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ジビエ料理「潮吹亭」  作者: 白くじら
フェリル・シェラード
6/114

現在⑤:結婚

「まったく、ほんとうに、すっごく、心配したんですよ!!」


 大きな体を震わせて、シバはフェリルを抱きかかえた。

 フェリルは、彼女の豊満な乳房に顔をうずめることになったのだが、その胸に焼菓子の食べかすが残っていたため、彼女の「心配したんですよ」という言葉を額面どおりには受け取れなかった。

 むしろ、机の上に転がっている空の菓子皿を見て「なぜ、戻ってくる私に取っておこうという気持ちにならなかったのか」という疑問から逃れられなくなっていた。


「あれ、フェリル様、どうされました?」

「……いや、別に」

「変なお嬢様ですね。あの男になんかされましたか?」

「口元に食べかすが付いてるわよ」

「あら、いけない」


 一方の御者だが、彼はイシュメールとフェリルに向かって、しきりに頭を下げている。


「本当にありがとうございます。これで、旦那様から預かった大事な馬を失わずにすみました」

「お礼なら彼女に。私はほぼ付き添いでしたから」


 謙遜するイシュメールを、フェリルは優しく一瞥する。


「そんなこと言って……私にもお礼はけっこうよ。ウチの持ち物を私が守るのは当然でしょう?それより怪我はどうなの?痛む?」

「もったいないお言葉をありがとうございます。もう、こんな傷、なんともありませんとも」


 分かり易い強がりを言いながら患部を叩こうとするので、フェリルは慌てて止めた。


「やめなさいって!分かったから、安静にしてて。とりあえず馬も無事だったし、無理する必要なんてないのよ」

「ですがフェリルお嬢様、ここから別荘まではまだだいぶありますよ……」

「いいの。ここの優しい店主さんだったら、可哀想な私達を、この寒空に追い出す真似なんてしないわ。ちょっとお店の隅を貸してもらって、明日になったら皆で駅馬車に乗りましょう。ねえ、いいでしょう?」


 フェリルの問いに、店主は苦笑しただけで答えた。


「ほら、いいって」

「言ってませんでしたけど?」

「言ったも同然よ。お礼に、キスの一つでもしてあげるつもりなんだから。フェリル・シェラードの唇に抵抗できる男なんているわけがないわ♪」

「フェリル様!!」


 貞操と安全の守護神を自負するシバが立ち上がるが、フェリルは動じない。


「それぐらいする価値があるわ。この森を夜になって歩く勇気が、あなたにはある?」

「そういう問題じゃありません!!あなたの唇を狙っている殿方が、どれだけいると思っているんですか!!こんな所で軽々しくキスをふりまいたら、それこそあなたの価値が減じます!!」

「人の価値を株みたいに評価しないでよ」

「価値の話をし始めたのはフェリル様でしょうが!!」


 ぎゃんぎゃん始まりそうな気配。

 なので、穏健派の店主がカウンターごしに声をかけた。


()()()()をする必要はありませんよ。こんな店でよかったら、好きなだけ休んで行ってください」

「ほら、店主さんもああ言ってるじゃないですか!フェリル様がそんなサービスする必要はないんです!」

「ほう……。そんな事とな?」

「エレガントさは、もったいぶる事によって輝きを増します。お嬢様は、笑顔で『素敵ね、うれしいわ』と言っていればいいんですよ」

「…………」


 フェリルは、シバには反論しない代わりに、「そんなこと」と言い放った店主を睨み付けた。知らん顔をしているイシュメールに何かを投げつけたくなる衝動が沸々と湧いてきたが、泊めてもらう手前、なんとか耐える事に成功した――。

 


 ……………


 

 結局、今日は潮吹亭に泊まり、明日の朝イシュメールが日課である野草の採集を兼ねて村で馬車を調達する手はずとなった。

 ただ、ド田舎の料理屋にきちんとした寝具が余分にあるわけもなく、毛皮を被っての雑魚寝となる。いちおう、毛皮は清潔で毛の長い種を選んでいるのだが、ホテルには程遠いクオリティなのはしょうがない。それでもシバは(最後までブツブツ文句を言っていたわりに)一番早くに高いびきをかき始めた。御者も隅の方で小さく丸まって寝息をたている。


