過去⑱ 無駄のない世界
炭鉱街でのコルコニクス騒ぎから一ヶ月が経とうとしていた。
ネッコ村の潮吹亭では、イシュメールが改良を重ねたムラサキスズランの茶を客達へふるまっている。この癖のある味の評判はぼちぼち。まあ、飲みなれていないハーブティーなど、良くてもこんなものだろう。
「――邪魔するよ」
日暮れ時の涼やかな風を纏って、前回とは違う軽装のブロックが現れた。
「いらっしゃい――って、ブロックさんじゃないですか!」
突然の訪問に、イシュメールは驚いた。
いや、驚いたのはブロックから感じる雰囲気が変わったことにかもしれない。
「突然、すまん。何せ『例のモノ』の処理が今日に終わってな、こっちに来るついでだから持って来たんだ。設置作業は明日やるから、ひとまず店の前に置かせてもらっていいか?」
『例のモノ』とは、イシュメールの報酬になっていたコルコニクスの骨のことである。獣騎士団の調査後に、煮沸などの処理をして受け渡す契約になっていた。
「もう調査が終わったんですか?随分と早いですね」
「コルコニクスの骨格標本はもう十分にあるから、調べることは殆ど無いんだと」
「卵を産んだと分かる、はっきりした個体なのに?」
「俺もそういった。しかし、奴らの認識は違うんだ……」
どうやら、あの場でイシュメールの思いついた仮説というのは、学者の間ではとっくに広まっている学説だったらしい。立証できないでいたことから、公になっていなかったが、専門家たちの間では『コルコニクスの妊娠魔獣化説』として有名だったそうな。
「奴らからすれば『やっぱり』ってことだったらしいぞ」
「あ~なるほど………」
言われてみれば、当たり前の話だ。
ちょこっと勉強しただけの元兵士の仮説など、専門の天才達が思いつかない訳がない。くやしいが、その方が現実的だ。
「――ただ、卵の発見は初めてだったらしく、そっちは丁寧に運んでいった。卵が割れていることに対して恨み節を言われたがな」
「ああ、それはなんていうか……すいませんでした……」
「いや、いい。あの竜の尊厳を考えると、卵はあそこで処分するべきだった」
「しかし、人側の立場からしてみると、研究を進めるべきだって考え方もあるでしょう?」
「そうかもしれん。しかし、猟師ってのは人間と獣の間にいなくちゃならん。だろう?」
「……そうでしたね。私達は一方の言葉だけで動いてはいけない」
「猟師とは人間と獣の間にいなくちゃいかん」という考え方は、フタバ爺のものだ。つまり、彼から教えを請うた二人には共通の認識である。
しかし、間違っても今までのブロックなら口にしなかっただろう。少なくとも、コルコニクスを退治する前までの彼であれば、思っても言わなかったはずである。なにしろ、ムラサキスズランの茶を初めて飲んだフリをしてまで(無意識なのかもしれないが……)関係を隠そうとしていたくらいなのだ……。
「――戦利品を見ても?」
「もちろん。炭鉱街一の職人に作業をさせた自信作だ」
イシュメールが数人の客とともに外へ出ると、そこには布で覆われた小山があった。周囲には、ブロックの仲間らしき武骨な集団が控えている。
「こいつらは肉の解体のプロだ。つまり、組み立てるプロでもある。だから、飾る場所さえ指示してもらえれば、そこにキチンとコルコニクスの骨格標本を置いてやるぞ」
「アフターサービスまでしっかりしてるんですね」
「当然だ。伊達に協会の看板を背負っているわけじゃない」
「こりゃ失敬。でも、作業は明日なんですよね?そうなると、みなさん泊まる場所が……」
イシュメールは、まだまだ宴もたけなわな潮吹亭を見やる。さすがに彼等を追い払ってオブジェの設置とはいかないだろう。かといって、作業が明日になれば彼等を泊める場所が必要になるわけで、そうなると宴会終了まで待ってもらうことになる。
何かいい案はないかと、イシュメールが首をひねっていると、集団の影から恰幅のよい優しそうな女性と、見慣れた爺さんが出てきた。
「それなら、心配ないわい。みんなウチに泊まることになっちょるからな」
声を発した爺さんの方は、眼元が限界まで垂れ下がった(!)フタバ爺。もちろん、そのだらしない表情の原因が、爺の腕に抱かれている孫娘だということは一目瞭然。となれば、隣の女性はブロックの奥さんということになる。
