恋のゴールが心中ならば
ある朝、ルツがジョギングしていると、雨が降ってきた。濡れたくなかったので、横浜駅の中を通ることにした。雨の匂いのJR横浜駅構内は、ルツの知っている人混みだった。通勤通学の人がざっざっざっと同じ速度の足音をさせて進んでいる。黒髪の日本人が大勢いた。若者の中には顔立ちが美しい子が多い。そして小顔。どう見ても外国の血が混じっている。
まるで、31世紀の人達みたい。
そう思いながら、歩いていた。
え。こんなとこに。
ルツはJR駅構内を東口から西口につっきる途中、中央通路にガス灯を発見。ガス灯の間には赤い靴の女の子の像があった。
21世紀にもあったのかも。
ネットで調べてみると、20世紀に既にあったことが分かった。
すぐ傍には横浜名物のシュウマイ屋があり、シュウマイ弁当を売っている。
忘れかけていたことを思い出す。2219年の日記。
見つかったのは旧アメリカのミルウォーキー。日本旅行についての記録。
『横浜駅、シュウマイをテイクアウトした。ガス灯横で食べた。観光用の電車を探した』
日記の持ち主は、JRで横浜駅へ来て、改札を出た。シュウマイをテイクアウト。2127年の横浜駅は人で溢れているが、2219年にはガス灯横に食べるスペースがあったのかもしれない。なんなら、2127年でも、人目を気にしなければ食べられる。
サミュエルさんだったらするかも。
JR横浜駅がなくなるとき、まだ残っていた相鉄線。その前にガス灯を移設した可能性がある。
赤い靴の女の子の像、なくなっちゃってる。
そして、観光用の電車といえば、みなとみらい線。現在、みなとみらい線は動いていない。2219年には復活しているのだろう。
ロープウエイはいつまでなんだろ。今んとこ、動いてるっぽい。
タイムワープのとき横浜駅前のガス灯からズレていた理由は、プレートが動いているからと判明した。今更、2219年の日記について考察しても、日本人消滅には繋がりそうにない。けれどルツは、これまでに通り過ぎた歴史の欠片をもう一度見直す必要があるのでは?と考え直した。
ペン。
モンパサで見つかった携帯機器のペン。ルツは充電できたことで悦に入っていた。中身のデータは、アプリがなければ開かないものばかりで、画像フォルダーにあったスクリーンショットくらいしか収穫がなかった。
ちょうど、グリーン氏のセクサロイドルツを見た後。周りの優しさに甘えて、自分はベストを尽くしていないのではないか。そんな思いが過ぎる。
あのペンに入ってたのって、どんなアプリだったっけ。
リングに尋ねようとキスしたとき、そこにリングはなく、自分の左手中指だった。リングは31世紀でしか使えない。
ヒメさんだったら覚えてるかも。記憶力抜群だから。
「ヒメさんヒメさん」
尋ねると、コノハナサクヤヒメさんは、携帯機器のペンが映し出していた画面の絵を描いてくれた。小さなアプリのアイコンが並ぶ。その下にはアプリ名。その画面を3枚。
「こんな画面だったかな。たぶん」
「こんなに詳しく覚えてるんですか?」
「あまり役に立たない特技」
「めっちゃ役に立ちます。ありがとうございます」
テストんとき最強。21世紀ならだけど。
ペンは2300年ごろの物。2127年からは遥かに先。それでも、何かできることがあるかもしれない。
「しーんら、モンパサで見つけたペンのことなんだけどさ」
エキスパートに聞いてみようと、ルツは森羅の部屋を訪れた。
「ペン? ルツが充電したやつ?」
「うん」
「それが?」
「アプリいっぱいあったじゃん。そのデータ、見るの諦めてたけど、実は見れたりするの?」
「は?」
「ネットに繋がってアプリが開けば中身が見れるんだけどってゆーの諦めてて」
「オフラインのアプリはほとんどなかったじゃん。画像フォルダはルツ、見てたし。文書作成にあったのも」
「ペンの持ち主の名前も分かんなかったよ」
「端末名、変えてあったよな」
「オンラインで使うアプリも、端末にちょっとはデータあるのかなって。ほら、例えば名前とか。お金のアプリはオンラインで使うものだけどさ、端末の方に、口座番号くらいはデータがありそうじゃん。そーゆーの」
「21世紀だったらバイナリファイルを解析って方法かな。あのペン、2300年くらいだったっけ。そーなると、分かんね」
「変わるもんね」
「うん。コンピューターが出てきたのは第二次世界大戦後、パソコンは1970年代後ろの方。最初のコンピューターは縦横20メートル以上だったのが、30年で机の上に置けるようんなったんだからさ。すっげー変わる」
「2127年はこれだもんね」
ルツはビジターフォンを掲げた。
「あ、パソコン、買った」
「うん。見えてるよ」
森羅の部屋には段ボール箱や発泡スチロールが散らかり、ベッドの上にパソコンが鎮座している。
「これにバイナリファイル解析エディタやツール入れとく」
「ありがと、森羅」
「解析、リングに頼めばやってくれそうな気もする」
「そっか。得意分野だよね、機械語だもん」
それすらせずに諦めた自分を情けなく思うルツだった。
反省。
「森羅はパソコンで何やってんの?」
「SNSで不法滞在の外国人がどれくらいいるか訊いてる」
「いるの?」
「あんまりいない」
「へー。なんで?」
いるのが普通って思ってる私って変?
