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ジビエ料理「潮吹亭」  作者: 白くじら
フェリル・シェラード
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現在③:往路

「日没まで、あとどれくらい猶予があるのかしら?」


 巻きあがる粉雪を手ではらいのけながら、フェリルは店主に向かって声を掛けた。薄い雪雲を透かして届く太陽の光が、ますます弱まってきたからだ。気丈な彼女も、さすがに不安になってきたらしい。


「あと30分ってとこだと思います。でも大丈夫、夜行性の動物が動き出すのにはまだ時間があるでしょう」


 淡々とした店主の声。肩越しにちょっと振り向いたが、歩調は緩めない。


「それじゃあ間に合わないわ。私達、馬車を停めてから30分は歩いたもの」

「御者さんから聞きました。でも、下り坂ですからもっと早く着きますよ」

「それ、帰りの時間を計算してないわよね?」

「一応、武器もありますから、帰りは夜になっても大丈夫です」


 フェリルは「本当に大丈夫なの?」とは聞かなかった。店主の口調には、どこにも誇張している風がなかったし、肩からぶら下がる異形の銃からは尋常でない雰囲気が漂っていたからだ。

 

 ――この人は嘘をついていない。少なくとも、現時点では圧倒的に身を守る自身があるのだ……。


 そうフェリルは推測した。

 だから、質問を変えた。


「――あなたは元軍人?」


 ピクリと店主の肩がはねる。市井の人なら「まずい事を聞いちゃったかな?」と思うのだろうが、あいにくフェリルは貴人である。


「どうしてそう思うんです?」

「だって、なんていうか、所作の折り目がピシってしているもの。田舎の狩人だったら、そうはならないでしょう?」


 店主は一瞬、悲しそうな顔をしてから頬を掻いた。


「そろそろ、そういう雰囲気も消えてきたと思ったんですけどね……」

「もう辞めてから長いの?」

「三年になります。まあ、猟師としては駆け出しですよ」


 店主の言葉にフェリルは眉をひそめる。どうやら納得がいかないらしい。


「嘘……」

「はい?」

「『駆け出し』って言葉が『嘘』だって言ったの。あなた、素人っぽくない。そうね……どこか自信がありそうだわ」


 店主は閉口した。

 たしかに獣が出てきても対処できる自信はある。単純に襲い掛かって来るのであれば、相手が魔獣でも何とかなるだろう。しかし、痕跡を辿って獲物を仕留める猟師としては、まだまだ半人前なのは間違いない。それを嘘と言い切る――言い切ってしまう人間……。店主としては、都を出て久しぶりに会う()()の強いタイプの人間だった。


「私は自分の姿を偽るのは悪意以外の何物でもないと思ってるの。ワザと弱く、礼儀正しく見せるのは謙遜の美学ではなくて、謀略の一種だと思わない?『無欲だよ~』『紳士だよ~』と安心させておいて、虎視眈々と淑女の純潔を狙ってる男は、自己顕示欲の強い軍人よりも性質が悪いわ」


 フェリルは、このセリフを笑顔で言い切った。キラキラと眩い笑顔で、よくもこう偏った意見を述べられるものだと店主は思う。


「ってなわけで、白状しなさい」

「白状って言っても、私が駆け出しの猟師である事は嘘じゃあありませんから」

「じゃあ、その自信たっぷりの態度はどこから来るの?」


 フェリルはぴょんと店主に並び、顔を覗き込む。困ったのは店主。どうも逃がしてくれそうもない。


「――いや、この銃の性能が良いんですよ。軍から払い下げられた物なんですが、普通の銃とは比べ物にならないくらいの威力がある」


 背中の銃をポンと叩いて、店主は言う。

 だが、彼女は納得していないようだ。


「……嘘ね。あなたは道具で自信をつけるタイプじゃない。それに、あのケチで助平な軍人達が、そんな良い銃を辞めていく人間に渡す理由がないわ」

「功績を認められて、とは考えないのですか?」

「それなら渡すのはメダルでしょう?それもメッキ」


 店主から思わず苦笑が漏れた。

 そのとおりだったからだ。


「あなたは私が知るどの貴族とも違うみたいですね。なんていうか、ストレートで……」

「魅力的?」

「暴力的でもある」

「あら、心外。でも魅力的な事は否定しないのね」

「何に対して魅力を感じるかは人それぞれ。辺境の地で小料理屋を営んでいる人間もいれば、都会での成功を夢見る人間もいる。牙のある獣に魅力を感じる人がいてもおかしくはないでしょう?」

