現在⑥ たより
ネッコ村はどっぷりとした冬の中にある。
この地域はけっして豪雪地帯というわけでもないが、それでも何層にもなった雪が村全体を覆っていて、人々はしばしの巣篭り生活を余儀なくされている。
潮吹亭も開店休業の状態だ。
店を開けていても、客が来ることは稀である。来ても、世間話と茶(ときどき酒)をすすっていくだけで、まともな売り上げにはならない。
それでも、イシュメールはいつも通り店を開けていた。もちろん、食材が無駄になってしまうので、仕込む料理は「煮込み」だけだが、ひとまず店に来ればメシは食える。
ようするに、イシュメールはこの潮吹亭を、街道を行く人々にとっての灯台にしたいと考えているようなのだ。大したもてなしが出来なくとも、凍えた人間を温めるだけの店があってもいいと思っているらしい。
だから、今日も今日とて、イシュメールは店の前に立つと、営業中という看板を表に掲げた。登り切った太陽が雪に反射して、ギラギラと凶暴な光を発している。
快晴である。
雲は、峰の向こうに薄らと伸びているだけで、ネッコ村の真上にはぽっかりと青空が口を開けている。雪の表層面が溶け出してぱきぱきと音を立てているが、まだ春の訪れには程遠い。
イシュメールはポストを開けて、一日遅れで届く新聞を取り出した。
最近では、こいつを読みつつロッキングチェアをこぐのが日課になってしまっている。秋の喧騒が懐かしい限りだ。
ふと、新聞の隙間から一枚の封筒が落ちた。
拾い上げると、上等な紙に見慣れた紋章が印刷されている。獅子が竜と向かい合う絵面――間違いなく王国騎士団のものである。
……正直、嫌な予感しかしない。
イシュメールは、王国騎士団を辞めた身である。それも、円満退社とはいかなかったので、ほぼ勘当状態。本来であれば受け取れるはずの退官年金もない。そんな彼に対して、王国騎士団の方から接触を図るとなると、自ずと要件は透けて見えて来る。
暖炉の前で封を開くと、案の定、高圧的な文書が入っていた。
――魔獣討伐の未報告について(通達)
内容をざっくり平文に直すと「魔獣を討伐したら、その詳細を所属の魔獣管理委員会へ報告しろ」というものだった。
もちろん、イシュメールはその義務があることを知っている。しかし、それが形骸化してしまっているのも知っている。王国の施設が無いどこかの地方から討伐の報告が上がって来ても、資料の肥やしになるのが関の山なのだ。
だから「報告をしなくてもいいか」と高をくくっていたところなのだが、どうもお堅い仕事をする人間がいるらしい。しかも、こんな田舎の討伐実績にまで耳が及んでいるとなると、情報通でもあるようだ。
――面倒くさいな。
イシュメールは思う。
そもそも、討伐した経緯を説明しても信用してもらえるかどうかが微妙だ。
あの日は、たまたま負傷した魔獣――大ウルサスに出会ったのだ。
相手は傷を負った右前脚をしきりに気にしており、こちらに気が付いていなかった。出来たばかりの新銃弾もあったことだし、試射もかねて発砲した。もちろん、この地域を守る魔猟師として、手負いの魔獣を放っておけないというのが一番の理由である。
結果は散々だった。
構想3年、製作期間5か月の新作銃弾は、大ウルサスの長い毛に阻まれてしまい役に立たず、仕方が無くもう一つの「とっておき弾」を使うはめになった。
魔獣相手に、なめてかかったイシュメールが悪いのだが、製作期間に一か月以上かかる銃弾を二発も使ってしまったのだ。それも、魔獣の中では断トツにマヌケな個体である大ウルサス相手なのにもかかわらずだ……。
それでも、魔獣の駆除は成功したのだから、村の皆は喜んでくれた。客観的に見ても、正しい選択をしたといえる。ただ、それをあるがまま報告しようとすると難しいのだ。常識的に考えて、「たまたま魔獣を見つけたので駆除しました」などと報告できるわけがない。
魔獣駆除は、基本的に個人でどうにかするものではない。するとしても、綿密な準備のもと行われるものだ。実際に、イシュメールもそうしてきたし、これからもそうするつもりだった。しかし、今回はたまたま、魔獣の中でも駆除しやすい大ウルサスが負傷した状態でいたのだ。自信作の銃弾を試射したいという気持ちもあったし、ここ数年で確実に腕を上げたという自負もあった。
要するに偶然なのである。
だからこそ、説明するのがめんどくさい。文面化してみると、途端に信憑性がなくなる。かといって、下手な嘘を書けば「危険な武力を隠し持っている」と疑われかねない。なにより、詳細な説明をするために召喚命令を掛けられるのが嫌だった。
――こまったな……。
なんとか、逃れる術はないかと書類をくまなく読む。
すると、書類の一番下――欄外に、光明が見えた。
【獣騎士団魔獣管理部 オウル北部山脈担当 オガ・リナルディ】
彼はイシュメールの部下だった男である。