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第十四話 聖者と元女囚①

第十四話 聖者と元女囚 ①


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 鍬を担ぐ私。

 野良仕事、耕作業に従事する。毎日、真面目に田畑を耕す、一介の農民として日々を過ごしていた。


 耕耘、整地、播種、潅がい、排水、施肥、農薬散布、除草。あと、鎌や鍬などの農具の手入れとか。

 田畑を耕し穀物や野菜などを栽培する、この農民生活。

 もちろん補助や手助けもある。農地取得の相談は就農支援機関の窓口で受けたり、農業委員会で紹介してもらった。


 のんびり田舎暮らし。

 都会の喧騒を離れた、のどかな片田舎。人里まばらな村はずれ。

 麓の一角の農耕地と、粗末な山小屋ログハウスが、今の私の世界だった。

 自然に逆らわずして、晴天の日には外で田畑を耕し、降雨の日には家で読書をして過ごす、という暮らしぶり。

 

 はあぁ。まさに晴耕雨読。

 ああ、なんておだやかな日々なんだろう。


 畑を耕してー。職場はすぐ目の前だしー。通勤時間皆無で、その分の自由時間得られるしー。通勤電車も乗らなくていいしなー。雨降ったらおうちで本読んで過ごせばいいしー。悪くはないな、こういうのも。

 草や土の匂いも嫌いじゃないしー。


 素朴で豊かな自然環境。

 深く息を吸い込んで空を見上げていると……。



 ……すると、そこへ。

 遠くから声をかけてくる、ある人物がいた。


「真面目にやっているようですね、壽賀子」

「スヴィ!」

「ああ。壽賀子、じゃなかったですね、ドゥーネティカ、でした」


 ドゥーネティカ。

 それが、今の私の名前だったな。そういえば。


 スヴィドリガイリョフが訪ねて来ていた。

 大量生産の既製衣類、オフィスカジュアルらしき私服を身にまとう。ごく一般的な訪問着を着用する、民間人スタイル。

 

 スヴィドリガイリョフ。

 彼はもう、刑務官ではなかった。

 現在は、私の保護司である。



「まさかスヴィが刑務官辞める、なんてなぁ」

 私は、小屋の扉を開け、彼を中へと通す。

「扉は開けたままにしておいてください。よからぬ疑いを受けないための、常識ですよ」

「あー、はいはい」

 刑務官を辞めても、相変わらずの嫌味ったらしい、めんどくせぇ口調。


 保護司は、元受刑者がスムーズに社会生活を営めるように、釈放後の住居や就業先などの帰住環境の調整や相談を行ったりする。更生を図るための遵守事項を守るよう指導する役目だ。

 生活上の助言や就労の援助などを行い、その立ち直りを助けることになる。

 更生局に定期連絡を報告する義務があるため、定期的に私の様子を見にくるのだった。こうして家を訪ねてくるわけである。



 私は、台所のテーブルと椅子のスペースに案内をした。

 そこに彼を座らせ、アツアツのお茶を淹れて茶菓子を出して、もてなしてやるのだった。


 保護司は、更生保護活動を行うとはいえ、あくまで民間のボランティアだ。

 国から委嘱された非常勤の国家公務員だが、給与は支給されない。


「おまえ、早期退職なんかしちゃって大丈夫なの?」

「私はこれといった趣味もないし酒も呑みませんしね。職場と官舎の往復しかすることがなくて、いつも給料の使い道に困っていたくらいで、貯金ばかりが貯まってしまってしょうがなかったんです。いい機会ですし、ちょうどいい。また復職するかどうかはこれから考えるとして、しばらくはこの地でのんびりしますよ」


 彼は難なく言ってのける。

 定年後の老後費用もらくらく目標額を達成したとのことだった。


 うっわぁ、やべえぞ、こいつ。

 FIREしやがりやがった。

 

 FIRE。経済的に自立した状態での早期退職。定年を迎える前に、豊かな老後生活の資金を確保した上での、早期リタイヤ。

 Financial

 Independent

 Retire

 Early

 達成するために必要なものは、貯蓄や節約、運用によって作られた資産であり、リタイヤしたあとは、働くことなく運用収益で生活していくことになる。


 なんというか、考えてみれば彼らしいというか。

 地味に貯金持ってる奴って、世の中にはいるんだよなぁ……。

 パッと見や外見ではわからない、小金持ちヤロウ。地味にカネモ。

 ちくしょう、なんだか上を行かれたというか、なんか悔しいぜ。



 現在は、うちから少し離れた町のほうに間借りをして暮らし、楽隠居生活を送っているという、保護司のスヴィ。

 なんとなくそうだろうなとは思っていたが、スヴィドリガイリョフとは、やはり偽名だった。

 基本的には、刑務官が受刑者に本名を教えることはない。出所後の意趣返しを恐れてのことである。

 刑務官という身分を周囲には伏せたまま警護兵団に所属することになった際に、団長さんと相談してつけた、とりあえずの仮名だったのだ。


 私は今もまだ、スヴィと呼んでいる。

 この暮らしを始めたばかりの頃に、いよいよ本名を明かしてもらったものの、また長ったらしい難解な響きのものだったので、とても覚えきれなかったためである。

 まあ、まだまだ馴染みも愛着も残ってるし、ニックネームやあだ名みたいなもんだ。

 これからもスヴィって呼べばいいや。



 あれから。

 私が仮釈放されてから。

 あの聖都での聖者様の反乱が起こってから。

 どれくらい経ったのだろう。

 

 仮釈放後は、名を変え、人知れず、田舎村で社会復帰に励む。

 保護観察期間は、受刑中に既知にあった人物や土地とは切り離され、遠く離れた見知らぬ地での改過自新が定められている。


 そうして私は、名前を変えられて。

 みんなと別れて、誰も知り合いのいない、この地で新生活を始めることになったのだ。

 旅を通して、それなりに深まっていた親交、旅仲間としての、絆。

 信頼関係。

 せっかく仲良くなれたのに、という感傷や未練、執着心。

 里心的なもの。


 ないわけは、ない。

 警護兵団のみんなやグエン、そして聖者様に対しても。



 

「なぁ、スヴィ、ずっと聞きたかったことがあるんだが……」


 私は、まだあの時のことを少し引き摺っていた。

 聖者様に対しての、やりきれない想いは、まだ残っている。


 さすがの聖者様でも、国の決定には従うしかないようだった。あの時にすっぱりと私をあきらめ、身をひいたのだろう。

 あれからも、彼の失態や醜聞といった情報は一切聞こえてこないところを見ると、今は、ひたむきに聖者様業に邁進していると見える。


「……あのさ」

「何ですか、壽賀子、いえ、ドゥーネティカ」


「……あのさ、一応聞くけど、聖者様が言ってたあれって、嘘、なんだよな?……夜な夜な、私が体を弄ばれてた、っていう、あれさ。もちろん嘘だよな?おまえ、そんなのあったら、ちゃんと知らせるなり遠回しにでも止めるなり、なんとかしてくれるよな?だから、聖者様が言ってたことは、嘘なんだよな?」


 ずっと気になっていたことを、確認してみた。

 あの聖堂で、聖者様が告げた衝撃の発言。

 その真偽について。


「私のことが信用できませんか?」

「一応、確認してるだけだよ……ちゃんと信用してるよ」


「当然、ありませんでしたよ。彼の捏造、虚偽申告だと思います。あなたを動揺させるために用いた偽情報。虚言です」


 スヴィドリガイリョフは、きっぱりと言い切った。

 私のかねてからの不安を、力強く払拭してくれたのだった。


つづく! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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