現在㉖ 嫌な予感
都の外れにある、獣騎士隊の兵舎である。
遠征から帰還したばかりの騎士達は、自分達の装備を着装室にしまいながら、ようやっと訪れる休暇の幸せを嚙みしめていた。
「今回の遠征は、きつかったな~」
「ほんとな。誰だよ、プロプテロップスなんて余裕だよって言ったのは……」
なかなかハードな遠征だったようだ。
普段なら、これからくり出す色街の話で盛り上がるところなのに、今日は皆の愚痴が止まらない。
「中隊長だよ。あの人、文官上がりだから状況わかってないんだって」
「人事交流かなんだか知らねえけど、素人に指揮されるコッチはたまったもんじゃあねえよな」
「まったくだ。あんだけフヨフヨ飛ばれたら、追っかける地上部隊はすぐに体力がなくなっちまうっての。こっちは、重装備なんだぜ」
「正直なところ、クロエが羽根に縄を引っかける案を出さなかったら、ホントに大惨事だったかもしれんぞ。あのまま夜になったら、本当にやばかった」
「クロエさまさまだな」
クロエの機転が、皆の窮地を救ったらしい。
ガラの悪い獣騎士隊の面々も、今回ばかりは彼女に感謝しているようだ。
「でもよ……」
「なんだよ」
「一昨日あたりから、クロエ……めちゃめちゃ機嫌悪くないか?」
「「「「それな!!」」」」
「俺、『煮込みが食いたい』って言ったら、ものすごい顔で睨まれたんだけど……」
「俺なんて『魔銃使いがいたら楽なのに』ってぼやいただけだぞ!それなのに、足を踏んづけられたからね!」
「あの日だったんじゃねえの?(最低)」
「いや、今回はそんなレベルじゃねえな。今まで、なんとなく不機嫌な時はあったけど、今日は別格だ。なにせ、あのモリッチが泣きそうになりながらクロエに下命してたぜ。あんなの、命令じゃなくてお願いだよ。まったく、あれで小隊長なんだから、なさけねえったらありゃしねえ」
「この休暇で、リフレッシュしてくれねえかな……。じゃねえと、休暇明けの訓練で、鬼のような打ち込みをされちまう……」
「「「「それな!!」」」」
「まあ、とにかく、姫の機嫌が直ることを祈って、いつものコースで毒を抜こうとしようじゃねえか」
「よっしゃあ。って、集合はいつもの所でいいんだよな」
「おう、いつもの所だ。(一発)終わったヤツから飲んでていいぞ」
「いつもながら、早漏に優しいコースだな、おい」
「早漏にもいいことねえとな」
「がははははは、ちがいねえ!」
男共は戦闘で高ぶった血を、女で溶かし、酒で静める。古来より、変わらない兵士達の光景である。
一方で、そうもいかない女騎士達は、ちょっといいレストランでワインと一緒に飲み干すのが定番になっている。シャワーで汗と泥を落したら、丁寧に身なりを整える。兵舎を出るのは男に比べて遅くなるが、彼女達にとっては着飾る事は重要な儀式なので、省略する事はできない。
ただ、その女性騎士達の中に、クロエの姿はなかった。
彼女は、戻るなりシャワーを浴びると、すぐに準備を整えて、駅へと向かったのだ。なんなら、男連中よりも兵舎を出るのが早かった。
向かうのは、言わずもがなの潮吹亭。
しかし、先を急ぐクロエは「逢いたくて、焦がれる乙女」の表情をしていない。どちらかというと「子を守る獣」ような鬼気迫る表情をしている。
――――なんだか、嫌な予感がする……。
遠征前から感じていた、なんとなくざわつくような感覚。
それが遠征中、三日目を過ぎたあたりで大きくなった。
――――これは、気のせいなんかじゃない。
クロエは危惧している。
イシュメール(の貞操)が危機にさらされているような気がするのだ。
――――私としたことが、甘かったのかもしれない。
今年の冬、約四年ぶりにイシュメールと会ってから、何度か潮吹亭を訪れたが、春になってからは行けていない。繁忙期になるとという遠慮もあったが、自身も国境警備やらなんやらで忙しかったのもあった。
―――――四年も会っていなかったから、顔を見なくても我慢できる力が身についてしまっているんだ……。
生物には順応力というものがあって、人も例外じゃない。恋人がいなくて寂しいと思っていても、3年いなければ、むしろいる方が不自然になるものだ。
だから、クロエは我慢できてしまった。一ヶ月に一度会えるだけでも十分に幸せになってしまっていたのだ。
――――私は、もっと求めなくちゃだめなんだろう。でないと、あの朴念仁はすぐにフラフラとロクでもない女のところに行きたがるから……。
何かを思い出したのか、クロエは自分の愛刀を握りしめ、ぐっと歯を食いしばった。
もし、この場にイシュメールの昔の女――けっこうろくでもないラインナップだが――がいたら、事件が発生していたかもしれない。そんな気迫が、クロエから染み出ている。
――――とにかく、今は一刻も早く、隊長のところにいかないと!!
