仕事を止める
ガキはキモイおっさんにキスされ、相当嫌だったのか、口内の唾液をすべて吐き出した。加えて胃液まで出しやがった。食べ物は出てこず、酸性の酸っぱい臭いが空気を漂い、俺の鼻に入ってくる。
俺は持っていた水筒をガキに渡した。
――いつの水か忘れたが……、口を濯ぐくらいなら大丈夫だろう。
「ほら、濯げよ。おっさんのキスなんて真面に受けたら、口内が気持ち悪いだろ」
「あ、ありがとうございます……」
綺麗な顔のガキは俺の水筒の蓋を開け、水を口に含み、濯ぐ。その後、水筒の中身をすべて飲み干してしまった。貴重な飲み水だったが仕方ない。
「このクソガキ! 俺の至福の時を邪魔しやがって!」
パン屋の店主は腰から拳銃を抜き、銃口を俺に向けた。鼻の穴から流血しており、眼が血走っている。子供を襲うなんて狂った趣味してやがる。大人の女に見向きもされないからか……、性欲が相当溜まっているみたいだ。
「いいのかよ、拳銃の扱いを失敗して銃口が少しでもずれたら、お前が撃った鉛玉で、綺麗な顔のガキの頭が脳漿をまき散らしながら吹き飛ぶぞ」
「うるせえっ! 俺の銃の腕前を舐めるなっ! 舐めるならち〇こにしやがれっ!」
「…………」
――こいつ、男でも行ける口なのか? 怖気がする。
俺はしゃがみ込み、ガキの耳元で囁く。
「俺が合図したら大通りの方に向って走れ。いいか、振り返っている時間はないぞ」
俺は立ち上がりぎわに、木製の水筒を返してもらい、グシャグシャになっている綺麗な黒髪を直すように撫でる。ベタベタで脂っこい、体を洗えていないようだ。
「おいおい、腕に自信があるのに、もの凄く時間をくれるじゃねえか。本当は銃の腕に自信が無いんだな。それともあれか? 人を殺すのが怖いのか。だから、弱い子共ばかり狙うんだろ。貧相なガキなら拳銃も持ってないだろうからな。性欲が溜まってるなら風俗にでも行けよ、あそこはすげーぜ。可愛い嬢が、男がしてほしいことしかしてこない楽園だ」
脳裏にミルの厭らしい姿がちらつく。
「う、うるせえ! あんな婆しかいねえ所に行けるか!」
店主は俺の眉間に銃口を向けている。持っている拳銃は銃身の長さから考えてマグナム弾が入っているはずだ。ビビりな人間は威力が無駄に高いマグナム弾を良く使う。
マグナム弾は発砲音がデカくて速度もある。そのぶん一発の値段が高く、扱い辛い。そんな弾をぷるぷる震えている腕で拳銃を持ち、撃ったとして上手く制御できるだろうか。
――俺でも無理だな。
俺は腕を腰に当てて拳銃を出すふりをする。拳銃はもちろん持っていない。
「うわあっ!」
店主は拳銃の引き金を引いた。マグナムという名にふさわしいほどデカい爆発が空気を震わせたため巨大な音が鳴り、耳に焼き鉄を当てたような燃える痛みがが走る。どうやら鉛玉が耳を掠ったらしい。
――俺はほんと悪運が強いな。また死に損なった。
「走れ!」
俺が合図を出すと、ガキは大通りの方に走る。
「ま、待て! 俺の肉〇器!」
俺は店主が次の発砲をする前に水筒を思いっきり顔面に投げつける。いきなり目の前に異物が現れて反射的に目を閉じた店主は俺を見失う。なんせ、小柄な俺は店主の足下にいたからな。
「いい大人が子供をいたぶってるんじゃねえよ! この外道がっ!」
俺は真下から拳銃を蹴り上げ、そのまま踵で店主のつむじを蹴りつける。ギリギリ足が届いた。
――俺の脚は身長のわりに長いのかもな。いや、店主も背が低いだけか。
「がはっつ!」
店主は地面と熱い熱いキスをしながら、頭を抱え、嬉しそうに震えていた。
「次、ガキを襲ってたら、お前の下半身についている玉が二つとも無くなると思え」
「す、すみませんでした……」
俺は店主の持っていた拳銃の弾倉を抜き、一〇発のマグナム弾を取り出したあと。銃身の中に砂や石を詰め込んで銃口を詰まらせる。もちろん、店主には見せていない。マグナム弾を一発だけ弾倉に残したまま装填する。
「はぁ……、もう、悪さなんてするんじゃねえぞ。真っ当に生きろ」