「フタバ爺……。その子は?」
「ん?そんなにワシに似ちょるかな?」
「いやいや、誰もそんな事は言ってないですが……」
「美人さんじゃろう~」
「……だめだこりゃ………」
美人というよりは愛嬌がある(最大限の賛辞)って感じだが、どうやらフタバ爺の目には分厚いフィルターがかかっているらしい。普段、「あるものをそのまま見ろ」と言っている人とは思えない体たらくだ。
ブロックもその姿を見て、呆れたような、嬉しいような、複雑な溜息を吐く。
「……というわけだ。俺達は親父のところに泊まるから、心配しないでいい」
「たしかに、フタバ爺のところなら、みなさん泊まれますね」
「だから、コイツはこのままここに置かせてもらうぞ。作業は明日の朝一番で始める。昼の開店までには間に合わせて見せるから安心しろ」
「それは助かるんですが……」
「なんだ、何か不服か?」
不服どころか、思いがけず師匠のひそかな希望も叶えてくれて、イシュメールとしては何も言う事がない。ただ、尊敬すべき師匠のいきなりの変わりように、ちょっと理解が追い付かないだけだ。
「いえ、あの気持ちの悪いジジイは何処の誰なのかと……」
「ああ、親父か……。たしかに、あの変わりようは、ちょっと俺も引いている……」
「孫パワーってやつですか」
「そういう事になるな……。なんというか、うん、何にせよ、もっと早く連れてきてやればよかったと心から思うよ……」
「嬉しかったんでしょうね……」
「自分で言うのもなんだが、不肖の息子がいきなり帰って来て、だからな。感情の波がいろいろぶつかって来て、ぶっ壊れちまったのかもしれん」
「しばらくはこっちに?」
「あの姿を見ちまうと、明日明後日で帰るわけにはいかんだろう。だが、仕事の基盤は向こうだし、まあ、そこら辺はおいおい考えていく。今は、しばらくぶりの親孝行ってやつをしてみるつもりだ」
孫を抱くフタバ爺。
奥さんは少し離れた所で、その様子を微笑ましく見守っている。いや、もしかしたら、夫と義父との関係を含めて見ているのかもしれない。
「なんにせよ、良かったですよ。これで弟子として、肩の荷が一つおりた」
「まあ、そこんとこも含めて、世話になった。礼を言わしてもらうよ」
「いえ、こちらこそです。さあ、せっかくですし、店に寄って行きませんか?泊まるのは実家でも、飯を食うのはここでもいいでしょう?」
「もちろん、そのつもりだ。前回は茶だけだったから、今度は料理の腕を堪能させてもらうぞ」
「めでたい席なんで、うんとサービスしますよ。さあ、皆さん、どうぞいらっしゃってください。大した料理はありませんが、酒だけはたっぷりありますから」
皆を店内に促すイシュメールだが、一人、反発する輩がいる。
フタバ爺だ。
「だ、ダメだ!!この子をこんな品の無い店には入らせられん!!」
「コラ、孫バカじじい。弟子の店になんて言いぐさですか」
「親父……。うちの娘は、貴族の娘じゃあないんだぞ?」
「ダメなもんはダメじゃ!!この姫に、動物の肝なんて食わせられるか!!」
「大丈夫ですよ、お義父さん。この子も、猟師の血が流れているんですから」
「しかしだな……」
「夫から聞いてますが、猟師の食事というのは、命と向き合うことなんですよね?どうか、うちの娘にも、その機会を与えてやってくれませんか?」
「………そうなんじゃが……」
嫁さんに促されて、しぶしぶ暖簾をくぐるフタバ爺(と、その孫)。
「こんな店」と言われたイシュメールの口元には苦笑が浮かんでいるが、正直、そんなこと気にならないぐらい嬉しい。
あるべきものが、あるべきところに収まるのは、誰であっても気持ちがいいものだ。
ただ、イシュメールには一つの疑問があった。
なぜ、ブロックは心変わりをして、フタバ爺のところに顔を出したのか――ということ。
人の心の内など知る由もない。
ないのだが、その心変わりに、コルコニクスが卵を守る姿を目の当たりにしたことが、どうしても無関係であるとは思えない。
だとすれば、銃弾に砕けたコルコニクスの子を想う気持ちも、何も生み出さなかったとは言い切れないだろう。
――都合よく解釈し過ぎかな……。
微妙な距離を取りながらも、間に幼子を挟んで酒を酌み交わす親子を見て、イシュメールは一人、そんな事を考えていた。
第7章「縁」了




