゃん。


「大きな声じゃいけないけどさ、私は高二だったよ」


すばるさんは小さな声で言う。


すばるさんは高二だったんだ。


「三奈美はまだっぽいけどさ、そういうのって大事にしなきゃとかってもう古い気もするじゃん……。好きなら……」


そこでまた小さな声で、


「やっちゃえ」


と聞こえた。

その声が悪魔の囁きの様にも聞こえた。

そしてまたクスクスと笑い声が聞こえる。


「すばる、何で私の電話出てるのよ」


と電話の向こうから声が聞こえた。


「もしもし、亜佳梨……。御免ね、お風呂入ってて」


アタシは同じ話を二回する気力はもう無かった。


「ううん。良いよ。また明日話す……」


アタシがそう言うと、


「私が説明しておいてやるよ」


と三奈美の横からすばるさんの声がした。


お願いします……。


多分、声にはなってなかったのかもしれないけど、アタシはそこで電話を切った。

 





アタシはその後、どうやって家に帰ったのか、記憶に無かった。

気が付くと部屋の隅で、制服のまま膝を抱えて座っていた。

床に置いたスマホが何度も振動してた。

三奈美からの着信。

でも、どうしていいのかわからないのと、すばるさんに話してしまった恥ずかしさとで、とても三奈美と話す気になれなかった。


「あーもう、どうしたら良いのよ……」


思わず大声を出してしまった。

すると部屋のドアが開いてお母さんが覗き込む。


「何、どうしたの……」


どうしたのって言われても、お母さんに言える訳も無く……。


「何でもないよ」


アタシは膝を抱える。


「何でもないならお風呂、入っちゃいなさい」


そう言うとお母さんは部屋のドアを閉めた。


アタシは着替えを持って部屋を出た。

黙ったままバスルームに入る。

お風呂でシャワーを思いっ切り出して、その熱めのお湯を頭から……。


何か悪い事している気分になって来た。

何もしてないのに……。

ん、蓮人としてしまうとこの罪悪感みたいなモノは続くのかな……。

それはアタシの豆腐みたいなハートが持たない気がする……。


アタシが頭を思い切り振ると、周囲にお湯が飛び散る。

鏡に映る顔を見た。


三奈美やすばるさんみたいに可愛くもないし。

もう、蓮人の馬鹿……。


アタシは鏡にシャワーを浴びせた。


とりあえず身体を洗い、浴槽に入る。

こんなに気の重いお風呂は生まれて初めてかもしれない。


蓮人の事は好きだけど、本当に良いのかな……。

すばるさんは「やっちゃえ」って言ってたけど、三奈美はどうなんだろう。

お風呂出たら三奈美にも訊いてみよう。

何でこんな時に……。

大事な試合もあるのに、蓮人の馬鹿……。


アタシは浴槽に頭まで沈んだ。

ブクブクと口と鼻から泡が出る。

そして直ぐに苦しくなり、勢いよくお湯から顔を出した。


バスタオルを取り、浴室の中で身体を拭く。

曇った鏡にアタシの身体が映る。


まあ、それなりだけど、蓮人に見られるんだよね……。

色白美人でもないし、華奢でもない。

どっちかって言うと日に焼けてソフトボールで鍛えた筋肉質な方。

そんな事は今更、どうしようもないし……。


浴室のドアが開き、お母さんが顔を出す。


「何やってんの……。早く出なさいよ。陵が待ってるのよ」


陵とは二つ下の弟。

中学で野球をやってる丸坊主。


「何……。自分の身体ジロジロ見て……。誰かとやらしい事でもするの」


お母さんはアタシに言う。

我が母親ながらなかなか鋭い。


「何言ってんのよ……。そんな事する訳ないでしょ」


アタシは無理矢理浴室のドアを閉めた。


パジャマを着てバスルームを出た。

お母さんがテーブルでネーブルを切ってた。

ネーブルはアタシの大好物で、多分、年中切らした事が無い。

濡れた髪を拭きながらソファに座ると、練習着のままテレビを見ていた弟の陵が無言のまま立ち上がってお風呂に行った。

