VRにとって色々不本意
「なールツ、このVR、洗脳っぽくね?」
森羅は、カップの蓋を取って氷を食べ始めた。
「仮想通貨隠してるくらいで。そんな」
言いがかり。
「このVRは低所得を味わせることが目的。弱者のために通貨をなくしたって筋書きの気ぃする」
「どーなんだろ。15万ゲルも貰えたら、私としてはいい生活できそうなんだけど」
税金と社会保険考えたら、実質月収30万ゲル以上じゃん。平均年収とか知らんけど。
「今、連邦会議の中継、視聴回数伸びてる」
話、飛んだ。いつものことだよね。
「へー。観てるんだ?」
「なんとなく。ニュースも入ってくるし」
「スポーツニュースとかあるの?」
「あるよ。戦争のニュースが多い」
「どっか戦争してる?」
「中東の辺。『無境の境』って言ってたとこに難民キャンプがあって、移民が逃げてきてた」
「なんか、中東っていつも戦争してるよね」
「だな」
「うちらって、いつもでここにいるんだろ」
「VRで金がなくて困ってるとこに、通貨廃止が来て『助かった。ヨカッタ』みたいなんじゃね? ルツとオレは交流してっけど、ルートは別じゃん。ルツよりオレの方が早く金なくなって、早く通貨廃止の経験するんだろーな」
「どーして」
「外に出るルツの方が、精神的に参らないんじゃね?」
「だったら森羅も外へ出れば」
「ダルい」
「あっそ」
それより、リングでいろいろ調べるのがいいんだよね? アプリ作ってるときとか、学校行くのもメンドイって言ってた。ずーっとやりたいことをしてればいいんだから、森羅は楽しくてしょうがないと思う。
午後、ルツは仕事へ行き、森羅は部屋へ帰った。
仕事中、にへら〜っと森羅との時間を反芻していると、夢の世界に誘われてしまった。体がときどきガクッとなる。
おっと。
元の姿勢に戻り、再びガクッとなる。3度目は口を開けたまま上を向いて、ガクッと後ろの壁に頭をぶつけた。
だから気づいた。
「ぁっ」
ルツの仕事場は、イス。それは倉庫のドア横のセキュリティチェックの装置らしきもののすぐ横。ルツの顔から離れること20cm程。空気が熱い気がした。そっと装置の隅に触れてみた。発熱している。そして、僅かに中が稼働している微細な、振動とまでは行かない、何かを感じる。ルツ以外に人はいない。
ルツはよだれをふいてから、上司ゼニガタに連絡した。
「セキュリティ装置が少しだけ熱くなっています。装置の中が動いているように感じます」
「そうか。誰かいるのか?」
「いえ。誰も」
「5分ほどで行く」
p
装置から音がした。
? ロック解除の音かも。
上司ゼニガタは、4分後に早足でやってきた。銀縁メガネの男と共に。
「一応、エンジニアを連れてきた」
「ありがとうございます。さっき、この装置から小さな音がしました」
エンジニアは装置をチェックしている。
「誰かがハッキングしていたようです。ロックが外れています」
エンジニアがドアを押すと、ゆっくりと開いた。
上司ゼニガタは倉庫の中に入って行き、しばらくすると出てきた。
「誰もいない。念の為、監視カメラをチェックしておく。今夜は、張り込みをするか」
上司ゼニガタは、ため息混じりに黒いくるくるした髪の毛に手をやった。
ルツは、自分はバイトでよかったと胸を撫で下ろした。遺体安置所近くで夜勤なんてしたくない。
翌日、警察署へ行くと、上司ゼニガタが走って出迎えてくれた。更に上の上司もいる。年配でなんだか偉い人オーラが漂っている。
「ルツ、昨晩22時。清掃員を装った男が倉庫へ来た。犯罪の証拠をすり替えるために」
VRって変なことを経験させようとしてる。関係なくない?
