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ヘブンドープ

 この小説を、今でも何者かになれると信じている、全ての私達へ。



 アスファルトのように敷かれた雲の道の上で、鉄棒に縛り付けられたあいつが甘えん坊の子供のように四肢をバタバタさせている。僕はその光景を最前列の特等席で眺めている。あいつの足元には薪があって、暴れる度にそれが少しずつずれていく。


 隣にいる(あい)はそれを見て、「処刑員をあまり困らせちゃだめだよな」と学校では僕に見せることのない、花束みたいな可憐な笑みを浮かべる。


 それに思わず見とれてしまった。慙愧していた人生の全ての中で、僕がずっと欲しかった笑顔。それが今隣にある。


 甲高い喚き声が聞こえた。縛られているあいつが発した声だ。顔には紙袋が掛けられており、その表情を伺うことはできない。だけど、きっと苦悶や恐怖にまみれているんだろう。人生に残機なんてあるわけないのだから、当然なのだけど。


「なぁ、知ってるか夢生(むう)?」


「ん、なに?」


「焼死というのは、最も苦しい死に方の一つなんだ」


「らしいね……」


「知ってたのか。まぁ、焼死の場合、火傷で死ぬよりも煙で窒息死する割合の方が多いがな。だけど、とにかくインパクトが強い。自殺でもそれが選ばれるのは、強いメッセージ性がある場合が多いそうだ。


 それに、死体も見苦しい。人体は水分がほとんどだからな、皮膚が炭化しても体内は燃えにくくて……。まぁ、その辺の詳細はいいか」


「……愛ってそういう知識、どこで身に着けるの?」


「本とかネットとか……。この知識は完全自殺マニュアルだな」


「……それ、僕も読んだことある」


 思わずそんな苦笑いが出た。僕は正直、あの本は嫌いだ。読んでる時、お前なんか自殺した方が幸せだと言われている気分になったから。


「あばれるな! このごくあくにんが!」


 小学生の低学年ぐらいの子が、そう叫ぶと小さい石をあいつに向けて思い切り投げる。その石が制服のお腹あたりにあたって、彼の声がぐぐもった。もしかしたら急所にあたったのかもしれない。


 だけど、前回は僕を含めて、皆で石を投げすぎた結果、火炙りにする前に死んでしまった。だから、やめるようにとスマホのSNSに書き込む。


 それ以降、石をあいつに投げるものは出てこなかった。


 そして、ついに処刑の準備が整ったらしい。処刑員が火のついた松明を手にして、まるで聖火リレーのように足元の薪に火を灯す。彼の身体にはガソリンが掛けられていたらしく、火はかなりのスピードであいつの身体全体を覆いつくす。ぎゃーとかうわぁーとか怪獣みたいな大絶叫が、広場に轟く。観客の歓声も、また同じく。


 僕は愛の手を握ったまま、彼女に尋ねる。


「次の処刑はいつだっけ」


「明後日だな。殺されるのは、きみのお父さん」


「そっか。なんだか感慨深いな」


 そう答えて、僕は火達磨になって未だ絶叫しているあいつをスマホで捉えて動画を撮った。加工をしてそれをSNSで投稿してやると、すごい勢いで拡散されていく。この調子なら過去最高の二億いいねを超えることだって夢じゃないだろう。


 その拡散ぶりに充実感を覚えながら、僕はこの世界に来て本当に良かったと心から思った。同じ学校に通っていた頃から好きだった彼女が、苦しんでいる僕をここに導いてくれた。前の世界じゃ決して味わえるわけのない充実に今、僕は胸を躍らせている。


「ねぇ、愛。僕の父親の処刑が終わったら、僕ら結婚しよう」


「こんな場所でプロポーズか? でもまぁ、いいよ」


 そう業火の熱気に少し汗をかきながら、僕らは婚約した。雰囲気で言ってしまったから、まだ薬指にあげる指輪も用意できてない。


 だけど、彼女は受け入れてくれた。燃やされていた薪が激しく爆ぜる。


 あいつの絶叫は、すでに止んでいた。



 五日前のこと。


 目が覚めると、僕は誰も居ない教室の中に一人取り残されていた。寝ぼけ眼であたりを見渡す。皆の机には色鮮やかに咲いた金木犀の花が一輪、飾られていた。ただ、中には花瓶が置かれていない席もある。それは、僕と宇賀神(うがじん)さんの机。


 起こっている事態を把握できないまま、僕はカーテンが開かれている窓の外を見る。夜の帳が下りていて、教室内の電灯が無ければ辺りは真っ暗だろう。


 にしても、とぼんやりする頭を働かせる。さっきまで僕、家で寝ていたはずだったのに、どうして学校で目覚めたんだ? そもそも、この机に置かれている金木犀は一体なんなのだろう。


 分からないこと、不可解なこと。それを認識するたびに不安な感情に苛まれていく。ひとまず、教室を出ようと思った。椅子から立ち上がり、僕はドアを開ける。


 その時、一人の女の子とぶつかりそうになった。


「わ、起きていたのか」


「あ、宇賀神さん……」


 そこには、僕のクラスメイトで風紀委員の宇賀神愛(うがじんあい)が居た。クラスで3番目に低い身長に細身の華奢な体型。だけど、そのまなざしや態度はまるで野生の豹のように研ぎ澄まされていて凛としている。だけど、可愛らしい顔をしているから、クラスではマスコットのように扱われることもあって、それでむうむう唸っている姿もまた愛嬌を誘って。


 そんな彼女が、僕は好きだった。言ってしまえば、宇宙で一番恋している人。結婚したい人。その小さいであろう子宮に、僕の子を宿してほしい人。


 ずっと見つめていたからか、「どうかしたか?」と彼女が首をかしげる。その拍子に、トレンドマークの黒髪のポニーテールがゆらりと揺れる。


 僕は思う。こうしてまた目を合わせて会話できるなんて、ここは夢なのだろうか、と。僕が●●で、●●●●●の●●●を●って●●●●してたのを●●●●しまってから、当たり前だけど、彼女と目を合わせることも、会話をすることもできなくなってしまったから。