俺は地面に這いつくばっている店主に拳銃を返す。そのまま大通りの方に戻って歩いた。後方なんて振り返る必要がない。きっと改心してくれただろうからな。
「馬鹿がっ! 死ねやっ!」
店主はすぐさま起き上がり、殺人罪で兵士にタコ殴りにされる決心がついたのか、俺を撃つきだ。俺はぎょっとし、振り返ってしまった。
店主は遊底を後退させ、マグナム弾を銃尾に入れる。そのまま銃口を俺の方に向け、引き金を引いた。すると、砂や石で詰まった銃身によってマグナム弾が暴発し、拳銃が手榴弾のように手もとで破裂した。
「ぐああああっ! 手が! 手があっ!」
パン屋の商売道具である手が飛び散った石や金属片によってズタボロになり、大量の血が流れている。自業自得だ。
「止血しないと失血死するぞ。誰かに助けてもらうんだな」
店主の手は仕事どころか自慰行為すらできないほどにボロボロになってしまい、この先、子どもを襲ったことを後悔し続けるだろう。
「さて……。無駄に高いマグナム弾が一〇発……」
俺は風俗嬢のミルの顔が頭に浮かび、手の平にある弾を見て行くかどうか一瞬迷ったが、首を振って忘れる。弾をポケットに突っ込み、工場に向って走った。
午前八時、俺は工場に到着し、工場長に怒鳴られる。
「おい、キース! もう午前八時だぞ。一〇分前には来いといつも言っているだろ」
筋骨隆々の工場長が仁王立ちしながら俺を睨んだ。
「すみません、工場長。突然ですが、今日で俺は仕事を辞めさせてもらいます」
俺は世話になった工場長に頭を下げる。
「な……。そうか。わかった。なら、もう行け」
工場長は野良猫でも追い払うように手払いした後、工場の中に入っていく。
「理由は聞かないんですか?」
「理由なんざどうでもいい。八年以上ほぼ毎日働いていた奴がいきなり辞めるなんざ、それ相応の理由があるんだろ。生憎、俺の胸を撃ちやがった糞が二人も無駄に入っているからな。キースが抜けたところで問題はない。気にするな」
「はは……。ありがとうございます。工場長」
俺は工場内に入り、同業者の方達に挨拶をして回った。
「うわぁ~ん。やだやだ~、キース君、辞めちゃ駄目~」
「うぅぅ。キースちゃんが辞めちゃうなんてこれから何を楽しみにして生きれば」
「ひっぐ、うっぐ、えっぐ……。キースさんに助けてもらった恩は忘れません」
工場で働いている者の多くが、俺が過去に助けた人達だ。ホストに金をむしり取られ、奴隷の如く働かされそうになっていたお姉さんに、悪徳商法に騙されて臓器を売られそうになっていたおばさん、集団行動しかできないちんけな男達に砂袋同然の扱いを受けていた青年。などなど、俺の仕事が辛すぎて工場で働けと言ったら快く受け入れてくれた者達がまた泣いちまった。
「おいおい、俺は泣かれるのが嫌いだ。ずっと笑ってろ。もしかしたら戻ってくるかもしれない。もう、一生会えないかもしれない。でも、また会った時はよろしくな」
俺は同業者たちと抱き合って別れた。
「ちっ、ガキがいなくなって清々するぜ」
「ほんとほんと、これで俺達の給料が上がるっす」
二人組の男は俺の特等席をすでに占領しており、鼻に突く発言をしてきた。
「まあ、今、生きていられることに感謝して生活しろよな。丹精込めて作った弾が誰かに盗まれそうになったら嫌だろ?」
「はっ! そんな輩が来たらぶっ潰す!」
「文字通りハチの巣にしてやるっすよ!」
二人組の男が弾に愛着湧きまくっているのを見るに仕事が結構楽しいのだろう。
「ま、まあ……。感謝だけはしておく。一応忘れないでいておいてやるよ」
「そ、そうっすね。アキレス腱を切ったことくらいは水に流してやってもいいっす」
二人組の男が俺から視線をそらし、感謝してきた。珍しいこともあるもんだ。
「はは……。明日は銃弾の雨が降るかもな」
「ば、馬鹿野郎。冗談でもそんなことを言うんじゃねえよ。実際に起きそうじゃねえか!」
