第六話 聖塔と俗物③
第六話 聖塔と俗物③
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私は身をよじって逃れようとする。
後ずさりを繰り返す。
踊り場の端に追い詰められた、その時だった。
「うっ……!」
聖者様の顔面が、みるみるうちに蒼白し始めた。
「う、うぅ……」
苦しそうに呻き声をあげた。
ふらりとよろめき、不安定な重心のまま、顔を真っ青にする聖者様。
この症状は、さっきのグエンや警護兵団のみんなと同じだった。
の、呪われた!
聖者様が、俗物と判断された!
塔に祀られた女神様の、ご不興をお買いになられたぞぉ!!
「ど、どうしよう壽賀子さん……は、吐きそ……う」
あーあ。
まったく。
私としては、とても助かった。
ピンチを免れたぜ。
「さ、先へ行ってくれないか……たぶんだけど、今、私が壽賀子さんに邪な反応をしているから、呪われるのだと思う……」
「え、えええ」
邪な反応って!
「壽賀子さんから離れて、正常な状態に戻れば、呪いは解けると思う……すぐに追いつくから……お願いだ、私から離れて、くれ……は、吐きそ……う」
邪な状態とか、呪いの発動条件とか、俗物の判断基準とか、女神様好感度メーターとか、よくわからんが!
しょうがない。
ここはとにかく、聖者様の言う通りにしてやるか。
私は、この階段の踊り場付近に聖者様を一人置いて、先に上へ進むことにした。
まあ、あと少しで頂上っぽいし、大丈夫だろう。
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ここまでくれば、もうすぐてっぺんだ。
きっと見晴らしがいいだろうなぁ。
この際だ。景色を楽しもう。どんな眺めかな。
そうして体力を振り絞り、残りの階段をなんとか踏破した。
「おお、やっと頂上だ!」
塔の最上階は、思いのほか広かった。
その広場は、修行場になっている。
先客である何人かの行者や修行僧たちが、それぞれのスペースを陣取って、マイペースに過ごしていた。
床に座り込んで瞑想に耽る者。
立ちっぱなしで空に向かって読経する者。
壁に寄りかかったり、床に臥したりするだけの者。
歌舞、音楽などを信仰に持込んでいる者もいた。
ずいぶん危なっかしいアクロバット技を披露したり、ダイナミックな荒技に至る者もいた。
音楽や舞踊を伴ったり、肉体を酷使する修行方法も、てっとりばやく精神集中ができるとして重視されてはいる。陶酔的な忘我状態に到るための、有効な手段になるらしい。
い、意外ににぎやかなんだな。
ただ押し黙って瞑想したり静かにしてる一派がいる横で、大声での経典読み上げやら、歌声やら楽器の音やら、気合いを入れるための掛け声や奇声や怒声みたいな叫び声が飛び交っていたりする。
ただ、みんな、それぞれマイペースで我が道を貫いていて、自分以外の者の言動には目もくれず、耳にも入らず、気にもならないようだった。
己の修行のみにだけ集中している、ひたむきでブレない頼もしさが、この場のみんなに共通していることだった。
さて。
展望デッキ的なコーナーがあった。
周辺を一望できる。
見事な眺望だ。
私は、ここからの景色でも楽しみながら、聖者様の到着をのんびり待つかな。
「……おお、大変でしたでしょう……ここまでの道のり」
私が、展望台の欄干から景色を眺めていると。
しばらくすると、横から何人かがそんなふうに話しかけてきた。
「……よく、ここまで上がられましたな……」
読経中の主人を待っている、お付きの従者たちのようだった。
私は彼らに話しかけられるままに、ペラペラと応える。
「はは、いやほんと、意地の悪ぃ建造物だよね!施工主何考えてんだかなぁ!階段がさぁ、一段一段、微妙に高さちがうのん、わざとか嫌がらせか?っていう。上りにくいったらありゃしねぇ!等間隔に並んでたら足上げる高さも一定で、まだそこまで疲れずに済むのにさ、自分のペースやリズム崩されるのがイラっとするんだなぁ!なんだろうなぁ、粗い石材ばっか使ってて割れ目も多いし、そこに足先引っ掛かって転びそうになるし、手摺りつけてくれたり、せめてロープでも要所要所に渡してくれればいいのにさぁ。あ、中間地点の踊り場には休憩所としてベンチとか簡単な給水器具を設置したらいいんじゃねぇかな!」