「体調は大丈夫そうだな。なかなか目を覚まさないから心配してたんだ」


「え、あ、うん。大丈夫」


「おっけ。じゃあ、ひとまず座ろうか。この世界のことについて、話さないといけないから」


「……この世界のこと?」


 どういう意味だろうと、内心で首を捻る。


 そして、彼女は平然とした口調でこう言った。


「あぁ。ここは君たちが地球と呼ぶ星でも、日本という国家でも、君が通っている学校施設でもない。ここは、言うなれば天国なんだ。君の理想が全て叶うところ」


「……何言ってるの?」


「だから、これから説明する。ひとまず座れって。こんなところで長話もあれだろ」


 そう言われ、僕は渋々と近くにあった席に腰かけた。愛も隣の席に座る。その時、「邪魔だな」と言って、机にあった花を隣の席にどかしていた。


 そして、彼女は話を続ける。


「まずな、私は天使なんだ。君を導くための」


「……はぁ」


「で、私は天使だから、君を苦しめていたクラスメイトは全員殺しておいた。黒板のところにマシンガンがあるだろう。あれで皆殺しだ」


「……え?」


 そう言われ、僕は彼女に指を差された先、黒板の端っこを見る。すると、そこには確かに鋼鉄の黒に覆われた長い銃が一丁、置かれてある。


「花瓶があるだろう。死んだから、私が用意したんだ」


「……殺したの?」


「あぁ、君が望んでいたこと、私は知っているから」


 そう彼女はあっけらかんと、当然のような口調で話す。突然のことに、僕は全く理解が追い付いていない。 


 だからか、恐怖はあまり感じなかった。彼女の言葉を、僕の脳は全く信じられていない。


「で、今私たちが居るここは天国。今風に言うのなら、異世界転生……? とでもいうのか。まぁ、よく分からないけど、そういう類のものだと思ってくれ」


「……見た感じ、いつも通っている教室だけど」


「演出だよ。天国に行くなら、君にとっての地獄から手を差し伸ばした方が感動的だろう。それとも同じ地獄なら、君の実家の方がよかったか?」


「……」


「嫌そうだな。なら、君が異世界に来たことを証明するために、景色でも変えるか。綿貫(わたぬき)、目を閉じて」


 そう言って、愛はあの時ぶりに名前を呼んでくれた。だから、彼女の言葉に従ってみる。


 そして、目を開けた。驚きすぎて、その目は見開かれていたと思う。


「え、なにこれ! どうなってるの!?」


「どうもなっていない。景色を変えただけだ。スマホの壁紙を変えるみたいなものさ」


「だけど、これ地面が雲……。僕今、青空の上に立ってるの?」


「天国っぽいだろう? 嫌ならマグマにもできるが……」


「嫌じゃないけど……」


 あまりにも唐突に衝撃的なことが起きて、思わず腰が抜けそうになる。だって、目を開けた瞬間、教室から青空の下にワープしたのだから。


 いや、青空の下というのも変かもしれない。僕が今座っているところ、その本来床であるべき場所は雲に包まれている。


 つまり、僕は今青空の下に居て、青空の上に立っているということだ。


「これで信じただろ。ここが君が居た世界ではないことは」


「……夢だよね、こんなの。じゃなかったら本当に異世界転生?」


「まぁ、信じるも信じないも君次第だ。ひとまず、何か注文をしよう。何がいい?」


「何がいいって、え?」


 今気づいたのだが、今座っているここはカフェテリアらしい。いわゆる、オープンテラスというものなのだろう。天井のない店内の中で、辺りには客席がちらほら置かれている。生暖かい風が吹いて、その開放感が心地いい。


 そして店員さんがやってきて、注文を尋ねてきた。僕は愛のおすすめを注文して、エプロン姿で上品に礼をして去っていく彼を眺める。


「いい感じのカフェだろう。私の行きつけなんだ」


「うん、開放的だし、お客さんも店員さんも全員仮面を被ってないなんて、いつぶりだろ。こんな光景……」


「……? よく分からないが、まぁいいか」


 思わずそんな店内の光景に感動していると、店員さんがドリンクを持ってきてくれた。二人で一緒に飲んでいく。少し甘ったるいけれど、十分美味しい。


「とにかく、これで分かっただろ。ここは天国なんだ」


「天国……。ということは、クラスメイトを皆殺しにしたというのも、本当なの?」


「だから、そうだと言ってるだろう」


「……」


 景色の転換を経て、彼女の台詞にようやく実感らしいものが落ちてくる。僕をいじめていたり、からかっていたクラスメイトが殺された。それは心の底から、飛び上がるほど嬉しい。


 だけど、彼女はクラスで受け入れられていて、友達もたくさんいた。そして、風紀委員で誰よりも正義感と、親切に溢れていて。


 そんな彼女が一緒に授業を受けていたクラスメイトを皆殺しにするなんて、どうにも腑に落ちない。


「……でも、吉田たちとは仲良かったじゃん。殺して良かったの?」


「さっきも言っただろ、私は君を迎えに来た天使だ。つまり、君の望みを実行しに来た天使」


「……要するに、クラスメイトを皆殺しにするのが僕の望みだってこと」


「あぁ」


「……」


「でも、それも仕方ないことさ。現世は地獄と同義だから。だからこそ、私はそこから救いに来た」


「……現世って、地獄なの?」


「少なからず君にとっては地獄だろ。思い返してみろ、君に対して、優しかった人間は何人いた」


「……二人だけ。宇賀神さんと、ママ……」


「だろう、現世は地獄なんだ」


「でも、どうしてわざわざ僕を」


「分からないのか。君は特別なんだ。あの世界の誰よりも」


「特別……」


「だけど、特別は普通とは相まみえないから、だから君は苦しんでいた」


「……そうなのかな」


「そんな君を私は救いに来た。だから、これからは安らいでいい。意外と知られてはいないが、生きるのには本当は不安も苦しみもいらないんだ」


「……」


「それにこの世界は、君が望むものすべてが手に入る。賞賛も愛情も、君が望むもの全て」


「というと……」


「愛情なら私が父親の分まで愛してあげるし、この世界は君の声を望んでいる。賞賛を求めるなら、SNSでも始めればいい」


「……でも、この世界に来たということは、もうマ……お母さんには会えないということでしょ?」


 動揺を押し殺して、僕は震える声でそう尋ねる。愛の言葉を全て信じるとして、彼女は天使だから今僕とこの世界で話せている。だけど、現世に居るママとはもう二度と会えない、そういうことではないのか。


