現在㉟ 傲慢な先輩の影で
最後の酔客が這う這うの体で店を出ていくと、フェリルは「まったく」という言葉を溜息に乗せて吐き出した。
ネッコ村の住人の明るい性格には救われているが、無類の酒好きという点についてはいただけない。特に、フェリルが接客をすると、男共が調子に乗るので始末が悪い。これで奥さん連中との関係性が悪くなったらどうしてくれるというのだろうか。
「足元、気を付けてね!」
「わかってますよぉ~。転んで帰ったら、カカアに何言われるかわかんないからねぇ~」
といいつつも、お約束の千鳥足。
一瞬、家まで送ってあげようかと考えるが、ここは心を鬼にしてドアを閉める。イシュメール曰く、酒を提供する店でそれをやると悪癖がつくらしい。酒量は野垂れ死んでも自己責任というのが、酒飲みの鉄則なんだとか……。
「おつかれさまでした」
「そっちもね。あ~今日も忙しかったわね~」
「陽気が良くなって、温泉地へ行く人が増えましたから」
「食材は足りてる?」
「今週分は大丈夫。明日にもアスナイ(行商人)さんが来ますから」
「この前来た時、酒瓶が増えて大変だってぼやいてたわよ」
「あの人、大抵そうなんです。注文が少なければ少ないで文句をいうんだから」
「あ~そっちの人ね。まあ、可愛い感じってことか」
「そういうこと。あ、そこにワインとツマミ、出しときましたよ」
「ありがとう。これの為に生きてるって思えるわ~」
「おおげさな」
「本音よ。みんなが幸せになる仕事をして、その後に自分が最高に幸せになる。こんな素晴らしいこと、他にある?」
「ありませんね」
「でしょう?」
フェリルはカウンターに座り、ワインをもてあそび始める。
まだ、イシュメールがカウンターで作業をしてるので口をつけない。飲んでるフリをするだけ。
理由は明確だ。
飲み始めてしまえば、二人の時間は短くなる。「まだ終わらないの?」とは聞かない。聞けば「先に飲んでて大丈夫ですよ」と言われるから。
ただ、目の前の男とワインを見比べながら、ぼ~っと時間を使う。もちろん、この時間も含めて彼女は幸福なのである。
「これでよし、と」
「終わった?」
「ええ、ようやく」
イシュメールがエプロンを外しながら出て来る。
ここでようやく、フェリルはグラスに口をつける。さも、飲んでいましたよ――って演技をしながら……。
「乾杯?」
「毎日じゃないですか」
「いいじゃない。毎日に乾杯」
フェリルは乾杯したいのだ。「何に」とかではなく、この高揚した気持ちを分かち合うために。
会話もなんだっていい。今日の食材のことや、天気のことでも、いや、むしろ喋らなくてもいい。人間は言葉だけでなく、空間そのものを感じることができる。この空気があれば、十分にフェリルは気持ちを満たすことができる。
――やばい、本当にしあわせ……。
だからこそ進めないジレンマを抱えながら、フェリルはワイングラスを傾けた。ワインは安物で残り物だが、彼女はこれで十分に「酔う」事ができる。酒量などそこそこでも、時間が彼女をとろけさせてくれるだろう。
しかし、である。
野暮ってのは、防ぎようがないから始末が悪いのであって、つまり、先ほどぴったりと閉めた店の扉が、丁寧に――かつ、しっかりとした威厳を持って叩かれたのだ。
二人は顔を見合わせる。
「アスナイさんかな?」
「いや、予定は明日の昼だったはずですけど……」
「じゃあ、魔獣が出たとか?」
「村の人達ならノックなんてしませんよ」
「じゃあ、誰?」
「さあ……」
ドアが再びノックされた。
そして、今度はドアの向こう側ではっきりと自己紹介が行われた。
「王国騎士団獣騎士隊です。イシュメール殿に要件があってまいりました」
思わず眉間に皺を寄せるイシュメール。
しかし、その横でもっと不機嫌な顔をしているのはフェリルである……。
………………
「夜分にすいません。なかなか業務が立て込んでいるのと、日を改める余裕も無くて……」
獣騎士隊作戦司令部から派遣されてきたという金髪碧眼の青年は、背中を丸めながら丁寧に(少し卑屈さも感じながら)挨拶をした。可愛らしい顔しているからか、その姿は庇護欲を刺激され、おそらく貴族のマダムのお茶会にでも現れたら、間違いなく取って食われてしまうだろう。
