勉強しなくていいんです
変更しました。
年を取らないという設定の説明が抜けていたので追加しました。
1000年後も基本、人は、夜眠って朝起きる生活のようだった。
朝、ナニーに食事の希望を聞かれ、ルツはベーコンエッグとサラダとパンをリクエスト。身支度をしてダイニングへ行くと、ベーコンや焼き魚の匂いがしていた。焼き魚はコノハナサクヤヒメさんだった。
「魚も培養なんですか?」
森羅が質問。
「養殖です。野菜は工場直送の栄養増量タイプ」
産地直送の産地は野菜工場なんだね。
ルツにとっては、朝食だけでなく、見聞きするもの全てが新鮮。
快適な暮らしは、24時間体制でAIやロボットから提供される。朝食は、温冷蔵庫から出てくる。メニューに合わせてチョイスされ、ほどよい温度になって出てくるらしい。皿を指定すれば、1mほどの、管が3本付いたロボットが動いてやってくれる。ただ、料理は趣味や娯楽の一大分野で、自分で作って楽しむ人が半数とか。
ルツからも質問があった。
「コノハナサクヤヒメさんのお名前は本名ですか? そのお名前だったから日本を研究しようとなさったんですか?」
木花之佐久夜毘売は日本神話に出てくる人だったと思う。日本人がとっくにいない時代に不自然の極み。
「素敵でしょ。日本を知って、子供のころからこの名前に決めてたの」
「芸名ですか?」
「本名です。ああ。昔は親が名前を決めたのよね。ここでは、成人になるまで使う幼名と、成人してから自分で名乗る本名があります。ちなみに、苗字やミドルネームはナシ。日本の記録は本当に少なくて、けれど書物のデータは少し残ってたの。それで、木花之佐久夜毘売を知ったの」
木花之佐久夜毘売は、天照大神の孫の妻なのだとか。超絶美人。結婚して一晩で身篭ったら「それってオレの子じゃなくね?」と疑われて、「ざけんなよ。アンタの子に決まってるでしょ。だったら神の子って証明してやるよ。絶対絶命で産んでやるよ」とは言っていない。なにせ神様。「もしあなたの子でなければ無事には生まれないでしょう」と、産屋に火を放って3人の神様を産んだ。なかなか激しい女神様。
ルツが木花之佐久夜毘売の神話に「疑うなんてサイテー」と思っていたとき、森羅は別のことに引っかかっていた。
「苗字がないんですね」
「そうですね。個を尊重します。生後3ヶ月から18歳までだけの家族ですし。里親カップルにも苗字がないので。私は両親を尊敬していて、今でも連絡を取り合っています。あなた達のときは血縁の家族だったものね。ご両親に会いたい?」
「今は大丈夫です」
と森羅。ルツも同じだった。まだ、1000年先に来て1日しか経っていない。
「私もです。心配してるだろうなとは思うんですけど」
「そうよね。連邦は自然交配を禁じているの。この先も血縁や結婚などという不思議な慣習に縛られることはないわ」
自然交配。エッチなことできないの?!
ルツは驚いた。危うく口からポロッと出てしまうところだった。
え、ひょっとして、この世界ってVRでしか体験しちゃダメなの?
