美しい横浜駅西口五番街
しばらくすると、ワゴンが食事を運んできた。これくらいのロボットなら前の時代にもあった。
テーブルの上にプレートが並ぶ。見た目はルツの知っている料理とほぼ同じ。餃子が茶巾絞り型になっていてオレンジ、ピンク、黄色になっていたくらい。
ルツと森羅は、いつものように手を合わせて「いただきます」と無言で一瞬目を閉じる。その様子を見て、コノハナサクヤヒメさんが2人に尋ねる。
「それは神に祈っているの?」
「なんとなく、習慣です。挨拶みたいな」
とルツは返した。もともとは神に祈っているなどという由来は知らなかった。
牛ヒレ風培養肉は、期待していなかったのに絶品だった。
めっちゃ高級肉じゃん。ソースに醤油っぽい味入ってる。うっま。
ルツはおかわりをしたいほどだった。
休憩中であっても、研究者2人は様々なことを相談していた。ルツと森羅はコノハナサクヤヒメさんの部屋に滞在すること、生活用品や着替えの注文、プロジェクト第1段階の素晴らしいできごとなど。
「まず、タイムワープの安全性、か」
とハオラン氏が、空中に24インチほどの画面を出して難しい顔をする。しきりに何もないテーブル付近で指を動かしながら。食事はまだピンクの餃子しか食べていない。
「どうしたの?」
コノハナサクヤヒメさんが尋ねる。
「それがないんだよ。過去見にない」
ハオラン氏は宙に浮かぶ画面に視線を張りつけたまま。ぼんやりと白っぽい画面があることはルツからも分かるけれど、何が映っているかは見えない。
「何が?」
コノハナサクヤヒメさんが画面を観るために席を立って彼の背後に立つと、いきなり、画面の映像がルツからも見えるようになった。他の人からも見えるモードに切り替わったのだろう。
「さっきから横浜駅前を探しているのに。森羅とルツが見当たらない」
どうやら、タイムワープした瞬間を探している様子。
ぱっと画面が100インチくらいに拡大して皆に見える宙に浮く。人が行き来する横浜駅前を映している。アングルは真上から。これが先の話にあった、何光年という光の進む年数を利用して過去を見るというものだろう。
コノハナサクヤヒメさんは「ほぼ黒髪。単一民族国家なのねー」と感心している。
「オレらがタイムワープしたのは幸川の水面よりちょっと上です」
森羅が伝えると、
「さいわいがわ?」
「線路のことを川って言ってる?」
「それとも人の流れのことかしら?」
「SIR IWAI? イワイさん?」
研究者2人の発想は、どんどん帷子川から外れていってしまう。
「横浜駅西口五番街のところにある川です」
ルツは説明しながら、そんな細かい地名、通じないよなー、と諦め気味。
森羅は冷静だった。
「ズームアウトはできますか?」
「できるよ」
「お願いします。もう少し。もうちょっと。ストップ。ここです」
森羅は画面の側まで行って、空から見た横浜駅の辺境、相鉄線乗り場西側の一点を指し示す。
「ええっ。これじゃ駅前じゃない。こんなにズレていたのか?! それに水面の上。高さまで。どーなってる。計算が」
ハオラン氏の口は「オーマイガッ」と動いている。
コノハナサクヤヒメさんは尋ねた。
「日付と時刻は分かりますか?」
森羅はが正確に時刻を告げる。
「4月11日15時18分ごろです」
「森羅、なんでそんなん覚えてんの?」
思わずルツは聞いた。
「警察が来てスマホの電源落としたから。こっちでONにしたとき履歴見た」
へー。即、逃げたのに。逃げながら電源落としてたんだ。でもって、こっちでON。すっご。冷静。
そのときルツは、森羅がなぜ川に飛び込んだか気づいた。溺れるためじゃない。スマホと持っていたパソコンを水浸しにして壊すため。森羅は何かやっていた。警察に追われるようなことを。
「日付と時刻はぴったり1000年前。タイムマシンの設定は15時20分だった」
「じゃ、15時15分から観てみましょう」
映像は川がフォーカスされている。画面中央左には青い橋。画面の中に下から青い橋に走ってきた森羅。何かを投げる。映像でははっきり確認できないけれど、恐らくはリュック。森羅が柵を乗り越える。ルツが下から走ってきてジャンプする。ほぼ同時にジャンプした森羅とルツは黒い靄に包まれて消えた。その場所に突然現れた赤いテディペアが川を流れていく。その後、ファーストフード店で警察手帳を見せてきた人ともう1人が青い橋の上を行ったり来たりしていた。
「やった! くまちゃん行ってるじゃない」
「なぜだろう」
コノハナサクヤヒメさんが喜び、ハオラン氏は考え込む。
「あの赤いテディベアは、こっちから送ったものですか?」
ルツは質問した。警察に追われていたことを悟られないよう、注意を他へ向けるために。
「そうです。実験用マウスを送るのは、ちょっと可哀想な気がして。99%失敗すると思ってたから。生態系に影響が出ても問題。赤いテディベアなら探すときに目立つでしょう?」
「横浜駅の場所とグリニッジ天文台の位置関係が変わったんだろうか。高さはどう考えればいいんだ? そもそもどうやって考えたかから最初から辿らないと。むむ」
ハオラン氏は考え続けている。
ルツには気になることがあった。リュック。
「もう一度見せてください。お願いします。消えるところだけでいいです」
スローでリプレイしてもらった。
黒いリュックが放り投げられて幸川に落ちる。それは水面にくてっと浮く。ルツと森羅が川に向かって跳び、空中にいる瞬間、四角い黒い靄が現れた。
「わーお。ジャスト。ジャストじゃなきゃ、体が分断されてしまうの。奇跡だわ」
コノハナサクヤヒメさんはほっと胸を撫で下ろす。
体が分断?