だが、そんな事でフェリル嬢はブレたりしない。その美しい瞳にキッと力をいれて、野暮な輩を睨み付ける。
「ようするに、100%ソッチの都合ってことよね?」
「おっしゃる通りです。しかし、それも国民の命に係わる問題なので、致し方なくまいりました」
「はあ?」
「魔獣が出現しているのです」
青年は懐に入れてきた正式な依頼文(こちらは高圧的な内容)とともに、状況を説明した。
「数週間前に、衛兵の一人が森の中でシュロノウラデスを発見しました。ご存知の通り、通常であれば機動小隊を派遣して、位置の把握と周辺住民の早期避難を図るだけなんですが、なにぶん、今回は都の食料保管庫の傍ということで、魔獣の追討命令が下されました」
「食料保管庫って、まだ他にもあったわよね」
「はい。ですが、規模が規模ですので一つでも失われれば経済的損失は計り知れません」
「経済といっても、命より大事なわけないでしょう」
「いえ、仮に食料保管庫に深刻なダメージが入れば、生じる経済的インパクトは弱者を飲み込みます。正直なことを言えば、直接戦闘で生じる死者よりも経済的混乱が巻き起こす人被害の方が大きいと本営は見ています」
「そんな――」
フェリルはイシュメールを振り返ると、イシュメールは「まあ、そんなもんだろうな」という顔で聞いている。フェリルとしては「なによ!」と言いたかったが、やめた。それではただの嫌な女である。
「……お話は分かりました。しかし、私への協力依頼が分からない。ウラル地方なら地理にも明るいですが、第三食料保管庫周辺は、何年も前に行ったきりで、ろくに覚えていません」
「でしょうね」
「ならなぜでしょうか。適任はいくらでもいるのでは?」
「いません。少なくとも、私はそう思っています」
「そういえば、あなたの名前を聞いていませんでしたが?」
「ああ、失礼しました。私は作戦司令部のカテナです。カテナ・アラモス」
「アラモスさん……」
「カテナでいいですよ。その方が呼びやすいですし」
そういえば、以前オガが来た時に「少年みたいな顔をしているくせに、エグい作戦を考える切れ者がいる」という話をしてたのを、イシュメールは思い出した。
「……今回の作戦はあなたが?」
「いえ、別の人間が立案したものです。ですが、イシュメールさんを推薦したのは私です。他に適任者はいないと思っています」
「その意図は?」
「火力ではありません。欲しいのはその頭脳です」
「私より、アナタの方がよっぽど優秀でしょう?」
「イシュメールさんより生き方は上手かもしれませんが、魔獣へのアプローチはあなたの足元にも及びません。過去の報告書を見させていただきましたが、あの独創力と柔軟性は、本当に感服しました」
「バカにしてます?」
「むしろ、バカにする輩がいたら、何としてでも軍法会議にかけてやる所存です」
カテナの真っ直ぐにイシュメールを見る目には、まったくもって曇りがない。間違いなく営業リップサービスもあっての発言だろうが、自分を必要としていることは間違いないだろう。
「…………具体的な任務と、報酬を教えてください」
「ありがとうございます。ではこちらをご覧ください――」
広げられた地図を前にして、カテナは完璧な作戦説明を行った。その説明の仕方一つをとってみても、彼の優秀さというのが滲んでいる。
「この作戦、あなたも参戦するんですよね?」
「もちろんです。ですが、作戦を立てたのが私の先輩なので、あんまりしゃしゃり出ることはできないと思います……」
「………でしょうね。他に意見具申できる人がいれば、こんな作戦にはなっていないでしょう」
「お恥ずかしい限りです。だからこそ、あなたの力が必要なんです」
「…………一晩、考えさせてください。お力になれる事が見えて来たら、この依頼を受けさせていただきます」
「ありがとうございます。今はその言葉をいただけるだけで、十分です」
カテナは深々と頭を下げた。
それから、すっと顔を上げると、申し訳なさそうに「一晩考えるということですので、ここに一泊させてもらえませんか?」と両手を合わせてきた。
そんな愛嬌のある姿も、彼の優秀さを支える一因なのだろうと、イシュメールは思った。