「ヒメさんは何歳ですか?」
アホかー。女性に歳を聞くなぁぁぁ。
森羅は自然交配禁止には全く拘っていないどころか、日本ではタブーとされていた質問をした。
「52歳」
「「え?」」
「ふふ。1000年前からは考えられないんでしょ? 28歳で老化を止めたの。外見をもっと老けさせたかったら、また成長させる。で、この辺ってところでストップ。ほとんどの人が30歳前後で年齢を止めてるの。あ、連邦以外の国は別ね」
そんな薬があったら1000年前の日本で売れまくると思う。だから、会議の立体映像、若い人ばっかだったんだ。
「若くなることはできるんですか?」
「残念ながら。ストップとGOだけ」
「年齢差別がなくなっていいですね」
森羅の視点は斜め上。
「そうね。ラッキーな副産物かも」
ちょっと待って。若いままだったら病気にかかりにくい。だったら、
「寿命ってどれくらいなんですか?」
ルツの質問に、コノハナサクヤヒメさんはにこやかに答える。
「永遠。でもね、みんな、どこかで区切りをつけるの。生き続けるのがしんどくなってくるのね。きっと」
そうだとしても、人は死ににくい。
そんなだったら、どんどん人増えちゃうじゃん。生まれるのに死なないんだから。それで自然交配禁止。
ルツは納得できた。
「今、世界には何人くらいの人が住んでるんですか?」
今度は森羅が質問。
「60億くらい。それが保たれています。連邦内で50億、他の国々で10億です」
VRだけってことないよね。確か「未成年はセックス禁止」って言われた。それって、成人したらいいよってことだよね?
ルツの横で森羅はコノハナサクヤヒメさんと会話を続ける。
「60億。1000年前より20億人以上も少ないです」
「それが今の地球の最適解です。人口動態は自然界においてとても重要だから。人間の生命維持活動は多くの資源や自然を必要とするので。人間は社会に出る前に子供ができないようにします。セックスは本能ですから」
「ヨカッタ。あ、ぃぇ」
ルツは正直者。
「私ったら、朝から未成年に。ごめんなさい。ふふ」
コノハナサクヤヒメさんは、左右対称に唇の両端を品よく上げた。
研究室に入ると、昨晩から考え続けているハオラン氏がいた。着替えは届けてもらったのだそう。
「誰かと一緒に住んでるんですか?」
恋人あり?
違った。ハオラン氏は自分の家のハウスキーパーAIに連絡し、着替えなどがドローンでやってきたのだった。便利。
ルツや森羅は、忘れ物をして、ときどき母親に届けてもらった。AIなら「怒られる」とか「今日はパートだったかも」とか、よけいなことに気を回さなくて済む。ハウスキーパーAIがいればよかった。そう考えると、家事育児パートをし、忘れ物も届けてくれた母親が有能に見えてくる。ただの年中忙しそうなバタバタしたおばさんだけれど。
何事も迅速に行われる社会では、朝から知識をダウンロードする準備が開始される。
知識のダウンロード、来い!
ルツは森羅と同じ高校を受験するために必死で頑張った。晴れて合格したら入学式で「みなさん、まずは合格おめでとうございます。大学受験は高校受験より大変です。今までの100倍勉強してください」と言われ、膝から崩れ落ちそうになった。
天才になってやる。もし元の1000年前に帰ったら、めっちゃ有利じゃん。大学入試どころか、医師国家試験も司法試験もばっちりなんじゃない?
「勉強しなくていいなんて、サイコーです」
ルツの言葉にコノハナサクヤヒメさんは首を傾げる。
「勉強ってなーに?」
マジか。なんてこと。勉強のない世界。
「いろんなことを覚えるんです。問題を解いたり、考えたり」
「ルツ、私も考えることは大切だと思う。でも、覚えるのはダウンロードでいーんじゃないかしら」
そこでハオラン氏。
「ヒメ。まだダウンロードの技術がなかったんだ、1000年前は。ただ、脳には限界がある。僕らは遺伝子段階で耐性のあるもの選ばれているが」
「限界を越えるとどうなるんですか?」
ひょっとして、限界以上は自分で地道に勉強?