理論的には、タイムワープする2m四方の空間が1000年前と入れ替わた状態になるらしい。なので、境界にある物質は1000年を隔てて分断されるのだそう。ルツはぞっとした。
マジで奇跡。
とうとうコノハナサクヤヒメさんが尋ねた。ルツが恐れていたことを。
「なぜ、あなた達は走って川に飛び込んだのですか?」
「いきなり知らない男から声をかけられて、怖くなって逃げました」
森羅はぬけぬけと言った。しかしこれは本当のことだろう。ルツも補足した。
「森羅は泳げないんです。だから私、一緒に川へ飛び込みました」
一方的に大人に追われた、いたいけな未成年2人の図ができあがった。
やばい。森羅が悪いことしてたってバレる。
いくら時代が変わっても、川に飛び込むなんてよほどのこと。ルツは手に冷たい汗をかいていた。けれど……と考え直す。
バレたってカンケーないよね。こっちの時代じゃないもん。時効成立済。
ハオラン氏はまだ考え込んでいた。
「どうして位置が。計算単位をもっと詳細にしよう。1000年なんだから」
その様子を見て、コノハナサクヤヒメさんは微笑む。
「1000年の間に何かあったかもしれないわ。まず食べて。考えるのはその後でいいじゃない」
ハオラン氏の丼は、牛ヒレ風培養肉だけが食べてあり、ソースの付いたご飯部分はまるっと残っている。ピンクの餃子1個から進んではいる。いつものことらしく、コノハナサクヤヒメさんはそれほど気にしていない。
夢中になると食べるのを忘れるなんて、森羅っぽい。
とルツは思った。
「ね、今の横浜駅の場所を映してあげて」
「あるんですか?!」
コノハナサクヤヒメさんの言葉に、ルツは驚きの声を上げた。
日本人が消滅ってゆーから、日本がなくなってると思ってたよ。
ルツは、国境がなくなって日本がないのではなく、海になっているとか、国境がなくなる前に他の国に侵略されてしまったとか、人が住めないほどの空気や土壌になっているとかのパターンを想像していた。
ほどなくして映像が映し出された。真っ暗。
「今、横浜は夜なんだ。これじゃ分かんないよね。昨日のお昼ごろの映像にするよ」
明るくなった。
それは、一言で言えば、のどかな異国。純粋な東洋人はいない。東洋系はいる。白人も黒人もブレンドされた民族不明の人ばかり。ちょうど、2人の研究者のように。
何よりも、ただの緑豊かな街になっていて駅らしき建物が見当たらない。ぽつんとガス灯があった。
「駅はないんですか?」
どう見てもなさそう。
「もう電車は走っていないからね」
とハオラン氏。
「電車の代わりに車ですか?」
森羅の問いに「そうだよ」と返ってきた。車はドアtoドア。目的地を告げれば連れていってくれる。電車よりも便利。鉄道や駅は遺跡扱いらしい。
「通勤や通学は? 渋谷に行ったり」
うっかりルツは、1000年前の調子で話してしまった。
「通学は車です。未成年は、徒歩か車で通学できる決まったエリアにしか住んでいません。社会奉仕で特定の場所に通う人は少数です。多くの人は社会奉仕をしていませんし」
ルツには仕事のない世界の想像が難しかった。コンビニくらいはAIによって管理されていることが想像できるけれど、宅配、介護、ルツの父親のような銀行での仕事。
あ、お金がないなら銀行いらないっけ。
「AIとロボットが働いているんですか?」
森羅には想像できているようだった。
「はい。そのメンテナンスもAIが行っています。人間は雑事から解放されて、したいことをしているの。だから、かつて仕事と呼ばれた社会奉仕、をする人を、生活の場から社会奉仕の場所まで大量輸送する電車はありません」
電車は維持するのに手間がかかり、稼働させるには大量のエネルギーが必要で非効率なのだとか。その点、宙に浮く車は道を必要としない。エネルギーも少なくて済む。
飛行機と船は1000年後の世界でも健在だった。
映像が変わった。森羅とルツが飛び込んだ幸川にかかる青い橋の辺りなのだろう。青く澄んだ川を人々が空中散歩している。
「橋がないのに渡ってる?!」
「ホントだ!!」
驚くルツと森羅は、透明な橋だと説明された。透明度がエグい。
美しい、知らない場所になっている。あのごちゃごちゃとして人だらけで地面にガムとタンが落ちている横浜駅西口五番街が。あの、いつも淀んで透明度0でコンビニの袋が浮いていた幸川が。並木道、透明の橋、澄んだ水、芝生。美しくなったのだから喜ぶべきなのに。
こんなの、横浜駅西口五番街じゃないーーーとルツは思ってしまった。