 起きているのは、暖炉を眺めているフェリルと、明日の仕込みをしているイシュメールだけ。不要な灯を落しているので、ぼうっと暖炉の周りが浮かび上がっているようだった。


「眠れませんか?」


 厨房から出て来たイシュメールが、手にカップを二つ持っている。ホットワインらしく、柔らかなシナモンの香りと、芳醇なアルコールの香りが溶け合っている。


「安ワインですので、口に合うかわかりませんが」

「だからホットで?」

「味が誤魔化せます」


 一口飲むと、じんわりと温かさが染み込んでいく。確かに香りは今一歩だが、味は悪くない。アクセントに加えた山イチゴも良い仕事をしていた。


「悪くないわね」

「少量であれば温かくなって、眠りやすくなります。今日は慣れない事がいっぱいあったので、アルコールの力を借りるのも悪くないでしょう」

「それはそうかも………ありがとう」

「お客様ですから」

「あら、つれない。じゃあ、これは別料金?」

「どうですかね。考えていませんでしたが、まあ、別料金にするにしても貴族の方が気にする値段じゃないですよ」


 イシュメールとしては軽い冗談のつもりだったが、フェリルの頬にはさきほどとは違う表情が浮かんでいる。


「――そんなことないわ……。実際、シェラード家は名前は立派でも、有益な投資が出来てないの。事業もいくつか失敗しているし、私のスポンサー契約がなければ傾てしまう、貧乏貴族なのよ」

「それは……」

「それでも、父や母は、華やかな幼少時代を忘れられない。家は傾いているのに、プライドばっかりが大きくなっていく。挙句の果てには、娘を売りにだすのよ?」

「売り?」


 真実としたら、おだやかじゃない。


「ああ、勘違いしないで。結婚よ、結婚。よくあるでしょう?有力貴族との結婚。相手は名前が欲しくて、こっちはお金が欲しい。家っていうワケの分からない存在を主観に置くと、ウィンウィンの関係よね?」

「…………」

「でもね、こっちは一生なの。全てなのよ。自己犠牲を求められても、得られるのは『淫売』の二つ名だけだし、喜ぶのは乾ききった関係で結ばれた両親と、私の事をヤラシイ目で見てくる兄だけ。それでも、残りの人生を捨てろって?この手入がいき届いた髪も、磨き続けた肌も、全部、あの男の物になれって?ヤツそっくりの可愛くない子供を抱えて、ただ年齢を重ねるだけの人生を送れって?」


 フェリルは笑っている。

 自嘲気味の笑みは、悲痛で――しかし美しかった。


「育ててくれたのは両親ではなく、血税を投げ打ってくれた住民達よ。良識を叩きこんでくれたのは、下品な視線を送って来る家庭教師ではなく、庭師のおばあちゃんだったわ。私が許せないのは、この結婚で得をするのは住民じゃなくて、ぶくぶくと肥えている私の家族だけって事――わが身を犠牲にしてまで助けたい相手じゃないのよ」


 フェリルの話は、末端だが都で生活していたイシュメールにとって珍しい話ではなかった。貴族の家に生まれれば、意に沿う結婚の方が稀なのだ。

 ただ、彼女の怒りの矛先が妙な方向を指している事に、奇妙な共鳴があった。彼女は不遇の身に怒りを覚えているのではなく、意味の無い犠牲に怒りを覚えているのだ。


「私は貴族。だから、この身は領民の為にある。それは承知している。だから、アホみたいに着飾って、愛想笑いを振りまいたんだもの。でも、その結果、奴等が結婚相手(提携先)に選んだのは税金の優遇が見込まれる王家ではなく、成り上がりのシジマール家。これじゃあ、住民にとって何の得もないわ。重税は残り、肥え太る貴族だけがますます得をするなんて……これじゃあ、私は何のために生きてきたの?これからの人生に、何の意味を見出すのよ………」


 フェリルの目が、イシュメールを捉えた。

 挑戦的にも見えるその表情は、何の力もないただの男に何かを期待しているようにも見えた。


 見つめ合ったしばらくの間。

 しかし、イシュメールは何も言わずに席を立った。


 フェリルは、視線を暖炉へ戻さざるをえない。


 若干の後悔と不満が、彼女の口の中に滲む。らしくない行動だったと後悔する一方で、何か一言くらい――という感情が衝突する。


 ――がっかりする事を言われるよりもマシか……。


 豊かな生活と引き換えに背負わなければならない重荷としては、軽いものなかもしれない。いっその事、従妹のソーニャみたいにこの世界に馴染んでしまえば苦痛など感じなかっただろう。下手に知識を身に付け、外の世界に目を向けたからこそ、味わう苦悩。自らが蒔いた苦痛ともいえる。


 ――自由なんて幻想なのかもね。


 誰もが、何かに縛られている。生活に自由を縛られる人間もいれば、家に縛られる人間もいる。個人が望む事だけをやっていては社会は成り立たないのだ。


 ――ああ、もう!!