「そうっすそうっす、いつどうなってもおかしくないっすよ!」
「ごめんごめん。そうだな。実際に起こったら笑えねえか。じゃあ、達者でな」
俺は拳を突き出した。
「お、おう。キースもな」
「う、うっす! 仕事辞めても頑張れっす!」
二人組の男は俺の拳に拳を当ててきた。年が近く、話しが合うこいつらと仕事をしていた時間は何だかんだ楽しかった気もする……。
俺は最後に一番お世話になった爺さんのところに向かう。
「爺さん、ちょっといいですか」
「なんだ、今は仕事中だぞ」
爺さんは自分の作業場で弾に火薬を込めていた。眼にも止まらぬ速さで神業と言っても遜色ない。
「俺、今日で仕事を辞めます。今までお世話になりました」
俺は爺さんに頭を下げた。
「…………そうか」
爺さんは手を止め、静かに立ち上がる。
「ちょっと来い」
爺さんは俺の前を歩き、どこかに連れて行こうとする。
「?」 ――いったい何をする気だ。
工場の裏には広めの土地があり、作った弾の試験場があった。まあ簡単に言えば射撃場だ。
爺さんは古びたリボルバーの回転弾倉に薬莢の長い弾を装填する。どうやらマグナム弾を使うらしい。爺さんが持っているリボルバーなら、暴発もしないだろう。
射撃場には白色の塗料が塗られた鉄製の的がいくつかあり、人型をしている。弾が当たれば甲高い快音が鳴り、塗料が剥げて命中したとわかるのだ。
「ふぅ……。ふっ!」
爺さんは息を止め、引き金を六回引く。隣で耳を劈く轟音が六発なった。加えて前方から、的に当たり甲高い快音が五回聞こえる。どうやら一発外したようだ。的を見ると弾は五枚の人型鉄板の眉間に直撃していた。
「ちっ、一発外したか。わしも衰えたな……」
爺さんはリボルバーの回転弾倉を止めている金具をずらし、空の薬莢を一瞬で出したあと、新しいマグナム弾を三発ずつ装填し、俺に渡した。
「やれ」
爺さんは俺の眼を真っ直ぐ見ながら、言った。
「は、はい……」
爺さんの葉巻の吸い過ぎにより、しわがれた小さな声が俺を動かす。
俺は息を整えて引き金を六回引く。肩が抜けそうなほどの反動が来るものの、手首のたゆみと全身の力の抜き具合で衝撃を分散し、リボルバーを制御する。すると位置が全く違う六枚の的の眉間に全弾命中した。
「ふぅ……。全弾命中。って、爺さん、何でこんなことをさせてくるんですか?」
「銃を初めて撃った時と同じ結果……。さすがだな。あの時は火力の弱い弾だったが、マグナム弾でもやってのけるか」
爺さんは苦笑いを浮かべ、髪を掻く。
「いや、動いていない的に弾を当てるなんて誰にでもできますよ」
「ふっ、初めての言葉もそれだったな。餞別だ。リボルバーとこれをもっていけ」
爺さんが持っていたのはリボルバー用の革製ホルスターと一〇発のマグナム弾だった。マグナム弾はお手製の弾用の革製ホルダーに入れ、渡してきた。
「ちょ、何で……」
「わしが持っているよりもお前が持っていた方が世のため人のためになるだろ。護身用にでも持っておけ。わしには他にも良い銃を持っている。気にするな」
リボルバーなど、戦場に行けばただの玩具に過ぎない。サブマシンガンやアサルトライフルの方が遥かに使い勝手がいい。ほんと護身用程度にしか使えないって言うのに、俺は爺さんから古い型のリボルバーを貰った。
爺さんはお守り替わりにでもしてほしくて俺にくれたんだろう。
「わかりました。受け取っておきます。どこかに落としてこないよう気を付けます」
俺は爺さんから貰ったホルスターにリボルバーをしまい、ベルトを腰に巻き付ける。ポケットに入れておいたマグナム弾は弾丸用のホルダーに入れておく。
「ふっ……。そうだな。銃と弾を落とすやつは命を落とすってか……。戦場でよく言ったもんだ」
爺さんは胸もとから葉巻を取り出し、口に咥え、マッチの火で先端を燃やした。
爺さんが吐き出した白い煙が目に沁みる。
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