秘密の章
夕暮れ時、都の外れ。
あきとりんは、貧しい集落の一角に身を落ち着けていた。雨風をしのぐのが精一杯の粗末な小屋は、集落の住人が空き家を掃き清め、旅の薬売りの為に用立ててくれたものだ。
床に広げていた道具を柳行李に仕舞うりんの背を、膝を抱えたあきが、被った筵の隙間から眺める。
「随分と賑わってたね。もっとふんだくっても良かったんじゃないの?」
「いえ、これで十分でございます」
「まあ確かに、そんな銭を持ってる奴なんて居そうもないけど」
貧しく清潔とも言えない集落に、身体を診てくれる者の訪れなど滅多にない。不調を抱えた身体を騙し騙し生活している者達に、薬売りの来訪は殊の外喜ばれた。体力に余裕のある若者など、礼代わりにと、態々りんの為に山まで猪肉を獲りに出ているくらいだ。
纏め終えた荷を脇に寄せたりんが、あきに身を向けた。
「ところで、わたくしはこちらで数日お世話になる心算でございますが、あき様はそれでよろしゅうございますか?」
「あたしはりんさんに雇って貰ってる身だもの、好きにしてくれて構わないよ」
りんの細い目が更に細まる。
「お聞きしてもよろしゅうございますか?」
「なに?」
「何故、あき様はわたくしに声を掛けられたのでしょう。都の何処かでご用事があるのでは、と思ったのですが」
「なんでそう思うの?」
あきの声に、不審な響きは無い。
「初めてお会いした時に、『都に行くんだろう』と仰ってましたので。わたくしの行く先をご存じだったように感じました。それに、『兄さんで間違いない』とも。もしや、何処かでお会いしたことがございましたでしょうか」
「考え過ぎよ。あれは、良い雇い主を引き当てた自分の見る目の確かさを褒めただけ。りんさんの事を知ってた訳じゃないって。それに、都は色々と物騒だって噂だ」
沈黙。
暫くして、観念したあきが口を開いた。
「……確かに用事はあるけど、今すぐじゃない。りんさんと会ったこと無いってのも本当だよ。ただ、りんさんと一緒にいることで、あたしの用事を済ませることが出来るの」
りんが口を開くより早く、あきは筵を跳ねのけ、床に両手を着いて深々と頭を下げた。
「黙ってて悪かったよ。今はこれ以上話せないけど、きちんと用心棒の仕事はするし、決してりんさんに難が及んだりしないって誓う。もし、身体を……差し出せってなら、好きにして。だから、もう何日かあたしと一緒に居て欲しい。頼みます」
小さく震える細い肩を、風の様なりんの声が撫でた。
「どうか、顔をお上げ下さいまし。あき様を責めたい訳ではございません」
頭を上げたあきの耳に、笑いを含んだりんの声が流れ込む。
「お忘れでございますか? わたくし、そういったことには興味がございません、と申し上げた筈でございます。その身を差し出されても、どう……」
言葉が止まった。僅かな間の後、自分に詰め寄る気配に、あきは身を強張らせた。
「その、お身体を使わせて頂くのは、どのような形でもよろしいのでしょうか」
「……ああ」
あきが、ごくりと息を呑む。
「新しく拵えた薬を試すのにご協力頂いても、よろしゅうございますか? 実は、月のものの痛みが軽くなる薬を拵えたいのですが、どうにも加減が掴めないのです。頓服して感想をお聞かせ願えれば助かります」
「……そんだけ?」
「ええ。よろしければ、早速試して頂いてもよろしゅうございますか?」
拍子抜けした様に肩の力を抜いたあきの耳に、ごそごそ、がさがさと何かを広げる気配と、ごりごりと何かをすり潰す音が聞こえてくる。
「そりゃ構わないけど、あたしは今、その、月のものじゃ……」
「さ、出来ました。手をお出し下さい」
そもそも辛い方でもないのに、とぶつぶつ言いながら差し出したあきの手に、椀が乗せられる。口元に運んだそれから立ち上る臭いに、あきの口角が下がった。
「ちょ、これ凄い臭いだけど、本当に飲んでも大丈夫なの?」
「勿論でございます。どうぞ、一息にお飲み下さい」
あきは意を決し、椀の中身をあおると……倒れ伏した。からからと椀の転がる音の中、身体を小刻みに震わせ、呼吸すらままならない様子だったが、暫くしてよろよろと上半身を起こし、顔を歪めてりんを睨んだ。
「苦……辛、酸っぱ……な、に、これ……」
