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好きだった人の笑み



 ぼくには好きな人がいる。その娘——さりなは小学生時代からの同級生だ。家も近かったので、子供のころからよく遊んだ。


 けれど、二五にじゅうご歳になるいまになっても、ぼくはさりなに告白をしたことがない。


 あまりにもかわいくて、高嶺の花である彼女と、陰気でオタクのぼくが釣り合うはずがない。友人でいてくれるだけでも奇跡だ。


 物心がついたときから、恋心を自覚したときから、ぼくなんかが告白していいわけがない——そう思って生きてきた。


 そしていま、彼女には旦那さんがいる。若くして会社を経営するその人は、イケメンで、いい車に乗っていて、家も豪華だ。やっぱり、さりなにはこういう男が似合っている。ぼくなんか——


「どうしたの?」さりなが言った。

「ん? ああ、なんでもないよ、ちょっと考えごとしてただけ」


 きょうは、さりなの旦那さんが見せたいものがあると言って、ある心霊スポットに来ていた。あまり気が進まなかったけど、さりなからの誘いを断るのも、ちょっと惜しい気がして、ついてきてしまった。


「すごいだろ? 特注のバンジージャンプ」


 むこうでなにか準備を終えた旦那さん——かいじさんが、得意げな顔でこちらに歩いてくる。派手な髪色だ。


「この橋、自殺の名所だっつうじゃん?」かいじさんは、立てた親指を逆さまにして地面を指す。「だからさ、あえて、おれはつくってやったのよ」


 金の力にまかせて、いわくつきの鉄橋にバンジージャンプの設備をつくった。


「これでまた、ちょっとした小遣い稼ぎよ。物好きがいっぱいくるだろ」

「す、すごいね……」


 ぼくはメガネに指をやった。心が落ちつかないときは、いつもこの仕草をしてしまう。


「さりなさんの旦那さん、こんなものまでつくれちゃうんだね」

「金はあっからさ」かいじさんが言った。

「ほんとにね」さりながうなずく。

「あ、そういや、言ってたぜ? さりな、ガキんころおまえと結婚したかったんだってよ」


 茶化すようにかいじさんは言う。


「う、うそだよ、うそに決まってる。ね、さりな」

「うーん、ノーコメント」さりなはふわっと微笑んだ。


 急にこんな話題、心臓がばくばくしてしまう。赤くなった顔を隠したくて、ぼくは鉄橋の柵に近づいた。


 顔を突き出してみると、かなりの高さだ。目がくらんでしまう。しかも、落下したさきの川は水面が低すぎる。ごろごろと転がる石肌のあいだを、細い水の道がはしっているだけ。


「これってさ」ぼくは柵から離れて、「もし、ゴムが切れちゃったりしたら——」

「川なんてないようなもんだから、石に頭ぶつけて死ぬだろうな。だからこそ自殺の名所なんだよ。川が浅くて、落ちたら最期——」


 だからどうした? くらいの顔で、かいじさんはバンジージャンプの準備をはじめる。


「そしておれが、ここでバンジーを飛ぶ勇者一号よ」

「だ、大丈夫なの?」ぼくはさりなを見た。

「ぜんぶ高級な素材でつくったらしいから、このバンジージャンプ。大丈夫みたいだよ」

「それじゃ、《《お友達くん》》。おれが飛んだあと、そこの機械のボタン押してくれな。ゴムが自動で回収されっから」


 ウィンチらしき機械を見ながら、かいじさんは言った。


「次、飛んでもいいぜ。あくまで《《二番目》》だけど」

「え、遠慮しとこうかな」

「なーんだよ、意気地いくじねぇな。だから恋のチャンスを逃すんだよ」


 勝ち誇った顔で、かいじさんはさりなをチラッと見た。おれはこいつと結婚できた——と自慢したいのがわかる。ぼくがここにいる理由も、彼が優越感を満たす、その一助いちじょになるからだろう。