クロエは、滑り込んでくる汽車に乗り込むと、窓際に腰を据えた。
外はもう日が落ちて、夜の活気が生まれようとしている。今日も仕事を終えた人々が、夜の繁華街で散財という娯楽に興じていくのだ。都はこれからの時間帯が本番である。
しかし、汽車の中は閑散としている。
クロエの他には、大きな荷物を持った行商人と、地方から出てきただろう青年がいるだけで、あとは空席。他の車両も似たようなものだろうから、この便はかなりエネルギー効率が悪くなりそうだ。
汽笛が鳴り響き、汽車がごとりと動き始めた。
都を抜けるまで、約15分。それを過ぎると、辺りは真っ暗になり、外の景色は見えなくなる。そうなると、窓に写るのは自分を含めた車内の光景である。
いつもどおりのクロエがいる。
短い髪、大きいが鋭い瞳、よく褒められる形のよい唇。眉はちょっとつり上がっているが、そこら辺はイシュメールの所為なので仕方がない。戦闘職でありながら、肌はやれておらず、大きな傷跡もない。どこに出しても、恥ずかしくないクオリティといえるだろう。
ただ一つ、難癖をつけるとしたら、化粧っ気がないことか。
アクセサリーは最低限度で、服装も動きやすさが重視されている。騎士隊の中には、オフになると色街の女みたいに変身する者もいるが、クロエにいたっては素材重視のスタイルを崩さない。逆に言えば、それでも十二分に勝負できるポテンシャルを持っていてたということだろう。紫外線対策と基礎化粧品には妥協しないが、色を付ける類のものとなると、口紅すら自分で買ったことが無いのだ。
クロエは窓に写る自分をもう一度見た。
急いで飛び出して来たものの、身だしなみは十分すぎるほど整えてきたつもりだ。自分の持っている服の中で、突然狩りに出ても大丈夫という条件を加味した上では一番かわいいものを選んでいる。
しかし、なぜか、今日はこのままではダメなような気がしてしまう。
根拠はない。
しかし、理由は分かっている。
嫌な予感がするからだ。
クロエは思い立って、手荷物を開くと、奥の方に眠っているポーチを取り出した。
クロエの所有物としては珍しい、かわいらしい花柄のもの。それもそのはずで、先月の誕生日に騎士隊の仲間からもらったものだ。本人の趣味じゃない。
中身は化粧品セット。どうやら、同僚の女性騎士達からは、クロエはもうちょっと着飾った方がいいという認識を持たれているらしく、ほぼ強引に押し付けられた。いきなりポイするのも悪いと思ってバッグの底に眠らせていたが、ここに来て存在感を発している。
――やるか……。
鏡に映る自分に自信がないわけじゃない。
着飾るだけが女の武器じゃないという事は、自分の腕で証明してきた。周囲もそれを認めている。
しかし、いいようのない不安が、遠征の途中から心の隅に座り込んでいるのだ。
――やろう。
幸い、車内は閑散としている。
一人の女性が化粧をするぐらい、マナー違反にはならないだろう。




