第十二話 荒神と人身御供④
第十二話 荒神と人身御供④
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……と、その時だった。
「おやめ!ジュドー!壽賀子に触るんじゃないよ!!」
シンギュラ姐さんが、ドスの効いた大きな声で制した。
いつから部屋の前で様子を窺っていたのだろう、シンギュラ姐さんは、ずかずかと入室するやいなや、ジュドーの背後に立ち塞がった。
その勢いと迫力に、一触即発の危機感を感じたらしく、ジュドーもすぐに振り返り、立ち上がった。
私から離れて、シンギュラ姐さんに向かい合い、半身になって応戦の構えを見せる。
「壽賀子になんて真似してるんだい!あたしは壽賀子を自分の仲間にするために、拉致するのを手伝ってやってたんだよ!こんな真似するなんて聞いてないからね!!」
シ、シンギュラ姐さん……。
「ジュドー!あんたのことは、一本芯が通った信念のある悪党として尊敬してはいるよ!だがねぇ!女をいいように扱う、その手癖の悪さだけは我慢ならないね!!」
「ほう……、僕に刃向かう気か、シンギュラ」
シンギュラ姐さん……助けてくれるのか……ひとまず、よかった。
危機一髪だぜ、やれやれ。
シンギュラ姐さんは、刑務所にいた頃は、いわゆるエリート受刑者であった。
経理工場内、官計算工の配属なのである。
受刑者たちの作業報奨金や全工場の収支計算、作業日報や資料の作成はもちろん、外部から倉庫に入ってくる作業品の管理も仕事のうちだ。受刑者の入出所から配役工場などの個人情報、身分帳、各書類まで閲覧できるという特権階級。
各工場や受刑者に対して行う、書類の回収や配達作業のため、作業中は所内を自由に歩き回れる権限まで許されていたのだった。
選ばれし頭脳明晰な者のみが所属できる、と言われている、官計算工。
受刑者からも刑務官からも一目置かれる、超優良模範囚人である。
ご自身がおっしゃられていた罪状は、たしか、捜査二課扱いの……知能犯係の管轄だった。
エリート受刑者で仮釈もたくさんついてるだろうし、普通にそのまま順当に出所を目指せばスムーズなものを。
なぜ脱走なんかしちゃうのか。
まあ、エリート受刑者だからこそ、脱走が成功しちゃったとも言えるわけだが……。
刑務官たちを油断させたり、隙を作ったり。官計算工の立場なら、自由に歩き回れるし、仕入れ業者なんかの外部の者との接触の機会も多々あるものな。
はあ。
頭のいい人の考えてることは、私にはわからん……。
「ずいぶんと、この異界の娘に御執心のようだな、シンギュラ……」
ジュドーが不敵な笑みを浮かべながら、そんな言葉を投げかけた。
そして続ける。
「……だが、おまえの雇い主は僕だ。首領である僕が、命令する側なのだよ。僕のやりたいようにやらせてもらう。逆らうことは許さない」
「いいかいジュドー、あたしはねぇ、単に組織に所属しているというだけであって、首領のあんた一個人に仕えている覚えなんかはまったくないんだよ!最初っからあんたの資金力、人脈、人材、その他が目当てだっただけさ!脱走してからこっち、面倒見てもらってただけかとお思いかい⁈ははは!あんたが持っているものすべてを奪うつもりだったんだよ!うまいこと組織を乗っ取って、少しずつあたしの影響下に置いていってやったわ!わかるかい⁈今、あたしの傘下にいるのは、あんたの腹心だったやつらなんだよ!首領の座は、もうすでにあたしの手中にあるのさ!!」
「……ふふふ、知っていたさ。踊らされているのは、どちらかな?」
「ははは!あえて泳がせていた、尻尾を捕まえるつもりだった、とでも言いたげだねぇ!そんなことくらい、こっちもお見通しなんだよ!ちゃんと手は打ってあるんだからね!」
「……ふふふ、それはどうかな」
「ははは!笑わせてくれるわ!」
「……ふふふ」
「ははは!」
「……ふふふ」
「ははは!」
な、なんだ、こいつら……!