「いや、会えるが……。さっきも言っただろ、ここは君の望むものすべてが手に入ると」


「えっ……」


「だから、何も心配いらない。もっとも君なら、例え家族と離れ離れになってもすぐ順応できると思うがな」


「……どういう意味?」


「なんでもない。そろそろ行こうか。これから一緒に暮らす家の紹介もしたいし」


「え、一緒に暮らすの?」


「そうだが……。どうした、そんな驚きで目を丸くして」


「だって、それって同棲ってことでしょ……。僕が宇賀神さんと一緒に暮らすの? いいの?」


「いいもなにも……。さっきも言った通り、私は君を導く天使なんだ。なら、この世界の世話をするのも当然だろう? もちろん、君が一緒に暮らしたくないというのなら、話は変わるけど」


「いや、全然そんなことない! むしろ、ありがたいけど……。だけど、いいのかな」


「……ん? 何をそんな気にしているんだ?」


「だって、年頃の男女が家の中で二人きりだなんて……。過ちが起こっちゃうかも」


「その過ちも君が望む一つの願望だろう」


「……」


「もういいか、お互い飲み物も飲み終えたし。マスター、お会計を」


 そう言って、愛は僕の分のカフェオレまで奢ってくれる。まぁ、この世界のお金なんて持っていないから、そうしてもらう他ないのだけど。


 そうして、僕は愛の案内の元、僕たちがこれから一緒に住むという屋敷まで案内された。その屋敷は僕が現世で暮らしていた一軒家とは比べられないほど敷地面積がある。庭も小さい公園位の大きさがあり、飼ったら犬だって遊ばせられそうだ。昔、家族旅行で行った函館の旧イギリス領事館とかに近いかもしれない。洋風の建物で歴史建造物的な迫力を感じるけど、中はきちんと綺麗にされていて、埃一つもない。


 そして、案内されている途中、僕は洗面所で自分の顔を見た。歯並びが悪くて、目だけは二重で、ぼさぼさの眉。肌は脂ぎっていて、ニキビという皮膚病の温床になっていて。


 それでも、ちゃんと自分の顔だった。それが、すごく感慨深い。


 そして、一通り屋敷の中を案内されてリビングで彼女と座って話していると、「あぁそうだ」と愛が一つの端末を手渡してくれた。それは現世で扱っていたスマホによく似ている。


「……これは?」


「ヘブンドープ、という名のスマホだな。この世界の」


「この世界にもスマホってあるんだ……」


「いや、雲の床で歩けてるぐらいだぞ、文明はこっちの方が発達している」


「それもそっか」


「で、このヘブンドープだけど、主にSNS特化のスマホだな。普段インターネットに依存している人が使うスマホだ」


「なんかそれ、僕がスマホ依存症って言われてるみたいで複雑なんだけど……」


「違うのか?」


「いや、違わないけど……っていうか、ヘブンドープってどういう意味?」


「簡単に言うとヘブンは天国で、ドープは麻薬とかマリファナ……という意味だ。要するに『天国中毒』って感じだな」


「……」


 ひどい皮肉を感じながら、だけど、スマホがなきゃ生きていけないのは事実だ。大人しくそれを受け取る。


 そして、僕と愛は一緒に暮らすようになった。



 中学二年生で同じクラスになってすぐ、僕は愛を好きになった。


 その理由はいくつかある。まず、その美形。僕個人の価値観だけど、彼女はクラスの誰よりも容姿端麗だった。チワワのように小さい背丈だけど、顔つきはテレビに映る女優のように華やかで可愛らしい。晴れやかというよりも、時雨が似合いそうなクールな女の子。


 それに勉強もできるうえ、陸上の短距離走で四国大会に出場したぐらいには運動も上手にこなす。風紀委員で口うるさいところはあれど、困っている人にはほぼ必ず手を差し伸べてくれる。クラスで浮いていた僕にも。


 そう、彼女は誰にも優しかったのだ。隣の席の時は、僕が問題を解けなくてうんうん悩んでいた時に、解き方を教えてくれた。その彼女が肩を寄せた時の金木犀の香りを、今でも僕は覚えている。


 だけど、僕が本当の意味で彼女に恋をしたのは、あの時だった。


 あれはいつもどおり、サッカー部の連中に放課後に呼び出されて鈴木と喧嘩をさせられていた時だった。流行の格闘技をもじって、陰キャパンチングダウンだとか、奴らは呼んでいた。僕ら二人に殴り合いをさせて、勝敗を賭けたりする遊び。


 きっと、噂を聞いたのだろう。七月の蒸し暑い放課後の夕方、本来であれば誰も来ないその場所へ彼女はやってきた。その目に見たことも無いような怒気を孕ませながら。


 やば、とその場から逃げ出す鈴木とサッカー部たち。そこにいたのは、砂利に横たわる僕と、心配そうに「大丈夫か」と手を差し伸べてくれる彼女。女子はまず、僕に触ることを嫌がるのに。僕を菌として扱って遊んだりしているのに。


 彼女はそんなそぶりも見せず、ただ優しく僕の手を掴んで、汚れた制服をはたいてくれた。

 それが、僕が彼女への恋を自覚した瞬間だった。



 あいつが広場で生きたまま張り付けにされて、火を付けられて燃えて絶叫して皆の笑いものになって絶命して焼死体になって骨もゴミとして捨てられた後、僕等は屋敷に帰って愛の手料理を楽しんで、いつしか●起不全になったから愛に抱き着かれながら性器を構ってもらって。