 フェリルが立ち上がって、外の空気でも吸おうかと思った時。一杯の椀が差し出された。イシュメールが変な顔をして、盆を持っている。


「……なにコレ……」

「いや………ちょっと、味見をしてもらおうかと思いまして……」

「………さっき、無視したお詫び?」


 眉をしかめるイシュメールを見て、フェリルは少し溜飲を下げた。覗き込むと、金色に輝く液体から柔らかな湯気の筋が昇っている。

 なんとも言えない、食欲を刺激する香りがする。


「これ……スープよね?」

「いや、実はスープじゃないんですよ。ただのだし汁です」

「だし汁?その段階でお客に出す!?」


 そういいながらも、フェリルは椀を受け取った。

 スプーンは無く、直接口を付けるしかない。シバが見たらまたお小言が始まるだろう。


「飲めばいいのね?」

「嫌なら、いいですよ」

「飲むわよ、小腹も空いたし」


 小さく息を吹き、椀のふちに唇を添える。ゆっくりと傾けると、小さな隙間から液体が流れ込んで来た。


 お湯?

 でも、その香りが鼻腔に抜けていくと、違う表情を見せる。舌にゆっくりと乗せて、コクリと飲み込むと、旨味が口腔内に残り、喉ざわりのよい感覚が通り抜けた。


「どうです?」

「………これ……塩もなにも」

「入れてません。乾燥させたマツラタケと、コケブタの骨だけです。油とアクを綺麗に取り除くと、こんなに上品な旨味が出るんですよ」

「………おいしい……」


 少量だったが、あっという間に椀は空になった。フェリルは物足りなさを覚えて、飲みかけだったホットワインに手を伸ばした。


「………どうしてこれを私に?」

「いや、どうしてって理由らしい理由もないんですが……」


 椀を受け取りつつ、イシュメールは少し眉を寄せる。困ったような顔が、どこかおかしい。


「あえて言うなら、なぐさめたかったからですかね」

「さっきは無視したのに?」

「言葉を持ち合わせていなかったんですよ。生憎、私は騎士団の中でも末席の方でしたから、華やかな世界とは距離がありました。ですから、そういった貴族の境遇には疎いですし、正直言うと馬鹿にしてもいました。所詮、色恋ざた(お遊び)の延長なんだろうと……」


 フェリルの視線が刺さる。

 だが、攻撃的な視線ではない。


「しかし、あなたの話を聞いていると、どうも違うようだと感じました。だから、心が痛みましたし、なぐさめてあげたいと思いました。しかし、どう自分の中を探しても言葉が見つからない。あなたよりも長い時間を生きてるはずなのに、この場面であなたへ贈るべき言葉が思いつきもしないんですよ」

「だから、出汁?」

「料理人は料理を。それしかできませんから」

「料理と呼ぶには、少しシンプル過ぎない?」

「そうですね。でも、全ての料理の基本となる、まだ何も手を加えていない一皿が、あなたには似合うと思ったんですよ。事実、あなたはその価値に気が付いてくれた……でしょう?」


 そこまで言うと、気恥ずかしそうにイシュメールは、反転し、キッチンへと逃げ込んだ。「なによそれ」と言おうとしたフェリルは、言えないまま、彼の動線を視線だけで追う。

 キッチンに立つイシュメールの動きは、洗練された料理人という感じではなく、どことなくチグハグで、休日に慣れない料理をする夫を彷彿とさせた。


 フェリルは、しばらくその様子を見ていたが、そのうち眠りにおちた。しばらくぶりの、夢が入り込む余地のない、完全な睡眠だった……。







 それから2か月ほど後に、社交界の天使フェリル嬢が、工業王として名高い貴族の息子と結婚する事が新聞に載った。


 イシュメールは、その記事を穏やかな視線でしばらく眺めると、立ち上がり、銃を担いだ。季節は冬――口元までマフラー引き揚げ、しっかりと縫い合わせた毛皮を羽織り、ドアを開ける。

 

 灰色の空。


 一面に広がる銀世界。


 まだ、春の嵐が届く気配はない………。


 





「フェリル・シェラード」 了


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