第十三話 聖都と婚約者③
第十三話 聖都と婚約者③
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本聖堂の奥のほうに位置する、控えの間のような一室。
「わあ、とっても綺麗だよ、壽賀子さん」
女官の数人がかりで取り押さえられ、あっという間に、着替えやらヘアメイクのセットやらを完了させられた私だった。
「さぁ、お披露目だ。信者さんたちの前で、劇的に接吻をしようね。私たちが口づけを交わしているところを、国中のみんなに見てもらおう」
鏡を見ると。
豪華な宝飾があしらわれた上法衣や肩絹布、目深に被った冠頭巾、濃く鮮やかな色味の化粧が施されているせいで、まるで別人となった自分の姿が映っていた。
だ、誰だよ、これ……。
な、なんなんだよぉ、この事態はぁ……!
「ふ、ふざけるなぁ!!どういうことだよ聖者様⁈」
「だからね、君は、私の婚約者になったんだよ。君は私と結婚するんだ。君には、私の妻になって、この先もずうっと私のそばにいてもらいたいんだよね。それを、みんなの前で誓ってほしいんだ。誓いの接吻をするんだよ。濃厚で刺激的かつ官能的な甘美で悦楽に至るような誓いの接吻を。互いの舌先をねっとりと這わせ合い上唇と下唇を擦り合わせ求め合い唾液を絡ませ合って口腔内の愉悦を享受し合い」
「ふざけるなぁぁぁぁぁ!!」
ちょうどこの後、信者が集うちょっとした行事があったそうで、本聖堂の前にはたくさんの民衆が集っているところだと、聖者様は言う。
私を壇上に上がらせてお披露目会をする。婚約者として紹介した後は、衆人環視の中、接吻を交わすのだと。
「いいかげんにしろよ聖者様!!私は絶対そんなことしないからな!!」
「困るなぁ、壽賀子さん。どうしても?」
外堀から埋めようってのか!
みんなにお披露目で紹介して既成事実作ってしまえばこっちのもんだってか?
汚いぞ!!
「仕方ないね」
聖者様は、女官たちに外へ出てもらうように促し始めた。
人払いをするのだった。
私も彼女たちのあとについて逃げようとした。
ひらひらとした衣装の裾、何重にも重なった布地の集合体が足先にまとわりつく。
ごてごてとした宝飾で彩られた靴も、かかとが高く、ぐらりぐらりとよろめかせ、私の疾走を妨害する。
それでも構わず、一目散に扉を目指して、駆け抜けた。
だが、聖者様に塞がれた。
「駄目だよ、壽賀子さん」
手首が乱暴に掴まれ、捻り上げられる。
「……あ…っ」
「大人しくして」
私の動きは、彼によって封じられてしまった。
「痛……い、いやだ……っ」
「困るよ、壽賀子さん。私の言うことを聞いてくれないと」
そうして、そのまま彼の体ごと、壁に追いやられたのだった。
「や、やめ……」
「言うこと聞いて?ね?」
私は壁を背に、真向かいから聖者様の掣肘を受ける。
壁と、彼の身体にはさまれて、身動きができない。
胸が圧迫される。
苦しい。
彼の全身が、密接する。
胸部、腹部から上腿、すべてを使って、私の動きを閉じ込めた。
すぐ耳元首元に、彼の唇があたっていた。
い、嫌だ!
だめだ!やめろ!
「……い、いやだ!」
「仕方ないね、今まで君の言いつけ通りに封じてきたけど、今だけは使うことを許してくれるね、壽賀子さん。もう君に、いやなどとは言わせないよ」
彼の囁く言葉の数々。
それも例の能力、人誑しの能力のようだった。
それでも私は抗い続けた。
そんな私を嘲笑するかのように、彼はこんなことを言い出した。
「いいかげんにあきらめなよ。君の体はね、すでにもう、私のものなんだから」
「……⁈」
「君はね、夜な夜な、私に弄ばれていたんだよ」
そんなことを言い出した……。
「まどろみ、微睡状態なら、君も、いつもの意思の強さも思考も起きていない。覚醒するまでのその間なら、容易く暗示にも催淫術にもかかってくれるからね。君は素直に、私に体を許してくれたんだよ」
……う、うそだ。
「……う、嘘だ!」
「私たちはね、結ばれているんだよ。もうとっくに。身体の繋がりのある、つがいだ。肉体関係が生じた恋人同士なんだよ」
「……ば、ばかな!」
寝込みを襲った、起き抜けや寝惚けている隙をついた、と彼は言う。
睡眠慣性が生じている状態。寝惚けと呼ばれる、脳が活性化していない眠気を伴った状態。
その時を狙って、暗示を与えて誘導し催眠状態にしたと、彼は言った。
「……ばかなことを!嘘だ!そんなの嘘に決まってる!私を動揺させるために、そんな嘘を……!」
嘘だ、フェイクだ、はったりだ!