 僕らは高級そうな、いい匂いがするダブルベッドに横たわっていた。未だ通知がバンバン来るスマホを右手で持って、愛が隣で画面を覗く。


「ずいぶん再生されているみたいだね。これで何人目だっけ、処刑したの」


「四人目かな。全員サッカー部の同期とか後輩だけどね」


「何かある? 感慨というか、感想というか。いじめてきた人たちを殺せて、楽しい?」


「うん」


 そう頷く。あいつが絶叫しながら燃えて、その様子がネット上のたくさんの人に絶賛されているのを見ると、脳内麻薬がトリップしてしまうぐらい溢れ出てしまう。愛を使った射精と、どっちが気持ちいいだろう。


「でも、ありがとう愛」


「ん、いきなりどうした?」


「だって、こんなにも自分の正義が満たされる世界があったなんて、知らなかったから。皆、学校で僕が虐められてても無視してたし。でも、やっぱり、いじめはだめなことだから。罪だから」


「だから、処刑しないといけないよな」


「うん」


 今まであいつらにやられたことを思い出す。サッカー部に居た頃は、役立たずとしてパシリにさせられて、後輩からも的あてにされた。お小遣いの半分は、友達代として消えていった。サッカー部を辞めた後はさらにいじめが顕著になり、暴力とかも振るわれるようになった。陰キャパンチングダウンだって、そのうちの一つでしかない。


 だからこそ、そいつらがこの世界でのうのうとSNSで僕を虐めた動画を上げていたのを知った時、僕は告発したのだ。あいつらにやられてきたこと全部。そしたら、大衆というアンパイアは僕等の味方になり、奴らには刑を執行することになった。


 投稿をさかのぼり、あの時の返信欄を僕は眺める。酷いとか、可哀想とか、同情や慰めの言葉で溢れている。そして、あいつらの投稿は炎上し、誹謗中傷の嵐になった。あいつらが住んでいるらしい場所も特定されて、落書きとかされているのを見て。


 僕は感動した。この世界ではこんなにも、(あつら)えたように僕の言葉が届く。それはまるで、催眠術や洗脳の類のようにも思える。いや紛れもなく、それを成し遂げたのは僕の言葉の力なのだけど。


 前の世界の学校で、遠巻きとして僕のことを馬鹿にしていた奴らは、僕の慈悲で殺しはしない。でも、僕の『SNSの提案』に賛成した人たちがあいつらの家を暴いて、石を投げつけたりしているのは知っている。僕も先日一緒に投げてきた。


「でも、こんなに満たされているのって、いつぶりだろう。今、初めて生きてる実感というかさ、そういうのを感じてる」


「そっか、それはよかった」


「ねぇ、愛は52ヘルツのクジラって知ってる?」


「……知らないな、なんだそれは」


「正体不明の鯨の話でさ。大抵のクジラは10ヘルツから39ヘルツの周波数で鳴くんだけど、52ヘルツのクジラは声の周波数が違うからいくら鳴いたところで他のクジラには聞こえないんだ。要は鳴いても誰にも届かないってこと。だから、最も孤独なクジラと呼ばれている」


「それは可哀想だな」


「でさ、僕もそういう類の生き物だと思っていたんだ。どれだけ声を上げても、誰にも届かない。でもさ、一人だけ僕の声を聞いてくれる人が居た。それが、愛なのかなって。


 だから、この世界に連れてきてくれて、一緒に暮らしてくれて本当にうれしい」


 そう伝えながら、僕は隣にいる彼女の左手をぎゅっと握る。温みが伝わってきて、心臓がはねる。


「夢生は詩的だな。いいだろう、そこまで言うのなら一生隣にいてやろう」


 そう彼女は可憐に微笑んで、顔を近づけて来たから僕もキスでそれに応える。幸せな暮らしの完成形が、今なお続いている。



 物語を書いていた、頃もある。


 僕は勉強があまり得意ではないし、運動も上手じゃなかった。サッカー部なのに、と笑われることもあるけれど、僕がサッカー部に入ったのも父親に強要されたからでしかない。本当は〇〇部に入りたかった、なんて意思もなかったけど。


 で、すぐに見込みが無いと先生から諦められ、先輩からも「お前なんかむかつく」と無視されるようになった。可愛がられる才能が無かったからかもしれないけど、理由はよくわからない。


 代わりに家では、アニメばかりを見ていた。サッカー部を辞めてからは特にそれが顕著になった。ラノベも中古のものを通販で購入して読んだりもした。


 だけど、ネット発の小説だけは、どうにも性に合わなかった。


 だって、文法的に表現がおかしいものがあったり、地の文というものが全くなかったりする。挙句、ネット小説のランキングを調べてみたら、大体がコピーペーストのような内容のものばかりだった。


 これぐらいなら、正直自分でも書けると思った。


 だけど、三週間ぐらいでそれも飽きて、というよりも投稿したところで反応も全くなかったから、辞めてしまった。それなら、ネットでゴミ作品の酷評をしたり、動画サイトで誰かの悪口を書いていた方が、評価される。


 前の世界では、嫌いな小説家の悪口を書いたら、二百良いねを超えたことがあった。それ以来、その小説家の悪口を言うのを頑張っている。


 サッカー部を父親に辞めたと伝えた時、こう言われた。


「ならせめて、自分の中でこれだけは譲れない、というものを見つけろ。ただだらだらするんじゃなくて、勉強とか委員会とかボランティアとか……」


 僕にとって前の世界で、一番譲れないものは紛れもなくそれだった。



 だから、この世界に来た時もSNSを使ってバズるのは簡単だと思っていたんだけど。


 この世界に来て二日目、僕は愛の美味しい手料理を食べながら、ぽちぽちとスマホをいじっていた。先に食べ終えた愛が、うんうんと唸っていた僕に尋ねる。


「どうしたんだ?」


「いや、せっかくだしこの世界でもSNSを始めてみたんだけど、全然バズらないなぁって」


「バズる?」


「なんというか、話題になるってことかな」


「どれ、見せてみろ」


 そう愛は僕のスマホを覗き込む。その内容を見て、彼女は顔を曇らす。


「そりゃ、ただ文句を書き連ねた所で、いくらこの世界でも簡単に話題になったりはしないだろ」


「そういうもんか」


「私が思うに、話題になるものというのはどんな人間にも印象に残るもの、つまり過激になることが大事だと思うんだ。広告だって、偏差値四十以下の馬鹿にも伝わるようなものを作るのが鉄板だというだろう。つまり、この投稿なら」


