警察沙汰のクソバカ野郎
食後、考え込むハオラン氏を残し、コノハナサクヤヒメさんとルツと森羅は研究室を出た。
「ハオランは明日の朝、同じ姿勢でいるかも」
コノハナサクヤヒメさんは笑う。考え始めると、寝食を忘れるのだそう。いつものことなのだとか。
「早く一緒に考えられるようになりたいです」
森羅の言葉に、コノハナサクヤヒメさんは「期待しています」とまた笑った。
ルツには簡単に想像できた。ハオラン氏と同じ様に考え込む森羅を。今まで、そんな姿を何度も見てきた。
建物の廊下は中学や高校と同じくらいの幅。天井はもっと高い。床は大理石模様で壁はベージュ色。大きなガラスの外は夜。
ルツ達がいたのは1階で、それほど歩くことなく建物の玄関に到着した。
玄関前には角が丸いキューブがあった。大きさからして車だろう。車輪なし。エンジンを搭載していそうな部分もなし、ただ四角い。ドアは近づくと開いた。促されて乗り込むと向かい合わせにソファがあった。一方にコノハナサクヤヒメさん。もう一方に森羅とルツが並んで座った。
「私は、ヒメって呼ばれています。コノハナサクヤヒメは長いので」
コノハナサクヤヒメさんは左右対称の唇の両端を上げた。
ルツは車窓にへばりつく。1000年も先の未来。いったいどんな空間なのだろう。
ドローンが空を飛びまくっているかも。建物が宙に浮いているかも。わくわくのどきどき。
けれど、外は真っ暗。見えたのは、月明かりの中、サバンナで寝転ぶライオン。
ライオン?
「あの、ヒメさん。ここって、動物園ですか? アフリカですか?」
ルツは質問せずにはいられなかった。
「動物園じゃないけど。そうです。アフリカ。ヨハネスブルク」
分かんない。
首を傾げるルツの隣で、森羅は「ヨハネスブルク?!」と驚いている。
車窓からの眺めはひたすら自然。と思っていたら、だんだん街になってきた。サバンナにはなかった道がある。道ゆく美男美女は映画のハリウッドスターのよう。すれ違う車は全て同じ角のとれたキューブ型。
コノハナサクヤヒメさんのマンションに着くと、車はそのまま建物に入り、垂直に昇る。目的の階に着いたのか、今度は横に動いた。
到着すると、車のドアが開く。ほぼ同時に目の前の部屋のドアも開いた。
「ただいま、ナニー」
コノハナサクヤヒメさんは部屋に入ると、誰もいないのに挨拶をする。どこからか声がした。
「おかえりなさい。お疲れ様です。お客様の部屋は用意できています。狭いのでバーチャルシールを利用することをお勧めします」
「ありがとう」
ナニーはコノハナサクヤヒメさんの部屋のハウスキーパーAIだと紹介された。といっても実態はなく、声だけ。
「トイレをお借りできますか?」
実はルツ、ちょっとだけ我慢していた。
「トイレは部屋にあるわ。ナニー、2人を部屋に案内して」
「承知しました」
目の前に突然、白くて丸いフォルムのアニメのような右手袋の立体映像が現れ、どーぞこちらですというゼスチャー。白い右手袋の案内で廊下を通り、部屋の前まで行くと、ドアが自動で開いた。ルツの部屋と森羅の部屋は隣合っている。
部屋は8畳ほど。ベッドと作り付けのクローゼットがあるだけ。ルツはすぐ、トイレを探した。シャワールームはあったけれど、トイレが見当たらない。ルツはナニーに尋ねてみた。
「ナニー。トイレはどこ?」
「お部屋にあります」
「ここ? シャワーしかなくない?」
「シャワールームの手前にトイレがあります」
洗面台のスペースの奥にドア。ドアを開けたルツの目には、ガラスで仕切られたシャワールームしか見えない。2m×4mほどの縦長のスペースの奥にシャワーを浴びる場所があるだけ。まさか、排水溝で用を足せと言うのだろうか。それなら大の方はどーする。
排水溝は壁際。シャワーの真下。
え、狙うの?