最近は思春期なのか、アタシと口も聞かない。

あ、アタシも思春期か……。

お父さんもお母さんもそんな難しいのが家に二人もいると大変だろう。


アタシはお母さんの切ったネーブルを取り、口に入れる。

うん、今日のも甘くて美味しい。


「何かね……」


お母さんはナイフの刃を拭いて、ケースに戻しながら言う。


ん……。


アタシはお母さんの顔を見ながら二つめのネーブルを手に取った。


「陵に彼女が出来たらしいのよ」


うっそぉ……。

あのハゲに……。

あ、正確に言うとハゲでは無く坊主なんだけど……。


「デート行くんだけど、何処に行けばいいんだろうって訊くからさ……」


でぇと……。

中坊の癖に生意気な……。


アタシは三つ目のネーブルを取る。


「お母さんの時とは時代が違うでしょ……。だからお姉ちゃんに訊きなさいって言っといたから」


ん……。

アタシ……。

アタシは坊主の中坊のデートどころじゃないわよ……。


手に持ったネーブルの皮を皿の端に置く。

お母さんは立ち上がってキッチンへとナイフを持って行った。


「デート……。いつ行くって」


アタシはお母さんに訊いた。


「今度の土曜日って言ってたわよ」


アタシは慌てて、手に持った四つ目のネーブルの果汁を飛ばし、それが目に入った。






ベッドで横になって三奈美からのメッセージを読んだ。

全部すばるさんから聞いたらしい。


「まあ、すばるみたいに「やっちゃえ」なんて言わないけどさ、亜佳梨次第なんじゃない」


三奈美の結論はそれだった。

アタシにとっての結論にはならないけど、そんな話になるのは薄々感付いてた。


「姉ちゃん、ちょっと良い」


部屋の外で陵の声がした。

声変わりの途中で、気持ち悪い声。

専門家に言わせると同時に二つの周波数の声が出てるらしく、不快に感じるのは当たり前みたい。


「何……」


アタシがそう言うと陵がドアを開けて入って来た。


さっきお母さんが言ってたデートプランの相談よね……。


アタシは、スマホを置いてベッドに座る。

陵はアタシに気を使ってか、床に座った。


「デートするらしいじゃん」


「あ、お母さんに聞いたの」


アタシは小さく何度か頷いた。


「何処行けば良いと思う」


気が付くと弟がでっかくなっている事に気付いた。


「何処って言うかさ……」


アタシは投げ出したスマホを探して手に取る。


「相手の詳しい情報、教えなさいよ」


陵は少し照れながら、色々と話してくれた。


一つ下の中学二年生。

十四歳って事か。

陸上部の短距離をやってる子で、野球部と同じグラウンドで練習しながらいつも陵の事を見てたらしい。

それでずっと気になってて、好きだって気付いて告られたらしい。

何だよ、このハゲ、青春漫画みたいじゃん。


「ね、」


アタシは身を乗り出した。


「可愛いの、その子」


陵は照れ臭そうに、天井を見て、


「一個下では一番可愛いかな……」


と身体を揺らしながら言う。


なかなか一番可愛いって言えないよな……。

調子に乗るなよ……ハゲ。


「で、趣味とかは……」


陵は首を傾げていた。


「走る事……」


は……。

何よ、それ、部活じゃん……。


アタシは溜息を吐いた。


「写真とか無いの……」


「あるけど……」


ん、あるけど……何。

見せない気……。


アタシは陵の前に手を出す。

早く写真を出せという催促。


陵は照れ臭そうにポケットからスマホを出して、写真を探している。


「ほら、早く」


アタシは陵からスマホを引っ手繰る様に取った。


え……。


アタシは言葉を失う。


嘘、こ、こ、こ、こ、この子……。

か、か、か、か、可愛い。


写真に写る子は陵が言った様に可愛い子だった。