 そう言って、愛は僕のスマホを手にしてポチポチと打ち込む。そして、はいと手渡された。そこに書いてあった文章は……。


「……過激すぎない?」


「これぐらい主張は過激じゃないと誰にも届かないよ。送信してみ、絶対バズるから」


「……まぁ、そこまでいうなら」


 そう言われて、僕は仕方なく彼女が作った文章を投稿する。炎上とかしないかな、これ。


 だけど、予想に反して一時間後、その彼女が考えたコメントはリツイートの嵐になっていた。僕は全然収まることのない通知を眺めながら、驚きの目で彼女を見る。


「なぁ、言っただろ? バズりたいなら、とにかく過激なことを言うことさ」


「な、なるほど」


 それから、彼女に倣って、僕も過激なことを呟くようにした。そしたら、とにかく拡散され、共感される。ヘブンドープというスマホがSNSに特化したスマホ、というのも一つの理由だろう。テキスト補足アプリとかがあって、自分で考えたことをもっと冗長に、的確に変換してくれるのだ。三日後には大体のつぶやきを全てバズらせられるようになった。


「だけど、君が呟く内容はどうも小説のことや創作のことについてが多いな。もしかして、君も何か書いていたりするのか?」


「……うん。この世界に来る前は、小説をちょっと書いてた」


「そうなのか、もし叶うなら読んでみたいものだな。きっと、君の頭の中の話だから、魅力的なストーリーなんだろう」


「……そんな。でも、読んでくれたら嬉しい」


 二人でテーブルを囲んでカフェオレを飲みながら、そんな会話をした。



『今、蠟燭の翼を付けた二人が屋上から飛び降りようとしています!』


『ヘブンドープテレビ』と大きくプリントされたヘリコプターの中で、可愛らしい長髪の女性がマイクを握ってレポートする。その二人は顔中を鼻水やら涙でぐちゃぐちゃにして、怯え切っている。そんな二人を観客がビルから突き落とした。


 その二人の顔には見覚えがあった。小学校時代、散々理不尽なことを言ってきた教師の山賀(やまが)中澤(なかざわ)だ。


 ギリシャ神話だとイカロスはその翼で空を飛べたが、蠟が太陽の熱に溶かされてしまい、墜落して死んでしまう。しかし、彼女たちはビルから急転直下で落ちていき、雲の路上に激突してしまった。『しばらくお待ちください』とテロップが流れる。こうなることなんて、誰しもが分かり切っていただろうに。


「何見てるの?」


「小学校時代の教員が処刑されてるとこ。高い所から落ちて死んじゃった」


「へぇ」


 そう相槌を打って、愛は昨日、あいつの処刑後に買ったペアカップに珈琲を入れて持ってきてくれた。僕はありがたくそれを受け取って、一口飲む。


「あのさ、今からデート行かない?」


「いいけど、いきなりだな」


「明日結婚するならさ。指輪、買わないとじゃん」


「そう言うのって普通、サプライズで渡すものじゃないのか……」


「でも、指のサイズとか分からないとあげられないし」


「そういうのって普通、私が寝てる時とかに測るものじゃないのか……」


「……だめ、かな?」


「……いいよ」


「……もしかして、照れてる?」


「……うっさい。ほら、早く準備するよ」


 そう、彼女はそっぽを向きながら、着替える為か二階に上がっていく。それを微笑ましく思いながら、僕も珈琲を飲み終え、準備をする。


 そして、僕等はビル街へと来た。すぐ近くでは、地面と激突した二人の死体があるらしく、野次馬がスマホを手にして賑やかにシャッターボタンを押している。SNSではすでに無修正の潰れた死体が堂々とアップされていて、グロいけどざまぁみろと思った。今度、死んだ二人の子供も殺してやろう。


「あれ、これ何?」


「美術館だろ。って、なんだこれ」


 その再開発が進んだビル街の中、一つの建物に行列が出来ていた。この世界でも有名な美術館なのだが、その特別展の内容がかなりおかしい。


「『綿貫夢生(わたぬきむう)のすべて』展だとさ。夢生、いつ芸術家になったんだ?」


「いや、なってない……。なにこれ、本当に。そもそも何を展示しているの?」


「君のバズったSNSのコメントとか、この世界でやってきたことが事細かに書かれているらしい。偉人みたいだな」


「誰に許可取ってやってるの……」


「でも面白そうだし、入ってみよう」


 まぁ、確かに気になるは気になる。にしても、この世界に来てまだ一週間と経っていないのに、尋常じゃないほど影響力を持ってしまっている。それが、ちょっと照れくさい。


 そして、チケットを買って二人で一緒にその美術館の中に入る。たくさんのバズったコメント達、それが額縁に飾られて、名言として扱われている。それを、大勢のお客さんと一緒に眺める。


 一番印象的だったのは、ぼくの発言がきっかけで行われた処刑が3Dホログラムとして映像になっていたことだった。この前、石を投げつけられて死亡したあいつも、火あぶりで処刑されたあいつも、今日墜落したイカロスの翼たちも、堂々と展示されている。


「こうしてみると処刑ばかりだ。この世界に君が来て、色々な人が死んでしまったな」


「……だけど、皆許されないことをした人だけだ」


「それもそうだな。この世界で君はもはや神様みたいなものだから、この世界の『君の許せない』は死刑と同等の罪になる」


 そんな彼女の言葉と共に、目の前にあるモニターの画面が切り替わる。そこには、昔僕を虐めていた小学校時代のクラスメイトが、武装集団に黒いフルフェイスマスクを被らされて手錠されている光景が映っている。