「言ってくれるじゃない」


 フェリルの顔に挑戦的な笑顔が浮かび上がった。とても楽しそうでもある。


「でも、おかげであなたの経歴が少し見えたわ」

「どういう事です?」

「あなたは元騎士団ね。貴族の人と成りを知っている軍人なんて、政治家を気取ってるジジイか、騎士団の連中だけだもの」

「社交界で詮索は命取りになるんじゃなかったでしたっけ?」

「バレればね。でも情報を掴んでなければ生きていけない世界でもあるの」

「性質の悪い……」

「可愛いだけじゃ生き残れないわ。それでどうなの?自分から必要最低限の情報を提供する?それとも、ある事ない事を推測される方が好みかしら?」


 まるで脅迫。

 ただ、フェリルの曇りの無い表情を見ると、不思議に怒りがわいてこない。おそらく、彼女に悪意がまったく無いからなのだろう。

 店主は溜息をついた。降参の合図だ。


「……あなたの推測どおり、私は王国騎士団に所属していました。訳あって職を退き、今はこういして猟をしつつ、採れた食材を提供する小料理屋を営んでいます。元軍人ですから戦闘技術はあるのですが、猟師としての腕はまだまだ未熟なんですよ」

「嘘は付いていないと?」

「分かってもらえたと思いますが?」

「そうねえ……。ああ、銃のくだりはどうなの?良い銃を持っているから自信があるって言ってたでしょう?」

「それも嘘じゃあありませんよ。この銃は魔銃なんです」

「魔銃?」

「ええ。魔力の帯びた銃弾を発射する武器です。貴族の方なら祭典などで見た事あるんじゃないですか?」

「よく分からないわ、興味ないもの。でも、あなたが嘘を付いていない事は理解した。嘘と決めつけてしまってごめんなさい」


 素直に謝るフェリル。店主は目を丸くした。


「なによ。なにかおかしい?」

「いや、貴族の方に謝られたのは初めてだったもので……」

「貴族ってひとくくりにしないで欲しいわ。私はフェリル。女王に忠誠を誓うシェラード家の人間だけど、私は家の代表じゃないし、家の主義に忠実でもないもの」

「あなたもさっき『軍人』とか『騎士団』とかをひとくくりにしてませんでしたっけ?」

「そうね、そういうこともあるかも。だから許してあげる♪」


 フェリルは、屈託のない子供のような笑顔で店主を覗き込んだ。

 そんな顔を見ると、店主は調子が狂ってしまい、何も言えなくなる。彼にとって貴族とは、訳の分からない理屈で兵を死地に追いやる死神に近い存在だったからだ。少なくとも、こんな風に人間らしい感情を表に出す人種ではなかった。


「――じゃあ、あなたは?」

「はい?」

「だから、あなたよ」

「なんのことです?」

「だーかーらー、私は『世間知らずで高慢な貴族の娘』じゃなくて、フェリル・シェラードって言ったじゃない。あなたも『元騎士団の料理屋』じゃないんでしょう?」


 ようやくフェリルの意図が分かった店主。改めて名乗るのは照れくさかったが、もったいぶるものでもない。


「私はイシュメール。ただのイシュメールです」

「名字を返したのね」

「それがルールですから」


 騎士は名字を許されるが、退役を待たずに騎士団を抜けると名字を返納しなければならない。


「その方がいいわ。名字なんて、他人がその人を何かのグループへ入れてしまいたいから付けるんだもの。いいじゃない、ただのイシュメール。あるがままのイシュメールってことでしょう?」

「何もないイシュメールってことですよ」

「余計なモノが削げ落ちて、純粋なイシュメールになったってことよ。それでちゃんと生きているのなら、胸を張るべきだわ」


 思わず笑ってしまう。たしかに、今の彼の心には重石がない。それを、貴人とはいえ、会ったばかりの若い女性に指摘された事が妙におかしかった。


「あら?何かおかしいこと言ったかしら」

「いや、何も。むしろ、なによりも正しくて………そうですね、ちょっとあてられてしまっただけです」

「あてられた?何に?」

「精神と直結している言葉にですかね」

「馬鹿って聞こえるわ」

「いや、それこそ魅力ですよ。あなたのソレは、きっと多くの人をひきつけます」

「フフフ、モテる女はつらいわ」


 ――春の嵐。

 それが、イシュメールのフェリルに対する印象となった。



 そうこうしているうちに、道は大きな弧を描いて谷をなぞり、やがて目的の場所に辿りついた。太陽は殆ど見えなくなっていたが、幸いにも馬は無事だった。道沿いに生えている樫の木につながれた2頭の馬は、不安そうに周囲を見回している。