「ここに? ナニー、確認」
少し膝を曲げながら、おずおずとパンツを下げようとするとナニーの声が聞こえた。
「便器を作動させてください」
「え。どーやって」
「では作動させます」
すると、ルツがいたガラスで仕切られたシャワールームの隣に、音もなく直径20cmほどの円柱が床から上がってきた。
ぐにゃり
形が変形して、程よい高さで座れる形になったのだった。
「ここにすればいーの? するよ?」
「どーぞ」
「ありがとう。もういいからあっちへ行って」
「もともと私はどこにもおりません」
「……」
ナニーに見られているような気がして、なかなか出る物が出なかった。なんとか用を足したが、後の作業が必要。
「ナニー、紙は?」
「古とは違い、現在は殺菌&乾燥されます」
へー。紙使ってたのって古なんだ。そっか、1000年前だもんね。
「殺菌&乾燥? どうすればいい?」
「終わったら自動的にされますので」
あ、なんか、乾いてきた感じ。
「どーやって流せばいいの?」
「終わると自動的に流れます」
「立てばいいのかな」
「尿の水圧を便器が感じ取らなくなると流れます」
静かだった。水が流れている気配すらない。立ち上がって便器の中を覗こうとしたが、すぐに閉まって円形に戻ってしまった。そして、ナニーとは違う声でアナウンスがあった。
「浄化剤を飲んでください」
浄化剤とは。
「ナニー、浄化剤を飲めってなに?」
「この世界の飲み物と食べ物には浄化剤が入っています。恐らく、別の食べ物を食したのですね。異食症の人に対して、ときどきこのメッセージが使われます」
ルツは、1000年前の世界のファーストフード店でオレンジジュースを飲んだ。それには、ここでいうところの浄化剤が入っていない。
「ナニー、手はどこで洗うの?」
「便器の上で殺菌してください」
「便器の上? えー、なんか嫌。洗面所で洗うよ」
「ぜひ殺菌をお願いします。特殊な環境からいらしたルツ様は、様々な細菌やウイルスを所持している可能性があります」
「研究所で健診受けたよ。OKだった」
「採血採尿はされましたか?」
「ううん」
「では、内臓の細部までの検査ではありません。簡単です。紫の光に手を当てれば殺菌されます」
「おおー。紫」
先ほど膝の高さだった便器の素である直径20cmほどの円柱は、おヘソくらいの高さまでになって柔らかい紫の光を出していた。
「あ、そーだナニー。便器を召喚したいときって、毎回ナニーにお願いするの?」
「それでも大丈夫ですが、便器部分の前に1秒立つと召喚されます」
「了解。ありがと」
「どういたしまして」
ナニーってすっごい。私に合わせて「召喚」ってワードを遣ってくれた。
ルツは感心。しかしこれは、実はナニーではなく、白い小豆状の翻訳機が気を利かせたのだった。
その後、ルツは森羅の部屋をノックする。
「うっす」
「おお」
森羅は学ランを脱いでYシャツ姿。少し疲れた顔が色っぽいーーーと、ルツは独特の偏向思考を働かせる。モテ男の万象と双子だけあって、森羅の顔は1000年を超えた美男美女時代に馴染むほど。単に、雰囲気がダサすぎてイケメンに見えないだけ。
ちょうどルツが部屋へ入ろうとしたとき、パタパタとコノハナサクヤヒメさんが走ってきて「バーチャルシール」と四角い1cm四方のシールを手渡す。
4枚。2枚ずつってことね。
教えられ、シールを両目の横に貼ると、殺風景な部屋が海辺の一室に早替わり。窓の外には夜の地中海っぽい景色が広がる。
「桜」
と森羅。シールを何回もタップする。ON/OFFだけでなく、インテリアや窓からの景色が変わった。それらが変わってもベッドやドアだけはちゃんと元の位置にあるから不思議。同じ空間にいるのだから、インテリアと景色を合わせた。窓側全面と天井がガラスで、大きな桜の木が近くにある。その向こうにもずーっと桜があって、朧月夜の下、ピンクの花びらが舞う中、鹿が数頭寝転んでいる。
「奈良みたい」
「っぽいな」
「森羅」
「ん?」
「これって現実かな」
「うわっ。痛っ。自分で確かめろよ」
いつものお約束。信じられないことがあると、ルツは森羅の頬をつねる。つい先日、自分の高校合格が信じられなくてやったばかり。
「現実」
「いてーよ」
「帰れないのかな」
「帰りたい?」
「森羅は帰りたくないの?」
「うん」
「警察?」
「……」
1000年後の世界に来たって衝撃の前に、森羅が警察に追われたという大問題があった。
「モリーって何?」
MOLLY。森羅は宙にスペルを書く。
「オレ。バレないと思ったんだけどなー。位置情報なんて晒してなかったはずなのに。スマホかな。あの店のWi-Fi設定したままだったんだよな。でも、スマホはMOLLYじゃないんだけど」
「何やったの? 小中学生の闇アプリ?」
「んー。テトリスっぽいゲームの著作権か、名誉毀損か」
「名誉毀損?」
「政治家や有名人の似顔絵がテトリスのブロックに入ってんの。揃ってブロックが消えるとき、やらかしネタが出る」
ナニそれ。やってみたい。
「名誉毀損って、警察来るっけ?」
「……休眠口座の方かも」
「は?」
「政治に使われる金が電子マネーになったじゃん」
「うん」
「で、政治家はクリーンにならざるを得ない。ンで、休眠口座を探すアプリ作った。作っただけだからな。ハッキングとかしてねーし」
「犯罪に絡んでるじゃん」
「してない。アプリだけ。口座屋の仕事は断ったし」
「こーざや?」
「断ったからカンケーない。怖くて。悪いことはしてないはず」
「え、ちょっとまって。政治家と休眠口座が繋がらないんだけど」
「マネロンだよ」
「マカロン? 何それ」
おいしーの? ってか美味しそう。Qちゃん、マジで森羅は警察のお世話になりそーなことしてたよ。
ルツは泣きたい気持ちだった。大好きな男の子が未成年なのに犯罪まがいのことに手を染めていたなんて。そして思い直す。こっちの世界にいれば森羅は捕まらないのだと。
「今ごろ、警察が幸川を捜索してんのかな。みんな、心配してるよね」
「オレはこんなだけど、ルツは帰りたいよな。やっと万象とつき合えることンなったしさ」
「なにそれ」
めっちゃ乙女心抉ってくる。私が好きなのは、未成年のくせに犯罪まがいのことに手を染めて警察に追われたクソバカ野郎だよ。