表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

音がする車


「きょうはおれがゴミ捨てに行くよ」


 皿洗いをする妻の背中に、おれは言った。


「ありがと」

「たくまも一緒に行くか?」


 小学三年の息子に声をかける。きょうを有給休暇にしたのは、息子が少年サッカーの特別試合に出るためだった。海外でプレーする選手がゲストとして観戦にくるので、おれもすこし浮き足立っている。


「足を整えたいから、行かない」

「お、らしい発言ですねぇ」

「おれ、プロ目指してるから」

「強くなるのはいいけど、えらそうにはなるなよ」

「うーい」


 普通の授業を休んでまで試合に出る自分が誇らしいのだろう。変に天狗にならなければいいが——と考えながら、おれはゴミ袋を手に玄関を出た。


 カーポートの下には、先月買ったばかりの中古車が。これを乗るのも、楽しみのひとつだ。


「あら、どうも」近所のおばちゃんが声をかけてきた。その手には、おなじくゴミ袋が。

「おはようございます」

「車、大丈夫?」

「え——?」


 唐突に、なにを言いだすのか、と思った。


「きのう、うちの孫——ほら、高校生のだいきがね。部活で遅くなったのよ。それで——ここを通るじゃない? そしたら、近藤さんちの車から音がしてたって言ってて」

「音——? ですか。何時くらいです?」

「八時すぎ、くらいじゃない?」


 その時間、おれは風呂に入っていた。

 妻も家事をしていたはずだし、エンジンなどかかるわけがない。


「音って、どんな?」

「だいきの話だと、ばん、ばん、ってなにか叩いているような音だったって」


 心配になったおれはゴミ袋を置いて、車に近づいた。

 塗装が無事か、ぐるっと見た。


「あ——猫の足跡、ついてますわ」


 うっすらだが、肉球の土汚れがボンネットにあった。


「じゃ、猫ちゃんが乗って遊んでたのね。だいき、メガネっ子だし、暗くて見えなかったのかも。ごめんなさいね、余計な心配させて」

「いえ——そんな。こちらこそすいません」


 やっぱり車庫に入れたいな……、と思いながら、おれはゴミ捨てを終えた。その後、予定どおり息子と妻を車に乗せて、バスの集合場所に向かった。しかし一五分も走っていると、後部座席に乗る息子が急に体調不良をうったえた。


「だめだ——気分わるい」

「車酔いか?」おれはハンドルを握りながら言った。

「え、大丈夫?」


 助手席の妻が、うしろに顔をやる。


「なんか、すっごい熱っぽい顔してる」

「まじか——」

「だめだ……、だるい」


 その日、息子の体調はもどらなかった。当然試合はキャンセル。車は、サッカー少年たちが待つバス乗り場ではなく、病院に向かうことになった。


 検査をしたが、異常はなかった。試合前の緊張が体調に出たのだろう、という医師の言葉を、そのときは信じた。


 しかし、それから息子は車に乗るたびに体調を崩すようになった。買い物だろうが、友達の家への送迎だろうが、サッカーの練習だろうが——とにかく車に乗ると熱が出て、動けなくなる。息苦しいと言って、その日は寝こんでしまう。



「まいったな……」リビングのソファに座り、おれは頭を抱えた。

「いろいろ検査したけど、異常ないしね」妻がエプロンで手を拭きながら、テレビのリモコンを手に取る。

「車酔い——その、とてもひどいやつ、ってか?」

「車に乗せなきゃいいんだよね」

「でも……、けっこう田舎だぞ? 車がないと生活できない」

「はぁ……」妻もソファにがっくりと座りこむ。「どうしよ、あの子、このさき心配」


 沈黙のなか、テレビのワイドショーの音だけが耳に入る。——ぴりり、と急にスマホが鳴って、おれはびくりと肩を震わせた。画面を見て名前を確認すると——世話になった中古車販売の営業だった。


「金山さんだ」

「え、車の?」

「ああ」

「出て——」妻が言った。

「もしもし?」おれはスマホを耳に当てる。

「あ——すいません、突然。先達はお世話になりました、カーワイドの金山です」

「どうも——えと、なにか?」

「それがですね……」金山さんは言いにくそうに、「先日、ご購入いただいた、中古車なんですけど……。ええと——その——」

「はい……」

「事故車、でして」

「は?」

「大変、申し訳ありません」

「事故って——つまり修復歴があるってことです? 聞いてないですよ」

「すいません、いや、あの——。事故っていうのは、事故物件、とおなじ意味の事故なんです」

「……それって、自殺とかの?」

「はい……」


 金山さんの話によると、あの中古車のなかで、幼い子がひとり亡くなっていたらしい。カーワイド側も寝耳に水だったようで、気の毒ではあったが——返金の補償を受ける流れになった。


「子供が亡くなってたの?」電話を切ったおれに、妻が言った。

「らしい」


 スマホをテーブルに投げるように置いて、おれはため息をついた。


「死因は?」

「ほら、よくあったじゃん、ひとむかし前。駐車場に子供を置いて、パチンコに行っているあいだにさ……」

「うそでしょ……」妻は両手で顔をおおった。「車のなかが暑くなるやつでしょ」

「それだよ」

「ふざけんなっ」妻は怒りに拳を握った。「わたしたちが車乗れなくなるとか、どうでもいいけどさ。おなじ子供を育てる親として考えられない。最低だわ。亡くなった子がかわいそう」

「だよな……。ありえねぇわ、ほんと」

「もしかして、あの子が具合わるくなるのって……」



 とにかく、あの車には乗ってはいけない。事故車をカーワイドに返すのも、わりとすぐの日程だったから、おれは車内を掃除するため外に出た。どこか、供養をする気持ちを抱えながら。


 ばん

 ばん

 ばん


 音がして、車がにわかに揺れている。おそるおそる近づくと、音は止まった。しかし——後部座席の左側、その窓に、皮脂にまみれたちいさな手形が数えきれないほど、数えきれないほど、張りついていた。











 たすけて








 〜音がする車〜





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