「よかった。無事だったのね」


 フェリルは馬に駆け寄ると、その顔に頬擦りをした。彼女は、こんなところも貴族離れしている。


「さっそく始めましょう。太陽の光が少しでも残っているウチに作業を終わりにしたい」

「それもそうね、あて木をちょうだい」


 イシュメールは担いできた木や布を降ろす。フェリルはするりと怪我をした馬の横に滑り込んだ。


「思ったより、怪我は軽そうね。たしかに、これなら添え木をするだけで大丈夫そう。でも、馬車は置いていくしかないわ」

「けっこうあっさり決断しますね」

「馬の命には代えられないもの。それに、盗人がこんな所で馬車を見つけても、準備をしていなくちゃあ持って帰れないわ。せいぜい装飾品をもぎ取られるくらいよ――え~と、そこの、ええ、その布をこっちに……」

「こうですか――おっと、どうどう……」

「そこに手を置いちゃあダメ。馬が嫌がって足を上げちゃうから。そう、そこなら平気――っていうか、あなた元騎士団でしょう!?馬を扱わなかったの?」

「私の主な相手は魔獣でしたから、戦場で馬を駆るって事はしなかったんです。ですから、乗る事は一通りできても、こういった措置は苦手で………面目ない。でも、むしろ、あなたの方が特殊な例だとは思いますよ?」

「こんなこと、貴族の娘のやることじゃない?」

「一般的じゃないですね。でも、出来る事は素晴らしい」

「私もそう思う。これ、そこに回して――ありがとう、これでいいわ」


 決して手際は良くなかったが、脚の固定は完成した。馬も何とか歩けそうである。しかし、日は既に落ち、夜の闇が谷間に降りてきている。イシュメールはカンテラに灯を入れ、それをフェリルに持たせた。


「馬車を外しましょう。明かりを掲げておいてください」


 イシュメールが悪戦苦闘をしながら馬車を外すと(馬の扱いに慣れたフェリルも、馬車の扱いは不得手だった)、辺りはすっかり闇に包まれていた。カンテラの灯りだけが物の姿を浮き上がらせているが、その所為で周囲の闇が濃くなっている。

 ふいに、谷間を走り抜ける風に乗って獣の声が響いた。乾いた石を叩きつけたような、独特の鳴き声である。


「えっ、なに、魔獣!!?」

「……いや、違いますね。これはアナネズミです」

「あ、ネズミなの」


 ホッとするフェリル。しかし、闇に眼を凝らすイシュメールに楽観の色は認められない。


「ネズミといっても、体長は中型犬ぐらいあります。雑食性の大食いで、弱った動物が大好き。20匹以上の群れをつくって鹿も襲います」

「いいぃぃぃ!!?」

「めったに人を襲うような事はありませんが、今は山から食料が少なくなる季節ですし、油断はできません。特に、あの鳴き声は群れに警戒を呼び掛ける声じゃない」

「というと……」

「獲物を見つけた可能性があります……」

「いそぐわ!!」


 都会で生活をしているといっても、野山を走り回る彼女の危機感は麻痺していない。すぐさま道具をひとまとめにすると、マントをしっかりと羽織った。準備万端である。


「怪我をしていない方の馬に乗ります?それなら、移動速度は速くなる」

「ダメ、実はあの子も右前の肩を怪我しているの。重症ではないけど、人を乗せられる状態じゃない」

「じゃあ、フェリルさんは馬を引いてください。できれば2頭とも――できますか?」


 コクリとうなずくフェリル。イシュメールはそれを見て満足そうに微笑むと、おもむろに背中の銃を抱え、銃弾を装填した。奇妙な形をした銃の右側部から巨大な銃弾が4発、吸い込まれていく。


「恐怖心よりも飢えを優先する奴等ですが、大型捕食者の獲物を横取りしようとはしません。つまり、奴等が出て来たという事は、ここら辺に大型捕食者がいないという証拠にもなるんです。私が殿を務めますので、安心して進んでください」


 闇が周囲を包んでから、まだ30分も経っていない。それなのに、山は危険な香りを発し始めていた。


 

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