ワルシャワのみみず爆弾
「しーんら、今度はね『森羅と一緒に、肌で感じてくる』勉強みたい」
「おまっ、な、ナニ言ってんの!?」
森羅ったら、こんな言葉くらいで赤くなってかわいー。
近代史体験VR。技術の進化に伴い、人々はやりたいことができるようになった。歴史オタクが納得いくまで調べ上げ、時間と手間と情熱をかけて作り上げたVRである。今も尚「階段の段数が違う」「群集が当時の髪型じゃない」などあらゆるミスの指摘を受け付けながらバージョンアップを重ねている代物。
VRといっても、睡眠状態で脳に信号を送り、体を派手に動かすことはない。せいぜい寝ピクや指や足先程度。知識をダウンロードしたときと同じイスに寝転んだ。
開始。
【A.C.2303年 連邦内の国々が国家という形態を廃止】
2295年、ルツと森羅は、もう1人、ユーリと3人でワルシャワを歩いていた。ユーリは案内役のようだった。設定年齢15歳。国籍不詳の端正なAI顔で宣う。
「オレらと同じ、デザイナーベイビーが増えたな」
都心であっても高層ビルは少なく、空が広い。街は純粋な白人は少数。ほとんどが混血で整った顔をしていた。人種という点からは、ゲルマン系にアフリカ系の血が混じっているかアジア系の血が混じっているかという違いしか見受けられない。
「日本人の私から見たら、イケメンと美女しかいないよー」
ルツが発言したとたんに目の前の空中に黄色い文字が点滅した。「不適切な発言」「日本人に失礼なシニカルジョークです」「日本人は消滅した民族です」と。
黙っていよぅ。
「オレらの世代じゃ、連邦内の8割がデザイナーベイビーだよな」
ユーリに森羅が応える。
「8割もなんだ。上の世代は?」
「5割くらいかな」
「もう、何人って外見じゃ分かんないよな」
「だな」
そんな話をしながら歩いていると「みみず爆弾だ!」という叫び声が聞こえてきた。
「「みみず爆弾?」」
ルツと森羅が声のする方向を見る。
どんな? 見に行ってもOKじゃない? だってVRだもん。
みみず爆弾を見に行こうとするルツを、ユーリが止めた。
「逃げるぞ。粉塵が危険だっ」
ユーリに先導されて走った。走っている3人の足元を、何匹もの20cmほどのみみず状の何かが凄い速さで這っていく。夥しい量。地面に点在すること約1m間隔。色は鈍色だった。
終わった。
ルツは覚悟した。もう周り一面にみみず爆弾がいる。爆発したら終わり。
けれど、みみず爆弾はどこかを目指して3人をスルーしていく。
「どーなってんの? ユーリ」
「なんだよこれ。爆弾じゃねーの?!」
ルツと森羅が足を止めたとき、前方の建物が崩壊した。
「伏せろ!」
ユーリに言われ、頭に手をやって身をかがめる。コンクリートやガラスの粒が風で飛んでくる。
「人がいないことを検知して建物を破壊するんだ。建物に人がいると、避難するまで破壊を待つ」
「だったら逃げなきゃいいじゃん」
ルツは「思わず逃げるキモさだけど」と付け加えた。
「人から5m離れてたら作動する。だから、建物が崩れる可能性がある」
「逃げないわけにいかないってことか」
森羅は感心した。
殺傷率は極めて低い。むしろ、人を殺さないように作り出されたもの。けれど敵地で建造物を破壊する。爆弾という名前で呼ばれているが、爆発はしない。みみず爆弾の半径2m以内のコンクリートやガラスなどが砕けてぼろぼろになる。
みみずとは思えない高性能。目的の建造物を狙う機能もあれば、病院や発電所、世界遺産など、特定の建造物を避ける機能も備わっている。
「病院や教会が残ってたって、住むとこなくなったらキツイって」
ユーリは悔しそうに言った。
炎が舞い上がる火炎地獄のような光景はない。ただ、建物が壊れていく。
なんとなく街を歩いていたときに「空が広い」と感じていたのは、主要機関の大型の建造物が1mmほどの粒の丘になっていたからだった。
「迎撃できないの?」
キモいから這ってくる前に止めて欲しい。
「最新型は無理だ」
防御する方法や建物を察知する信号を乗っ取る方法などを考えても、しばらくすると、それを攻略した新型が出てくる。いたちごっこ。
3人で学校に避難した。そこには多くの人々が、身の回りのものだけを持って逃げてきていた。ルツは、何か自分に手伝えることはないかとスタッフに尋ねた。
すると、目の前にまたまた黄色い文字が点滅した。「行動を控えてください」「素晴らしい姿勢ですが、VRのプログラムにありません」と。
そーいえばVRだった。あまりに臨場感があって現実と区別がつかない。
黙っとくんだった。
3人で体育館の片隅にいると、片側の壁に巨大な映像が現れた。映画館のスクリーン程の大きさだった。連邦政府の総裁の前で、ポーランドの大統領と敵国の大統領が握手している。
体育館では、疲れた顔をした人達が文句を言っていた。
「一方的に攻められただけで終わりかよ」
「うちらの家はどーなるんでしょう」
「強いとこの言いなりだな」
「くっそう。みみず爆弾をあっちに降らせてやりたい」
「石油や天然ガスが売れなくても、レアメタルがあるのにな」
「技術がない」
「だからって戦争しかけるな」
「終わってよかった」
「やっと安心して眠れる」
いきなり予備知識もなくVRで戦争に誘われて、ルツには何がなんだか分からなかった。
戦争の原因って何? なんでポーランドのワルシャワ? 国境がなくなるってことを体験するんじゃなかったっけ?