『さて、現地では過激組織に誘拐された生徒たちが映っています。なにやら、ゲームをさせられているみたいです、これは……人気投票ですかね?』


 そうレポーターがマイクで僕らに語り掛けている。この前、『クラスで一番の嫌われものは誰か』ってアンケートが配られて、一位を取って教卓の前で表彰された思い出が蘇る。


 武装集団がやっているのも似たようなものなのだろう。おそらく、彼らのうちで人気投票をさせて、最下位のやつが発砲される。そういうゲーム。


 結果はすぐに出た。銃声と共に柘榴みたいな、赤が流れている。ゲームは続いてく。


 そして、僕は出口へと向かった。


「あれ、もういいの?」


「うん。そろそろ指輪買いにいこう」


 彼女の言葉のせいで、素直にその映像を楽しめなかった僕は足早に美術館の外へ向かう。そして、ふと思う。


 ……彼女は僕のこと、一体どう思っているのだろう。


 僕は確かに力を得た。SNSで皆に呼びかければ殺したい奴は誰だって殺せるし、やろうと思えば法律だって変えられるだろう。


 力あるものは何しても許される。それがこの世の摂理なのだ。だけど、それはまるでいつかの時代の極悪な権力者と同じで……。


 いや、違うな。


 単に僕は彼女に嫌われるのが怖いのだ。前の世界では風紀委員として皆の模範として生きていた彼女が、今の自分を受け止めてくれるのかどうかが…。


 この世界の彼女は、いつでも僕のことを好きだと言ってくれる。それは確かだ。


 それに、僕の為にクラスメイトだって皆殺しにしてくれた。まぁ、それについては正直、今でも本当に彼女が……と訝しんでいなくはないけど。


 だから、僕は覚悟を決めて、彼女に向かってこう言った。


「……明日で最後にしようと思うんだ。誰かを処刑するのは」


「ん、どうしてだ? まだ君には復讐したい奴、たくさんいるだろうに」


「……もう大体殺したよ。それにやっぱり殺人は良くないし。出来てしまうから、という理由でそれをやり続けたら、極悪人と一緒だ」


「……今更?」


「……確かに今更かもしれないけど」


「……でも、いいんじゃないか。これは君の人生で、ここは君にとっての天国だ。だから好きなようにやってみればいい」


「なんか、おざなりだね……」


「そうか? だって私は君の天使なんだ。君がどれだけ復讐に囚われていても、私は君を嫌いになったりしない。君がどれだけ横暴を働いたとしても、そんな君を含めて私は愛している」


「……例え、人殺しでも、愛はそのまま僕を愛してくれる?」


「あぁ、神に誓って、君を嫌いになることはない」


「……なら、別にこのままでもいっか」


「あぁ、この世界は君のものだ。だから、君の好きにしていい」


 そう彼女は優しく微笑んで言ってくれた。



 教会の談話室で二人きりで居た。


「……なんか、緊張してる?」


「そりゃあな。人生で一度きりの舞台だし……」


 彼女はすでに彼女の心みたいに綺麗で純白なドレスを着ている。その姿はあまりにも可憐で百合のようだ。その額には小さく汗が浮かんでいる。彼女はピンク色のハンカチでそれを拭く。


「……大丈夫だよ。始まれば緊張も吹き飛ぶって」


「そういう夢生は平気そうだな。こういうの、慣れてるのか?」


「いや、全然慣れてはないけど……。でも、なんか今は大丈夫なんだよな。不思議なほど、落ち着いてる。さっき、父親が死んだからかもしれない」


「……結構、衝撃的な死に様だったな。あれは」


「ま、ね……。でも、あれで僕の復讐が一区切りついたんだ。……これからは君を幸せにすることだけに専念できる、かもしれない」


「そうか、そう言ってくれると、少し安心する」


「一つ心配なのは、愛の小さい体だとキスする時、背伸びしても届くかなってこと」


「なんだと……。というか、いつも届いてるだろ。馬鹿にしすぎだ」


 そう言うと、彼女は緊張を吐き出すみたいにふぅと息をついた。神父が、もうすぐです、と声をかけてくれる。ひっそりした空気の中に、ドア越しの談笑が少し届いた。中には、どれほど来てくれた人が居るんだろう。


 もうすぐ、僕等は結婚する。そんな区切りと始まり。


 だけど、僕はまだ彼女に謝れていないことがあった。彼女が僕をこの世界に連れてきてくれた天使と知ってから、僕等は一緒の家で暮らしてきた。その中で一緒にご飯も食べたし、性行為みたいなこともした。


 だけど、あのことに対する謝罪だけはどうしても今までできなくて。許してもらえるとも思えなくて、許しを請う勇気も無くて。


 だけど、そんな毎日も今日で区切り。新しい暮らしがここから始まるのだ。


 だから、あの日からずっと言えなかった言葉を、僕は彼女に吐く。


「あの日、●のパ●●を●って●●●●して、本当にごめん」


 沈黙があった。その後、彼女は「そのことか」と困ったような苦笑いを浮かべて。


「あの時は少し驚いたな。でも、それは君が私に好意を抱いてくれた結果だろう。だからいいよ。許すよ」


 そう彼女は教会という場所に相応しい、女神みたいな柔らかい微笑を浮かべて。


 だからこそ、僕は妙な違和感を覚えた。何か、初歩的で簡単なことをずっと見落としていたような、嫌な感覚。


 そして、あの日僕がしたこと。あの日、見つかってしまった時の彼女の表情を思い出してしまう。

 誰も来ると思っていなかった教室で、どうしてか●は戻ってきた。僕が●の●●ツで●ナ●●していたのを見つけた彼女は、ムンクの叫びみたいな驚愕と恐怖のこもった表情を浮かべた。そして、彼女は肩を震わせて、その小さい体躯が痙攣したと思ったら。