この子なら、学年どころか、この町内でもいい線行くわ。

ううん、アイドルデビューもありかも……。


「この子が……」


陵は私の手からスマホを取り返す。


「あんたみたいなハゲと……」


「ハゲじゃねぇよ。坊主だよ」


陵はさっさとスマホを隠す様にポケットに入れた。


何故か、弟の陵に完全に負けた気分になったアタシは、日が変わる頃まで、デートコースのプランニングをしてあげた。


アタシもそれどころじゃないのに……。






翌朝、殆ど眠れずにアタシは学校に着いた。

席に着くと待ってましたと言わんばかりに三奈美が寄って来る。


「おはよ、モテモテ女……」


他の表現は無いのか……。


アタシは三奈美を見上げる様に見て、息を吐く。

三奈美はアタシの前の席の椅子に座り、身を乗り出す。


「貞操を捧げる決心はついたかな」


なんて事を……。

三奈美は多分、楽しんでいる。


アタシは机に顔を伏せる。


「わかんないよ……。三奈美だってわかんないでしょ……。やった事無いんだから……」


やったって表現は少し露骨だったかなぁ……。


「やってたら、すばるみたいに「やっちゃえ」って言ってるよ」


三奈美はアタシの頭を撫でながら言う。


そんなモノなのかなぁ……。

でもこれって女にとって人生の一大事だと思わない……。


「何、どうしたの」


とアタシの回りにクラスメイトが集まって来る。


「あ、何でもないよ。亜佳梨が寝不足なんだって」


顔を伏せているアタシの頭の上で三奈美は上手くあしらってくれた。

誰かのイロコイ沙汰が皆、大好物。

これだから女子高ってのは……。






今日一日、授業の内容なんて一グラムも頭に入らなかった。

お昼も食べたかどうか覚えていないけど、お弁当が空になってたって事はきっと食べたんだと思う。


放課後、部活の準備をしてグラウンドで練習。

それも全く身体が着いて来ない。

フリーバッティングでも空振り続出。


「亜佳梨、素振りの練習じゃないわよ」


チームメイトからも野次が飛ぶ。

これじゃ試合どころじゃないわよ……。


結局、部活も良いところ無しで終了。

駅まで三奈美と一緒に歩く。


「こんなになってしまうとはね……」


三奈美はアタシのしょぼくれた背中を見て言う。


何とでも言ってくれ……。

アタシはもう駄目だ……。


こんなに駅までの距離が長いと思った事は無い。

この苦しみから脱却出来る日が来るのだろうか……。


三奈美とは逆方向のホームに立つ。

向かいのホームで三奈美が手を振ってるのが見えた。

アタシはそれを見て力なく微笑んでいる。


こんなに苦しいなら恋なんてしなければ良かった……。

何処かの小説に出て来そうな台詞だけど、今のアタシにはピッタリ。


多分、土曜日の試合でもアタシは活躍出来ない筈。

大事な試合なのに……。


蓮人の馬鹿……。


アタシは入って来た電車に乗った。

そして向かいのホームに立つ三奈美を見た。

三奈美はスマホを出して必死に指差していた。


スマホを見ろという事なのだろう。

アタシは混んでいる方向とはあ逆向きの空いた電車のシートに崩れる様に座り、スカートのポケットからスマホを出した。

三奈美からメッセージが届いていた。


「話が話だから、学校じゃなかなか話せなかったけどさ、結局は亜佳梨次第じゃないかな……。蓮人の事が好きなら、良いのかもしれないし、今回はお泊り断っても良いんじゃない。女なんだからさ、いつかきっと誰かとそうなるんだよ。それが蓮人ってだけの話じゃないかな。私もいつか、亜佳梨と同じ様に悩む時が来ると思うし、その時もきっと私次第だって考えると思う。すばるの極端な話は置いておいて、蓮人の事好きなら有りなんじゃないの。どうしても蓮人じゃ嫌ってんだったら、別れるって選択肢も有りなんだよ。要は亜佳梨が蓮人を好きなのかどうかだよ」