なんか知らんが、二人でずっと笑い合ってろぉ!
なんなんだ、この頭いいヤツ同士の頭脳戦、狡猾な者同士の駆け引きの泥試合はよぉ。
二重スパイ、三重スパイ、お互い放ち合ってたんか。
一周まわって、わけがわからねぇわ。
仲間割れである。
シンギュラ姐さんとジュドーの二人は、奥の部屋にいるという身近な部下たちを問い正してから、決着をつける算段になったらしい。
二人して退室していき、私は一人、室内に残された。
チャンス!
縄でぐるぐる巻きにされ、柱に固定された私の上体、二の腕部分。
その先から下、肘から手首にかけては、なんとか動かせた。腰布をまくって、太腿に貼り付けていた皮ベルトを上のほうにずりあげる。
あと少しだ!
皮ベルトには、小刀が収納されたケースがくっついている。
よし、持っててよかった、小刀!
尼僧様の隊と一緒の時に起こった山小屋襲撃事件の時、グエンやミュリュイちゃんがえらく心配してくれたんだよな。それで、護身用の携帯武器を考えたほうがいい、と言って、この小刀を何本か持たせてくれるようになったんだけども。
ちょっとは扱い方も勉強したし、拘束された時の対処も教わっておいた、とはいえ。
いざ、実戦となると……む、難しい!
私は、両の二の腕を縛られ、柱に括りつけられたままなのだ。動きを制限された不自由な状態で刃物を扱うというのが、難易度高すぎ問題。
「あっ」
ちょっと誤って、チクッとサクッといってしまった……。
うおおお、痛ぇぇ。
が、我慢しろ私!
縄を切る際に勢い余って小刀を取り落とし、そのまま太腿に落っことし……。
脚の付け根あたりを、ちょっと切ってしまった……私のドジ不器用……。ああ、こういう時のために、もっと真面目に特訓に励んだり刃物の扱い方を練習しとけばよかった……。
ま、まあ、出血も少ないし、傷は浅いし、大丈夫だろう。
とにかく、この隙に逃げなくては。
やっとの思いで縄を切って、こうして私は、なんとか拘束を解くことができたのだった。
よし、この隙に!窓から逃げろぉ!!
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雨が降ってきた。
廃屋から、できるだけ遠く離れた場所へと逃げてきたつもりだった。
山中なのはたしかだが、位置関係などは全くわからない。どう進めば村のほうへ帰れるのかもわからない。
ザーザーという雨足の音は、次第に激しくなる。
大雨である。
土砂降りになってきた。
ゴロゴロと、遠くの空で、いやな音もする。
雷まで……。
荒神様って、本当にいたのかも。
私の読経が、雨乞いに効いたのか。
しかし極端すぎるんだよ、荒神様よぉ。
ここまで降らなくっても。
うう、風邪ひきそう。寒い、冷たい。足元もぬかるんでてグチャグチャだし、傾斜のある山道は、すぐに滑ったり転んだりしそうになって危ないし。
遭難したらどうすんだ。
……って、もうしてるのか⁈
ええ、私、今、まさに!遭難中⁈
やばい!悪党集団から逃げてきたはいいが、みんなのいるところに帰れなければ意味がない!
ど、どうしよう!
まずい……このまま雨の中を彷徨っていても、体が冷えて体温持ってかれるだけだ。
どうすれば!
「わ、わぁぁぁ⁈」
おろおろしていたら、ずるっと勢いよく滑ってしまった。
ぬかるんだ泥の地面に足元を取られた、その時だった。
背後から抱きかかえ、私の上体をしっかりと受け止めてくれた人物がいた。
滑落寸前だった私の二の腕を掴み、自らの胸に引き寄せ、離さない。
がっしりとした広い肩部と逞しい上肢が、私を救護していた。
「壽賀子!しっかりしなさい!」
「スヴィ⁈」
刑務官スヴィドリガイリョフだった。
つづく! ━━━━━━━━━━━━━