 吐いた。


 思わず堪えれなくなったように、口元から彼女は液体を垂らした。


 それを見た、僕は逃げた。彼女のパ●●を投げ捨てて。


 それ以降、彼女は二度と僕と目を合わせることは無くなった。いや、時々僕が彼女を目で追ってしまって、その結果として合うことはあった。


 お願いだから、たったそれだけのことで顔を蒼白にしないでほしい。頼むから、そんな理由で保健室に行かないでよ。


 その後、彼女は事故にも巻き込まれて入院したと聞いていた。それから夏休みも開けて、彼女と再会してからは僕と目が合っても保健室に行くようなことは無くなった。あの事故でたくさんの人が死んだから、それぐらいのことじゃ取り乱さなくなったのかもしれない。


 その後は順応していったのか、彼女は僕を避けるのがどんどん上手くなっていった。校舎裏で虐められていた僕を助けたとは思えないぐらい、無表情で僕を空気みたいに扱って。ふと、横顔を伺えば、誰かが授業中にうるさくしていても、仕方ないなという表情が増えてきて。


 それを見て、風紀委員で誰に対しても口うるさくてでも正しくて優しい彼女は、少しだけ正義に対して諦めを覚えたみたいにも思えて。


 だからつまり僕は、彼女を変えてしまったのだと思う。彼女の純潔な正義に泥を塗り、僕みたいな人間もこの世には居るんだなという諦観を植え付けた。救いようのない人間もこの世には居るんだなって。


 そんな僕が、彼女と一緒に暮らして、愛してもらえて、幸せになれる?


 どんなフェアリーテイルだろう、それは。


 僕はただ、彼女にとっての性犯罪者。それだけなのに。


 なら、ここが現実ではないってことぐらい、始めから気づいても良かったんじゃないの?


「準備が完了いたしました」


 そう神父の声がする。隣に居た愛は僕の左手を掴んで。


「……じゃあ、行こう」


「う、うん」


 そして、教会の重々しいドアを神父が開いた。想像していた通りの、たくさんの観客は居ない。そのドアの先にあったのは、妙に静謐で無機質な部屋だった。その真ん中には漢字の回みたいなマークと、吊り下げられた縄紐がある。


 そこは死刑で使われる、執行室だった。


「……あ」


 その光景を見て、僕は背筋が冷たくなった。だけど、きっとものすごく正しいことが行われようとしているんだなとも思った。


 こんな人間に育ってしまったから、こうなるしかない。きっと、今まで何人もの人が自分の人生に絶望をして、首を括って、高所から転落して、車両に飛び降りて死んでいった。


 手元見ればいつの間にか手錠が掛けられている。そして、殺したはずの父親がゆっくりと近づいてくる。隣にはもう愛はいない。居るのは表情のないマネキン。今まで一緒に暮らしていたのも、結婚しようと言った相手も、きっと僕が妄想で愛を想起してただけでただのマネキン。マネキン相手の恋愛ごっこと、夢想に過ぎないおままごと。つまりはお人形ごっこ。


 父親はいつも通り、阿修羅の面を被っている。だけど、雰囲気は幼少期の僕にサッカーを教える時みたいに穏やかで、楽し気だった。


「ずっと、お前なんか死ねばいいと思ってたんだ」


「……そう」


 そう言って、彼は右手に持っていた黒い目隠しを僕に着ける。鉢巻をする時みたいな布の感覚が、目の周りの皮膚にまとまりつく。


「……僕を殺すんだ?」


 その言葉に返事はなかった。彼はただ淡々と作業をこなすみたいに目隠しをして、僕の背中を押す。歩く足が震えているのを自覚する。


「俺は、ずっとこの日を望んでいた」


「……なんで?」


「育てるの、失敗したからな。愛情を込めて育てたはずなのに、成長を重ねていく度に理想とはかけ離れた期待外れの姿に育っていく」


「……」


「お前が異性に必要とされることなんて無いからさ、親にはきっとなれない。だけどもし親になったら分かるよ。夢を叶えて生きてほしいという願いを込めて名前を付けた子が、お前みたいに育ってしまう苦しみが」


「……育て方間違えたお前のせいじゃん」


「なら、教えてくれよ。どうしたら、お前はお前みたいな人間にならないで済んだんだ? お前の人生はどこで間違えたんだ? どうして、お前はテストでいい点数を取るために勉強を頑張れないんだ? レギュラーを取れるようにサッカーを頑張ろうとしなかったんだ?」


「だってそんなことしたくないし……」


「じゃあ、お前は一体何がしたいんだ? 言ってみてくれよ。お父さん、お前のその目標のためならもっとお仕事を頑張って金稼ぐからさ。ほら、言ってくれよ、夢生。お父さん、お前が何事かを頑張ってそれに突き進んでいく姿が見たいんだ!」


「……」


「……どうして、何も答えられないんだ、夢生。もしかして、そう言われて何も思い浮かばないような人生を、十四年間も過ごしてしまったのか? 頑張るような目標を何も見つけられないような人生を、今まで送ってしまったのか? いや、別に目標なんて無くていい。ただ、何かに頑張ろうという気力を持てるような人生なら良いんだ。だけど、お前は勉強もサッカーも、何も頑張れなかったよな?」


「……」


「お前は俺の教育のせいだと言ったけど、そうなってしまったのは全部俺が悪いのか? なら、謝るよ。本当に、ごめん。お前をお前みたいに育ててしまって、本当にごめん。何事にも無気力で、何事にも必死になれないような人生は、本当に辛かっただろう?」


「……」


「別にさ、本当に何でもよかったんだよ。好きな子に気に入られるように、容姿を気にするとかさ。だけど、お前は容姿も全く気にしないし清潔感も無い。挙句、人と目も合わせられない。だから、虐められたりもするんだ」


「……そんなわけ」


「夏休み前、お前が学校で虐められているって先生から電話があった時、俺は本当に情けなかったんだ。あぁ、こいつは誰かに虐められるような、弱い人間に育ってしまったんだなって。俺は、お前を『誰かが虐められていたら助けてあげるような子』に育ってほしかったのに」


