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ジビエ料理「潮吹亭」  作者: 白くじら
春の訪れ
34/114

現在㉕ 店じまいのあと

 つつがなく、本日も潮吹亭の営業が終了した。

 いや、つつがなくというのは語弊があるかもしれない。多少のパニックが起きたからだ。


 もちろん、パニックの原因はフェリル・シェラードである。

 昨日の一件で、フェリルが潮吹亭にいるということは、ネッコ村の住人達へ知れ渡っていたのだが、先の温泉地(別荘地)へ向かう観光客は、当然ながら知る由もない。

 ひやかし半分で話題のジビエ料理店に入ってみたら、いきなり彼女から「いらっしゃいませ」と言われてしまうのだ。そりゃあ、びっくりするだろう。中には、感動で泣き始める者(♀)までいる始末だ。結婚したとはいえ、まだまだ彼女の人気は衰えていない。


 それでもなんとか昼と夜のピークを乗り越えて、今に至る。綺麗にカウンターへ並べられた食器の奥で、フェリルがせっせとテーブルを整えている。メイド連中に家事全般を鍛えられたというのは、あながち嘘ではなかったらしい。


「フェリルさん、そこまでやってもらえれば大丈夫です。こっちで夕飯にしましょう」


 イシュメールが声をかけると、フェリルは「待ってました」とばかりに頭に巻いた三角巾をとって、豊かな髪を肩へとおろした。


「ふ~、やっぱりしばらくやっていないと要領が悪いわね。でも、なんとなく思い出してきたわ」

「お疲れ様です。おかげで仕事が早く片付きました」


 イシュメールは、ゴロゴロとしたひき肉のボロネーゼをカウンターに置いた。もちろん、ワインとサラダも忘れない。


「この仕事、いつもは一人でやってるの?」

「フェリルさんがやるより、もっと雑ですけどね。いやあ、テーブルメイクといい、接客といい、ちょっと見直しましたよ」

「そう言ってくれると嬉しい。貧乏貴族なんてって思っていたけど、人生、何が役に立つか分からないものね」

「気持ちはすっごく分かります。私も、騎士団で作っていたまかない料理を、人に出すとは思いませんでしたから」


 イシュメールもキッチンから出てきてカウンターに座る。互いにワインを一口あおってからパスタに取り掛かる。


「うわ、これ、美味しい……」

「でしょう?このボロネーゼはちょっと他では食べれませんよ」

「何の肉を使ってるの?」

「いろいろです。ほら、ツノシカとかアカキバイノシシとか、お客さんに出そうとすると、どうしても余っちゃう部分がでちゃいますよね。そういうのを叩いて一緒くたにしちゃうんです。だから、配合はその都度ちがいますけど、それが独特の香りを出すでしょう?」

「ほんとね。でも、それだけじゃなくて、このゴロゴロしたお肉の感じが好き」

「それはですね、ひき肉を塊の状態にしたまま焼くからなんです」

「ハンバーグみたいに?」

「そう。そうすることによって、ゴロっとした触感がまんま残るんですよ。あんまし上品じゃないですけど、肉のうまみを感じるにはこっちの方が良いと思うんです」

「わかる。これ、クセになるわ」

「喜んでくれて嬉しいです」


 ラフな服装でまかないメシを頬張るフェリルは、魅力こそ失ってはいないものの、どこをどうみても貴族には見えない。イシュメールも自然と、口調が軽くなっていた。


「――しかし、あのフェリルさんが接客までやってくれるなんて、都の人が聞いたら驚くでしょうね」

「いちおう、新聞社の方には夫から圧力をかけておくらしいけど?」

「そうはいっても、一般の人の口までは塞げないでしょう」

「まあね。でも、ここまで物理的に都から離れていると、そうそう足を延ばそうって人はいないんじゃないかしら」

「それはそうかも。温泉地へ向かう貴族と、そこで働く従業員の来店回数が増えるくらいですか」

「いいとこ、そんなもんでしょう。気にするだけ損よ」

「そう考えると、フェリルさんの仕事デビューとしてはいい場所だったかもしれませんね。ひとまず、お疲れ様でした」


 二人はグラスをカチンと併せた。


「ところでさ……」

「なんですか?」

「イシュメールってさ、私のことを受け入れてくれたってことでいいんだよね?」


 フェリルが首を傾げながら覗き込んでくる。

 行く束かのおくれ毛が自然に垂れ下がっているせいで、無駄に色っぽい。おかげで、イシュメールは思わず視線を外してしまう。


「……ここであなたを追い出すことはしませんよ。それじゃあ、さすがに寝ざめが悪い」

「それは、リフォームの話があるから?」

「それもありますが、別の話もあります」

「色っぽい話以外は聞きたく無いんだけど」

「じゃあいいません」

「うそ。言って」


 甘えるような声色――それを絶世の美女が発するのだから、タチが悪い。イシュメールはグイっとワインをあおると、溜息を一つついてから話し始めた。


「……フェリルさん、私はあなたに、少しの休憩を提供したいって考えているんです」

「仕事をしないでゴロゴロしてろって?」

「いや、逆です。体を使って仕事をいっぱいしてもらいます」

「どういうこと?」

「つまり、頭の休憩です。もうちょっと言えば、新しい道を選ぶためのシンキングタイムって感じですかね」

「あ~………ちょっと、あなたの言いたいことが分かったかも。立ち止まって考えろってことでしょう?」

「さすが、頭の回転が速い。そして、それがあなたの弱点だと思うんです」


 イシュメールは、フェリルが朝に書いていたイメージ図が気になっていた。

 あれは、勉強をしていたとはいえ、素人がササっと短時間でかき上げられるものではない。


「前に会った時も思いましたが、今日、一緒に働いてみて確信しました。あなたは多才で、人よりも頭の回転が速い。持っている情報が少なくても、即座にそこから推論を導き出すことができる」