長い文章……。

三奈美の長い文章は久しぶり。

蓮人の事が好きかどうか……。

勿論、好きなんだと思う。

思うけど……。

怖い……。

ん……。

アタシ、怖いのか……。


アタシは無意識にシートから立ち上がってた。

周囲の視線を感じてシートに座り直す。


そうか……。

怖いのか……。

何だ。

怖いだけなんだ……。


何か、この問題を切り崩す糸口を見つけた気がした。






翌日、授業が終わると、誰よりも先に着替えてグラウンドを走り込んだ。

そしてグリップの剥がれ掛けたバットで素振り。

いつもの三倍は振った。


「ちょっと、亜佳梨」


委員会で遅れて来た三奈美が心配してアタシの傍に来た。


汗を手の甲で拭いながら、三奈美に微笑む。

三奈美はそんなアタシを見て、笑った。


「何か吹っ切れたみたいだね……」


「うん」


アタシはバットを振り続ける。


「土曜日の試合で決める事にした」


三奈美は自分もバットを持ち、アタシの横で素振りを始める。


「試合で……」


バットを地面に突いて、息を吐く。

額の汗を拭い、またバットを振る。


「うん。ヒット打ったら、蓮人にあげる。打てなかったら……」


「打てなかったら……」


三奈美は素振りを辞めてアタシを見る。


「蓮人の事が好きでさ、それで付き合ってるんだもん。好きだったらヒット打てる筈じゃん……。打てなかった時はアタシの蓮人に対する気持ちがまだ足らないって事……」


三奈美は小さく頷く。


「そっか。打てないと蓮人はお預けなんだね」


アタシは素振りをしながら、


「アタシの愛が育つまで待ってって事になるね……。待てないって言うなら、それまでなのかな……」


そう言った。

それを聞いて三奈美は微笑んだ。


「何か亜佳梨らしい答えが出たね……」


「うん……。これが今のアタシの答え」


三奈美はバットをスタンドに戻し、ベンチの方へ戻って行く。


「頑張って一割二分一厘」


え……。

一割二分……。


「え、アタシってそんなんだっけ……」


三奈美はアタシを見てクスクス笑ってた。


「ねぇ、アタシってそんなに打率悪かったっけ」


アタシもバットを置いて、三奈美を追いかけた。






それから数日、必死にバッティングの練習をした。

掌にはマメが出来て、そのマメが潰れてもバットを振り続けた。


考えてみるとずっとピッチャーだったアタシ。

バッティングの練習を本格的に始めたのは今年に入ってからだった。

一割二分一厘って成績も納得の成績で、コーチからは、


「伸びしろはある」


とだけ言われている。


絶対にヒット打ってやる。


アタシはバットを振り続けた。


「ちょっと、大丈夫……。フラフラじゃんか……」


練習終わりにベンチから立ち上がれないアタシに三奈美は心配そうに肩を貸してくれた。


「そんなんじゃ、試合前に倒れちゃうよ……」


三奈美の肩に手を突いて立つ。


「アタシも、蓮人に本気だって言える所、見せないと……」


フラフラと部室に入る。

三年生が引退してから広く感じる部室。

その中の椅子にアタシは横になり、少し眠ってしまった。


ふと目を開けると、傍に三奈美が座っていた。


「起きたか、ラブソルジャー」


ラブ、ソルジャー……。

何だ……。


アタシは勢いよく身体を起こした。

中途半端に脱がされた練習着を見る。


「あ、着替えさせようと思ったんだけどさ、無理でさ……。何か寝てる間にやらしい事されたみたいな格好になっちゃったね」


三奈美は頭を掻きながら笑ってた。

すると部室のドアがノックされて、三奈美の姉、すばるさんが覗き込んだ。


「すばるさん……」


すばるさんはこの学校のOGでソフトボール部のOGでもある。