「……」


「虐められるなら、せめてやり返せよ。それが男ってやつだろう」


「……そんな時代錯誤な」


「でも、必要な事だろう? 舐められないようにすることだって、人間社会では出来て当たり前の能力だ。そんな勇気も持てないのに、家ではいつも母さんには高圧的でさ。事あるごとに生意気な口を聞いて。なのに、俺とは目も合わせようともしない。お前には、優しさも勇気も、甲斐性も目標もストイックさも賢さも清潔感も何もかもない。一体、お前には何があるというんだ?」


「……」


「誰かに対する恨みつらみや、性欲だけか? なら、死んだ方がいいだろ。賭けてもいい。お前はな、一生今のお前のまま大人になっていくんだ。お前は人の話なんて聞かないし、そんなお前に変わった方がいいなんて真摯に言ってくれる人間はいないんだ。だから成長もしない」


「……」


「そして、人とコミュニケーションも取れず、表情筋も鍛えられないから、顔に幼さが染み付いたまま、ただ社会に対して絶望しながら生きていく。もちろん、性行為なんて夢のまた夢さ。誰もお前となんか、セックスをしたがらない」


「……あ」


「一生そのまま、そのままさ。それに、お前は性犯罪者なんだろ? 自分の●●こを宇●神の●ン●に擦り付けて、彼女に見つかったら逃げ出してさ。なのに、お前はその宇賀神愛と幸せになりたいって」


「……あああ」


「あまりにも見苦しすぎるだろ。そんな期待を持つのは。なら、お前みたいな人間は死なないといけない。生きるとしても、一生苦しんで生きなくちゃいけない。頭が悪い奴は間違いを犯すけど、頭が悪いから間違いを正せない。そして年だけを重ねて、誰もが助けることを躊躇するような大人になっていく」


「ああああああああああ!」


「そうやって喚いて、感情的になれば許されるのか? ……うるさいなぁ、黙れや!」


 そう感情的になった父親が握った拳を僕の右頬に振るう。暴力を振るわれたのは、ずいぶんと久々だった。


「……あぁ、すまん。でも、そうか。お前からしたら、こんな人間になってしまったのは、俺たちのせいなんだよな」


「……」


「……きっとさ、お前は痛みばかり与えられて苦しんで生きてきた。痛みしか、お前の人生には与えられなかった。でも、どうしてそうなってしまったのだろう。俺は何度もお前に忠告してきたのに、何でお前は俺の話を聞かなかったんだろう。でも、お前からするとそれすらも、全部俺たちのせいなんだよな」


「……」


「そういうお前の他責志向、本当に大好きでした」


「……」


「故にお前は変われないから、お前はもう優しい人にはなれないし思いやりは持てない。痛みだけじゃ人はロクな人間には育たない。人が前を向いて成長していくのには、何よりも優しさが必要なんだ。でも、人から優しくされるには、自分が優しくないといけない」


「……」


「痛みや、辛いことがあって強くなるのは心じゃない。思想だけなんだよ、夢生。心を強くするにはな、痛みなんかよりもずっと誰かの温みや優しさが必要なんだ。でも、お前みたいな人間に優しく接することは誰しもが難しい。だから、もう諦めるしかないんだ。だから、前に進むんだ。夢生」


 そう言って、父親が優しく背中を押す。そして、僕は段差を右足から上がり、父親が僕に首縄をかける。皮膚をざらざらとした感触が襲って、涙が出た。死にたくないと、思った。思った気がしたが、でも。


 生きていくことが死んでしまうことより苦しいのなら、死にたい。


 生きていく過程が地獄で暮らすことと同義なら、死にたい。


 これからの僕の人生が、僕のこれまでの人生と同義なら、死にたい。


 学校に行かないといけないなら死にたい。父親と一緒に暮らさないといけないなら死にたい。大人になってお金を稼がないといけないなら死にたい。大人になっても今の苦しみが続くのなら死にたい。


 こんな人生が一生続くなら、死にたい。


「夢生。最後に何か言い残すこと、あるか?」


「……言い残せるほど、これまでの人生頑張れなかったから、何もないです」


 この言葉が、僕の今までの人生の全てだった。そして、僕を支えていた絞首台の床がぱかっと間抜けな音がして開く。重力が一気に下に行き、一瞬で視界がブラックアウトしそうになる。苦しい。苦しいけれど、僕の人生はそれが全てで。


 きっと、天国は人の頭の中にしかない。僕にとっての天国は、愛と過ごした日々でした。あなたと笑いあった日々でした。抱き合って、お互いの体温を感じ合った時でした。でも、そんな天国は、僕の頭の中にしかなくて。


 なら、今度産まれるなら、頭の中に電極を刺して、快楽信号だけ受け取らせてください。幸せな夢だけを見せてください。そうしないと、中毒症状でおかしくなってしまうぐらいに。


 呼吸困難で口から泡を吐き出しながら、意識が朦朧としていく。下半身が濡れている感覚がした。

 息ができなくてくるしい。てあしをばたばたできないね。からだちから、ぬけてくね。でも、僕にとっては、そんな僕がいちばんのせいかいなんだね。


 このじんせいが終わったら、天国にいけるかなとおもう。そうぞうのなかで愛にゆうしょくをつくってもらって、くだらないはなしでわらいあって、こんどはちゃんとぼっきをして、かのじょとせっくすをして、そしてこどもをつくって、かぞくみんなでしあわせにくらして。


 そんなてんごくにいけるかな。でも、ぼくらにんげんにつばさはないからさ、おそらにはとべないね。そらのくににはとどかないね。


 しかいがくらくなっていく。ぼくのじんせいとおんなじいろが、しかいをつつみこんでいく。まっくらまっくらでそれでおともしな


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― 新着の感想 ―
まだエピソード1しか読んでませんが面白いです。 とても切実に書かれているのがわかる。 好きな子がいて、嫌いなやつをみんな殺せるのが天国だなんて、なんて可哀想な天国だろうと思ったあとで、じゃあ自分はど…
そして後半の展開に胸が締め付けられました。 ああ、痛い痛い。 続きもじっくりと読ませていただきます……!
とても引き込まれるお話でした! 52ヘルツの鯨の話とか、一つ一つが痛快な会話文。 続きも楽しませていただきます!
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