「月のものを軽くする薬でございます。水は要りますか?」
無言で差し出したあきの手に、水の入った椀が渡される。がぶがぶと飲み干す喉の動きに合わせ、首に下げた守り袋の紐が揺れた。
りんが呟く。
「やはり、少々飲み辛いのかもしれま……」
「少々? かも?」
への字口になったあきが、りんの言葉に被せる。
「不味いどころじゃないよ、酷いえぐみだ。口がもげるかと思った。ああ、まだ口も喉もおかしい。悪いけど、こんなの売れっこないよ」
「薬効は確かでございます。仕方がありません、少々値が張ってしまいますが、葛で甘味を足して……」
「味を加えろって言ってんじゃないの、減らせって言ってんの」
「ですが……」
「兎に角、このえぐみだけでも減らしなって。酸いのはまだ何とか……」
ぼやき続けるあきの愚痴、いや、感想を聞いていたりんは、やがて満足気に頷いた。
「……成程、では少々配合を変えてみると致します。ご協力、ありがとうございました」
「ちょっとは役に立てたかい?」
「もちろんでございます。是非、またのご協力をお願い致します」
「えぇ……また飲むの……」
あきは唇を尖らせ、
「世の女子には感謝して欲しいね。あーんな不味いの飲まないで済むんだからさ」
「わたくしもあき様のお陰で、自身で試さずに済みました。女性ではございませんが、感謝いたします」
「……やっぱり、不味いって知ってるんじゃない!」
歯を剥くあきに、りんはすました声で、
「ところで、何時頃『面白いもの』を見せて頂けるのでしょうか」
「……自分で言っといてなんだけど、りんさんて、そういう話に興味あるの?」
「ええ。どなた様も、面白い話はお好きでしょう? そういう話を幾つか知っていると、存外商売の役に立つのでございますよ」
そんなもんかね……と、あきは頷いた。
「けど、もう少し待って。あたしの用事が済んだらすぐに見せてあげる。反故にしたりしないから……ごめんね、勝手ばかり言って。あたし、凄く怪しいよね」
「分かりました。では、もう一つだけ。あき様のその目は、生まれつきでいらっしゃいますか?」
「これは十の時から。多分、目玉が潰れてるから、りんさんの薬でも治らないと思うよ」
あっさりと返った答えに、りんの細い目が更に細まる。
「顔に大きな石がぶつかってね。傷は残ったけど、当たり所が悪ければって考えりゃあ、ついてたよ」
「不躾なことを尋ねてしまいました。申し訳ございません」
あきは、かか、と笑い、
「気にしないで。言ったでしょ、別に不便してないんだ」
顔を覆った布に両手を添えた。
「まあそんな訳で、見られたもんじゃないご面相を晒すのもなんだからさ、こうして布を巻いてんの。だから、これを取れなんて言わないでよ」
「あき様はお美しゅうございますよ」
さらりと流れる声に、あきが微笑む。
「ありがとう。多分、りんさんはそらを言ってないって判るよ。だったら、この下は余計に見せられないなあ。女心ってやつよ、お分かり?」
「女心、でございますか……中々、難しゅうございますね」
「ははは。そうね、けど、折角褒めてくれたんだし、あたしも一つだけ秘密を話すよ。本当はね、あたし、遠くが見えるの」
「いったい、どれくらい遠くをご覧になれるのでしょうか」
あきの口の端がにやりと持ち上がった。
「へえ、こんな話信じてくれるんだ……そうね、昼間の男、あいつが何処から来たか、勿論りんさんは知ってるよね」
「はい。こちらから半日程離れた村でございます」
「そこら辺りからこっちは殆ど見えない。そこより先の山を一つ越えた先位までは人でも風景でも物でも見える。とは言っても、よっぽど強く念じなきゃ見えないし、はっきり形を成してるわけじゃないんだけど……言葉にすると難しいね」
だからね、昼間の男が本当に禿げてたのかは見えないって訳……と、あきは肩を竦めた。
「はて、わたくし、こちらに来るまでには山越えをしたのでございますが、あき様のお目には留まらなかったのでしょうか?」
「さっきも言ったでしょ? 強く念じなきゃ見えないの。りんさんのことを知らなかったんだもの、念じようがないじゃない」
さて、これ以上は女子の秘密……あきは肩を竦め、そっぽを向いて話を切り上げた。