「ごめんね」さりながぼくに言った。「すぐおわるから」

「う、うん、なんかぼくこそごめん、邪魔しちゃって」

「そんじゃカウント、よろしくぅ!」

「スリー、ツー、ワン——バンジー」


 言い慣れてなんかないけど、ぼくはできるだけ大声で言った。鉄橋の中央から、かいじさんは迷いなく飛んだ。


「ふぉー!」楽しそうな叫び声。「あ、うああああ!」


 ゴムが伸びきる。伸びきったまま——いやな音がして、半分くらいの長さに切れたゴムが、鉄橋の高さまで跳ねるように浮きあがる。しまいにはその断面を真下にして、ぶらりと垂れ下がる。


「う、うそだ」


 ぼくはあわてて、かいじさんが飛んだ場所から真下を見た。石肌の一部が赤く染まっている。捨てられたマネキンみたいに転がるかいじさんのすがたが、遠くてちいさいけれど、見える。


「ど、どうしよう、さりな、ねぇ、かいじさん、かいじさんが——」


 歯をがたがた震わせながら、ぼくはうしろにいるさりなを見た。


「うん。そうだねー」

「そうだねー、って……。きゅ、救急車、呼ばなきゃ!」

「うん」


 ズボンのポケットからスマホを取り出したが、手が震えてまともに操作できない。——ふと、過去の記憶がよみがえって、ぼくは全身を硬直させた。


「さりな、ってさ」

「うん」

「子供のころ、よく言ってたよね。幽霊が見えるって」

「うん。あたし霊感あるから。旦那あいつは知らないけど」

「——ねぇ、なんで、止めなかったの? こ、こういうことになるかもって、どこか、わかってたんじゃないの?」

「まぁねー。あいつが飛ぶとき、三〇《さんじゅう》……、三五体くらいかな? 光に集まる虫みたいにさ、ここで自殺した人たちが、わらわらとあいつにくっついて、人間の団子みたいになって。みーんなの重さと一緒に、あいつ、落ちてった」


 どうしてそんなに、平気な顔で言えるんだろう。

 どうしてそんなに、冷静な顔をしてられるんだ。


「み、みーんなの重さって……」


 仮にひとり五〇キロの体重だとしても、三五体分なら、一七五〇キロ……。それぞれに個体差があるとして、かいじさんの体重を合わせると——


「に、二トンくらいの重さでバンジーを飛んだってこと?」

「そうかもねー」

「そ、そんなの、トラックが人間用のゴムで飛ぶようなものじゃないか」


 それよりも、なによりも、ぼくは訊かねばならないことがある。


「ね、ねぇ、さりな。だ、旦那さんだよ? 死んじゃったんだよ? か、悲しく——ないの?」

「うん。ぜんぜん」

「どうして」

 

 見開いた眼球。ぼんやりと点のように浮かぶ瞳孔。その視線は一寸のぶれもなく、ぼくの目に穿たれ離れない。人間らしい感情をまるごと捨てたような目をしているのに、頬の肉がふくらむほど、彼女は口角を吊り上げて笑う。


「あたしが殺したわけじゃないし。証人だっているよ」


 不気味な笑顔はそのままに、彼女はゆっくりと腕を持ち上げて、こちらを指差した。


「これは事故だったってことを証明する、とても優しくて、霊感を持っていない友人が」


 そうだ。ぼくには、かいじさんにたかる幽霊なんて見えなかった。第三者が、これからどう調べたとしても、かいじさんがわるい、という流れになるしかない。


 心霊スポットを甘くみた、彼の落ち度としか……。


「それにさ」さりなはつづける。「あいつが死んだら、あいつの遺産、ぜんぶあたしのだもん。どうしたら悲しくなれるの?」


 ——ほんとうにこわいのは幽霊か。

 心霊スポットか。

 金や、力に狂うことか。

 あるいは人間そのものか。


 錯乱し、恐怖と不快感に乱れおぼれていく心のなかで、ひとつだけはっきりと自覚できるものがあった。それは、ずっとずっと抱いていた恋心が跡形もなく消え去った、というまぎれもない事実。


 そして——その事実をぼくは、悲しいとか残念とかではなく、どこか、安心した心地で噛みしめていた。








 〜好きだった人の笑み〜



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