第六話 聖塔と俗物④
第六話 聖塔と俗物④
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私は思わず叫んでいた。
瞑想をしていた行者は、刃物を振りかざして、一直線に聖者様に向かってきた。
わああ、まずい!
グエンも警護兵団のみんなもいない!
聖者様を守れるのは、私だけしかいない!
や、やばい!
聖者様はこの世界に絶対必要な人だから、失うわけにはいかない!
私がなんとかしないと!
私は聖者様に飛びついた。
その身を挺してかばおうとした。
だが、
「壽賀子さん、ちょっと離れてて」
聖者様の、落ち着きはらった、堂々とした声が響いた。
私を引き剥がして、横のほうに突き放す。
次の瞬間。
刃物を振りかざした行者の動きが、一瞬止まった。
その隙をついて、聖者様は脱ぎ捨ててあった外套、布の一巻きを投げつける。
相手は、広がる布で視界が塞がれた。
明後日の方向に刃物を向けた。
よ、よし、いいぞ!
視界を塞がれたままの相手の動きをいなし、背中側から思いきり蹴りつける聖者様。
い、今だ!
相手はそのまま展望台の欄干付近に突っ込み、足元の段差で、ぐきっと足をぐねらせる。
悲痛な、断末魔の叫びが上がった。
こうして敵は、勢い余ってそのまま塔から転落していった。
う、うわあああ。
「壽賀子さん、大丈夫?」
聖者様の勝利だった。
なんとこの人は、刃物での襲撃という最大の危機を、たった一人で切り抜けたのである。
え、えええ。
一人でなんとかできちゃえるのかよぉ。
僧兵とか、警護兵団の意味とは!
乱闘慣れでもしているかのように、平然としている聖者様であった。
私のことまで気遣えているあたり、まだ余裕がありそうでもある。
怖くないんか。
たった今、刺されそうになってったっていうのに。
殺されそうになったっていうのに。
「無茶しないでよ壽賀子さん、さっき、私をかばおうとしたろう?」
「そりゃあ、私は聖者様の供だもの……」
「今度こんなことをしたら許さないからね。もう、絶対やめてくれよ。君はもっと自分を大事にすべきだ。約束してくれ」
聖者様は、哀しそうな目をして、そんなことを言う。
「私は大丈夫なんだよ。知ってるだろう、私の能力。よっぽどでない限り、私を傷つけたり危害を加えたりするような敵は、すぐに脱力するようになってる。私に立ち向かえるような精神的強者なんて、そうそういないんだよ」
それは、まあ。
身を持って知っていたけども……。
「ずいぶん落ち着いてるね聖者様。もしかして、けっこうよくあることなの?なんだってあんたが命を狙われるんだ?恨み持たれる心あたりでもある?」
「憶測でしかないけどもね、私たちの所属する教団とは別に、各地には、色々な信仰の集団というものはあるからね」
えー、ああ!
商売仇の、別の宗教関係者ってことか⁈
それで、教団の広告塔になってる聖者様を、暗殺のターゲットにしてるってことか⁈
「あるいは、教団内部の者から密命を受けた、外部の雇われ人とかね」
同じ教団の、仲間?
派閥とかあるわけか。
聖人候補生やら、他にも何人かいる聖者職やら、同格のライバルやらとかかも。
出世争いで、足の引っ張り合いとかか?
疑いだしたらきりがないなぁ。
平和を祈る集団である教団界隈のはずなのに、結局、何やら殺伐としとる。
「怖い思いをさせちゃったね。おいで」
聖者様が、私の上体を掴んで自らの胸に引き寄せる。
「だ、だから、気安く接触しちゃいかんって言ってるだろ」
「もう少しだけ、このまま……」
聖者様は、ぎゅっと私を抱きしめた。
私は、彼の胸に右顔を埋めることになる。
右耳が、密接する。
とくん、とくん、と、心臓の音が聞こえた。
怖い思いをしたのは、きっと、彼のほうだ。
抱きしめられたいのは、彼のほうなのだろう。
人の肌に触れて、抱擁されたり慰められたりして、安心したいのは、彼のほうなのだろう。
落ち着いて見えても、毅然と振る舞っているだけなのかもしれない。私に心配をかけないために強がっているだけなのかもしれない。平静を装っているだけなのかもしれない。
本当は、彼はずっと不安だったのかもしれない。
彼が今、誰かにすがりつきたい気持ちは、とてもよくわかる。
だから私は、少し、この抱擁につきあってやることにした。
まあ、こういう場合は、しょーがねぇな……。
あたりには、先ほどの騒ぎもものともせず、無心でマイペースに修行を続ける行者たち。
階段のほうからは、遠く、呻き苦しみながら上がってくる集団の声が聞こえる。
落下した暗殺者をきっかけに、異変を察したのだろう。
地上で待機していた者たちのようだ。
「……もうすぐみんなが来ちゃうね……それまでの間、だけでいいから……」
ますます力強く、抱擁を迫る聖者様。
今、彼はきっと、また呪われているのだろう。
悪寒、嘔気、悪心といった症状の数々。
今にも嘔吐しそうな不快感と闘いながら、この私を抱きしめているのだろう。
そこまでして私に触れたいのか……。
そんな執着持たれても、怖いし困るんだが……。
つづく! ━━━━━━━━━━━━━━━━