「変わってないなぁ……。相変わらず臭ぇな……この部屋は」


なんて言いながら部室を見ていた。


「迎えにきた。送ってやるから早く着替えろ……」


そう言うと部室を出て行った。


三奈美がアタシを心配して呼んでくれたんだろう。

でも、すばるさんって免許取り立てじゃなかったっけ……。


すばるさんの車に乗る。

何故かアタシだけでなく、三奈美も後部座席。

しかもしっかりとシーベルトを締める。

それを確認してすばるさんは車を走らせた。


「明日試合なんだろ……」


ルームミラーを見ながらすばるさんは訊いた。


「はい」


アタシは先日の恥ずかしさもありすばるさんの顔をまともに見れない。


「全く……試合の前日は、早く練習終えて身体を休める。コーチに言われなかったか……」


三奈美はアタシの顔を睨む様に見ている。


すばるさんは部活の先輩でもあるので、無下には出来ない。

俯いたままでアタシは返事をした。


すばるさんは車をアタシの家の前に停めた。

アタシは車を降りて、すばるさんにお礼を言う。


「亜佳梨……」


すばるさんはアタシの肩を叩く。


「必死なのは良いけど、無茶しても打てないぞ……」


アタシは頷いて頭を下げた。


「今日は軽くオナニーして寝ろ。軽くだぞ、軽―く」


すばるさんはニヤニヤと笑って車を走らせた。


すばるさん、恐るべし……。


アタシは車が見えなくなるまで見送った。







「え……」


土曜日。

市民球場でコーチに発表されたオーダーを見てアタシは声を出した。

アタシの名前がピッチャーとして発表された。

しかもFP。

FPはフレックスプレイヤーの略で、守備専門の選手。

バッティングが回って来る事は無い。


え……。

えー。


アタシはボールを持ってマウンドに立っていた。


あんなにバッティング練習したのに……。


その怒りに似た思いを投げる球に込めると、以前よりコントロールが良くなった気がした。


いやいや……。

これじゃ、蓮人と勝負が出来ない。

別に蓮人と勝負する訳じゃないけど……。


アタシの好投も有り、ゼロ対ゼロのまま最終回。


アタシは半ば不貞腐れ、無事投げ終えた後はベンチで両足を投げ出して座っていた。


どうするのよ……。

蓮人とのエッチ……。


アタシの横に三奈美が座る。

マネージャーが付けているスコアブックを持っている。


「一割二分一厘じゃ仕方ないか……」


そう言ってクスクス笑った。


人の気も知らないで……。


久美の打球がレフト前に飛んだ。

アタシと三奈美は一緒に立ち上がり、声を出した。

久美は一気に二塁まで走る。

これでヒットが出たら勝てる。

アタシは気付くと強く拳を握っていた。


「レフリー」


コーチが大声で審判を呼ぶ。

審判に近付き、選手交代を告げていた。

この場面での代打は相当図太くないと無理だ。


アタシは、ベンチを見渡した。


「おい、亜佳梨」


コーチは大声でアタシを呼んだ。


「代打だ、思い切って行ってこい」


え……。

あ、アタシ……。


三奈美は微笑み、アタシの肩を叩く。


「行け、ラブソルジャー」


アタシは渡されるがままにバットを持ち、バッターボックスに立つ。


アタシ、そんなに図太くないけど……。


そう思っている間にストライクがコールされた。


仕方ない。

見てろ……蓮人……。


フルスイングした球はふらふらと上がり、そのままバックスクリーンに飛び込んだ。


アタシのスコアブックには初めてHの記録が書き込まれた。


あれ……。

ホームランの場合って……、どうするんだっけ……。








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