「……そんな無体な真似をしていたら、グエンだって、兵団のみんなだって、黙っているはずがないだろう!助けてくれるに決まってる!」
「いいや。みんな、私の言いなりだからね。みんな、私に逆らえないんだよ。君の味方なんていないんだよ。君はこの世界にひとりぼっちだったはずだ。忘れたの?」
そ、そんな。
ちがう。
「グエンだって君の前ではどう言っていようとね、結局は私の虜だ。私のほうを選ぶんだよ。最後には、私のほうを優先するんだよ。君のことよりもね、私のことのほうが好きなんだよ、あいつは」
ちがう。
「いいよね。君には私がいるんだから。他の誰もいなくても。私がそばにいるよ」
ちがう、ちがう。
「ね?あきらめて、国のみんなに、私のものになったと知ってもらおうよ。壽賀子さん、君はね、もうすでに私のものなんだよ。心も、体も」
ちがうったら。
「……わ、私は、清らかだよ!あんたに汚されてなんかいない!塔だって登れたし、神獣だってなついてくれた、凶獣の森だって安全に歩けたし、荒神様への雨乞いだって通じた!」
「どれも、ただの偶然の一致でしかない。くだらない噂や伝承、逸話、迷信の類だ。思い込みや、偶発的な現象がたまたま重なっただけの、貞操を証明するものになど足りえない、ただの解釈だよ。そんなものにすがったところで、何の意味があるの?君は、もう元には戻れない。私と致してしまったからには、もう、この先を私とともに歩んでいく道しか残されていないんだよ」
ちがう、ちがう。
私を揺さぶって緊張や刺激性、衝撃を与えて、追い詰めて絶望させる。
はったりだ。
心理的虐待、ガスライティング。モラハラ、心理的DV。
社会的に孤立させた上での、精神攻撃。
こちらを支配しようとしてくるやつら。こちらの選択肢を歪め狭め限定させる、錯覚させようとしてくる。操り誘導しコントロールしようとしてくる輩の、卑劣な手段。
ただの汚い手口だ。
わかってる、こんなのは。
詐欺師や新興宗教やDVモラハラパートナーや毒親やブラック企業がよくやる、洗脳のよくある手段でしかない。
でも涙が止まらない。
嘘だってわかってる。
でも、辛くて怖くて苦しくて。
何より、聖者様がこんな嘘までついて私を意のままにしたがることが、心底恐ろしくて哀しくて、負けそうになる。
心が折れそうになった、挫けそうになった、その時だった。
私の脳裏に一筋の光が、一縷の希望の道筋が差し示された。
「スヴィだ……!」
刑務官が、見回りしてたんだった。
いつも、監視してたんだ、あいつは。
あいつは私の味方じゃないけど、仕事だから役目だから、いつも見張ってたはずだ。
私に何か異変があれば、あいつが気がついてくれるはずだ。
真っ向から止められなかったとしても……。
聖者様がそこまで無体なことをしでかしてたんなら、きっとスヴィなら、どうにか知らせるなり遠回しに妨害するなり、何か対処を講じてくれたはずだ。
そういうやつだ、あいつなら。
それがないってことは、聖者様は、何もしていない。
私は何もされていないんだ。
私は、明るい声を出して、聖者様を圧倒してやった。
「スヴィドリガイリョフだよ、刑務官だ!」
「……刑務官……」
一瞬、聖者様に、隙ができた。
その隙をついて、私は思いきり聖者様を突き飛ばした。
同時に扉のほうへと逃れる。
大きく重い扉を開いて、その先を目指した。
すると、扉の前には一人の男が立っていた。
「スヴィ!」
刑務官スヴィドリガイリョフだった。
「申し上げます!」
彼は、顔を上げずに俯いたまま諫止する。聖者様とは決して目を合わせないようにするためだろうか。
「たった今、彼女の仮釈放が決定しました!」
床を凝視するように一点を見つめながら、それだけのことを言い切った。
え、仮釈放?
仮釈放って言った⁈
その後ろから、ぞろぞろと上層部連中が、息せき切って駆け寄ってきた。
「フューリィ様……その娘との婚姻は、あきらめるしかありますまい……」
彼らは、それぞれで口々に喋り出す。
「この刑務官が言うには…… 保護観察期間は、受刑中に既知にあった人物や土地とは切り離され、遠く離れた見知らぬ地での改過自新が定められておるとのことで……」
「…… 仮釈放後は、名を変え、人知れず田舎村で社会復帰に励む、とのことだそうな」
「是非にと望まれた娘御ではありますが、こうなっては仕方ありますまい……残念ですが、また別のお相手を探せばおよろしいかと……」
か、仮釈放!
私が!
私の仮釈放が、決定した⁈
つづく! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