「地震の前に余震がいっぱいあって、逃げたらしい。外国人にとって地震ってすっげー怖いんだってな。震度3くらいでも」
「地面が揺れるんだもんね。本能だよ。フォルちゃんも怖がってた」
ルツの家で飼っていたラフコリーのフォルテは大型犬。体重29kg。
「あいつはビビリだったじゃん」
震度1くらいで飛び起きて、傍にいる家族に抱っこしてもらっていた。震度3では震えが止まらない。
「ラフコリーはビビリが多いみたい」
震災前に日本を脱出した不法滞在の外国人は、震災後、日本に入ることが難しくなった。なぜなら、居住権が30億円になってしまったから。正規の手続きをして住んでいた外国人だけが帰ってきた。
「ビジターフォンのスマホでも調べられるけどさ、なんか、この画面の大きさに慣れてるんだよな。あ、コノハナサクヤヒメさんの口座で、暗号資産の動き見てる」
「なにしとん」
「暗号資産のこともSNSで調べてる」
「危ない危ない危ない。売買して、滞在費吹っ飛ばしてない?」
「大丈夫だって。そんなんに手ぇつけねーし」
「マカロンみたいなことしてない?」
「マネロンな。してねーし」
「MOLLYアプリ調べてる?」
「見て見て」
森羅はルツに、パソコン画面の一部分を指差す。見れば、いろんなアプリが並んだサイトに繋がっていて、その中に木が3本の絵のアプリがある。絵は森君のデザインしたものとは違う。
「アレンジ版?」
「すげーし。あったし」
「どーやってそんな怪しいサイトに辿りつくんだか」
「SNS」
「変なのに引っかからないでね」
「引っかかっても、どうせ1ヶ月でいなくなるし」
「だめだよ。ヒメさんは残るかもしれないんだから」
「……。」
ルツが過去見で観たとき、2127年の高校のプールサイドからいなくなったのは、森羅と自分だけだった。森羅は暗い顔をする。
「どしたの?」
「ルツ、怒るかもしんない」
「怒らないよ」
「じゃ、怒るなよ」
「うん」
「ヒメさんの夢はさ、心中だったじゃん。でもって、ここに来てカレシができた」
「まさか……」
「そんなことはないと思う。でも。支配人と心中ってことも」
「まさかまさか」
「じゃ、どーして一緒に31世紀に戻らなかった」
「それは。もっと日本人のこと調べたかったのかも。それと、もうちょっとカレシと一緒にいたかった」
森羅は首を横に振った。
「生物はさ、生きるためにいるじゃん。寿命があって子孫にバトンを引き継ぐ。31世紀はそれが複雑に歪んでおかしくなってる。生存戦略に人口抑制が入り込んで自然交配禁止。普通だったら哺乳類は子供育てるのに、ほとんどの人間はそれができない。だからじゃね? 31世紀、恋愛への意欲、すげくなかった?」
「ダメなの?」
ルツは自分の恋愛脳を否定されたみたいで気分が悪くなった。
「ダメじゃない。ただ、ゴールが心中ならダメだろ」
「森羅。いくらヒメさんにカレシができても、プロジェクトを投げ出したりしないよ。連邦政府に選ばれた人だよ。日本人の歴史研究の第一人者なんだから!」
「怒んないって言ったのに」
「怒ってない」
「ルツ、怒ってる」
森羅はしょんぼりと項垂れる。「言わなきゃよかった」と口籠る。
「ごめん。森羅」
ルツは、森羅の言う通りかもしれないと思った。
12月4日、ルツと森羅しか帰ってこないと最初に知ったのはルツだった。いつもだったら報告はコノハナサクヤヒメさんにしていた。けれど、そのとき、たまたま不在で、ハオラン氏に伝えた。ハオラン氏は、映像を確認し、しばらく考えてから、ルツに口止めした。
『ヒメだけには知らせないで。自分に何かあるかもなんて、不安を抱かせたくない。もしも自分の意志で帰ってこないなら、それはヒメが判断すること。決まっている過去見で決めることじゃない』
ハオラン氏の意見はもっともだった。
脳内花畑のルツは、心中という想像は全くしていなかった。11月4日に出会って1ヶ月の滞在。その期間は、単に過去見と横浜駅オタクである31世紀のホテル支配人の言葉から決まった。調査内容や調査計画から設定したのではない。
出会って1ヶ月って、めっちゃ恋が盛り上がってるときじゃん。クリスマスまで過ごしたくなっちゃうよね。そしたら、一緒に年越しもしたくなっちゃうよね。ついでにバレンタインのチョコも渡したいよね。
冬は恋のイベントだらけ。さよならなんてしている場合ではないのだ。
コノハナサクヤヒメさんは歳を取らない。ルツや森羅と一緒に31世紀に帰って、日本人消滅解明プロジェクトを終わらせてから、カレシのところへ戻ることができる。カレシにとっては、ずーっと一緒にいたことになる。しかし、それでは、コノハナサクヤヒメさんにとっては、一旦、連絡すら取れない遠距離時空恋愛を味わうことになってしまう。
やっぱ、そのまま一緒にいたいよね。
それだけであってほしいとルツは願った。