「もちろん、脳の成長を測定しつつ行うから、問題が起こることはないよ。ただ、小さなころから少しずつダウンロードしていくものだから。その辺りは脳科学専門の人じゃないと判断できない」
まず、脳科学者がルツと森羅の脳をチェック。ダウンロードにどれほど耐えられるのか。ダウンロードするデータは、遺伝子レベルでハイパーな人達用。自然交配の人間に適用した前例はないと言われた。
結論、森羅は全く問題なし。ルツは、脳が成長段階だと判断された。
バカなんだ。はっきり言えばいいのに。バカなんだよね、私。
「ルツは、少しずつダウンロードしていこう。脳の成長と精神の安定に合わせて」
脳科学者が慎重に言葉を選ぶ。
いやもう、はっきり言っちゃっていーって。気を遣わないで。
「精神の安定もダウンロードに関係あるんですか?」
聞いてみた。
「そうだね。君達は、少ないとはいえ、すでに知識が入っている。それと新しくダウンロードされる知識の矛盾などを脳が察知するんだ。脳は、体の中で1番精密で繊細なんだよ」
「森羅にも知識がもう入っています」
「彼くらいの許容量と柔軟性があれば、それぞれを別々に認識して、適切にアウトプットすることができる。彼のシナプスの可能性は、我々の上を行く」
へー。
確かに森羅は賢い。ただそれは、ペーパーテストで発揮されるだけの適性。Qちゃんに言わせれば、進学では有利だけれど、社会ではさして役に立たない能力。
森羅は、こっちにいたままの方がいいのかも。
ダウンロードは、リラックスできるイスに座って行う。成人しても使うものらしく、休憩スペースにもコノハナサクヤヒメさんの部屋にもあった。いい感じにリクライニングしていて頭を少し覆う感じにウエーブした形。
さっそく森羅とルツは実行した。試験的に30分間。科目はそれぞれ指定されたもの。
終了。
「なんか、賢くなった気がする」
ルツがにこにこしていると、森羅は目を細めて周りを見た。
「壁や床の素材の化学式や特性が分かる。このイスに関しての知識はまだなんだな」
むっ。私だって。
ルツは壁や床を見てみた。何も分からなかった。
知識、増えてないじゃん。
白い小豆状の翻訳機を外してみた。部屋にある注意書きの文字やポストイットの文字が日本語から英語に変わる。
あ。分かる。
英語が翻訳機なしで理解できるようになっていた。嬉しくて、コノハナサクヤヒメさんに報告した。が、発音はど下手くそだった。
「すぐに慣れるわ。使わないと上達しないから。連邦内の共通言語は英語なの」
と微笑まれた。
あれ?
ルツはおかしなことに気づく。
「なぜ翻訳機があるんですか? 英語が共通語なら必要ないのに」
「他の国から亡命する人がいるんです。普通は使いません。研究室に翻訳豆があったのは、奇跡的」
白い小豆のような翻訳機は、翻訳豆という名前らしい。
「亡命ですか?」
「ええ。連邦以外では戦争や食糧危機、貧困、問題がいっぱい。毎年一定数、亡命者がいます」
「貧困。ってことは、連邦以外は貨幣があるんですか?」
「はい。アラブ諸国やイングランドにはないけれど。その他の国々にはあります」
「イングランド?」
「はい。イングランドは連邦に入っていません。少し事情が特殊で、王室の血統を守るためです。連邦に入ると遺伝子操作の人間になってしまうので」
「王家だけ守ればいいのではありませんか?」
ルツは国全部じゃなくてもいいような気がした。1人だけで。
「まず、結婚という形を取るから連邦には不一致です。他にも、婚姻相手にも血統を求めます。宗教的にデザイナーベイビーをどう考えるかはっきりしていないなどの問題があります」
「そうなんですね」
「生活はこちらと変わりませんし、連邦の人間はイングランドの領域で暮らせないという制限があるくらいです。素敵な観光地になっていますよ。お城が残っていて」
「連邦以外の国は、どこがありますか? 中国とかロシアですか?」
「いえ。1000年前の中国もロシアも今は連邦です。中近東のイスラム圏の国々が連邦じゃありません。ルツは英語をすっかりマスターしたようですね」
ここまでの会話は英語。まだまだ拙い発音だけれど。
「そう言っていただけて嬉しいです」
「興味があることから知るべきだと思うの。この後、近代の歴史をダウンロードするのはどうかしら?」
「そうします」
「体験型があります。森羅と一緒に、肌で感じてくるのがいいわ」
コノハナサクヤヒメさんはウインクした。