あ、しまった。
初対面の人間相手に饒舌すぎたか。
いつものあまのじゃく皮肉屋の癖で、つい、有名観光名所に一言物申したり悪態ついてしまいたくなってしまってだな。
ましてここは、熱心な信者専用の、聖なる塔。
修行者の場なのだ。
場ちがいだったか。
雰囲気壊してすまん。
私は少し反省して、従者たちの顔色をうかがった。
ドン引きされてたりするんだろうか。
と、思いきや。
なんと意外な反応だった。
「……いや、お見それいたしました……この塔において、なんと、はつらつとしていらっしゃる……」
「……私どもなど今も眩暈と吐き気に悩まされて、なんとか耐え忍んでおりますのだが…… おまけに、この高所、という悪条件でしょう……でありますのに、あなた様は、ものともしておられぬご様子……さすがですなぁ……」
「……塔で起こる不思議な現象は有名でしたが、まさかこれほどまでとは……そして、ちゃんとこれ、このように、聖なる清い方々は無事でいなさるという……いやあ、世には常人離れしたすごい御仁がおられるものだ……」
え、えええ。
この人ら、俗物判定されて今現在も絶賛呪われ進行中だけど、根性と精神力でガマンして、ここまで上がってきて主人待ってるってこと⁈
おまけに高所恐怖症なのかよ。
なんという克己心。
そっちのほうがすげぇのでは。
なんという主人思いの従者。
それは、三人の従者だった。
敬意を込めて、三忠臣と呼ぼう。
見上げた忠誠心だぜ。
比べちゃなんだが、グエンなんて早々にギブアップして全然階段上れてなかったんだぜ。
あの僧兵よりも立派だよ、あんたら。
そうして談笑していると。
三忠臣の主人らしき人物が、ようやく読経を終えたようだった。
きっちり剃髪された丸刈り坊主頭に、屈強そうな大柄な体躯。
托鉢用の鉄なべをぶら下げ、大錫杖を担ぎ、粗布に身を包む。
寡黙な緑衣の僧だった。
そのまま、すぐに階段のほうへと身を翻して去って行ってしまった。
その姿を見て、慌てて後を追う三忠臣だった。
彼らは慌ただしく荷をまとめ、帰路を急ごうとする。先を争うように階段を目指し、そうして退場して行ってしまった。
あいかわらず呪いを受けたままであろう、フラフラよろめきながら、時には口を抑え、えずきながら、である……。
私は階段のほうを向いたまま、しばらく彼らのそんな後ろ姿を見送っていた。
すると。
彼らと入れちがいに、聖者様が到着した。
「壽賀子さぁん」
「聖者様、大丈夫か?」
「なんとか、治ったよ」
まだ少し足取りがおぼつかず、よろめきながらではあるが、さっそく読経の支度を始める聖者様だった。
展望台デッキコーナーにほど近い、そのあたりのスペースに敷物を広げた。
そのお隣のスペースでは、ただじっと床に臥している行者がいた。
聖者様はそっと小声で教えてくれた。
「断食行らしいね」
だ、断食ぃ!
断食断水という飲まず食わずの修行だそうだ。
大変な難行、荒行である。
い、いやだ!私は絶対無理だ!
刑務所ですら、一日三食きっちり食事ができたわけで……。
食事制限系の困難に打ち勝つのだけは、私は無理かもしれん。
粗食でも節約貧乏レシピでもスーパーの見切り品でも……質が劣悪だったり量が少なくなることはあっても、食事を抜いたことはほぼなかったからな。
断食断水とか、考えられない……。
呆然とした顔で震えかけていると、聖者様が手招きをして、微笑んだ。
「壽賀子さんも、私を待っている間に手持ち無沙汰なら、ただ黙って座っているだけでもいいんだよ」
「ええ?」
「言葉を全く発さない、無言の行という修行にあたるからね」
なんだよ、いかにもな、その、私におあつらえむきな修行内容はよぉ。
しゃーねぇな、暇だし。
私も聖者様への付き合いがてら、その無言の行とやらをしてみるかね。
そうして、聖者様の隣に座りかけたその時だった。
奥のほうで瞑想をしていた行者が、すっくと立ち上がったのだ。
手にはキラリと光る物を持っていた。太陽光に反射したのは、金属だ。
金属、刃物だった。
「聖者様!危ない!」
つづく! ━━━━━━━━━━━━━━