「なんか、照れるかも……」

 

 褒められ慣れているはずのフェリルが、珍しく照れた。

 実を言うと、彼女が生きてきた世界では、女性の()()()()()()()は称賛の対象ではないのだ。むしろ、男性のお株を奪うような能力は、生きていく上で邪魔であると考えられている。

 イシュメールの何気ない(しかし、素直な)感想だったが、それは彼女にとって特別な言葉になったようだ。


「――でも、だからこそ、今は慎重になるべきなんです。あなたは、適当に始めた事業でもなんとかしてしまうだけの才気がある。それこそ、思い付きで始めた事業でもそれなりの形にしてしまうんでしょう。でも、それはきっとあなたのためにはならない」


 あせる必要はない。

 大事なのは、状況に合わせることではなく、自分の希望を見つめることだ。


「……時間はある。けれど、戻るには惜しいってやつ?」

「そうですね。一歩目は大事にするべきだと思います。それでも、戻れない訳ではないとは思いますが……」


 なんでもできるだろう。

 でも、だからこそ、本人が夢中になれるモノを見つけて欲しいというのが、イシュメールの願いだ。

 

「たしかに、今の私にはやりたい事が多すぎる。あせって道を決めても、後悔しか残らないのかも」

「ゆっくり考えればいいじゃないですか。どうせリフォームはオフシーズンにやってもらう事になったんですから」

「そうね……。でも、あ~もう、自由って以外と大変ね。いちいち自分で決めなくちゃならないんだもの」

「決めなくちゃいけないって考えるから疲れるんですよ。決まっていくって考えていけば、自由を謳歌できます」

「決まっていく?」

「そうです。自分に視線を向けてあげて、好きな事、上手くいった事を積み上げていくんです。そうすれば、おのずと選択肢は絞られていく。あとは、直感ですね。どうせ何を選んでも『ああしておけばよかった魔人』からは逃れられないんですから、付き合っていく覚悟をした方が良い」

「好きな事ねぇ………。まあ、そう考えると今日は、楽しかったわ。いろんな人と話がとても面白かった……」

「接客業もあり、ですね。でも、人と話す仕事は他にもある」

「例えば?」

「法律家もそうですよ。人に何かを教える仕事もある」


 貴族の女性が、一般市民にテーブルマナーを教えている例は少なくない。


「そっか……叩き込まれたテーブルマナーも、やり方によってはお金になるのか……」

「方向性が決まるまで、いろいろな人と話をして、知見を広げてみたらどうですか?ここで私の仕事を手伝いながらでも構いませんし、なんなら都に戻ってもいい。家に戻らなければ、旦那さんも文句はいわないでしょう?」

「私が都に戻ったら、リフォームの件はなくなるかもよ?」

「もともと期待してませんから。いや、嘘だな……ちょっとはしてます……。でも、檻を出た代償に、重石を背負わされたら元も子もないじゃないですか。あなたは一度、自由になるべきなんです」

「へえ……そういうことを言うんだ……」


 フェリルは体を少しこちらに向けて、口元に分かり易い笑みを浮かべた。


「なんですか、その顔……」

「いや、なんかカッコいい事言い始めてるなぁ~って」

「……おじさんはカッコいい事を言うものなんです。見た目のレベルが下がってくるので、それでバランスが取れる」

「そうやって若い子を口説くの?」

「時と場合によりますけど、今は口説いてませんから」

「なんで?」

「なんで?そりゃあ、まあ、相手が人妻だからじゃないですかね」

「夫はOKだしてるじゃない。むしろ、熨斗着けて送り届けてるまであるわよ」

「たしかに……。でもまあ、口説きませんよ」

「なんで?」

「しつこいな。よく分かりませんけど、あなたがフェリル・シェラードだからじゃないですかね」

「意味が分からない♪」

「私だって、よく分かってません」


 イシュメールは立ち上がって、互いの空いた皿を持ってキッチンの中へ戻っていった。残されたのはフェリルと二つのワイングラスだ。


「逃げたわね……」

「片付けは早い方がいいに決まってます」

「ひきょうもの」

「何とでも言ってください」

「ひ・きょ・う・も・の」

「やかましい」

「何とでも言えっていったじゃない」

「繰り返し言えとはいってません。ほら、早くグラスを空けてください、じゃないと片付かないじゃないですか」

「いやん、人妻酔わしてどうするつもり」

「めんどくせ!いいからさっさとする」

「は~い……。あ、そうだ、私って今日はどこで寝ればいいの?」

「今、二階の空き部屋を片付けていますので、それまではここで我慢してください」

「私は一緒でも別に――――」

「はいはい。そういうのはムードを整えてから言いましょうね」

「ぶーーー」


 頬を膨らませて不満顔のフェリル。その一方で、イシュメールは「困ったお嬢さんだな」みたいな雰囲気を出してみてはいるが、内心はそう穏やかではない。


 男やもめも長く続けていると、紳士のフリをするのも大変なのだ。





第6章「春の訪れ」了




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