「ね、ユーリ、聞いていい?」
「なに?」
「戦争の原因は?」
また黄色い文字で「不適切発言」の注意を食らうことを覚悟していたが、今回は大丈夫だった。
「敵国は資源大国。ヨーロッパに石油や天然ガスを輸出していた。でも、エネルギー革命後、空気や海水から発電できるようになって衰退したんだ。物資が不足し、国民が大量流出。けど、周りの国だって受け入れるほどの余裕はない。自国に強制送還された人らが、自分達を受け入れるべきだってヨーロッパの国々に戦争を仕掛けた」
「移民問題ってこと?」
「大量のね。民族大移動レベルの」
そこで森羅がぽつり。
「国ガチャは運だもんな」
うん。そう思う。生まれたときに戦争で荒んだ場所だったら、世の中を良くしようって立ち上がる前に生き残ることを考えなきゃいけないもん。受け入れる側の、それまで国を整えて頑張ってきた人達にとっては、とんでもないことだろうけど。一生懸命やってきたのに、自分は報われなくて、国のために何もしてこなかった他の人に税金が回っちゃうわけだから。
いっそのこと、連邦とやらが、移民の方はここで暮らしてくださーいってゆー場所を作ればいいのに。移民の国みたいな。
その後、暗転して場所が跳んだ。
3人で、見晴らしのいいビルの上の方の階にいた。ガラス窓が床から高い天井まで続く。絵に描いたようなセレブ空間だった。窓際には、ペルシャ絨毯の上にガラスのダイニングテーブルが見える。ルツが座っていたのは、ふかふかの白い革のソファだった。一人掛け用。隣にも一人掛け用の白い革のソファがあり、森羅が腰掛けている。ユーリは森羅のソファの背もたれに腰掛けていた。
「ワルシャワも他の被災地も、すごい早さで復興したね」
ユーリはアップルタイザーの瓶をルツに差し出す。「ありがとう」と受け取り、ユーリの視線の先を見る。カラス窓の一部分が画面に変わり、さまざまな建造物のbefore&afterが映し出される。アップルタイザーの泡が口の中でぷつぷつと弾け、とてもVRとは思えない。味まで感じる。
「復興費用は連邦政府が出したの?」
ルツは尋ねた。
「結局は。」
連邦政府は、戦争の発端となった敵国に多額の賠償金を求めた。しかし、もともと極度の物資不足による貧困状態となったことが戦争の原因。支払い能力どころか、国民は自分の命を繋ぐことすら危うい状況。結果、広大な領土の敵国は、連邦政府の直轄となった。大統領は亡命。政治に携わっていた高官の多くも亡命した。
連邦政府指揮の下、その地には多くの外資系企業の工場などが入り、もともと国外へ行こうとしていた人々は職を得、連邦政府から供給される物資によって立ち直り始めている。
レアメタルの利権を手にした連邦政府は、気前よく、ワルシャワをはじめ、戦争の被災地を援助した。
「「へー。そーなんだ」」
ユーリによる説明が終わった。
画面が次のニュースを表示する。ニュースキャスターはいない。音声だけが流れている。
「セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境がなくなりました。同時にコソボ共和国が連邦に加入し、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境を廃止しました」
なんのこっちゃ。
ルツにとっては、どーでもいい、どこにあるのかも分からない異国の話。
「オレ、あの辺、よく分かんない。ユーリ、説明よろ」
森羅がパスを出した。
「セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナはくっついてて、ボスニア・ヘルツェゴビナとコソボ共和国がくっついてる。あの辺りには、もともと、セルビア人、クロアチア人、ムスリムが住んでたんだ。でもさ、そんなのは昔の話。もう60%の人がオレらみたいなデザイナーベイビーで、今更、民族どーでもいいよねってことで1つになった。仕事で川渡るとき、いちいちパスポートなんで面倒だからさ」
「EUじゃないんだ?」
「あの辺は違う」
おおーっ。勉強になりました。
こういった会話の中にいるだけで、ルツはなんだか自分が賢くなったような気がした。ゲームのレベルが上がる感じ。
「トルコやスーダンはどうなるんだろうな」
とユーリ。
@_@ 話が全く分かんないよー。スーダンってどこ? アフリカだっけ。
「ねーねーユーリ、どうなるんだろーなって、どーなってんの?」
ルツは聞いた。
「スーダンが国境なくすって言ってる。エジプトとの国境は一直線だったもんな。ほら、アフリカって19世紀にヨーロッパが植民地を分けたじゃん。で、国境そのまんまだから。南スーダンとの国境もなくすって話んなって、紛争になりかけて、連邦政府が仲裁に入ったんだ。トルコは民族弾圧があって、何年も前から連邦直轄になってたんだよ」
「ありがとー。知らないことだらけ」
ルツにとっては未来の出来事。当然。