現在㉚ されど扉
「さぁて、そろそろお開きにしますか――」
それぞれに出していたマグカップを片付けながら、イシュメールは腰を上げた。ちなみに、クロエが変身を遂げてから1時間ほどが経過している。雑談も一区切りがついたところだ。
「なによ、クロエちゃんがせっかく綺麗にしたのに、もうお開きにするの?」
「クロエの変身については、さんざん話したじゃないですか」
「ぜんぜん話し足りない。この強くて美しい肌も、アイラインを入れなくても主張できる目も、まさに天然の一級素材――ああ、なんて可愛いのかしら」
「て、照れますね……」
「照れなくていいわ、誇りなさい。いいの、あなたにはその権利がある」
また長くなりそうな気配がしたので、イシュメールは無理やりにでも場を収めようとする。
「はいはいはい、いいから立つ。じゃないと、午後まで仕事できなくなっちゃいますから」
「え~、山菜のストックはまだあるじゃない。明日ぐらい、山歩きはお休みにしたら?」
「そうしたいのはやまやまなんですが、そろそろ肉のストックが無くなってきているので、明日は朝から獲物を探さないとなんですよ」
「あ~そっちか~」
「ジビエ料理をうたっているのに、山菜だけしか出て来なかったら寂しいでしょう?」
「出発は早いの?」
「できれば通常通りの時間で開店したいので、日の出と共に出発って感じですかね」
「う~ん、なら仕方がないかっ」
物足りなさそうにするフェリルだが、自身も腰を上げた。最近、ナチュラルに片づけの手伝いをするようになっている。
「あ、わたしも手伝います……」
「ああ、大丈夫よ。どうせマグカップとお皿1枚だけなんだし」
「なんかすみません。お化粧もしてもらったのに、片付けまでフェリルさんにやってもらって……」
「俺は全然かまわないぞ!軽食の用意も、ココアの用意もしたけど、全然大丈夫!」
「隊長は当然です。私を泣かしたんですから」
「そうよ、あなたは自分の罪を自覚しなさい」
「………なんだろう……ここは俺の店なのに、アウェイ感がひどい……」
発言権を大幅に削られた店主は、もう泣きそうである……。
「そうだ、クロエちゃんは今日、泊まるんだよね?」
「ええ、そのつもりです」
「場所はどうする?私は一緒に寝ても構わないわよ」
「フェリルさんと一緒の布団は魅力ですけど、それはちょっと遠慮しておきます。なんか、緊張で寝られなそう」
「え~~。女子トークの二次会したいのにな~」
「ありがとうございます。でも、私、せっかくなので狩りに行きたくて。そうすると、寝ておきたいし、朝起こすのも悪いし……」
「え!クロエちゃんも行くの!?」
「少し前から、隊長に狩りの仕方――っていうか、野生動物の追跡の仕方を教えてもらっているんです」
「ちょっと前?」
「ええ、今年の冬ぐらいからですかね」
「聞いてないぞ」と隣を見やるフェリル。
イシュメールは何食わぬ顔で、グラスの滴をぬぐっていた。
「ですから、寝るのもいつもの場所でいいです」
「いつもの場所?」
「ええ。私が来た時は、隊長の部屋にあるソファを借りてるんです」
「っ!!?」
「本来なら、女性である私にベッドを使わせるべきだと思うんですけど、隊長が『お前は客じゃない』って言って、使わせてくれないんですよ。ひどいと思いません?」
ぷーとむくれるクロエだったが、そこにはイシュメールも異論があるらしい。
「ちょっとまて。それは、お前が急に押しかけ来たからだろう。それに、今、フェリルさんが使っている部屋に寝床を用意してやるって言ったら、さんざん駄々をこねて嫌がったのはどこのどいつだと思ってるんだ」
「今の季節なら平気ですけど、あんな真冬に暖房器具のない部屋で寝たら凍死します!!」
「獣騎士が何をいう。寝袋があるじゃんか」
「なんで家の中で野営みたいなことしなくちゃいけないんですか!」
「女性と男性の部屋を分けるのは基本だろう。それにもう暖房もいらない季節になったしな」
「だったらフェリルさんが使ってる部屋に寝台をもう一つ出してくださいよ」
「うちにある寝台は一つだ。床に毛布でも引け」
「絶対にイヤ!」
「なら、ソファで我慢しろって。最高品質の毛皮はいくらでもあるぞ」
「……わかりましたよ。また隊長の部屋のソファで我慢します」
「我慢します」と言う割には、クロエの表情は嫌そうではない。むしろ、嬉しそうまである。
「………楽しそうね」
「ん?なんかいいました?」
「い・い・え、何にも言ってません」
フェリルは少し嫌味っぽくイシュメールに返し、皿をしまうと、カウンターを出た。スラリとした手足で伸びをする姿は、どこはかとなく演技的だ。
「ふぁああ、じゃあお二人さんの邪魔をしちゃ悪いし、私はそろそろ休もうかな――」
「ああ、おやすみなさい――って、なんですか、その目は」
「……べつに。ただ、あなたが不幸になりますようにって思ってるだけ」
「理不尽!?」
ジトッとした目つきに、ひるむイシュメールの横から、クロエの顔がのぞく。
「――おやすみなさい、フェリルさん。今日は本当にありがとうございました」
「いいのよ。フェリル・シェラードは、可愛くなろうとする女の子たちの味方なんだから」
「ふふ、かっこいいキャッチコピーですね。でも、フェリルさんが言うと、めちゃくちゃ説得力あります」
「おほめにあずかりってとこかしらね。明日の朝、狩りから帰ってきたら、またお化粧を教えてあげるわ」
「ほんとですか!!」
「ほんとうよ。今日は私がやっちゃったけど、本来なら自分でできるようにしないと意味がないでしょ?」
「めちゃめちゃ嬉しいです。明日、絶対、美味しいお肉を獲ってきますね!!」
「楽しみしてるわ。でも、怪我なんてしないでよ」
「普通の獣相手に遅れは取りませんよ。でも、気を付けて行ってきます」
拳を握りしめ、ポーズをとるクロエ。
その様子が、とても眩しく見えて、フェリルはそそくさと二階へ移動した。
階段を上ると、廊下を挟んで二つの扉がある。
左側がイシュメールの部屋で、右側が仮のフェリル用寝室だ。広くない家だから、廊下の幅もたかが知れている。
その幅――95センチ。
距離にして1メートル足らずなのだが、そこには扉があって、つまり、確実に隔てられている。
この数日間、フェリルは、何度も反対側の扉を開けて、その隔たりを強制的に失くしてしまおうかと考えた。
しかし、それができなかった。
負い目とか、距離感とか、なんというか純粋ではないものが、絶妙な距離を生んでしまっている。複雑な行程を経てここへやってきたフェリルにとって、95センチの幅は、けっして近くない距離なのだ。
だが、その距離の内側にクロエがいるらしい。
仕事柄、同じ場所で寝ることなどなんともないのかもしれない。男女の距離感ではないから、同じ場所で寝られるのかもしれない。
しかし、それだけでは収まり切れない鬱々とした気持ちがある。
フェリルは自らのベッドに体を投げ出す。
一日分の疲労と、名詞の無い疲れが、一気に体を布団へ押し付けて来る。もう、指一本、動かす気にはならない。
目から涙がこぼれるかわりに、口から小さな溜息が漏れた。