ルツは、犯罪が防がれたことを素直に喜べなかった。奇妙。疑問をリングに投げようとしてやめた。リングはVRと繋がっている。繋がっているというよりも、そのもの。
なので、帰宅して森羅に尋ねてみた。
「必要なくない? 通貨がなくなることと関係なくない?」
森羅はしばし考える。考えると口が空いてしまい、スプーンですくったカレーがぽとぽと皿の上に帰っていく。そんな姿もルツ目線では愛しい。
「ルツにミスをさせるためじゃね?」
「ミス?」
「倉庫の番をしていたのに、鍵が開いた」
「いえいえ私がいないときだったよ」
「エンジニアはセキュリティの装置がハッキングされたって言ったんだろ? アクセスされた履歴を見たんだ、それ。アクセスされたことが分かるなら、絶対にロック解除された履歴は残るようになってるはず。侵入が発覚したとき、ルツが見張ってたときにロック解除されたってことになる。そんなヤツは監視カメラの映像データくらい変更できる。そーすると、侵入したのはロック解除の時刻にできる」
「それって、私のミスじゃないじゃん」
「ルツは気にしない。でも、これが注意深くて完璧主義で責任感があるデザイナーベイビーだったら自分の落ち度かもしれないと考える」
「森羅、私に失礼」
まるで私が、注意力散漫でいい加減で責任感がないみたいじゃん。
ルツが唇を尖らせていると、森羅はルツの唇を摘んだ。扱いが雑。
「オレ、思うんだけどさ」
「なに?」
「未収入面接なんて受けたら、デザイナーベイビーは職を探す」
「かも」
「ルツ、リングから聞いたって言ってたじゃん。他にも仕事があるって」
「うん。探偵とビルの掃除と介護」
「どれも、なんかトラブル的なのが仕掛けてあるんじゃね?」
「あ”ー。介護はお世話してる人との死別かも」
「ふーん。仕事のトラブルを回避なんて、ルツはたぶん、VRにとっては不本意なことをやっちゃったんだろーな」
「へー」
ルツにとっては、通貨が廃止されることもトラブルもどーでもいい。このシチュエーションだけでカレーなしでもご飯3杯いける。一人暮らし、隣同士、カレシ(?)の部屋、手作り料理。森羅の部屋は、少し綺麗になっている。生ゴミの臭いが消えた。
明日は何つくろっかなー。ハンバーグ、ラタトゥーユ、サラダにスープ。
「ルツが自炊してるのも不本意だろーな」
「なんで?」
「金が減らない。あ。明日はオレが作っとく」
「♡_♡」
「カレー風味のコロッケな」
本日のカレーの残りは冷凍保存。鍋を洗わず、茹でたじゃがいもを鍋の中で潰してカレー風味にすると言う。森羅はまるで主婦。
「VRの思い通りになってないのは、私より森羅だよね。仕事してないし」
「だよな」
デザイナーベイビーの行動パターンからはズレてる。たぶん。
「仮想通貨で遊ぼうとするし」
「連邦会議の中継で、ちらっと出た。仮想通貨って言葉。通貨に準ずるものって位置づけで」
「へー」
「世界ってさ、今、連邦とそうじゃないとこがあって、連邦の経済の方がずっとでかい」
「うん。どう考えてもそーだよね」
「仮想通貨はさ、経済全体の5%なんだって」
「少な。じゃ、通貨がなくなることに関係ないじゃん」
「市場にある個人の富は、金持ち上位3%が75%を持ってるんだってさ」
「……」
また話が跳んだ。いつものことだけど。
「それってつまり、世の中に流通してない個人の金が70%はあるってことじゃん。もっとかも。3%の人間が一生懸命金遣ったって限界あるっしょ。そーすると流通してる金は30%。仮想通貨は実体経済に入り込んでる。30%の中の5%って、すっげーでかくね? 世の中に出回ってる金の16~7%が仮想通貨」
「でかいね」
生活力が全くないのに、変なことばっか考えてる。
「この時代だって仮想通貨は投機目的が多いだろーけど、やっぱ、犯罪も絡む」
「じゃ、犯罪に遣われるお金をなくすために通貨全部をなくすの?」
「ってか、犯罪をなくすためなんじゃない? 戦争があったのは国があったから。犯罪の原因の多くは金。そーゆーの、連邦会議の中継で論争してた」
「森羅、連邦会議なんて観ておもしろいの?」
「流してるだけ。でもまあ、そーゆー中継があるって設定をVRが仕込んだんだから、たぶん、観る人いっぱいなんじゃね?」
デザイナーベイビーって意識高そうだもんね。森羅の場合は意識高い系じゃなくて、興味の方向が変なだけ。
ルツと森羅の半同棲生活ーーーではなく、半同居生活は意外と続いている。暗転して日にちが進むことを想像していたのに、それはなかった。森羅曰く「日々のルーティンで貧困を味わせるため」。
信じられないことに、4ヶ月目に突入した。そして、ルツも森羅もお金が貯まっていく。VRにとって想定外だろう。
森羅は料理の腕を上げ、安い食材で美味しい料理を作ってくれる。食材費は2人で折半。ルツは掃除を担当している。1ヶ月15万ゲルの支給は単身世帯の設定。ルツと森羅はほぼ2人で生計を共にしている状態なので30万ゲル。ルツは仕事以外の時間は森羅と一緒にいたいだけなので散財しない。森羅はガチオタのインドア派。
実は、VRにとってもう1つ想定外のことがあった。社会からの孤立を味わい、心が内へ内へと向いて病む寸前までいくのが通常である。たとえ複数人であったとしても、数人で社会から隔離された状態を味わって傷を舐め合って共倒れするもの。
けれど、ルツは森羅といるだけでハッピーだったし、森羅は夢中になることがあると周りはどうでもよくなる孤立上等変人。
2人は全く貧困と鬱を味わうことなく日々が過ぎる。
そして、とうとう「通貨及びそれに準ずるものの廃止」が発表された。
森羅の部屋でボンゴレを食べていたとき、なんとなく表示されたままの画面で、美しい国籍不明、男か女かも不明の連邦総裁が発表した。いきなりではなく、2ヶ月の猶予があった。
「なんで? 明日から廃止でいーんじゃない?」
ルツにとっては謎。
「通貨が廃止ってことは、仕事しなくても大丈夫ってことじゃん。相当数の離職者が見込まれてる。そこの問題をクリアするためって。連邦会議で討論してた」
「2ヶ月」
「長いよな。それまで、オレらここ?」
「あ、ここってエジプトだよね?」
「うん。ピラミッドとスフィンクス見たし」
「森羅、イスラエル、行きたい」
「は?」
「通貨があるうちに、難民キャンプに支援物資送りたい」
「は?」
「通貨がなくなったら、そーゆーの、自由にできるか分かんないじゃん。どーせなくなるなら、遣っちゃう」
ルツは、自分もかなり変人だと気づいていなかった。