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ニーナちゃん


 

「ねぇ、管理会社に連絡してくれた?」


 ソファにふんぞり返って、ビールとアーモンドをたしなむ旦那にわたしは言った。


「あ? なんだっけ、排水溝が詰まるやつ?」

「なんだっけじゃないよ。なんかいもパイプフィニッシュ流してるのに、どんどん悪化してる気がする」

「もっと流してみたら? おまえの髪が長いせいだろ?」

「《《おまえの長い髪》》が流れないように百均で買った髪の毛キャッチするやつ、排水溝につけてるし。あんたの髪が短くて細かいせいで、キャッチできないんじゃないの?」

「だーもう、うっせぇな」


 旦那はソファを立った。すね毛だらけの足をだらしなく動かして、壁のコンセントで充電しているスマホを手に取った。


「まだやってるかな」

「ぎり、相手してくれるんじゃない。六時前だし」

「おれが平日休みでよかったなー」

「いいから、はやく」


 よそに電話をするとなると、旦那の声色はすぐに変わった。営業的な声を片耳に置いて、わたしは娘のそばによった。ジグソーパズルを組み合わせたみたいなチャイルドマットの上で、お人形さん遊びをする我が子の頭をなでる。


「きょうの保育園、どうだった?」

「たのしかった」

「そっか」

「ねぇママ、ニーナちゃんの妹がほしいの」


 ニーナちゃんは、娘がたいそう気に入っている洋人形の名前だ。わたしも子供のころは、ミカちゃん人形でよく遊んだものだ。ニーナちゃんは娘の誕生日に買ったもので、値段はけっこうした。


「んー、でもね、ニーナちゃん、まだひとりでいいって言ってるよ?」

「うそだ」


 ——なんかすごい真剣なトーンで、きたな。我が子なのに、ちょっとこわいくらいの圧を感じた。


「……く、クリスマスに妹ちゃん、増えるかもねぇ」

「そう。わかった」


 娘は残念そうに、ニーナちゃんへ視線を落とした。


「ごめんね、ママ、だめだって」と言って、人形の頭をなでる。


 ちょうど電話が終わったようで、わたしは旦那のほうを見た。


「どうだった?」

「あした、来てくれるって」

「そっか。はやいね」

「パイプ洗浄剤でもだめなら、なにか詰まってるかもしれんからって、内視鏡で見るかもって」

「まじ? 本格的じゃん」

「ま、どうせおまえの髪だけど」

「あんたの髭が団子になってる——に一〇〇円かける」

「詰まるほど剃ってねぇだろ」

「わかんないよー? あんがい、石鹸と一緒に固まってるかも」

「あー」旦那はすこしなっとくしかけて、「いや、それならそれでパイプ剤で流れるだろ」


 素人の夫婦が論議したところで状況は変わらない。きょうもすっきりと水が排水されないお風呂場で躰を洗い、洗面所で歯磨きをするしかない。



 翌日になり、業者がうちに来た。平日の正午、アパートにはわたしだけ。娘も旦那も留守だ。


「うーん、なんでしょうね……」


 お風呂場で屈み、内視鏡に目をこらす青いツナギを着た業者の背中を、わたしはなにもできず見守る。


「どうですか?」

「あ……、ああ、これかも」


 業者は、スマホの画面をこちらに見せた。Type-C端子から伸びる内視鏡の管が、悪魔の尻尾みたいだな、と思った。


「え……?」

「金髪っすね。それが、詰まってますね」

「うちに金髪の人なんかいないんですけど」笑いそうになった。「以前住んでた人のかな?」

「いや、だとしても、パイプ剤で溶けてもいいんすけどね……。あと、この感じは、たぶん髪が流されたのは洗面所っすね。お風呂場の水も、けっきょくおなじ管に行きますけど、お風呂から流れた感じないっすねぇ」

「以前住んでた外国のかたが、洗面所でシャンプーしてた、とか?」

「はっはぁ、どうすかねぇ」


 うすらと笑いながら業者は、工具箱からなにか別のものを取り出そうと、姿勢を変える。


「もしあれなら、ちょっと採取っていうか、ひっぱり出してみましょうか」


 げ、汚いな、と思ったが——解決するなら、とわたしは了承した。


 排水管から出てきたのは、人形の髪だった。PVDCという素材で作られたそれを除去するには、物理的に取り除くか、もっと別の薬剤が必要とのことだった。


 犯人は我が子しか考えられない。洗面所に置いてある子供用の踏み台を隠さなくては、と頭によぎる。


「にしても、すごい髪の量っすね。ずいぶん、たくさんの人形をお持ちなんすね」

「たくさんの人形……? ああ、保育園のお友達が、おなじような人形を持ち寄って、たまにうちで遊ぶんですよ。たぶんそれかも」



 保育園から帰ってきた娘を、わたしは怒らずにいられなかった。


「ねぇ、どうして洗面所でニーナちゃんの髪を切ったの? なんで黙ってたの?」


 問い詰めるも、娘は人形をぎゅっと抱きしめてうつむいている。


「もしかして、お友達を呼んで遊んでるとき、みんなでおもしろがって洗面所で髪を切って流したりしたの?」


 そうでもしないと、あの量は考えられない。


「ねぇ、ちゃんと言って。ママ、もう困りたくないから」


 ふと——テレビ台の横に置いてある、ニーナちゃんが入っていたパッケージが目に入った。パッケージにプリントされているニーナちゃんの写真と、娘が抱いているニーナちゃんの実物。髪型が、ほぼほぼおなじだ。


「あのね」娘が言った。「ニーナちゃんには黙ってて、って言われたの」

「……なにを?」

「髪の毛がね、ずっとずっと、伸びちゃうこと」







〜ニーナちゃん〜





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